// R-18 //

01.
こんなに広い空は久しぶりだなと、狛枝は目の前の風景を前髪の隙間から眺めた。いつも鉄格子の向こう側にあって、自分とは縁のない外側の世界。そこに立っていることが何だか現実味がなく、とても落ち着かない。薄い雲から光り輝く太陽が顔を覗かせている。春の陽気はポカポカと暖かく、心地好い風が吹いている。外に出かけるには丁度良い気候だ。


しかしそれは服を着ている人間の話である。


「さぁさぁ、見てってくれ! この奴隷は掘り出し物だぞ!!」
奴隷商人の酒焼けした声が辺りに響き渡り、その場にいた人間がバラバラと集まってくる。言葉と共に首輪に繋がった鎖がぐいっと引っ張られ、狛枝は締め上げられた喉に吐き気がせり上がってくるのを感じた。膝を突いてしゃがみ込んでしまいたいが、奴隷商人がそれを許さない。ピシピシと背中に容赦なく鞭を打たれ、狛枝はやっとの思いで震える足に力を入れた。
伸ばした前髪の所為で視界は狭かったが、耳にはザワザワという街中の喧騒が聞こえている。なので今自分が見知らぬ人間達から、遠慮のない視線を注がれていることはすぐに理解出来た。きっと値踏みをされているのだ。狛枝は居心地が悪くなり、下を向いた。どこへ行っても同じ扱いをされる。卑しい卑しい奴隷の身であり、自分はその運命から逃れられやしない。腰にボロ布を纏い、恥部を隠しただけの薄汚い姿。裸も同然である。しかしながら恥ずかしさなどとうに消えてしまった。物心ついた頃から奴隷として生きてきた。体を嬲られ、弄ばれて、傷付けられる。その理由を考えることすら放棄して、狛枝はこの場に存在していた。
茫洋とする狛枝を余所に奴隷商人は早速商売を始める。しかしすぐにケチをつけてきた見物人がいた。
「何だぁ、ガキじゃねぇか…。使えないだろ、こんなのよぉ」
「そう言いなさんな。この間潰れた娼館があっただろ? こいつはそこから流れてきたやつだ」
「…へぇ、そういやあっちでも女が売ってたな。で、こいつはいくらするんだ?」
「ああ、5000だな」
「はぁ!? べらぼうに高ぇじゃねぇか!! もっとまけろ!」
騒ぐ見物人達の反応に奴隷商人が舌打ちをする。そして面倒臭そうに狛枝の鎖を乱暴に引き、前髪を鷲掴みにしてみせた。その瞬間、見物人からの野次が鳴りを潜めた。見ている、見られている。物珍しそうにいくつもの目玉が狛枝に注目している。引っ張られた髪の毛がキリキリと傷む頃、商人はやっと手を放してくれた。
「中々の器量だろ? すまねぇが、これ以上はまけられねぇ! …ほら、冷やかしなら帰った帰った!!」
しっしと商人に追い払われ、興味本位の見物人は蜘蛛の子を散らすように去ってしまった。家事や力仕事の出来ない子供の奴隷にしては高過ぎる値段だ。金銭的にかなりの余裕がない者でないと、性奴隷など買い手がつかない。しかも狛枝は女ではなく、男だ。
「ちっ…、誰か買う奴はいねぇのか!!?」
人混みに向かって奴隷商人が声を張り上げている。そこへビュウっと風が強く吹き、狛枝は鳥肌を立てながら身を縮めた。裸足の足裏に石畳のひんやりとした冷たさと小石のチクチクとした痛さが伝わってくる。早く新しい主人に買ってもらえれば、少なくともこの風の冷たさからは解放されるはずだ。体を自由にされるのは仕方ないし、乱暴にされるのも仕事の内だと思っている。食事も3日に1度くらい与えてくれるのなら耐えられた。今を生きるだけで精一杯な自分に、"未来"など永遠に訪れないだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、自分の前に立ち止まる1人の人間がいた。
「………」
「おっ、兄ちゃん買ってくかい? …と言っても、兄ちゃんの遊び相手は他当たった方が良いと思うけどな〜!」
俯いていた顔を少し上げると、そこには狛枝とそう年の変わらない少年が佇んでいた。小奇麗な服に上質な薄手のコート。見るからに裕福そうな出で立ちをしている。狛枝は心の中でそっと溜息をついた。自分を買い求める客層とは大分外れていたからだ。もっと高慢で不潔で怠惰で、有り余る金を捨てたいとすら思っている人間が自分を求める。それを考えると、少年はあまりにも未熟で純粋に見えた。彼は自分を買わない。狛枝の勘は今まで外れたことがなかった。
「ほーら、坊やは大人しく帰ってママのおっぱいでも吸ってな。ははは…っ」
その少年は周りの好奇心あからさまな視線を気にせず、ゲラゲラと耳障りな奴隷商人の嘲笑を物ともしなかった。ただじっと琥珀の瞳を真っ直ぐに狛枝へと向けていた。憐みでも軽蔑でもない。そこから読み取れたのは今まで感じたことのないような感情で、狛枝には理解が出来なかった。
「……気に入った。俺が買う」
「おいおい、さっきから言ってるだろ? ここはお前さんのようなガキが来る所じゃ…」
「金なら払う。…俺が、こいつを買う」
少年の口から零れた言葉に狛枝は衝撃を覚えた。何かの冗談だ…。奴隷商人も同じように思ったのだろう。追い払おうとしたものの、それより先に少年が懐から金を取り出し、商人の足元に無造作に投げた。よろよろとそれを掴み取り、金額を確認した商人は目を丸くしている。言い値の倍をゆうに超える金額だ。
「こいつの手枷を外してくれ。首輪も要らない」
「は、はぁ…」
「…俺と一緒に来い。これからお前は、俺のものだ」
少年から差し出された手に狛枝はポカンと口を開けたまま動けなかった。奴隷相手に自ら触れようなどという輩は今まで会ったことがない。相手の手を取ることなくそのままでいると、少年は焦れたのかパッと狛枝の手を掴んで歩いていく。一体何が起こっているのだろう? 信じられない気持ちで狛枝はフラフラとその少年の後を追いかけたのだった。

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02.
「はぁ…」
日向 創は奴隷に気付かれないようひっそりと溜息を吐いた。もっとちゃんとした奴隷を買おうと考えていたのに、どうしてこんな自分と年も変わらない、しかも春を鬻いで生きてきたような少年を買ってしまったのだろう。
奴隷の手を引いて街から出た後に、ふと繋いでいる手に目がいってしまった。子供じゃあるまいし、男同士で手を繋ぐなんて…。頭に突然羞恥心が降ってきた日向は慌ててパッと奴隷の手を離した。それからは街から離れた自分の家に帰るまで、終始奴隷とは中途半端な距離を保っていた。一言も言葉を交わさず、ただ逸れていないか何度も振り返りながらひたすら黙り込んで歩く。
数日前、ずっと自分の世話をしてくれていた奴隷の老夫婦に暇を与えてしまった。日向の両親は仕事でほとんどの期間、家を空けている。最近帰ってきたのがいつだったか忘却の彼方へ消えてしまうほどには顔を合わせていない。代わりに生まれた時から老夫婦に面倒を見てもらっていた。しかしその2人も妻の方が不治の病に罹ってしまったため、日向は十分な金を渡して、気候の良い地方ででも療養するようにと言い含めて、彼らを見送った。1人では何も出来ない日向の行く末を案じてくれていた老夫婦だったが、「すぐに若くて良い奴隷を雇うから」と言う日向の言葉を信じて、後ろ髪を引かれるようにして出て行った。
数日1人で過ごした日向だったが、やはり奴隷を雇おうと思い立った。家事に慣れないのもあったが、街から離れた家で1人寂しく過ごすのは相当堪えた。幸いにもお金には困らない生活をしている。毎年両親が使い切れないほどの金額を送ってくるのだ。その金で良い奴隷を1人か2人雇うつもりで街に出てきたのに奴隷市で出された男娼の少年を目にした途端、同情なのか自分でも良く分からない何かに突き動かされ、気付いたら「俺が買う」と言っていた。
「………?」
思案の素振りを見せた日向に奴隷は怯えたように顔色を窺ってきた。きっと虐げられて生きてきたのだろう。染みついた奴隷の性質は簡単に消せない。まだ成人しきっていない日向にだって、この少年が何をして生きてきたのか、そして自分がこの奴隷を買った時の他の男達の視線の意味くらい解っていた。決して欲情したのではない。奴隷の少年の涙を含んだネフライトの瞳を見た瞬間、欲しい…連れて帰らなくては、と自分でも信じられないほど居ても立っても居られない気持ちになったのだ。
(別に俺は、そんなつもりで買ったんじゃない…!)
言い訳しても仕方のないことを心の中で強く思う。その言葉をぶつけたい1番の相手は日向の心を知る由もなく、聞き分けの良い犬のように黙って後ろに控えていた。


