// R-18 //

01.Lucid Dream 夢
「狛枝……、止めろ、…俺に」
「口ではそう言ってても、体は違うみたいだよ?」
「ん…っ、や、だ」
「日向クンのココ、どうしてこんなに大きくなってるのかな?」
「………っ」
口籠る日向に狛枝は唇を吊り上げる。そしてベッドに押し倒した日向の首筋に顔を埋めて、チロチロと舌を這わせてきた。
これは間違った関係だ。日向にはハッキリとその自覚がある。どう考えても、間違っている…。自分達は男同士であるし、日向にはこの島で想いを通じ合わせた彼女がいる。それは狛枝も知っているはずなのに、彼は何を言っても日向を離そうとしなかった。


狛枝に抱かれる時には、いつも優しいあの少女の笑顔を思い浮かべている。そうでもしていないと、体を弄られる快楽と一緒に、心まで狛枝の腕へと滑り落ちていきそうな気がするからだ。目を閉じて気持ち良さに身を任せると、すぐにでも彼女の面影を記憶の向こうに見失いかけてしまう。既に自分は彼に心身ともに落ちかけているのかもしれない。日向は細く息を吐き、快楽に耐えながらそんなことを考えた。
「…名前、呼んでよ」
微かに乱した息の下でも、狛枝の声の感触はどこかひんやりと冷たい。普段はニコニコと明るく振舞っているが、彼の本質は冷静沈着であり、行為の最中も感情を大きく乱さない。
「……い、やだ…」
歯を食い縛って日向が首を左右に振ると、撃ち込まれた狛枝の楔が体内でずるりと動く。その仕打ちに抑え込んでいた快楽が悲鳴を上げ、日向は思わず熱い吐息を零した。
「頑固だね…」
中々堕ちない日向の反応に焦れたのか、狛枝は軽い舌打ちを1つして、突き入れていたものを乱暴に引き抜いた。突如として、今まで内側を満たしていた熱が無くなり、ぽっかりと空洞に変わってしまう。その落差に日向は堪らず、狛枝の顔を見た。綺麗に微笑んだ彼は小首を傾げて、日向の頭を撫でる。
「ん? どうしたの…?」
「はぁ…、狛枝……っ、狛枝…! なぁ…、ああっ」
考えるより先に、舌が彼の名前を叫んでいた。狛枝に教え込まれた焼けつくような欲情が、自分を自分でなくしてしまう。狛枝に溺れてしまう。喘ぎながら名前を呼んで身悶える日向に、狛枝は満足そうに目を細める。そして再び日向の腰を抱き寄せて、反り立った欲望を閉じかけた日向の蕾に押し当てた。
「……あっ」
体に割り込んでくる熱い異物の感触に、僅かな迷いが焦げて散っていく。日向の腰を掴み、グラインドするように奥を抉られる。痛みなのか快楽なのか分からなくなるほどに奥を掻き回され、触れられてもいない自分自身が大きく膨らみ、本能を曝け出す。悔しさに涙ぐむ日向を見て、狛枝は軽く鼻を鳴らした。
「ふふっ、…こんなになっちゃって…。今更、女の子を抱ける体じゃないよね。それでも、彼女との関係を続けるの?」
「……はっ……あ、く、ぅ……っ」
違うと叫びたくても、日向の唇は震えて、喘ぎ声しか出てこない。狛枝に体を奪われる快楽と、彼女がくれる温かな想いは全くの別物だ。そう言い返したいのに、纏わりつく繊細な指が、体を繋ぐ楔が、抱き寄せる腕が、日向の心を浚って言葉までも失わせる。
狛枝は戦慄くような動きの日向の唇を自分のそれで塞ぎ、濃厚に吸い上げる。そして掠れた声に僅かな甘みを滲ませて、日向の耳元で囁いた。
「悪くない気分だよ。みんなの大好きな希望である日向クンが、ボクの腕の中でこんな顔で喘ぐんだから…。言ってよ。どうしてほしいんだい?」
「ん……あ…、ぐ……んん、」
日向は唇を噛み締めて、ぶんぶんと大きく首を振った。プライドはまだ残っている。このささやかな抵抗が徒労に終わることが分かっていても、心に彼女の微笑みが存在する限り、自ら堕ちていくことなど出来ない。あくまで堕ちてこようとしない琥珀の瞳に、狛枝は吐き出すように喘ぎ交じりの笑い声を上げた。
「日向クンらしいね。…でもいつまで続くかな?」
ずぐずぐと日向の奥を犯していた楔が、入口に近い場所を浅く突き上げる。感じやすい所を擦られて、小さな快楽が生まれては消える。満たされそうで満たされないその感覚に、日向は我慢が出来ずに目に涙を浮かべた。
「あッ……はぁ…、狛枝…、いや、だ……!」
「ちゃんと言ってくれないと分からないよ。日向クン」
腰に響くような狛枝の声に、日向はびくびくと体を痙攣させる。
「あ…、ああ…! して、くれよ……。もっと…、もっと、奥…でっ」
「…いい子だね」
蕩けそうなほどに甘さを含んだ囁き。熱く疼くその奥深くに、狛枝の分身がぐぐっと押し込まれる。ぶわりと肌が一気に粟立つような激しい快楽に、ぎゅっと手足に力が入る。じんわりと生まれた熱が体を巡り始め、やがて日向に訪れたのは解放へと向かう大きな射精感だった。
「あ、…ああっ、うぁああっ……!」
長く抑え込まれていた本能が、2度3度と精液を吐き出す。その度に体の力がぐったりと抜けてしまい、日向はベッドに体が沈みこむような錯覚がした。睡魔に襲われ、半ば引き摺りこまれるように目を閉じる。深淵に落ちる間際、狛枝が自分の名前を呼ぶのが聞こえたような気がしたが、いつもとは違う優しい声に、それを確かめる余裕もなく日向は意識を失った。


