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01.1日目
「ボク、日向クンのためなら…何でもするよ」
「何…、でも…?」
日向が聞き返すと、狛枝は嬉しそうに頷いてみせる。うっとりと見つめる彼の瞳が、不思議な色を帯びて光った。視界を霞に覆われてしまうような不安感が日向に忍び寄る。狛枝が何を考えているのか、まるで分からない。あの時もそうだった。日向が止めていなければ、彼はホテルの旧館で殺人に及んでいたかもしれないのだ。言い知れない胸騒ぎを感じた日向は、本能的に後ずさる。
「狛枝…」
呼び掛けた声は僅かに震えていた。狛枝は無邪気な面持ちで「ん?」と返事を返すが、日向は言葉が出てこない。口を開くも、形にしかけた単語を嚥下する。何でも、と彼は言う。希望のためなら人を殺めることすら選択肢の中に入っているような人間だ。きっと文字通り、『何でも』するのだろう。
狛枝は日向を見つめたまま、微笑んでいる。眉目秀麗な容姿も相まって、それは誰もが溜息を吐いてしまうほど美しい。見た目だけの話ではない。決定的に欠落している人間としての良識を埋めるように、内側に狂気が蔓延しているのだ。そのアンバランスな内外が、狛枝の艶めかしさを一層引き立てている。
「日向クン、好きだよ…」
固まってしまった日向に、狛枝は色気を含んだ声で小さく囁き、ゆっくりと1歩近付く。日向は視線を外すことが出来ない。彼は毒だ、それも到死量の。その味はきっと狂ってしまうくらいに甘美で、死ぬ寸前まで夢心地でいさせてくれるだろう。狛枝の指先が日向の頬に触れる。スッと優しげに細められる灰色の瞳がすぐそこにある。その煌めきは背筋が凍るほど恐ろしかった。



『オマエラ、グッドモーニング! 本日も絶好の南国日和ですよ』
耳障りなモノクマアナウンスで日向は目を覚ました。いつもならアナウンスより少し前に起きて、その辺を散歩するのが日課だったが、今日は寝坊してしまったらしい。あくびをしながら、天蓋付きのベッドから抜け出して、顔を洗いにシャワールームに備え付けの洗面台まで歩いていく。

コロシアイ修学旅行。乱入してきたモノクマが突如として宣言した、狂気の疑心暗鬼ゲームである。さまざまな動機をチラつかせ、殺人へと駆り立てようと必死なモノクマだったが、参加した16人の意志は固く、20日以上経過した今も1度も殺人は起こっていなかった。
『オマエラって何のために生きてるの? こんな平凡な生活で満足してるの? ヘイ、ユー! 殺っちゃいなよ☆』
「その手には乗らないぞ…。お前がいくら弱みに付け込もうと、俺達の中に殺人を犯すような奴はいない!」
ずんぐりむっくりな体を揺らし、楽しそうに誘いを掛けるモノクマを日向は強い言葉で立ち切る。
『しょぼーん…。ボクが折角頑張ってお膳立てしてあげてるのに、それを蹴っちゃうなんて、オマエラってホントバカだね!』
「何とでも言えよ。地味だろうが何だろうが、生き残ることが全てなんだ。俺はみんなを信じてる…!」
日向の発言に15人全員が大きく頷く。彼はこの修学旅行メンバーの中でも中心人物となっていた。十神のようなカリスマ性は持ち合わせてはいなかったが、周囲を気に掛け、自発的に奮い立たせるような魅力ある人柄。周囲とはズレた感覚を持つ狛枝や田中も、捻くれて天の邪鬼な九頭龍や西園寺も、彼には一目置いていた。
彼さえいてくれれば、殺人も起こることなく何とかこの南国生活を送れるだろう。全員の胸にそんな期待が詰まっていた。
『ふーんだっ、オモシロくない! ボクがやりたいのは、もっとサイコでポップでマーダーな修学旅行なんだー!』
ガオーッと雄叫びを上げたモノクマは、パッとその場で消えてしまう。カッコ悪い捨て台詞。いつものパターンなら、そうなのだが、今回は少し違ったようだった。