「ここが俺の家。今日からお前も住む家だぞ…。……突っ立ってないで入れよ」
漸く辿り着いた家のドアを開けると、奴隷の少年はビクビクした足取りで日向の家に足を踏み入れた。そういえば買った時から彼は一言も言葉を発してはいない。もしかして言葉を理解出来ないのだろうか?と日向は首を傾げた。奴隷とは道具であり、言葉を話す必要はない。言葉や意思を持ち、主人に嫌悪や罪悪感を抱かせる奴隷よりも、言葉を話さない、目の見えない奴隷の方が一般的に値打ちが高い。
「お前、もしかして喋れないのか?」
怖がらせないように優しく問い掛けると、少年は相変わらずぼんやりとしていたが、しばらくしてふるふると首を緩やかに振った。どうやら耳は聞こえるし、人の言葉も理解しているらしい。
「……まだ名乗ってなかったよな? 俺の名前は、日向だ。日向 創…。分かるか?」
「………。は、はい…」
「お前の名前は? …名前。何て呼ばれてるんだ?」
静かに耳を澄ませていないと聞き取れないほどの小さな声だったが、まずは返事を返してくれたことに日向はホッとした。コミュニケーションは取れそうだ。そう判断した日向は続けて少年の名前を聞いた。
「………。こまえだ…」
「うん?」
「狛枝、凪斗…です」
「そうか! こまえだって言うんだな。これからそう呼ぶけど良いよな?」
コクコクと遠慮がちに頷く少年を、日向は改めてまじまじと見つめた。ぎすぎすに痩せ細った体は流石に見苦しかったが、すんなりと伸びた手足や華奢な鎖骨、細い肩には性別を感じさせない不思議な美しさがある。娼館にいた男娼というのなら、日の光の射さない部屋に閉じ込められていたに違いない。不健康なほどに肌は白く、奴隷にしては珍しく裸身には大きな傷がなかった。
ふと狛枝の太腿から膝にかけて、どす黒い血液と明らかに男のものと分かる体液が乾いてこびり付いているのを見た日向は、何とも居た堪れない気持ちになって視線を逸らした。娼館から連れ去られて、奴隷商人に引き回されている間にも何度か体を弄ばれたのだろう。
「…とりあえず、風呂に入った方が良いよな。着替えは俺の方で用意してやるから」
「……ありがとう、ございます。ご主人様…」
「っ…その呼び方は止めてくれないか?」
奴隷からの呼ばれ方としては『ご主人様』というのは普通であったが、日向はそれがあまり好きではなかった。自分達の上下関係が透けるようで、今まで雇った奴隷達にも様付けでは呼ぶなと言いつけていたのだ。呼び方を拒絶され、狛枝は困ったように「んぅうう…」と小さく唸る。
「じゃあ…日向様と、お呼びすればよろしいですか…?」
「いや、呼び捨てで頼む。そう呼ばれるの落ち着かなくてさ。それと敬語も使うな」
「わ、分かり…、分かった…よ」
狛枝は自身のぎこちない喋り方に戸惑っているようだったが、主人である日向の命令には逆らえない。素直にそれに従い、案内された風呂場で狛枝は何の衒いもなく腰のぼろきれを脱いで裸になった。そんな仕草1つに春を鬻いで生きてきたこの少年の哀れさが垣間見えて、日向は憂鬱な気分になりながら風呂へと押し込む。少しして風呂場からちゃぷんと水音が聞こえてきた。日向の見立てでは狛枝は細さは別として自分とそう変わらない身長であった。狛枝でも着られそうな服を探し当てた頃には水音もいつしか止んでいた。
「狛枝、もう良いか? じゃあ、これに着替えて…」
だがしかし風呂場から裸で出てきた狛枝は、日向の言葉に不思議そうに小首を傾げた。服を受け取ったものの、それを着ようともせずに日向の顔をじっと見ている。
「……日向、クン」
「狛枝…?」
手に持った服を床に置いた狛枝はそっと日向の手を取った。何をしようというのだろう? 腑に落ちない日向であったが、何もリアクション出来ずに彼の行動を見守るだけだ。手を取ったまま跪いた狛枝は日向の掌に恭しく唇を寄せた。ちゅっちゅと優しいキスを繰り返し、そして日向のYシャツのボタンを下から1つだけ外し、臍の辺りにも同じように口付ける。更に日向のベルトに手を掛け、金具を外そうとした。その時、漸く日向は狛枝がしようとしていることが何なのか気が付いた。
「…っ狛枝! 止めろ! …そうじゃない!」
「え……?」
鋭い日向の制止に狛枝がきょとんとした顔で日向を見上げた。半開きになったしどけない唇をきゅっと結んだ狛枝は日向に怒られたのだと思ったのか身を縮ませて、しゃがみ込んだまま後ずさりをする。しょんぼりとした子犬のように哀れな佇まいに、日向はどう伝えてやれば良いのか頭を抱える。何と言えば分かってくれるのか。しかし考えても考えてもしっくりくる説明が思い浮かばず、日向はいくつも言葉を飲み込んだ。
「ごめんなさい…。ごめんなさいごめんなさい…!」
「!! 狛枝…、怖がらせてごめんな。怒ってるんじゃないんだ…」
勘違いされていたら困ると日向はそこだけを先に弁明する。狛枝は怯えを含ませた瞳で「本当に…?」といった風の視線を送ってきている。それにゆっくりと頷いた日向だったが、狛枝の表情から不安の色が消えることはなかった。キョロキョロと辺りを見回してから、何かを発見したらしい。今度は寝室にあるベッドを指差して、日向の機嫌を窺うようにベッドと日向の顔を交互に見やった。
「ベッドで、するの…?」
「違…っ!」
思わずカッとなって、怒鳴ろうとした声が詰まって途切れた。確かに日向は何も説明しなかった。性奴隷としてではなく、家事をさせるために買ったのだと口に出して言わなかった。それでもまるで当たり前のように日向に体を差し出すその様子は切ないほどに哀れだった。そして同時に"そのつもり"で買ったのだと狛枝に思われていたことが日向にとっては腹立たしくもあった。「風呂に入れ」と言われた時に妙に素直に従ったのも違う意味でそれを受け取っていたのだ。
「違うぞ…、狛枝。違うんだ!」
「……違う?」
苛立った日向の言葉に狛枝はことりと小首を傾げる。
「そんなつもりでお前を買ったんじゃない。…飯を作ったり、掃除したり、畑仕事したり…。分かるか? そのために連れてきたんだ」
「え……」
「こんなこと、しなくて良いんだ。…もうずっと、しなくて良い」
それを聞くや否や、狛枝は前髪越しに灰色の美しい瞳を見開いた。信じがたいというような表情の彼に日向は「…ここにいる限りずっとだ」と付け加える。日向の声に潜む苛立ちを敏感に感じ取ったのか、狛枝は細い体を竦ませて小さく頷いた。今にも泣き出しそうなくらいに潤んだ瞳だったが、涙が零れ落ちることはなかった。人前で泣けば主人の迷惑になる。そう叩き込まれているからだ。
「分かったか? 狛枝…」
「……う、ん」
「今日は疲れただろ? 明日から色々してもらうから、服を着て…もう寝て良いぞ」
俯いた狛枝は言われた通りに渡された服を身に纏い始めた。性奴隷だと承知して買ってきたものを、何故こんなに苛立つのか日向自身にも理解不能だった。ただ狛枝の一挙手一投足に数知れぬ情事と愛欲の痕跡を見つけてしまうのは、酷く腹立たしく、自分でもやり切れない気持ちになるのだ。
その夜は隣の部屋から狛枝の啜り泣きを遠くドア越しに耳にしながら、日向も中々寝付けない夜を過ごした。

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03.
日向が自分にと与えてくれた部屋は、奴隷身分にしては十分過ぎるほど清潔で整っており驚いた。同時に感謝してもし切れず、狛枝は身に余る施しにその場で崩れ落ちてしまいそうになった。さほど上質ではなかったがしっかりとした造りのベッドに、春用の羽根布団と毛布がキチンと手入れされて備わっている。他にも部屋には服を仕舞うタンス、それから小さなテーブルと椅子があり、テーブルの上には紙とペンまで置かれていた。
カーテン越しに煌々とした月が輝く静かな夜。狛枝は居心地の良い部屋に逆に馴染めず、ぼんやりと部屋を眺めていた。干し立ての布団に頬擦りするとふんわりとした柔らかさが伝わってくる。こんなに心穏やかな気持ちで眠りにつくのは初めてかもしれない。そして明日のこと以外で何かを考えるのも初めてだった。狛枝は枕を涙で濡らしながら、自分が歩んできた過去を振り返っていた。
「……母さん、父さん」
記憶の糸を手繰っていけば、かつては幸せだった人生もあった。両親も健在だったし、奴隷を雇うほどではなかったがそれなりの生活を送っていた。しかし突然その生活も壊れてしまったのだ。踏み込んできた柄の悪い男達に両親は連れ去られ、狛枝も娼館へと売り飛ばされた。まだ子供だったため、何があったのかは分からないが、恐らく借金の取り立てだったのだろう。
売られてからは地獄の日々を送った。男達に犯され、身体を裂かれる痛みに、幼かった自分がどんなに泣いても喚いても誰も助けてくれなかった。客を前に泣いて暴れ、性行為を拒めば殴られ、後になって商売にならないと娼館の主人からも殴られて、酷い時には食事さえももらえなかった。窓のない娼館の薄暗い部屋の中、数え切れない男達に犯され続けた。いきり立った欲望を捻じ込んで果てる以外に男達の目的はなく、誰も狛枝の名前を呼んではくれなかった。人として対等に扱ってもらった記憶がない。
昼も夜も分からない、娼館の廊下の窓から射し込む光で朧に時間を知りながら、ずるずると数年が過ぎていった。1人客を取り、終わった後には犯された場所の血と精液を洗い流し、裂ければ薬を塗って、また次の客が入ってくるのを待つ。男に犯される度に泣いて喚いた頃の思いも遠く、生きる糧欲しさに自分の運命をいつしか受け入れたのだ。その方が随分と楽に思えた。
そうして何年過ごしたのか狛枝自身にも良く分からないある日、娼館の主人が突然行方を晦ませた。同じ娼婦や男娼が右往左往する中、狛枝は見たこともない男達に連れ去られ、その途中で娼館の主人が借金を背負っていたこと、そして男達は奴隷商人で借金のカタに娼館の人間達を売りさばくつもりなのだと知った。今更どこに売られようとも、男娼として売られるのは決まっていたも同然だった。街まで連れ出される途中にも面白半分の奴隷商人達に何度か身体を弄ばれた。
「ボクは…、どうして…」
奴隷市で日向が手を差し伸べてきたあの光景は忘れようにも忘れられない。何故自分は日向に買われたのだろうか。男を悦ばせるしか能のない薄汚い男娼にも関わらず、彼は狛枝を買ってくれた。何を求めて狛枝を買ったのか考えようとしたが、やはり分からない。思案しようにも段々と眠気が体を蝕んでいき、結局答えが見つからないまま狛枝は緩やかに眠りに落ちた。