……
………

水の中をたゆたっている…。ゆらゆらと揺れるゆったりとした気持ち良さに、日向はそっと目を開いた。
「……っあ…!?」
体の中にはまだ熱情が残っている。行為の後特有の気だるさが日向の体を包んでいた。今は何時だろう。慌てて飛び起きた日向はそろそろと辺りを見回した。夢、だったのだろうか。さっきまで自分がいたのは、窓から満天の星が覗く薄暗いコテージだった。だがここはいつも通り、自分と狛枝が一緒に暮らしているアパートの一室である。
「ん…、ひなた…クン?」
隣で全裸のまま、狛枝が眠そうな声を上げる。日向の大好きな淡い色の柔らかい髪が視界の端で動いた。自分は何をしていたのだっけ? 少し考え込んでから思い出す。そろそろ少し肌寒い初秋の夜、いつものように体を重ね、うとうとと眠ってしまった後だった。
「こ、こまえだ? …狛枝、」
「? 日向クン?」
狛枝は日向のそわそわした様子にことりと首を傾げた。僅かに微笑みを携えたいつもの彼の表情に、次第に日向の心は落ち着きを取り戻す。あのあまりにも生々しい、狛枝であって狛枝でない男との情事は、やはり夢だったのだ。日向は安堵感に包まれ、思わず涙ぐんだ。目の前にいるのは、紛れもなく狛枝だ。ふわふわの白い髪に、整った美しい顔。いつも通り、日向の恋人である優しい彼だった。
「どうしたの…? そんな顔しちゃって」
狛枝は倦怠感に塗れた表情のままだったが、完全に眠りから覚醒したらしく、先ほどよりもハッキリとした声で日向に呼び掛けた。狛枝は目を細めて、心配そうな顔をしている。向けられる灰色の瞳をじっと見つめたまま、日向は口を開いた。
「夢…、見てたんだ…」
「……ああ、涙が。怖かったのかい?」
狛枝が指で優しく、日向の目尻の涙を拭った。その白い手をそっと握り返し、日向は自分の頬に当てる。夢と同じに見えて、どこか違ったかもしれない。日向は微かな夢の記憶を辿っていく。中性的で色気を感じる顔立ちも、薄闇にぼんやりと浮かぶ裸身も全く同じなのに、纏う空気は今の狛枝とは全然違った。
「変な…夢だった。高校の時の奴らとさ、南の島で修学旅行をする夢…」
「へぇ、何だか楽しそうな夢だね!」
「俺もお前も参加してた。でもそこにいる俺は女子と付き合ってて、お前とは恋人じゃなかったんだ」
「……そう、なんだ。ちょっと残念だな。キミを他の子に取られちゃったなんて」
狛枝は苦しそうに笑った。日向はその表情にツキンと胸が痛む。もしかして話さなければ良かったのかもしれない。そんな後悔が押し寄せてきた。
「キミとボクは友達だったのかな?」
「うーん、何ていうか…ちょっとそういうのとは違うかもな」
友達同士だったら、体を重ねるなんてことはしないし、あんなに殺伐としてはいないだろう。互いに複雑な想いを抱えていたのは何となく分かる。情欲を孕んだ灰色の瞳で、日向を打ち抜いた狛枝。真剣な気持ちを分かっていながらも、自分は彼女を裏切れなかった。…真剣? そうだ。夢の中の日向は知っていた。無情なまでの抱き方をする狛枝が、本当は優しくて、自分に真摯な想いを寄せてくれていることを。