夜。日向は自分のコテージのベッドにいた。寝っ転がって、ぼんやりと天蓋を見つめている。絶対に誰も死なせない。最初は十神だけが必死になっていたが、日向もある時を境に固い信念が生まれた。そう、狛枝が殺人を犯そうと画策していた現場を目撃した時だ。パーティーの準備で1人で掃除をしている彼を手伝おうと旧館に足を踏み入れた日向は、そこでテーブルの下に蛍光塗料付きのナイフを隠している瞬間を目撃してしまったのだ。
すぐに狛枝を問い質すも、中々口を割らず苦労した。だがその説得の最中に花村が入ってきたことで、ようやく事のあらましを理解することが出来た。あの時の2人は正気ではなかった。どうやら花村は魔が差しただけのようだったが、狛枝は違った。希望に満ちた輝くような笑顔で、彼は殺人の必要性を語った。人間としての倫理観、殺人の残酷性、死を巡る悲しみ。全てを理解した上で、彼は人を殺そうとしていたのだ。話をしている最中、狛枝の中に潜むどろりとした狂気がこちらにまで手を伸ばしてきているかのような錯覚がして、終始生きた心地がしなかった。
日向は狛枝と花村を何とか納得させ、その日は殺人が起こることなく次の日の朝を迎えられた。それ以降、狛枝は改心したのか殺人をしようとする素振りは見せなかった。今でも彼を気に掛けているが、心配は無用のようで、日向が恐る恐る話しかけても笑顔でそれに応じてくれる。出会った頃と変わりない人好きのする優しい微笑み。元に戻れた。そう思っていたのだが…。
狛枝は殺人とは別のことを日向に囁きかけてきた。

『ボク、日向クンのことが…好き』

モジモジと乙女のように恥ずかしがりながら、狛枝は言った。最初は何のことか分からなかった。ああ、友達という意味で好きなのか。そう理解した日向は「ありがとう」と笑ってみせたが、狛枝は「それは違うよ…」と言って、悲しそうに首を振る。要するに恋愛のベクトルで日向のことが好きらしい。
同性に告白されて、首を縦に振る訳にもいかない。気持ちは分かったが、答えられない。そう伝えると、狛枝は分かっていたようで「ごめんね」と謝ってきた。それからというもの、彼は顔を合わせる度に何度も日向に愛の言葉を囁き続けている。強く拒絶することも出来たが、腹を立てた彼がまたいつ殺人を実行するのか分かったものではない。
波風を立てないようにやんわりとかわしているが、最近はそれも辛くなってきた。狛枝は男の癖に淫猥なのだ。このまま告白を続けられたら、自分は本当に彼に落ちてしまうかもしれない。男同士という一線を超えた先に何があるか、恋愛経験が皆無な日向には見当もつかなかった。
これは、脅迫だ。殺人をチラつかせて、日向が断る術を封じる狛枝の作戦。だけど狛枝に傾きかけた気持ちは、自分自身の問題だ。狛枝の所為には出来ない。自分はどうしてしまったのだろう。今まで通り、何故適当にあしらうことが出来ないのか?
「はぁ…」
日向は悩ましげに溜息を吐き、寝返りを打った。終わる気配を見せない修学旅行。殺人の危険性はもちろん狛枝からの想いにも、最近の日向は心を砕いていた。この先 狛枝と一緒にいて、どうやってやり過ごしていけばいいのか。ぼんやりとそんなことを考えていると、ドアの外でコトリ…と小さな音がした。
「?」
いくらみんなの意志が固いとはいえ、殺人が起こる可能性は無きにしも非ず。鍵は厳重に掛けてあったし、就寝時刻も近い今の時間に外に出たいとは思わなかった。もうそろそろモノクマアナウンスが鳴る頃だ。チラリと見やったモニタがタイミング良くブンと起動音を立てて、点灯する。
『はいはーい、今日は愛しのオマエラに、ボクからプレゼントがあるよ〜』
「……何だ?」
いつものお休みの挨拶とは違うその言葉に、日向はベッドから体を起こす。モノクマは日向の問いかけに答えるはずもなく、言葉を続けている。
『コテージ備え付けのポストの中をご覧下さい。爆弾じゃないからねッ! そこに1枚のカードとルールブックが入っています。何が書かれているかは見てのお楽しみ☆ 見ないと損だよ!』
「カードとルールブック…?」
『明日のゲームに参加出来なくなっちゃうからね。それではまた明日ー。オマエラ、グッナーイ!』
モニタの中のモノクマはそう言って、モニタは再び暗くなった。一体何だ? ゲーム…。また何か仕出かそうと言うのか。日向はパタリと再びベッドに寝転がる。さっき外でした音はこのことだろうか。まぁ、また新たな動機だろう。モノクマも中々諦めないようだ。どんな内容なのか。過去の記憶に関すること…、それが1番可能性が高い。知らないことが多過ぎる自分達にとって、それは喉から手が出るほど欲しいものだ。
「大丈夫だ。俺は…、みんなを信じてるから」
半ば自らに言い聞かせるような調子の声だった。みんなで約束したのだ。過去を振り返らず、未来だけを見て、生きていこうと。だから殺人なんて、起こらない。明日になったら、レストランに集まって話をしよう。絶対に誰も死なせたくない…。日向がぼんやりと明日のことを考えている内に10分、20分…と時間が過ぎていった。