「じゃあ、今日は掃除を手伝ってもらうぞ!」
「…はい、分かりました」
「狛枝…、敬語は止めてほしいって言っただろ? 本当に嫌なら、無理にとは言わないけど…」
「あっ、つい…いつものクセで…。んぅうう…、ごめん、ね…。日向クン」
長い間手を付けていなかったのだろう、室内は物が置きっぱなしになっていて雑然としていた。狛枝は箒とちりとりを渡されてすぐに掃除に取り掛かろうとしたが、隣の日向が部屋を出て行く様子がなく、小首を傾げる。
「…あの、ボク1人で…大丈夫…」
「何言ってるんだよ? 一緒にやるに決まってるだろ」
そう返されて、狛枝は言葉を失った。日向の手元を良く見ると、水の入ったバケツと雑巾を手に持っている。まさか奴隷風情の掃除を手伝ってくれると言うのだろうか?
「ね、ねぇ…ひ、日向クン。キミはボクのご主人様なんだから、指示するだけで仕事をする必要はないんだよ?」
「1人より2人の方が効率的だぞ。それに今俺他にやることなくて暇なんだよ…」
手近の物を退けながら、日向は当然のようにそう言った。
「狛枝、とりあえず1回外に物出そう。2人いると大掃除出来て良いな」
「わ、分かったよ…」
奴隷の仕事を手伝う主人など聞いたこともない。一体彼は何を考えているのだろう? どうにも理解が及ばず、狛枝はモヤモヤとした気持ちで日向と共に掃除に取り掛かった。


掃除を終えて「休憩して良い」と言われ、狛枝は与えられた部屋で休んでいた。休憩など娼館にいた頃では考えられない。休まず客を取らされて、客足が途絶えたタイミングで夜が明けたのかと微睡みの中で察知するような生活だったのだ。今のような温かいベッドで休憩が出来るなんて…。ゴロンと寝返りを打つと、コンコンと部屋のドアを叩かれた。
「は、はい!」
「すまない。両手が塞がってるんだ。ドア開けてくれないか?」
日向の声に狛枝は跳ねるようにベッドから飛び起きた。自分は何て気が利かないのだろう。主人の手を煩わすことなく奴隷自らドアを開けるのなんて当たり前のことなのに。叱られたりしないだろうか?とビクビクしながらそっとドアを開けると、そこにはティーセットの乗ったトレーを持っている日向が立っていた。
「ありがとな、狛枝」
「……へ? あ、う…うん」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、遅れて礼を言われたのだと気付き、狛枝はおろおろと返事だけを返した。今までの人生で人に感謝された覚えなど全くなかった。日向に言われたのが初めてである。
「掃除して疲れただろ? 紅茶淹れてきたから良かったら飲んでくれ」
「え…、紅、茶……?」
「…もしかして嫌いだったか?」
「そ、そうじゃなくて…。わざわざボクなんかのために、紅茶を…」
日向は緩やかに首を振って、紅茶の乗ったソーサーをテーブルの上にカシャンと音を立てて置いた。遠慮するなと言っているようだ。
「やっぱり、悪い…よ。休憩まで取らせてもらってるのに、飲み物までだなんて」
「無理し過ぎて体壊したら、元も子もないからな。もう少し冷ましたら飲めるようになるよ」
「………」
黙り込んだ狛枝に「また後でな」と声を掛けて、日向は部屋から出て行った。紅茶のカップとソーサーは見るからに値が張りそうな逸品で手に持つのも恐ろしい。もし割ってしまったらとドキドキしながら何とか紅茶を飲んだ。壁に掛かった時計を見上げると、時刻は夕刻になろうとしていた。まずは使った食器を片付けなければならない。ドアを開けてからトレーを持ち、ダイニングへ向かった。
「……ああ、狛枝か。それそこに置いといてくれるか? 後で洗うから」
「!? な、何してるんだい?」
「何って…、晩飯の準備だけど」
料理をしている主人を差し置いて、自分はのうのうと紅茶を飲んでいたのかと狛枝は慌てて日向に近付いた。日向は野菜を切りながら首だけでこちらを見る。
「狛枝、料理出来るのか?」
「あぅ……、ボク…お手伝い…」
日向を手伝おうにも狛枝は料理などしたことがない。奴隷に『出来ない』や『したくない』は許されないのだ。しかし出来ると豪語して失敗したら、それはそれで大目玉を食らう。どうにもこうにも動けずモジモジしている狛枝に日向は野菜の入ったボウルを手渡した。
「ごめんな。料理は今度教えてやるから、出来そうなら手伝ってくれ」
「……教えて、くれる?」
「ああ、ちゃんと材料揃ってる時だな。今日は有り合わせだから。この野菜、洗っといてくれるか?」
「………」
日向はどういうつもりで自分を買ったのか。これでは主人と奴隷ではなく、ただの同居ではないか…。ムズ痒い気分になりながら、狛枝は手渡された野菜を水で洗い始めた。


「狛枝、前髪切るぞ。それだと見えにくいだろ?」
休憩時間に絵本を捲っていた狛枝は後ろから掛けられた声に驚いて振り向いた。新しい主人である日向がハサミを持って立っている。キリリとした顔立ちの彼は狛枝が目を合わせると楽しそうにニッと笑った。この家に連れてこられて、1週間が経過していた。日向は裕福な支配階級の人間であり、男娼の自分とはまるで別世界に生きている。それなのに彼はやたらと狛枝を構いたがった。料理や掃除や洗濯などの家事を狛枝に任せるにあたり、日向は道具を渡してほったらかしにはせず、手取り足取り熱心に教えてくれた。たまに手が触れたりすると、奴隷である汚らしさを自覚している狛枝は慌てて離れようとするのだが、日向の方は全くと言っていいほど頓着しなかった。普通の人間は奴隷に触れるのも厭うのに。
家に着いた時のことをふと思い出したが、そういえば彼は最初に狛枝の名前を聞いた。後で考えればそれが主人と奴隷の間ではそれが当たり前だとしても、あんなに優しく名前を尋ねられたことは初めてで、ドキドキした上に日向から心配そうに顔を覗き込まれて更に狼狽えた。それにしても主人が奴隷の髪を切りたがるなんて聞いたこともない。狛枝はハサミをチラリと見てから、日向に言葉を投げかけた。
「あの…、ボクはこのままでも」
「前が見えにくくて怪我するかもしれないぞ? 随分伸びっ放しみたいだし…」
「…うん」
絵本をパタリと閉じて立ち上がると、日向は「ここじゃ切りにくいな」と呟いて、自然な動作で狛枝の肩を抱いた。自分より少しだけ体温の高い手に触れられて、狛枝の心臓がうるさく鼓動を打つ。ダイニングの椅子に座らされて、目を閉じるように言われ、狛枝はその通りにした。櫛で前髪を梳いた後に日向の大きな手が頭をそっと撫でる。優しい手付きにうっとりしていると、シャキン…と軽いハサミの音が聞こえた。長かった前髪がバサッと落ちて、軽くなる感覚が伝わってくる。
「あ………」
「えっ…何? どうしたの…?」
「悪い、ちょっと切り過ぎたかも。…いや、大丈夫か?」
パラパラと細かい髪の毛を払いのけた日向が「目、開けて良いぞ」と狛枝の肩を叩いた。
「あー…、不揃いだけど、前よりはマシじゃないか?」
目を開けると今まで視界の半分を塞いでいた前髪は綺麗になくなっていて、目の前には見たこともないような広い世界があった。同じ景色なのにここまで違ってくるものなのかと、狛枝は戸惑いを携えたまま周囲を見渡す。スッキリと遠くまで良く見えた。
「こっちの方が断然良いぞ。折角綺麗な顔してるんだから、見えてる方が…」
「ひ、日向クン…、それって、えっと…」
「っ!! いや、別にそういう意味で言ったんじゃない! 表情が見えると分かりやすいし。あっ…そうだ、洗面所行ってみよう。鏡で確認してくれ」
早口で捲し立てた日向は狛枝の背中をぐいぐい押して、洗面所まで進ませる。狭いその場所に男2人が入ると動きづらい。密着した体に胸を疼かせながら狛枝は鏡に向かった。伸ばしたままにしていた髪は目の上くらいでふつりと切られている。サイド部分がやや真っ直ぐに切られていたので、日向が切り過ぎた箇所はすぐにそこだと分かった。鏡の中の灰色の瞳に見つめ返されて、まるで自分じゃないような不思議な感覚に囚われた。狛枝の肩越しには嬉しそうな日向の顔も映っている。琥珀の瞳に射抜かれて、何だか恥ずかしくなってしまい、狛枝は顔が熱くなるのを感じながら俯いた。
「そんな風に、あんまり下ばっかり向いてんじゃないぞ…」
どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう? 抱きもしないのに…。今まで男娼として生きてきた狛枝にとって、それが不思議で堪らず同時に何だか恐ろしくもある。ただ日向の言葉に頷いて、従うしかないのだった。