「夢の中でもどこでも…、ボクがボクであるならば、絶対にキミを好きになると思うよ」
「……狛枝」
言葉を詰まらせた日向に、潜んだ感情の揺れを読み取ったのか、狛枝はニッコリと笑った。
「それはどう…、かな。俺には良く分からなかったよ。でも俺はそいつのことが大好きだった…」
もっと早く想いに気付いていれば。そんな願いを心の中で何度も呟きながら、自分は夢の中の狛枝に身を委ねていた。日向の言葉に表情を柔らかくした狛枝は、そっと日向の腰に腕を回す。冷えかけた体を抱き寄せ、肌と肌が触れ合う仄かな温かみに、少しずつモヤモヤとした不安が溶けていくような気がする。
「あ……、こまえだ…」
数時間前も何度か狛枝を受け入れた場所に、そっと指を差し入れられ、閉じかけた蕾がまた露を帯びて開く。
「まだ濡れてるね。…日向クン?」
「ああ、……抱いてくれ」
いつになく素直な日向に、狛枝はふっと微笑むと唇を近付けてくる。優しい口付けを落としながら、狛枝のみが触れることの許される蕾を開かせて侵入した。日向は再び与えられる快楽に、ビクンと体を揺らす。貪って欲情を解放するというよりも、互いの絆や想いを確かめ合うような優しい行為。夜の帳の中で、日向は狛枝と繋がったまま、緩やかな快楽と共に浅い眠りについた。


……
………

自分を包む温かさが、いつの間にか掛けられたタオルケットの温かみであると気付くのに少し時間が掛かった。…自分と狛枝が恋人同士。そんな不思議な夢の名残を脱ぎ捨てて、日向が起き上がった時、既に狛枝は起きていたようで、いつもの深緑色のコートを身に纏いベッドに腰掛けていた。
「起きた?」
苛立ちを含んだ声で狛枝が振り向いた。不機嫌そうな態度とは裏腹に、情事の後、狛枝は気を失った日向が目を覚ますまでコテージで待ってくれる。行為が終わり、用のないはずの日向が目覚めるまで見守って、そして夜明け前に狛枝は自分のコテージへと戻っていく。
「…ああ」
言葉少なに頷いて、日向は軽く頭を振った。まだぼんやりとしている日向をチラリと見やった狛枝は、黙って日向に寝巻を放る。
「早く着なよ。いつまでも裸だなんて、みっともないだろ」
「そうだな…」
その言葉に日向は同意を示して、素直に寝巻に袖を通した。本当は良く分かっている。冷たい声に潜む狛枝の優しさを。いつからか自分は気付いていた。でもそれに応える術を自分は持たない。愛する彼女に心を捧げた日向に、狛枝の気持ちに応じる資格はないのだ。
寝巻のボタンを全て留めたのを見届けた狛枝は「おやすみ…」と聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くと、コテージを出て行ってしまった。日向は黙って、それを見送る。ドアの向こうに消える深い緑色の背中に向かって、日向は心の中で囁いた。