やはり確認するべきか。30分ほど経った頃、日向はふぅと溜息を吐いて、上半身を起こした。ポストの中にカードとルールブックが入っているらしい。ルールブック? …何かの説明書ということか? どういう物なのかくらい見ておいた方が良いか。そう考えた日向はドアへと足を向けた。
「………」
カチャリとドアを開いて、隙間からそっと外を窺ってみる。周囲には誰もいなかった。どのコテージもドアは開いていない。みんなアナウンスを聞いて、すぐにポストを覗いたのだろうか? 日向はドアの傍にあるポストを見た。モノクマの言う通りなら、この中に何やら入っているらしい。日向は眉を顰める。きっと碌なものではないからだ。近寄ってカタリとポストの扉を押し上げると、中にはモノクマの言ったトランプのようなカードが1枚と、何やら文庫サイズの本が入っていた。
「何だ、これ…」
手に取ったその2つをくるりと返し、色々な方向から観察してみる。仕掛けがあったり、何か変化したりというのはなさそうだ。日向はコテージに戻り、まずはパラパラと本を捲る。タイトルには『汝は人狼なりや?』と書かれていた。イラストがチラホラ描かれているが、文章が多めのようだ。記載されている内容に馴染みはない。日向は首を捻った後、それをベッドにポイッと落とした。
次にもう1つのカードを見てみた。片面には血痕に囲まれたモノクマが笑っている悪趣味なイラストがある。日向はじっとそれを見つめたが、暗号が隠されているということもない。カードの角は丸く、指を傷付けないような形になっている。モノクマは変な所で気を回そうとする癖があるようだ。表ではなく、裏か? 日向がカードをひっくり返すと…、