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04.
許されない想いを抱き始めたのはいつからなのか、日向にもハッキリとは思い出せない。後になって考えてみてもやはり確たる記憶がない以上、結局こういうものは日々の小さなことの積み重ねなのだと納得する以外になかった。その日も日向は狛枝の肌の感触を夢に見て、夜中に目が覚めた。
「あ…、こま、えだぁ…っ、あっ!?」
真っ暗な深夜の室内で、日向は跳ねるように飛び起きて、そろそろと下腹に手を当ててみる。幸いにも前の時のように下着を汚すまでには至らなかったようだ。夢の途切れ際に貪った狛枝の肌の温かさを振り落とすように頭を振って、日向は深い吐息と共に顔を両手で覆った。


……狛枝に、欲情している。


狛枝を抱く性夢を見るのも、もう何度目になるのだろう。指折り数えるも両手では足りないくらいなのは分かっていた。何度も何度もそれを繰り返し、狛枝が夢の余韻となって消えた後、決まって深い罪悪感に苛まれるのだ。狛枝が日向の家に来て、既に3ヶ月が過ぎていた。一緒に暮らして、マトモな食事を摂らせるようになってから狛枝の体は随分健康になった。
仕事を覚えるのも日向が思っていた以上に早く、物分かりも良くて手先が器用なのも判明した。ひたすら怯えてビクビクしていたのが最近はそんな素振りを見せなくなり、ぎこちなかった敬語も今では自然と話せている。そして時折はにかんで笑うようにもなった。元々年が近かったこともあり、気の置けない友達のように日々を過ごしている。いや、そうでありたかった。
「参ったな…」
最初は同情なのだと思った。日向を見つめる宝石のような美しい瞳、真剣に仕事に取り組んでいる時とぼんやりしている時でギャップのある表情、たまに触れるふんわりとした手の感触。何とも言えない落ち着かない気持ちになるのは、この少年に同情し過ぎている所為だと思った。頻繁に胸を噛むその感情を、同情でないと自分でも認めざるを得なくなったのは、狛枝を連れてきて1ヶ月半になろうかという頃だった。


ある晩に湯浴みをしようと服を脱いだ狛枝と、洗面所で鉢合わせをしたのだ。奴隷なのだから粗末な服を与えても良いだろうという考えの者は数多いが、日向はおかしいだと思われようと雇った者にはキチンと服を着せていた。当然狛枝にも目の前で無闇に裸身を晒さないようにと言い含めて以来、彼もその言いつけを守っていた。日向と出くわした時、狛枝は恥じらうというよりもそれを見た主人が気分を害さないようにと気遣ってくれた。近くにあったタオルをふわりと身に纏ってしゃがみ込んだのだ。
『あ…、今から風呂だったのか』
『う、うん…』
連れてきたばかりの頃は痩せぎすで見苦しいほどだった体はほど良く柔らかみが増し、華奢な肩や腰、手足がすんなりと伸びていた。不健康なほどに白かった肌は白さはそのままに仄かな艶を帯びて、日向は芸術品のように淑やかで美しいその姿に一瞬言葉を失った。
『ごめんね…。ボクなんかの粗末な体を見せてしまって…』
『…い、いや。気にするな』
申し訳なさそうに服を着ようとする狛枝に日向は一言言うのが精一杯だった。欲しいという気持ちに頭がぼうっとなって、自分でもどうしたら良いのか分からない。サッと洗面所から出て、ドアを後ろ手に閉めた時、流石にもうこの気持ちを同情だとは思えなかった。貪りたいと狂おしくなる欲望と大切に護りたいと願う気持ちが混ざり合う。こんな切ない気持ちが1人の奴隷に対する同情であるはずがない。
それは今まで漠然と感じていた下腹の疼きや掴み所のない物欲しさとはまるで違っていた。少し前から僅かな後ろめたさを交えながらも始めるようになった自慰の疼きとも違った。絶対に狛枝に知られてはならないと、日向はドアにもたれたまま茫然と考えていた。出会ってから今まで日向は1度も狛枝を叱ったり、罰を与えたことはない。それでも狛枝はどこか怯えたような所があり、今でも日向に心を開かない。
予告なしに体に触れたり手を近付けたりするだけで、反射的に逃げようとする様子を毎日見ていれば、語らずとも狛枝が好き好んで体を売っていたはずがないと分かる。そうして終始怯えて身を竦ませて生きていたということも。それでも最近漸く控え目にだが笑ったり、嬉しそうな表情を見せることがある。そんな狛枝に自分が欲情していると気付かせたくなかった。綻びかけた狛枝の心を傷付けて閉ざしてしまいたくない。


…欲情したことを、気付かせる訳にはいかない。


軋むような胸の痛みと共に、その時日向は決心したのだった。しかしそう誓った日々の中、抑えきれない欲情が時折夢の中へと顔を覗かせる。細くしなやかな狛枝の体を抱き締めて、すべすべとした白い肌が触れる夢の中で、狛枝は眉を下げた哀しそうな表情で日向に体を開く。小動物のように体を震わせている狛枝を、いつも自分はもどかしい思いで抱いているのだ。もっと丁寧に…もっと優しく…と焦りながらも、貪ってしまう自分を押さえられない。
『あっ…んぅ、……日向クン…うふ、うぁあ…』
『ごめん、ごめんな…狛枝、こまえだ…! あっ、狛枝ぁ…っ』
『…う、あ……っ、あっンッ、ひなた、クン…あぅっ』
繋がった部分に違和感があるのか、狛枝は首を嫌々するように振った。しかし表情からは嫌悪感は感じ取れない。ふんわりとした淡色のクセ毛が汗を掻いた頬にぺっとりと張り付き、はふはふと赤く染まった顔で必死に日向を見てくるのだ。中に突き立てた楔を動かすと、刺激が全身に伝わったらしく狛枝はビクビクと小刻みに体を痙攣させた。
『あっ、んっ…狛枝…っ、俺、あっぐぁ…!』
『んぁあ…、やっ、やぁ……! ひ、なた…クン、』
名前を呼ぶ以外に何を口にすれば良いのか分からず、ただただ狛枝の名を呼びながら腰を振るだけ。狛枝は眉間に皺を寄せたままで苦しそうにしているが、日向にそれを和らげる術はなく本能のままに彼を抱くことしか出来ない。頭が沸騰するような感覚の後に、下半身がジンジンと痺れる。込み上げてくる熱を解放した時には視界は真っ白に染まり、抱き締めていたはずの狛枝は霧のように掻き消えてしまった。


起きた後には決まって体中に泥を塗りつけられたような自己嫌悪が待っている。夢の中が幸せである反面、ダメージは深刻だ。狛枝が眠っている隣室からは何も聞こえてこない。昔の悪夢を見て魘されることもある狛枝だが、今日は良く眠っているようだ。
今でもここに連れてきて、本当に狛枝が幸せなのかどうか日向には自信がない。感情を然程露わにしない彼だから、確かめようがないのだ。それでももし日向が狛枝の体を求めたら、彼は好悪に関係なく自分の体を明け渡すだろう。狛枝は奴隷である自分のことをちゃんと理解していた。
「……俺…このままで、大丈夫なのか…?」
人知れず呟いた独り言に返事を返してくれる者はいない。自分はこの先も性欲を求めずに狛枝と暮らしていけるのだろうか? ここで2人きりで暮らしていること自体が間違っているのかもしれない。夜明けが近いのか、窓の外がやや白み始めている。やり切れない想いに悩み疲れて、日向は寝返りを打ち、もう1度目を閉じた。

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05.
しあわせが苦しいのだと気付いたのはいつの頃からだっただろう。もしかしたら日向に買い取られ、優しく名前を聞かれた時から、自分は苦しかったのかもしれないと狛枝はぼんやりと考えていた。