…不思議な夢を見たんだ。俺とお前が、一緒に暮らしてたぞ。恋人同士、幸せに暮らしてた。俺に向かって綺麗に微笑んで、「好きだよ」って言ってくれた。

「………好き、だ」
決して狛枝には届かないその言葉を紡いだ途端、ふいに涙が溢れた。夢と呼ぶにはあまりにも鮮明な夢だった。肌の感触も囁き合う声も、どこか別の世界に自分と狛枝が存在しているのだと信じられるほどに現実味があった。
「狛枝…」
1人残されて、冷えていく体を掻き抱いたまま、日向は狛枝が出て行ったドアをただ見つめていた。

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02.Lucid Dream 運命
琥珀色の吊り気味の瞳が、鋭く狛枝を睨み付ける。
「あはっ! 鍵でも掛けたら? こうなることが分かってるんならさ」
嘲るように投げた言葉に、狛枝の腕の下の日向は瞳に涙を滲ませ、怒りなのか嫌悪なのか分からない表情でキッと狛枝を見上げた。
「分かってるのに、ボクをこの部屋に入れる。それでいて、拒むっていうのかい?」
「………くっ」
頬にさっと血の気を昇らせ視線を逸らす日向の仕草に、また余計なことを口走ってしまったかと小さな後悔に胸が痛んだ。優しく抱く方法なんて元から知らないが、別に日向を辱めたいと思ってここに来る訳ではない。
だがそうだとしても、嘲り辱めることでしか繋がれない自分と日向だった。乱暴に抱き寄せた日向の肌が汗で滑る。月光に仄かに映えるその裸身は、狛枝が初めて犯した頃のままに伸びやかで綺麗だった。
そろそろ馴染んだ頃かと、撃ち入れた分身をゆっくりと動かす。しかし熱く潤ったその体とは裏腹に、快楽を拒むように日向はその瞳を閉じ、口の端を固く噛んで、そこから漏れる快楽の喘ぎを何度も噛み殺した。
「名前、呼んでってば」
狛枝を拒むように閉じた瞳に映っているのは、優しい少女の微笑みだろう。どれほど体を快楽に溺れさせても、清純さを失わないその瞳。愛しい恋人を想い続ける真摯さがじれったい。じれったいその痛みごと、自分もまた日向に溺れている。狛枝の意地の悪い囁きに、日向は目を開け、キッとした表情で首を横に振った。
「絶対…、嫌だ……」
「日向クンのケチ…!」
あくまで快楽を拒もうとするその表情が憎らしい。さて、いつもの駆け引きをするか。狛枝は薄く笑い、熱く湿っている日向の秘部から自分自身を引き抜いた。女との欲情を知らず、初心で狛枝しか知らない日向の体は、こんな幼稚な駆け引き1つで簡単に狛枝の中に堕ちてくる。
十分に満たされていたものをいきなり奪われた空虚さに、日向は切なげな表情で狛枝の名前を呼ぶ。
「あ、…こまえだ……ッ、狛枝…!! あ、あああ、んッ」
「いい声で啼くね…。ふふっ。男なのに、情けないなぁ」
「……ないて、なんか…! ふ、う……んん、あぁ、」
涙目で睨まれ、狛枝は背筋をゾクゾクとさせる。分かっている。こんな駆け引きや罵倒で得る優位や快楽など、本当は何の意味も持たない。口元を歪めると、狛枝は日向の震える背中を乱暴に抱き寄せた。そう、意味がない。それでも日向が自分の名前を呼ぶのなら。この腕の中にいる間だけでも、自分のものでいてくれるのなら…。
何て、馬鹿だ。日向に恋人が出来てから、自分の想いに気付くなんて。纏わりつくようにうねる日向の中に再び自分自身を捻じ込みながら、狛枝は欲望に霞む意識の中で小さく自嘲した。