『あなたは ■ ■ です』

毒々しい赤い文字でそこにはそう書かれていた。

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02.2日目・昼
『死体が発見されました。一定時間の後、学級裁判を開きます!!』
昨夜、モノクマが言った通りの展開になった。ただ死んだのは誰でもない。プールサイドに打ち捨てられている死体を、日向は冷静に見下げていた。望んでいない殺人が起きたにも関わらず、そこにいる誰もが悲しみに暮れてはいなかった。表情に浮かんでいるのは困惑。その1つだけだ。その死体を同じように見ているのは、日向の他に15人いる。
そう、今回死んだのは修学旅行メンバー以外の人物だったのだ。
「誰だよ…、こいつ」
九頭龍が引き攣った声を出した。それに答える者は1人もいない。転がっている死体は麻袋で頭が隠れていて、顔が分からない。だが着ているのは何の変哲もないシャツとズボンで、体躯から修学旅行メンバーとさほど年の変わらない男ではないかという話になった。
「わ、分かりませぇん…。でも、もうこの人は…」
カタカタと小さく震えながら、罪木が悲しそうに目を瞑る。男の肌は瑞々しさを一切感じさせない土気色で、僅かに鼻を突くような刺激臭がする。もう死んでいるのは誰の目から見ても明らかだった。
『おお! オマエラ早速発見したようだね。初日犠牲者さんを!』
異様な雰囲気を掻き消すように嫌に明るい声がその場に響く。ざわつく16人の前にコミカルな動きで登場したのは、先ほど死体発見アナウンスを流したモノクマだった。『うぷぷぷぷ〜』と笑いながら、モノクマは倒れている謎の人物の前まで歩いてくる。
「は? 初日犠牲者…?」
怪訝そうに言葉を返す狛枝に、モノクマは楽しそうに腹を抱えた。
『そうだよ! 彼はカワイソーな初日犠牲者さんさ。死ぬために生まれてきたんだ。オマエラも死ぬために生きてるんだから、同じでしょ? まぁそれは置いときまして、ボクがあげたプレゼントは全員見てくれたかな?』
「ああ? あのくだんねー本か? あんなん読んで何になるんだよッ!」
終里がキッとモノクマを睨み付け、激昂する。それに同意するように周りの何人かが「そうだそうだ」と文句を言った。修学旅行メンバーの反発にモノクマはゲラゲラと声を立てる。ぬいぐるみであるのにも関わらず、その表情は豊かだ。
『おやおや〜、そんな態度で良いのかな? この先生きのこれるかどうかがそれに掛かってるんだよ?』
不吉さを煽るかの如く、顔に影を走らせたモノクマは終里の周囲をくるりと1周した。その瞬間、場にピリッとした緊張感が漂う。生き残り。モノクマが口にしたそれに、数人は恐怖に顔を強張らせていた。それは日向も例外ではない。今、自分達は死へと続く道を歩かされようとしている。近い内に突き落とされる奈落の底を、平常心を保ったまま見下ろすことが出来るのはそう何人もいない。だが16人の中で狛枝だけは表情を変えることなく、モノクマの言葉を黙って聞いていた。
「ど、どーゆー意味だよっそりゃ!! それよりこの死体って」
全身の毛を逆立てた左右田がモノクマの言葉に噛みついてくる。最もらしい質問だった。この死体は一体何なのか。これが示す所は、16人以外の人物がこの島にいたということだ。だけど島を探索した時には人1人いなかった。モノクマは左右田の問いかけに、可愛らしく『はぇ?』と首を傾げた。
『死体…? ああそれね、もうどうでもいいの。ただの飾りなんだよ。とりあえずオマエラが頭に入れておくことは、初日犠牲者さんが人狼に襲われて死んだってことだけ。後はポイってしちゃうから気にしないでね!』
人狼という言葉に日向はビクリとする。一拍遅れて、今ので誰かに自分の役職を悟られたかと心配になったが、それは杞憂に終わった。モノクマに食い入るように注目している所為で、誰も日向を見ていない。視界の端で灰色の瞳がキラリと光ったような気がしたが、怖くて振り向くことは出来なかった。
「まさか…、『汝は人狼なりや?』をするの?」
『さすが超高校級のゲーマー、七海さん! その通りだよ〜。昨日配られたカードがオマエラの役職さ。村人、人狼、妖狐。それぞれの陣営に別れて、ゲームをしてもらいます。他の陣営を全部吊るし上げれば勝利だよ!』
「な…っ!?」
『ちなみに引き分けはナシだからね! つまり全員が生き残ることは不可能ってこと。ダーッハッハッハッハッ!! わっくわくのドッキドキだよねぇ〜。オマエラの頑張りに期待してるよ』
モノクマは不敵に赤い目を光らせる。これから狂気が始まる。日向の頭はズキズキと小さく痛み出した。ああ、強制的にコロシアイが始まってしまった。あんなに、避けてきたのに…。動機すらない、ただ他の人間を蹴落とすだけのモノクマの暇潰し。スキームが決まっているそれは覆しようもない。日向はグッと拳を握り締めた。そして苦々しくモノクマに言葉を投げる。
「……負けた陣営は、どうなるんだ?」
『モチロン、お楽しみのおしおきが待ってるよ☆ ねぇねぇチーム戦だよ? それって熱いよね! 激熱だよね! 超ヒートアップしちゃって溶けるかもー。狐の人は1人だけどね…』
モノクマは『それじゃ、裁判場で!』と明るい声で告げて、光の速さでどこかへ行ってしまう。残された16人は誰も言葉を発することが出来なかった。望まないコロシアイ。ゼロサムゲーム。必ずこの中の誰かが死ぬ…。重苦しい空気が流れた。