家の窓から見えるいつもの風景の中に小さく舞う雪を見つけて、狛枝は「あ…っ」と小さく声をあげた。日向が自分を買ってきたのが春先のことだった。3つの季節をこの家で日向と一緒に過ごした。越えた季節は長いようで、それでいて何かを思い出そうとしても、不思議なほどに日向の笑った顔や言葉しか浮かんでこない。
「日向クン…」
彼に名前を呼ばれると温かい気持ちになる。そこから繋がる会話も心が弾むものばかりで、それらを思い出すだけで癒された。声や言葉の他にも、色々と見つけたものがある。日向自身が気付いていない小さないくつものクセ。それら全てを狛枝は愛おしむように1つ1つ数え上げることが出来た。
最初はただ戸惑うばかりだった。奴隷なのにこんなに良い待遇を受けて、見返りに何かとんでもないことをさせられるのではないかとそればかりを心配していた。てっきりセックスの相手をさせられるのだろうと思っていたのに、最初に宣言した通り本当に日向は狛枝を抱かなかった。何1つ仕事の出来なかった狛枝に根気良く丁寧に家事を教え、『覚えが早いぞ』『狛枝って器用なんだな』と言っては嬉しそうに褒めてくれた。
夜に仕事が終わった後は字の読めない狛枝に少しずつで良いからと、字を教え、部屋に置いてある本を読ませてくれた。
『もっともっと、お前の気持ちを分かってやれれば良いんだけどな…』
時々、日向はそう言って狛枝の顔を覗き込んで笑う。もっと話せとは決して言わない。それが日向の優しさだった。与えられる優しさと今の自分のしあわせを苦しいと感じ始めたのは、いつのことだったか…。それはきっと日向が無垢な体だと気付いた頃からだった。
最初の日に叱られて、日向が自分のような汚らしい男娼を抱く人間ではないことは分かっていた。それでもこの少年がまだ欲情らしい欲情も知らず、男以前に女も抱いたことがないのだと気付いたのはしばらく経ってからのことだった。
考えてみれば当たり前のことなのに、何故か無性に悲しかった。夜伽は要らないと突っぱねた言葉や狛枝の裸身を厭う様子は、まだ誰にも欲情したこともなくされたこともない清らかな少年の潔癖さ故なのだと思うと、引き換えに我が身がいかに穢れているか思い知らされるようで胸が痛かった。
日向がこんなに優しいのはきっと狛枝がどうやって生きてきたのか、娼館の薄暗い部屋の中で狛枝が何をしてきたのか、実際には良く分かっていないからなのかもしれないと思う。昼も夜も否応なく脚を開かされ、屈辱的な性戯を強いられ…あの部屋はいつも男の精液の臭いと体臭が漂い、息苦しいほどだった。時にはそれに排泄物の臭いまで加わって、せめて臭いを逃がしたくて入口の格子窓を開けようにも、体がボロボロになって立ち上がることも出来なかった。
あの頃は虚ろな目で、廊下の開け放たれた窓の向こうには一体どんな人達がどんな生活を送っているのだろうとボーっと考えていた。いずれそこから自分が出て、窓の外の人間の1人になること、そして自分には勿体ないような境遇を与えられるなんて、想像もしなかった。


そして幸せなはずの毎日の中で、違う苦しさを知るということも…。


「これから寒くなると、狛枝も1人で大変だよな? もう1人誰か雇うか?」
それを言われた瞬間、胸に鋭い痛みが走った。顔をあげると心配そうな日向の視線とぶつかる。自分を労わってくれる主人の言葉としてはきっと最高だっただろう。しかし狛枝の胸に占めたのは、虚無感とやるせなさだった。
「日向クン、ボク…役立たずなの?」
「そうじゃない。…ただお前1人に何でもやってもらうのは、負担が大き過ぎるんじゃないかって」
「…そ、うだよね。いつまでも主人であるキミに手伝ってもらってるなんて、ボクは決定的に最低で最悪で愚かで劣悪で、何をやってもダメな奴隷なんだ…」
「おい、そこまで言うことないだろ…? お前自分を卑下するのクセになってないか? とりあえずお前はダメなんかじゃない。ただこんなに寒いと仕事が捗らないってだけだ」
日向は溜息を吐いて、窓の外を指差した。冬も本番を迎えて、雪がちらつくことが多くなった。今もチラチラと粉雪が空を舞っている。次の週には大雪になるかもしれないと、日向が街で噂を聞いたらしい。
「まだ雇うかどうかは分からないけど、まだ雪も弱いし、市やってたら覗いてみる」
「……そっか。温かくして、気を付けて行ってきてね。手袋の穴、直してあるから」
「ありがとう。助かるよ。じゃあ、行ってくるな。狛枝…」
「…いってらっしゃい、日向クン」
リビングから出て行く日向の背中を見送ってから、狛枝は体の力がストンと抜け落ちるのを感じた。思わず近くの椅子に座り、ぐったりと体を預ける。自分と日向以外の誰かが、この家に入ってくる。自分1人ではダメなのかという言葉にならない問いは、自分も所詮市場から買ってくる奴隷の内の1人に過ぎないのだという事実を狛枝に冷たく突きつけた。そんな当然のことが辛いのは、自分が奴隷以上の感情を日向に望んでしまっているからだと思い当たった。しかし日向にとって狛枝はいくらでも代わりのいる奴隷の1人でしかない。
「………。ボクなんか、いなくたって…」
狛枝は自分の胸に何度も言い聞かせ、のろのろと立ち上がった。じわりと浮かんでくる涙を乱暴に拭う。日向はしばらくの間、帰ってこないだろう。その間にここから出て行こうと思った。新たな奴隷を雇う雇わないに関わらず、家を出て行った方が良いという考えは、日向を密かに想うようになってから絶えず狛枝の心の中で揺れ続けていた。
ここでこれ以上暮したら、もう自分は日向から離れて生きていけなくなってしまう。そうなってからでは遅いのだ。優しくされて甘やかされて、日向のことしか考えられなくなって…。その上で日向に捨てられた時、自分はどうやって生きていけば良いのだろう? これ以上彼の優しさに溺れたら、もう2度と体を売ることも出来なくなってしまう。
「ううん、今だってもう…ボクは…」
きっと日向が帰ってくる頃には誰か別の奴隷を連れて来るだろう。それならば自分がいなくなっても困ることはないはずだ。狛枝は迷う心を振り切って、玄関へと進んでいく。振り向いて部屋を見渡せば、きっと出て行けなくなる。狛枝は1度も振り向くことなく玄関へと辿り着いた。ここは初めて狛枝が人として優しくしてもらった暖かな場所だった。
「ありがとう、…ありがとう。日向クン…、大好きだよ。ごめんね…」
本人には届かないが、精一杯の感謝の言葉を口にし、狛枝はドアを開ける。早く、早く…ここを出て行かなければ。まだ1人で生きていけると思える内に。雪が舞っている外の冷気が狛枝の頬をひんやりと撫でる。力任せにドアを閉め、狛枝は思い切って丘を駆け下りた。

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06.
もう1人奴隷を雇おうと思ったのは、これ以上狛枝と2人何もないような顔をして暮らせなくなったからだ。ふと手を伸ばせば狛枝に届く近さで暮らしている。その内ほとぼりも冷めるかもしれないと心のどこかで期待していたのだが、日が経つにつれて、渇望感は募るばかりだった。ここ数日は狛枝のふわふわとした白っぽい髪の香りを感じたり、すらりとした綺麗な立ち姿を見るだけで、もう我慢の限界だと自分でも切羽詰まっていた。
とにかく狛枝と一緒にいても虐めたり傷付けないような奴隷を探そうと街に出てみた。だが実際に誰か狛枝以外の人間を家に入れようと考えただけで戸惑われる。結局奴隷市を横目に覗いただけで、日向は早々に街から引き揚げて帰ってきた。
「ただいま…。………? 狛枝?」
いつもならドアを開くと同時に嬉しそうに出迎えに出てくれる狛枝が来ない。誰もいない家に付き物のあのしんねりとした寒々しい空気が日向を出迎えた。
「おい、狛枝…?」
もう1度声を掛けてみたが、狛枝はやはり出てこない。嫌な予感に日向の心臓がドクドクと早鐘を打つ。1つ2つとドアをけたたましく開けて回ったが、どこにも狛枝の姿はなかった。まさか…という思いよりも早く、日向は外へと駆け出していた。ここに来てからほとんど狛枝を外に出したことはない。人混みや不躾な視線を怖がる狛枝を街に連れて行ったこともなかった。土地勘もない以上、あまり遠くまでは行けないはずだ。何故…という思いが込み上げてきたのは、走って走って、息が切れて1度立ち止まった時だった。
「くそ…、どこに行ったんだよ。狛枝…」
最近確かに狛枝は沈みがちだったような気がする。一時は随分打ち解けた表情を見せるようになってきていたのに、また近頃は日向に対して遠慮がちになっていた。
どうして出て行ってしまったのか。いきなり逃げ出さなければならないほど、ここでの暮らしは狛枝にとって辛かったのか。所詮は交わることのない縁だったのだろうか。日向はぶつけられない苛立ちからクシャッと頭を掻き毟る。身寄りも何もない男娼の奴隷と、まだ一人前にもなっていない自分。
ずっと自分が狛枝を買ったことで、彼は幸せになれたはずだと思っていた。少なくとも遊郭に閉じ込められて早逝するよりはマシなはずだ。でもそれは結局日向の勝手な思い込みで、狛枝にとっては毎日脚を開くだけで日がなの糧が得られる男娼の方が楽だったのかもしれない。雪の勢いが増してきて、視界に白が満たされていく。その白さは日向にとって狛枝を彷彿とさせた。腹立たしさよりもただズキズキと胸が痛かった。そこにあるのは奴隷に脱走された主人の怒りではなく、1番大切な人が自分から離れようとする痛みだった。
「狛枝…、狛枝…! こまえだ…っ! っ!? …狛枝!!」
再び走り出した日向は、道の向こうにとぼとぼと歩いている見覚えのある後ろ姿を見つけ、思わず声を張り上げた。名前を呼べばまた逃げられるかもしれない。そう思いながらも呼ばずにはいられない。道の彼方、疲れたように歩いていた人影がのろのろと振り向く。一瞬、茫然と立ち尽くした狛枝がよろめくように走って逃げ出すのを日向は必死の思いで追いかけた。
「あっ……ひ、なたクン…!?」
「待てっ…! 狛枝っ、…狛枝ぁ!!」
遠かった狛枝の姿が、次第に髪の毛1本1本までも見える距離に近付いてくる。いくら健康な体になったとはいえ、まだ体力も走る速さも日向の方が優っていた。
「逃…げるなっ、止まれ、狛枝…!」
「はぁ、はっ…あぅ……っ、わっ!」
切れ切れの息が聞こえるまでの距離になり、日向はついに逃げる狛枝の手首を捕まえた。そのまま勢い余って2人一緒に草むらの中に倒れ込む。空をふわりと揺らぐ雪に、冬枯れの草が舞い上がって混じる。
「はっ…はー…、こま、えだ……やっと、」
「……っんぅ、はっ…はぁあ…、ふっ、ひぁたクン…」
2人は途切れ途切れの荒い息を吐いたまま、マトモな言葉を紡ぐことも出来ずにただ茫然と見つめ合うだけだった。