欲情の解放と共に、落ちるように眠り込んでしまった日向の寝顔を月明かりで眺めながら、狛枝は密かな感慨に片頬を歪めた。一体どんな夢を見ているのか、日向の微かに開いた唇からは安らかな寝息が漏れている。ふと見つめたその口元がまるで微笑するようにふわりと緩むのを見て、狛枝は何とも言えないような複雑な気持ちになった。想いを通じ合わせた少女の夢でも見ているのだろう。2人が付き合っているのは修学旅行メンバー全員が知る事実だったが、狛枝が日向を抱いた感触から、彼女とはまだ清い関係であることは分かった。
日向 創…。真っ直ぐな琥珀の瞳で、人を信じる純粋さが眩しかった。優しい人柄と強い意志に心惹かれ、友達になれただけでも自分は満足だったのに、そのままの関係は続かなかった。希望を宿らせたその輝きが彼女のものになってしまったと知ってからは、狛枝は言い知れない苛立ちを感じ、夜彼のコテージを訪ねた時に強引に体を奪ったのだ。体の快楽に溺れさせてもなお、彼女との誓いを信じていられるか。狛枝はそれを知りたかった。
何度も抱いて、快楽の絶頂へと上り詰めて。日向の心を足元まで引き摺り下ろしたはずなのに、悔し涙を滲ませた瞳に見上げられて、自分の腕の中には何も残らないのだということを思い知らされる。澄んだ琥珀はいつだって彼の恋人である彼女に向けられていた。これはただの意地だ。手に入らないのが悔しいだけだ。狛枝は軋む自分の心に言い聞かせた。一瞬でもその心を手に入れた気になりたくて、無理に自分の名前を呼ばせる。憎まれることを承知で、日向のプライドを踏み躙って霰もない姿を晒させる。
日向が静かに眠っているのを確かめて、彼のひんやりとした頬にそっと触れてみる。撫でられたその感触が夢に乗り移ったのか、聞き取れないような小さな寝言が日向の唇から漏れた。どんなに濃厚に唇を奪っても、体を繋いで快楽に溺れさせても、心に巣食う乾きが癒えない。その乾きを癒す泉は狛枝のためではなく、日向が愛する彼女のために今も湧いているのだった。
「日向クン……」
行為の後の疲れに狛枝もベッドに横になる。隣に眠る日向の髪を梳き、頬にそっと触れる。腕に力が入らない。瞼が落ちていく。狛枝は睡魔に勝つことが出来ず、ゆっくりと意識を闇に落とした。