学級裁判が始まる前に日向はコテージに1度戻った。昨日渡されたルールブックを最初から読み返す。生死を掛けたゲーム。ルールを完全に把握していないことは命取りになってしまう。日向は真剣な表情で、取り零しがないように熟読した。


基本ルール
・村の中に人を食べる人狼が紛れ込んでいる。昼は人間のフリをして…。そんな噂が流れ始め、やけになった村人達は人狼を退治することを思いつきます。
・人狼は夜になるとその本性を現し、村人を1人ずつ喰っていきます。
・村人は昼は議論を繰り広げ、疑わしき人物を片っ端から吊り、人狼を退治しようと試みます。
・人狼は村を自分達の物にしようと、手八丁口八丁で村人達を騙そうと画策します。
・そんな中迷い込んできた妖狐は面白そうに両者を眺め、共倒れになることを狙っています。


・村人サイド
 村人は16人中、11人います。多くは普通の人間ですが、中には特殊な能力を持つ者もいます。
 共有者:2人一組となり、お互い村人であることが認識出来ます。
 占い師:対象1人を占い、村人か人狼か判定することが出来ます。妖狐を占えば、殺すことが可能です。
 霊能者:処刑された者が村人か人狼かを判定します。残りの人狼の数を把握出来ます。
 狩人:対象1人を守り、その人物を人狼の捕食から防ぐことが出来ます。

・村人の勝利条件
 村に潜んでいる人狼を1匹残らず退治出来れば、村人達の勝ちです。


・人狼サイド
 人狼は16人中、3匹います。+狂人1人。お互いを認識し、夜の間のみ遠吠えで意思の疎通をすることが可能です。
 人狼:昼は村人に化け 議論に参加していますが、夜は村人を食い殺す魔物です。
 狂人:村人でありながら、人狼を妄信しています。占いも霊能も村人判定されますが、人狼の勝利が狂人の勝利です。特別ルールとして、夜に行われる人狼の囁きに参加することが出来ます。また勝利判定において、村人としても人狼としても扱われません。狂人を除いた人数で勝利判定が行われます。

・人狼の勝利条件
 人間達を人狼と同じ数だけ喰い殺せれば、人狼の勝利です。


・妖狐サイド
 妖狐は16人中、1匹います。村人にも人狼にも属さない謎の第3勢力。人狼の捕食対象に選ばれても死にませんが、占い師に占われると死んでしまいます。その時は村人と判定されます。