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07.
日向の声が聞こえた時、驚くよりも先に嬉しさを感じた。本当に嬉しくて、立ち尽くしてこちらに走ってくる日向に見惚れていたのだ。自分があの家から逃げ出した恩知らずの脱走奴隷なのだと我に返ったのは、それから数瞬後だった。怒られる怖さよりも嫌われてしまった辛さに耐えられなくて、それから必死に逃げた。
「は…っ、はぁ…っ…けほっ…んんっ」
所詮は主人に歯向かった最低の奴隷だと見捨ててくれればいいものを、後ろから走って追いかけてくる日向の足音を聞いた時、狛枝は泣き出したくなって、もうどうしようもなくなってしまった。日向に手首を掴まれ、草むらに仰向けにドサッと倒れ込んだ。琥珀の瞳で真っ直ぐに射抜かれるのを胸を高鳴らせながら見つめ返す。
「やっ、離して…お願い…、日向クン! 手…っ、んんぅう…っ」
「ダメだ! 絶対に離さない!!」
逃げようともがいても、日向の体の重みで身動きが出来ない。
「バカっ! …狛枝の、バカ…!!」
「あっ……うぅ…っ」
大きな声に思わず体を竦め、そしてそろそろと目を開けて日向を見上げた狛枝は太陽のような瞳の目尻に涙が浮かんでいるのを見て、もがくのを止めた。今度こそ殴られ罵られると覚悟していたのに、日向のその瞳を見た瞬間、狛枝は自分が彼を深く傷付けてしまったのだと知った。それは虐げられて生きてきた狛枝だからこそ分かる、怒りではなく傷付けられた痛みの色だった。
「嫌なのか? 俺と暮らすのは…そんなに嫌か? また前みたいな生活をしても、構わないと思うくらい…俺を嫌いか?」
こんなに真剣に向き合ってくれていたのに、自分は逃げた。相手に同じだけ想われていないという思い込みと、身分が違う辛さを正視出来ない弱さに負けて、逃げてしまった。残された日向の気持ちなんて、少しも考えていなかった。
「ちがっ…違う、違う、違う…! 日向クン、それは違うよ…!」
「狛枝…? そうじゃ、ないのか? 俺が嫌で、」
「違うんだ、…日向クン。違う…。好き…、好きなんだ。日向クン、大好き…!」
頭の中がぐちゃぐちゃで文章が纏まらない。こんな拙い言葉で気持ちが伝わるのだろうか? ボロボロと涙を流しながら日向を見ると、目を見開いて驚愕しているようだった。
「日向クンが…好き。ひっ…く、でも…いなくなっちゃう。んっ、ボク…1人になったら、…生きて、いけないよ…っ!」
「……狛枝…」
「日向クンが、いなくなったら……生きていけない…っ」
逃げ出さずにはいられなかったほどに相手を想う気持ち、相手が欲しいと願う気持ち。この気持ちを彼に伝えたい。ちゃんと伝えなくてはと思うのに、涙ばかりが溢れてその後は言葉にならなかった。
「だから、逃げたのか…?」
「っう…ん、うん…。そう、だよ…。キミが、他の誰かのものになったら…」
「…バカっ! 本当に…バカ、だ…お前。何も、分かっちゃ…」
叱るその声が途切れた瞬間、狛枝は日向に抱き締められていた。日向の肩越しに雪の降り注ぐ灰色の空が遠く霞む。今まで数え切れないほどの人の肌に触れてきたのに、こんなに温かく感じたのは初めてだった。人に抱き締められるのが恐ろしくも惨めでもないのだと想えたのも初めてだった。
「日向クン…、ごめんね…」
「俺はっ…お前が好きで…大事で、…でも変な気分になって、それが不味いんだって、悩んで…、俺、こんな…最低なのに、お前全然分かってねぇよ…!」
「…ボクに、欲情…してたの?」
「……っそうだ…!」
日向が自分に欲情してたと聞かされ、狛枝は驚いて日向の腕の中で身動いだ。今まで汚い体を嫌悪されているのだとばかり思っていた。欲情していれば、夜伽を命じて抱くことも強引に奪うことも出来たのに、日向はそのどちらもしなかった。
「……日向、クン…、っん」
紡ごうとした言葉は日向が奪った口付けに溶けていった。最初は案じるように軽く優しかったキスが、唇を重ね合う度に深くなっていく。舌を舐め合い、絡ませる。息も出来ないような陶酔の中で、狛枝は日向の背中にしがみ付いたまま生まれて初めての感情に戸惑うばかりだった。
欲情という言葉は狛枝の心に恐怖と嫌悪しかもたらさないはずなのに、日向に求められると涙が出てくるくらい切ない気持ちになる。体どころか心ごと差し出して、全てを委ねてしまいたくなるのだ。
「ごめんな、狛枝…。俺もう…こんな、どうしようもないんだ。だから、他の奴隷雇おうって…そしたら少しは…我慢出来るかもって…」
抱き合った体の熱さと重ね合った唇の貪欲さは、日向が自分に何を望んでいるのか、その先に何が起こるのか狛枝にハッキリと示していた。それでも恐ろしくも辛くもなかった。信じていた主人が自分に欲情したのに、失望どころか身も心も日向に捧げ尽くしたいと思う。言葉で応えるよりも先に、狛枝は日向の体を強く抱き返した。
「本当に、分かってんのか? …お前のこと…全部、欲しいってことなんだぞ。…1番お前がやりたくないことを、させようっていうんだ…!」
不安そうな言葉とは裏腹に、日向の狛枝を抱く腕が次第に強くなる。
「日向クンになら、良いよ…。心も、体も、魂でさえも…ボクの全部を、キミにあげたい…」
「っ狛枝…! 俺も、俺の全てを…お前に、渡すから…。好きだ、好きだ…、狛枝。誰よりも、お前を愛してる…」
主従関係でも利害関係でもない。誰かに愛される、求められるという喜び。日向から愛の言葉と共にキスを送られて、狛枝は雪の降りしきる寒い夜にも関わらず、心が熱く迸るのを感じていた。