……
………

どのくらい眠っていたのだろうか。狛枝はゆっくりと目を開けた。視線を周囲に走らせ、その違和感に胸がざわついた。日向のコテージで夜を過ごし、そのまま眠ってしまったはずなのに。今自分がいる場所はアパートか何かの一室で、時間は昼間なのかレースのカーテン越しに明るい太陽の光が見えた。
「………あれ? ボク…」
「狛枝! 起きたか…!?」
ベッドの傍らにいる日向が慌てたような声で話しかけてくる。何が何だか分からずに、呆然としている狛枝の額に日向のひんやりとした手が当てられる。朧気だった体の感覚に鋭く入ってくる温度差に、狛枝は驚いて体を起こした。
「あ、まだダメだぞ。熱下がってないんだから」
「は?」
日向の手が力の入らない体をやんわりとベッドに寝かしつける。
「ひ…、なた…クン?」
聞き慣れた声なのに、柔らかさが滲み出ているのかいつもと違うような感覚がある。狛枝は日向をじっと見つめ、その顔に視線を止めた。日向が笑っていたのだ。目尻を下げて、優しげに。信じられなかった。今まで日向が狛枝にこんな表情を見せたことは1度もなかったのだ。
「…ん? どうした、狛枝」
「日向、クン…だよね?」
「何だよ、お前。風邪で頭おかしくなったのか?」
苦笑した日向はスッと手をこちらに向け、狛枝の頭を撫でる。ニコッと笑った日向に愛おしげに触られ、狛枝は更に混乱を極めた。日向が笑うなんて、初めて見た。いや、日向は微笑みはする。どこか陰のある寂しそうな微笑みだ。もちろん嬉しそうに笑う時もある。だがそれを向けられるのは狛枝ではなく、きっと恋人である少女に対してだ。
「喉、まだ痛むか?」
「…え、あ、うん」
日向に聞かれて気付いた。そういえば喉が僅かに痛むし、体も熱っぽい気がする。ふと考えて、今の自分は風邪を引いていたのかと、狛枝は他人事のように考えた。これは恐らく夢なのだろう。日向と幸せに暮らす夢。目の前の日向は満たされない自分が呼び込んだ、都合の良い夢だ。
「狛枝、さっき薬飲まずに寝ちまっただろ。ほら、これ」
「………」
「…おい、大丈夫か? まだボーっとするのか?」
風邪薬と思われる錠剤を手渡されたが、狛枝はすぐに反応を返せない。心配するように窺う日向の顔をまじまじと見ながら、何とか薬を口に含み、ガラスのコップから水を飲む。舌を掠める錠剤のざらつきも、熱くひりつく喉を滑る水の冷たさも、夢にしてはやけに鮮明で、自分が見ている夢ながら上出来ではないかと、狛枝は心の中で自嘲した。
もしもこれが夢でなかったら、自分は毎夜でもこの体に触れ、愛しい笑顔を抱き寄せて眠ることだろう。辱めや快楽だけで縛りつけるような欲情ではなく、互いに笑い合い、日向がこの胸で毎夜安らかに眠れるように抱くだろう。この優しい笑顔のために、きっと自分は何を失っても構わない。
「…こ、狛枝?」
傍にある日向の手を取ると、彼は驚いたように声を上げた。それを持ち上げ、愛しげに頬擦りする。柔らかくて温かい日向の体温。うっとりと感触を楽しんでいると、日向が戸惑ったようにもう1度名前を呼ぶ。それが堪らなく嬉しかった。
「日向クン…」
「ははっ、風邪引いてると甘えん坊になるんだな」
日向は狛枝に怒りもせずに、手を自由にさせている。狛枝はしばらく日向の手を握っていたが、まだ体から病が抜け切れていないせいか、急に疲れと眠気が襲ってきた。狛枝は深い溜息を吐く。そしてゆっくりと体をシーツに戻した。
「大丈夫か? 腹とか減らないか?」
「ううん。いいよ」
心配そうに囁く声に、狛枝は微笑みを浮かべて首を横に振った。
「あ、体拭こうか? …何かしてほしいこと、あるか?」
夢なら覚めないでいてほしいと思う。ずっとずっと、日向の傍にいたい。いくら狛枝がポーカーフェイスを得意でも、許されない想いを抱いて、苦しむのは辛かった。しかし急速に重くなる瞼と落ちるような眠気が、この幸せな夢の終わりが近いと告げている。もっとこの笑顔を見ていたかった…。
「…じゃあ、もう少し…傍にいてよ」
「良いぞ」
囁いた狛枝の言葉に日向ははにかんだように笑った。熱でヒリヒリと火照った体に日向の冷たい手が触れて、心地好さに狛枝は安堵して目を閉じる。
「…狛枝? 眠ったのか…?」
日向の優しい声が遠ざかる。手を伸ばしてももう届かない場所に日向がいることは理解出来た。夢は、所詮夢だ。しかしそれに縋りついてしまいたいほどに、狛枝は日向のことを愛している。

キミは本当はそんな風に笑うんだね。ボクは…、やっぱりキミのことが…。

最後にそう伝えようとしたが、結局舌が縺れて、それを口にすることは出来なかった。そして狛枝はそのまま深い眠りの世界へと落ちていった。


……
………

「狛枝…? 狛枝…」
窺うような声が狛枝を呼んでいる。それに応えようと手を伸ばし、触れた何かに狛枝は思わずハッと目を開いた。
「日向…クン、」
狛枝を呼んだその声は、日向だった。しかしその声色に夢で見た日向のような無邪気さは無く、それは狛枝が良く知っている日向のものであった。そしてその声に潜む陰りが、結局自分はこの世界で生きているのだと狛枝に実感させる。ぼやけた視界が晴れると、そこには心配そうに表情を歪ませた日向がいた。場所はアパートの一室などではなく、日向のコテージだ。
「キミが、起こしたの?」
「っ悪い…。お前に服を着せたかったんだけど、上手くいかなくて…」
「…はぁ。余計なことをしてくれるね。折角良い気分で夢を見ていたのに」
「夢? …お前でも夢なんて見るんだな」
呆けたような日向の声に、狛枝は柳眉を逆立てる。
「バカにしてる? キミはボクのこと何だと思ってるのかな」
狛枝がじっとりと日向の顔を睨むと、彼はバツが悪そうに乾いた笑いを零した。ここにいる彼は自分のものではない。だが僅かに見せた日向の素の表情に、狛枝の胸は甘く軋んだ。
「ごめん。何か意外と人間らしいんだなって思って。…どんな夢見たんだ?」
「…キミに言う必要がある?」
「だよな…」
「………。幸せ過ぎて怖かった夢だよ。あのまま死んでも、良かったのにね…」
小さな声で呟く。日向が自分の傍にいて、微笑んでくれて、仲睦まじく一緒に暮らしている世界。もし並行世界が存在するなら、1つくらいあるかもしれない世界。あの幸運な夢を最後に死ねるのなら、と狛枝は心の中で1人ごちた。
「死んでも良いって…、本気じゃなくて冗談…だよな?」
「? 本当にそう思ったから言っただけだよ。日向クン、…怒ってるの?」
「お前って、何で死ぬとか簡単に言うんだよ…! 俺は…、嫌だからな…」
「日向クン…?」
「俺の前では絶対に言うな。勝手に死ぬなんて、許さないから」
日向は涙を滲ませた瞳をキッとさせ、狛枝を正面から見つめた。いつも視線を逸らし、狛枝とは真っ直ぐに目を合わせない琥珀色の瞳が恨みと悲しみ、そして言葉では言い表せない激情と共に向けられている。呆然とする狛枝の頬に、日向の指が触れた。狛枝の体温を確かめるように、最初は恐る恐る触れていた指が、狛枝の頬を包み、耳を掠め、唇に触れる。
「ひな…、たクン?」
戸惑う狛枝の呟きを塞ぐように、日向の唇が狛枝のそれに触れた。軽く触れた唇が、2度3度と触れては離れ、次第に深く舌まで絡め、日向は狛枝の唇を貪った。
「…日向クン」
狛枝は唇を離し、喘ぎ交じりにその名前を呼ぶ。俯く日向の顎に指を添え、顔を上げさせると、頬には幾重にも涙が落ちていた。
「狛枝……、狛枝…!」
泣きながら狛枝の名を呼び、これ以上言葉を口にしないで日向は何度も首を横に振った。ただ震える指で狛枝の感触を確かめるようにその顔や体に触れ、何度も狛枝の瞳を覗き込む。涙を含んだその瞳が、狛枝の名前を呼ぶ度に、そこから先の言葉は口に出せないのだと言外に告げていた。
どんなに心を奪われても、どんなに狛枝の身を案じても、彼女に誓った愛情は消えない。無かったことになど出来ないのだと、その瞳が言っている。締め付けるような胸の痛みと共に、狛枝は日向の指を取り、そっと口付けた。指から手首、首筋に唇を押し当てて、ベッドの上から日向の体を抱き寄せる。いつもなら狛枝の腕から逃げようともがく日向だったが、今は何の抵抗もなく狛枝の腕の中に体を寄せてきた。
体を繋ぐのと同じように、互いにやり場のないこの想いを繋ぎ合わせることが許されるのなら。
「日向クン…」
「あ…、あ……ッ、狛枝…」
素肌に触れる狛枝の指に、日向が微かな吐息を漏らす。自分の中にこんなに優しい情欲が眠っていたことに驚きながら、狛枝は何度も指で日向の肌や髪に触れ、静かに愛撫を続けた。何度かの甘い口付けの後、日向は体を離し、着ていた服を全て脱ぎ去った。日向が自ら素肌を晒すのはこれが初めてだった。
「…動くな」
言葉と共に手振りで示した後、日向は大胆にも狛枝の上に跨り、自分の中に狛枝を迎え入れた。1度行為はしたものの、何も施さないままの蕾を無理に開いた痛みの所為か、日向の唇から苦痛の喘ぎが漏れる。こんな結合に快楽があるとは思えない。だが日向は眉根を寄せて、更に深く狛枝のものを受け入れ、互いの熱を感じ取るように瞳を閉じたまま、狛枝のその体をもたれかけた。
「ふっ……う、あ……っ、ハァ、う…、んっ」
日向がゆっくりと腰を動かし始め、そこから生まれる気持ち良さに狛枝は目を瞑る。肉体的な快楽だけではなく、日向が自分から体を開いて狛枝を受け入れたという事実に心臓が大きく鼓動する。想いが擦れ違うことなく合わさり、1つになっている。今までにない満足感に狛枝の心は満たされていた。
「日向クン…、キミは、」
目を開いて日向を見上げると、同じように日向もこちらを見ていた。切なげに歪んだその表情に狛枝の胸が痛む。今まで日向から憎まれ、嫌悪されているのだと思っていた。だけど恋人への愛情のはざまで迷う分だけ、日向は苦しんでいたのだ。それを知った今、切なさと同時に堪らないほどの愛しさが込み上げてくる。
「あ、ああ…、日向クン……。日向クン、日向クン」
その言葉はごく自然に狛枝の心から溢れ出ようとしていた。