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08.
いずれ自分も誰かと恋に落ちて、セックスをすることになるのだと漠然と考えていたのが、ついこの前までのことだった。それがこんなに寒い夜になるということ、相手が奴隷でしかも同じ男であること、そして自分がこんなにもその相手を大切に想うことになるなんて、その時は考え付きもしなかった。
「狛枝…、寒くなかったか?」
「うん、平気だよ」
2人で肩を包みあうようにして家に戻り、日向はすぐさま体の冷え切った狛枝を風呂に押し込んだ。そして自分は落ち着かない気分でベッドに座る。しかしじっとしているのも何故かもどかしくて、狛枝が来るまで立ったり座ったりを繰り返していた。そこへ湯浴みを済ませた狛枝が日向の部屋のドアをコンコンと叩いた。
「は…っ、入ってくれ」
上擦ってしまった声にどれだけ自分は緊張しているのかと日向は頭を抱える。入るように促された狛枝はドアの隙間からおずおずと顔を出した。
「ああ、狛枝…。は…!? お前、その格好…!」
「え…。な、何か変かな?」
「い、いや…。何でもないっ、気にするな…」
姿を現した狛枝は体を大きなタオルにすっぽりと包んでいた。恐らくその下は何も身に着けていないのだろう。これからすることを考えれば服を着ていない方が自然であるのに、想い人の刺激的な登場に日向の心臓はバクバクとうるさく鳴っていた。静々と日向の傍らにやってきた狛枝の手を取り、その華奢な体を布団の中に誘い入れる。
堰を切ったように狛枝の唇から溢れ出たあの言葉が、耳の奥に残っている。泣きながら「日向クン、好き、大好き…」と叫んだ狛枝の言葉を耳にした時、傷付けたくないという枷はどこかに弾け飛んでしまった。傷付けても離したくない。いつか1人になる日が怖くて逃げたというのなら、逃げる気も起らないくらいに繋ぎ止めてしまいたかった。
「狛枝……、もう離さないからな」
「うん…うん…!」
泣き笑いの表情で頷く狛枝の体から纏っているタオルをそっと剥ぐ。すると彼は恥ずかしそうに自分の裸身を隠そうとして、体を捩った。日向は手首を掴んで、その体を静かに抱き締める。
数え切れないほどの男の欲情を受け止めさせられたはずなのに、それでもなお、不思議なほど狛枝の体は無垢で清らかに見えた。湯浴みで遭遇した時と変わらぬ、いやその時よりも一層美しくなった絹のような滑らかな白い肌。日向自らも上半身の服を脱ぎ、裸の体で抱き合った。合わせた肌は互いに上気していて、その熱が興奮を更に煽る。
「狛枝…、俺、こんな気分になるのは、初めてだ」
全身に心臓の音が響いてうるさい。狛枝からもトクトクと鼓動が聞こえている。肉付きの薄い狛枝なのに抱き締めると温かくて柔らかくて、今にも抱き潰してしまいそうだった。それでいて壊れるくらいに狛枝を激しく奪いたいと日向自身が熱を帯びながら主張する。
「ボクも、初めてだよ…日向クン。体が熱くて、…自分が、自分じゃなくなっていく感じ…」
「……本当に、良いんだな?」
「うん、日向クンになら…何をされてもいい」
顔を赤らめてぽうっと夢見心地に言う狛枝を、ゆっくりとベッドに押し倒す。性行為を強いられていたことを考えると本当は嫌なのではないかと心配したが、狛枝の陰茎はふるふると震えながら勃ち上がっていた。大丈夫、狛枝もそれを望んでいる。安心した日向は狛枝の首筋に顔を埋めた。ぺろりと舌を這わせるとビクンと体が大きく揺れる。空いている手で鎖骨を撫でて、腕や胸を擦ってやると、狛枝は「はぁ…」と湿った吐息を漏らした。
「日向クン…、ふぁ…ボク、感じちゃう…っ。んっ、んぅ…」
「良いんだ、もっと感じてくれ。…もっと、見せてくれ。どんなお前でも、俺は好きだから」
「アッ…、ふっ、はぁ……ん、あっあっ……、うぁ…っ」
狛枝から香る甘い匂いとミルクのような肌の味わいに満足しながら、日向は所有の証を体に刻み込んだ。首筋から鎖骨…胸元へと赤い花がいくつも散っていく。狛枝の真っ白い肌にそれは良く映えた。乳首の横をきつく吸い上げると、狛枝は大きく呼吸を繰り返し、鳥肌を立てる。淡い桃色の胸の飾りはいつの間にかツンと尖っていて、日向は何となくそれを指でくりくりと弄った。
「あ…っふぅ…、やっ、やぁ…っ、そこは…っ、う、ん…っ」
「っ悪い…痛かったか?」
「んっ、そうじゃ、なくて…。何か、変なんだ…」
「変なら、止めた方が良いよな…」
「…ううん、触って…、日向クンだから…ボクは…」
はふはふと息を切らしながら、狛枝は日向の手を自分の胸へと当てさせた。ぷつりとした桃色の突起を軽く摘まんだり引っ張ったりしていると、狛枝は体を痙攣させながら涎を唇から零す。
「あんっ、…んぁっ、はぁはぁ……っ、んんっ、うっふ、…アッ」
「狛枝…っ」
もしかしたらこれは気持ち良いのかもしれない。そう理解すれば早かった。日向は片方の乳首を口に含んで、もう片方を指でこねくり回す。硬くなったそれを舌で突いて、ぴちゃぴちゃと舐める。そしてじゅうううと口の中で吸い上げれば、狛枝は背中を大きく撓らせて悲鳴をあげた。
「ぅあああッ、……ま、待って…、ひぁたクン…りょ、ほうは…っ」
「気持ち良いんだろ? はぁ…狛枝が、気持ち良くなってくれるなら、俺は嬉しいぞ」
「ん、あぁ…ッ、ひっ、ひぅ…! い、……んぁ…っ、う、んんぅ…」
涙を零しながら狛枝は必死に喘いでいた。シーツをぎゅっと掴んだ手から力が抜けることはない。股間の陰茎も先程より大きくなり、腹にくっついてしまうほどにそそり立っていた。日向は一旦体を起こし、ズボンとパンツを脱ぎ捨てた。生まれたままの姿になると、狛枝の上に軽く圧し掛かるように体を密着させ、寝そべった彼の頬に優しいキスを送る。
「ふぁ…っ、ひぁたクン…?」
「俺のも…限界みたいなんだ…。狛枝のと一緒に、擦っていいか?」
「ボクのと…?」
息も絶え絶えの狛枝は、目に涙を滲ませたまま下方に視線をやった。そして信じられないといったように目を見開く。何か気になることでもあったのだろうか?
「どうしたんだ? 狛枝…」
「あぅ…、嘘…だよね? 日向クンの…何でそんなに…」
「……俺は別におかしくないぞ」
「う、うん。そうだよね…。分かってるよ」
薄らと微笑んで見せるが、狛枝の表情から不安が消えることはない。唇をきゅっと噛んで「んぅううう…」と唸るだけだ。何をそこまで気にしているのか日向には分からなかった。
「狛枝、何かあるのなら…俺に言ってほしい。嫌なことはしたくないし、優しくしたいんだ…。俺に出来ることなら…」
「あの…、そうじゃないんだ。キミがどうとかじゃなくて、キミの…それが…」
「俺のそれって…、どれのことだよ?」
「…んぅ……キミの、お、おちんちんが…思ったよりも、おっきくて、……ビックリした、だけ…」
「え…っ」
思わず日向は体を起こして自身の陰茎を凝視した。確かに狛枝のものと比べると色も形も大きさも違う。日向のものは根元から幹が太く全体的に浅黒い。狛枝のはほっそりとしていて、肌の色と同じく色素が薄い。自己解釈だが大きさで驚かれるほどかと言えばそうではないと考えている。しかし狛枝曰く、大きいらしい。
日向が絶句していると、目の前の白い肢体がゆらりとベッドから起き上がった。恐る恐るといった風に、さらさらとした白い手で日向の頬を優しく撫でる。そして目を瞑って唇を僅かに突き出した。可愛らしいキスのおねだりに苦笑しながら、日向は狛枝に口付ける。生暖かい舌が絡み合い、飲み切れなかった互いの唾液が唇を濡らした。
「んっ…狛枝…、狛枝ぁ…!」
「…アンッ…、ひぁたクン…あふぅ…、んァっ」
キスだけでは足りなくなって、ぐいぐいと体を押し付けてしまう。勃起した日向の陰茎に狛枝のそれが少しだけ触れた。ビリビリと刺激が走り、日向はゾクリと体の奥底から新しい波が訪れるのを察知する。早く熱を解放したい。その思いを胸に日向はぶるんと弾かれ逃げるそれを一纏まりに握り、ゆっくりと扱き始めた。鈴口からクチュクチュと染み出た先走りの滑りを利用して、2本の陰茎は水音を立てながら踊り出す。
「あ…、んっ、あ、当たっちゃ…っ、ひっ、ひぁたク…ン……ああぁ…ッ」
「はーっ…はっ…、狛枝のがっ、…俺のに、…あっ、く…こまえだ…っ」
先端からたらたらと溢れる先走りの量はどんどん増え、指の隙間からも零れていく。裏筋が引っ掛かってそこから生まれる快感が堪らなく、日向は腰を動かしてなるべく当たるように調節した。時折鈴口を擦って刺激し、先走りを出させ、それを幹へと広げる。ビショビショに濡れた2人の欲望が求め合うように密着し摩擦された。頬を染めて必死に喘いでいる狛枝だったが、視点が定まらずどこかぼんやりとしている。疲れさせてしまったのか。背中を抱き寄せて、寄り掛からせてやると素直に体を預けてくれた。
「っ大丈夫か、狛枝…?」
「こんな、アッ、こわい…怖いぃ…、んっ、んぁ…ひなたクゥン…!」
「傍に、いるから…。俺がずっと傍にいる。だから、狛枝…」
肩口で柔らかいふわふわの髪が揺れるのが分かった。狛枝も限界が近いようだ。男娼をしていたからか、射精することに恐怖感を感じているのかもしれない。安心させるように背中を撫でてやると、ぴくぴくと身震いした。くったりと体を預けている狛枝を労わりながら、日向は手の動きを速める。
「くっ…ぁ…っこまえだ、もう、イきそうだ…っ」
「あぁああ…、ん、んっ…あっ…、ひぅ…ボクも、くる…奥から、熱いの、が…」
「ふ…、うう…狛枝、アっ……、ん……、う…っ!」
「…ひゃ…っ、あひっ……っや、やぁあ…っ! あっあっ…んぅう…ッ!」
ビクンビクンと大きく体が揺れ、狛枝の陰茎からパッと白い液体が吹き出した。同時に日向も溜まりに溜まった熱を解き放つ。頭が真っ白で何も考えられない。意識が現実から離れ、ふわりふわりと浮かび上がっていく。今まで感じたことがないくらい、気持ち良い。狛枝と裸で抱き合い、快楽を分かち合える日が来るなんて、昨日の自分は微塵も想定していなかっただろう。
真っ白になっていた視界が段々と元の色を取り戻し始める。月の静かな光が優しく照らす藍色の自室と、腕の中の真っ白な愛しい人。そして手の中には2人分の精液がべっとりと付着していた。大量のそれは糸を引きながら、ぽたりぽたりとシーツに染みを作る。
「はー……、っ狛枝…。気持ち良かったか?」
「はぁ…あ…、日向クン…。ボク…出しちゃって、シーツが…」
「…バカ、今更そこ気にするか? もうこうなったら同じだ。いくらでも汚していいから」
「ごめん…、ね。んんっ…あ、んんぅう…っ! ふぅ…」
謝罪の言葉を掻き消すように狛枝の唇を奪う。そのまま縺れ合うようにベッドに横になり、狛枝の射精したばかりの陰茎をやんわりと揉んだ。萎えていたそれは日向の手に吐き出した精液でぷちゅぷちゅと厭らしい音を立てる。ぐちゅう…と握り込むとヒクリと反応し、ゆっくりと膨らんでいった。
「…あっあふ…、あん…、ひぁたクン…っ! ボク、今…出したばっかりで、敏感…」
「あ、ああ…すまない。つい…。狛枝が嫌ならもうしないぞ」
「んぅうう…、意地悪だね…。キミ相手に…ボクが嫌だって、言えると思う?」
ぷぅと頬を膨らませて拗ねる狛枝に日向は唖然としてしまった。そこまで自分のことを思ってくれているという事実に嬉しくて涙が出そうになる。ちゅっと最後に軽く口付けて、日向は1度体を離した。
「狛枝、聞いてくれるか?」
「な、何…? いきなり改まって…」
「その…、俺…。………。お前の中に、挿れたい…んだけど」
それを言ってから、日向は一瞬後悔した。自分と相思相愛になってくれたとはいえ、やはり狛枝はこの行為を恐れているのではないかと。抱き合えただけで満足して引き下がれば良かったと考えを改めようとしたが、その前に微笑した狛枝が「日向クン…」と静かに名前を呼ぶ。
「キミと、1つになれて…本当に嬉しいよ。怖くないって言ったら、嘘になる…。でもキミを信じているから。この先もボクをずっとずっと…愛してくれるんだって、知ってるから…」
「狛枝…! 俺を受け入れてくれて、ありがとう。……愛してる」
覚悟を決めてくれた狛枝に感謝の言葉を送り、日向は欲望の下にある小さな蕾にそっと触れた。慎ましやかに色づくそこに精子で濡れた指をつぷりと埋め込む。その途端狛枝はくぐもった声をあげたが、拒絶はしなかった。視線をしっかりと合わせ、こくこくと頷きながら日向の指を受け入れる。きつく締まった窄まりを時間を掛けて慣らしていくと、やがてそこは性器と勘違いしてしまうくらいに厭らしく何本もの指を飲み込む。
「んんっ、……ひぁ、たクン…、ごめんね…。ボクは…キミを、汚してしまう」
「こんなことに、汚すも汚れるもないだろ…。俺はそんなのどうだって良い。ただお前が欲しいんだ…」
指を引き抜いて、ヒクヒクと収縮する後孔に日向は陰茎を宛がった。狛枝は両手で自分の頬を包み込むようにして、その様子を見ている。先端がきゅっと締まった蕾をぬちぬちと割って、中へと侵入していった。
「…あ、んぅううう……ッ、うふ…っ、ん…ぁ……っ〜〜〜!」
「う……、あっ…、狛、枝…っ!」
「あぅうう…ッ、はぁはぁ…、ひなたクゥン…! 中、なかに…っ、アンっ」
押し出されそうな狭さに一瞬諦めかけたが、ザワザワと蠢く肉壁の想像以上の気持ち良さに日向は本能的に腰を進めていた。狛枝は目をぎゅっと瞑り、押し入られる苦しみに耐えていたが、やがて日向自身が全て収まるとそっと目を開く。涙で瞳のネフライトが一層輝いて、日向はしばしその美しさに見惚れていた。
「狛枝…? 大丈夫か?」
「お腹が…、くる…しくて…、キミの……おっきいのが、刺さって…あっ…」
「っ! …辛いのか?」
「ん…ひぅ…ッ、わ、分かんない…っ、こんな、ボク…知らない、んんッ……体が、変だよぉ……」
「…狛枝、動くからな……。ゆっくり、する…から。ほら、掴まってろ…」
顔を真っ赤にしながら瞳をぐるぐると混乱させている狛枝をあやして、背中に腕を回させる。もう混乱してどうしたら良いのか分からないのだろう。遠慮なく力いっぱいしがみ付く狛枝を抱き返し、日向は律動を開始した。ただでさえ結合部が熱く、これ以上ないくらいに気持ち良い。体を動かすとその熱は更に上がり、ねっとりと絡みついてくる狛枝の肉に日向は堪らず溜息を零す。
「…はぁ、はぁ…ひぁたクン…! 体が…熱いよ…。あぁッ、やぁ…っ、ふっ、んんっ」
「どこにも行くなよ…、狛枝。っずっと、俺のものでいろ」
「あっあっ…んやぁ…ッ、ひっ、い、あっ……あぁあッ! …、ふぁ……っ、んぅ…」
緩やかだった腰の打ち付けが段々と早くなり、狛枝も無意識の内に日向に合わせるように腰を揺らしていた。耳を塞ぎたくなるほどに厭らしい、チュブッジュプッという結合部の激しい水音とパンパンと肌が弾ける乾いた音。酸素を求めて力なく開く狛枝の唇に日向は乱暴に口付けた。柔らかい濡れた唇を食み、角度を変えて何度も吸い上げる。
「誰がっ…逃がすか…! 絶対にっ…逃がさないから…っ、俺は一生、お前の…、傍にいる…!」
「んんんんっ、あっあはぁ…! ひぁたクン…!」
日向の言葉に反応したのか、狛枝の後孔がぎゅうううと締めつけられた。食い千切られそうなほど収縮するそれに極上の快楽を日向に与える。
「あぅっ……んぁッあ、あふ…も、ダメ…ボクっ…あっ、あっあぁッ」
「俺も…だっ、く……ッ! 狛枝、狛枝ぁ…! 一緒に、イこう…、狛枝、好きだっすきだ…!」
「んぅううッ…ひぁたクン、ひな…クゥン…! いっしょ…んっ…ボクも、す、きぃ…、あっ…アアっ!」
パッと頭の中が白く弾ける。日向は一層腰を強くぶつけ、狛枝の奥に精液を2度3度と注ぎ込んだ。呼吸を整えながら下方を見れば、狛枝も同じタイミングでぴゅくぴゅくと射精している。目をカッと見開き、ガクガクと震えている彼を日向は抱き締めたが、呼吸が中々整わず2人とも無言だった。
「はっ……っふ、はぁ…狛枝…」
「はふっ…あ、あぁ…日向、クン…」
名前を呼び合い、どちらからともなく口付ける。くっついては離れ、離れてはまた唇を合わせる。何度も何度もキスを繰り返し、名残惜しくも唇を離すと、狛枝がじーっと日向を見つめていた。そしてフッと笑った。目尻を下げて、幸せそうに。日向は驚き過ぎて、言葉が出なかった。今まで見た中で1番綺麗な笑顔だった。これからずっと最愛の人の微笑みを守っていきたい。日向はそう固く心に誓った。