…愛している。

しかしその言葉を口にする前に、日向の唇が狛枝の唇を塞ぐ。驚いて目を見開く狛枝から唇を離し、日向は静かに涙を流す。
「ごめん……、狛枝。ごめんな…っ」
その言葉を口にしてしまったら、聞いてしまったら、もう元に戻れなくなってしまう。決して求めてはいけないその言葉をわびるように、何度も日向は「ごめん」と囁き、狛枝にしがみついて泣いた。
「狛枝…。狛枝、俺は…」
「…日向クン。分かってるよ。ひなた、クン」
声に出さなくても互いに伝わる。混じり合えない運命の中で、心の中で誓い合う。それとは裏腹に2人の体は快楽を追って、転がり始める。星達が見守る優しい夜の下、夜明けなど永遠に来なければ良いと願いながら、狛枝は温かな日向の体を飽くことなく抱き続けた。


数日後、ジャバウォック公園を日向と恋人である少女が歩いているのを、狛枝は遠くから見つめていた。2人の手は繋がれ、互いを見合わせながら、楽しそうに会話をしている。ふと日向の視線がこちらに向き、狛枝を捉えた。一瞬、悲しそうに彼は目を細める。何か言いたげに、僅かに日向の唇が動いた。
「………」
良いんだ。もう、良いんだよ。狛枝は薄らと微笑んで、小さく首を振った。狛枝の反応に日向は苦しそうに唇を噛み、恋人に呼び掛けられながら公園を出て行った。
彼を1番に想うなら、彼の幸せを願うべきなのだ。心はもう決まっている。いつか自分へと優しい微笑みを向けてくれるのなら、いつだって日向を受け入れよう。だが彼女への気持ちを裏切れない彼に、それを言うつもりはなかった。もしも、生まれ変わることがあるのなら…。泡沫の夢の中で見た日向の笑顔を思い浮かべる。

愛してる。愛してるよ、ずっと…キミのことを。

口に出すことが叶わないその言葉を心で繰り返すが、どこにも辿り着くことが出来ず、シャボン玉のように弾ける。狛枝はふぅ…と小さく溜息を吐き、1人公園の出口へと歩き始めた。

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