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09.
その夜からほぼ毎夜のように日向は狛枝を部屋に誘い入れ、抱いて眠るようになった。狛枝が疲れている時も1人で寝るのは寂しいと子供のようなことを言っては、狛枝をベッドまで連れて来て抱き締めて眠る。狛枝自身、何度か抱けば日向は飽きてしまうのではないか?と思っていたが、一向に日向にはその気配はなく、欲情すればいつも細やかに狛枝を抱いた。
あられもなく乱れる姿を見られるのは辛かった。所詮男娼だと思われたら、どうしようもなく怖いのに体が日向を欲しがってしまうのだ。日向の手で教えられる快楽には終わりがなく、抱かれる度に狛枝は自分の体が自分のものではなくなる陶酔と不安に振り回された。こんな体になってしまった今、もう2度と誰にも体を売ることは出来なくなった。そして日向を想うほど、日向に抱かれて乱れるほど、自分の体が汚れているという過去が狛枝の心に圧し掛かる。
そんな狛枝の苦しみを気付いているのか、ある夜日向はぽつりと狛枝に話したことがあった。

『俺はお前がどうやって生きてきたってことはどうでも良いんだ。知りたいとは思わない』
『……? 日向クン…?』
『だから、狛枝…。お前は何も辛く思う必要はない』

何も言葉を返せず泣き出してしまった自分を、日向は無言で抱き締めてくれた。幸せと切なさで、心が苦しかった。胸がいっぱいで泣くことしか出来ず、それを日向は許してくれたのだ。奴隷の身の上から解放し、更には至福の時間を与えてくれた日向に狛枝は一生尽くすと決めた。
彼を、愛している。もう繋がれてしまった。今までどんなに嬲られても、誰にも明け渡さなかった心の鍵を自分はこの男に渡してしまった。もうこの人なしでは生きていくことなんか出来ない。


この日も互いの体を交え、愛し合った後だった。狛枝は日向を起こさないように静かに体を起こした。自分は本当にここにいて良いのだろうか? その考えを否定してくれた日向からのいくつもの言葉を思い出しながら、月の光をぼうっと見つめていると、後ろから温かな体に抱き締められる。
「狛枝、また妙なこと考えてるだろ…」
「別にそんなんじゃないよ」
見透かされていたかと狛枝は心の中で苦笑する。掻き抱く腕を外して日向と正面から向かい合うと、その胸にもたれるように体を倒す。日向はそれを受け止めて、背中をやんわりと撫でてくれた。
「キミに、逢えて良かった…」
「ん…? 何か言ったか?」
「ううん…。何でもないよ…」
体を睦み合うまでは日向に逢わなければ良かったと思っていた。人を想うことがこんなにも苦しくなるのなら逢わない方がまだ幸せだ。でも今はそうは思わない。どんな巡り合わせでもまた日向に逢いたいと思う。奴隷市で日向が狛枝の手を取った瞬間から、2人の時計の針は動き出した。今はただそれが永遠に時を刻むことを祈るばかりだ。
「ありがとう、日向クン…。愛してる…よ」
「狛枝…。俺も…愛してるから。ずっと…お前の傍にいるから…」
そう言って日向はぎゅっと腕に力を込める。日向の言葉に偽りがないことは知り尽くしている。自分はこんなにも愛されているのだ。日向と同じだけ、いやそれ以上の愛を自分も彼に注ぎたい。永遠に愛し、愛される幸せ…。その幸せを強く感じながら、狛枝は日向の腕の中で微睡むように瞳を閉じた。

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