・妖狐の勝利条件
 村人と人狼、どちらかが勝利条件を満たした時に生き残っていれば、妖狐の勝ちです。



七海が言うには『汝は人狼なりや?』というゲームは、インターネットで盛んにセッションが行われている割と有名なゲームらしい。文字で会話をしながら、誰が人狼かを暴き、退治する。このゲームのポイントは正しい推理ではなく、信用を勝ち取ること。コテージに戻る前、「頑張ろうね!」と日向に声を掛けてきた彼女に、複雑な思いを抱きながら小さく返事をした。
七海の微笑みは心を蕩かすような魅力がある。だが彼女は敵だ。同じエンディングを迎えることなど到底無理なのだ。
『時間になりました。学級裁判を始めますので、裁判場へとお越し下さい』
モニタからモノクマアナウンスが流れる。さて、行くか。もしかしたらここへ戻ってくることもないのかもしれない。少しだけ馴染みのあった自分の部屋を見回した後、日向はソファから立ち上がる。死地へと向かう兵士はこんな気持ちなのかもしれない。緊張で震える指先を撫でた日向はコテージのドアを開けた。

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03.2日目・夜
2日目の学級裁判が終わり、西園寺が処刑された。残り15人。

学級裁判のやりとりを頭の中に巡らせながら、日向はコテージから外へ出る。今は夜だ。南国特有のカラッとした風がひんやりと日向の肌を撫でる。深呼吸して、肺にその空気を取り込んだ。体の内側をスッとした清涼感が満たしている。まだ、生きている。ぎゅっぎゅと両手を握って、体の感触を確かめる。大丈夫、平気だ…。自分自身に言い聞かせて、日向はホッと息を吐いた。
さてレストランへと出向こうかという所で、正面のコテージからガタガタと音が鳴る。
「……左右田」
「お、おう…」
視線をすいっと逸らした左右田は日向に軽く頭を下げると、同じようにレストランに向かって歩き出す。2人の間に特に会話はなかった。レストランに集まるのは、これから誰を襲うかの相談をするためだ。今ここで世間話をして、和もうなんて気には到底なれなかった。


……
………

「ああ、来たね。2人とも。これで全員か…」
イスに腰掛けた狛枝が軽く手を上げて、日向と左右田を迎えた。その斜め向かいの席には罪木が居心地悪そうに座っている。前々から狛枝と罪木は相性が良くないらしい。2人とも揃って「そんなことはない」と否定するのだが、どうにも生理的嫌悪を感じるのか互いにナイフを突き付けるような会話ばかりするのだ。彼らを仲裁するのも日向の役目だった。
「悪い。遅れた」
「いいって。あ、日向クンはボクの隣!」
おいでおいでとにこやかに手招きした狛枝に、日向は溜息を吐きつつも促されるまま隣に座る。罪木のみならず、左右田も狛枝に苦手意識を持っているらしく、今いるメンバーの中で狛枝をあしらえそうな人物は日向しかいなかった。
「ええっと、それじゃ…始めましょうか」
罪木がおずおずと口火を切って、3人は頷いた。人狼会議。端的に言えばそれだった。

『あなたは 人 狼 です』

モノクマに送られたカードにはそう書かれていた。人狼は日向、左右田、罪木の3人。狛枝は狂人だ。狂人と言ってもただの狂人ではない。人狼と囁きを行える特別な狂人だ。だからこの会議にも参加が出来る。モノクマ曰く、対面で行うセッション向けに、ネット上のものをアレンジしているらしい。
例えば本来の人狼ゲームでは、人狼はセッション中にも遠吠えで意思の疎通をとることが出来る。だが学級裁判は対面だ。村人達と面と向かって議論をしている最中に、人狼同士で相談は不可能。そのデメリットを補うという意味で、狂人も夜の会議に参加出来るというルールになっているようだ。
ピッタリと隣に寄り添って、ニコニコしている狛枝に日向はチラリと視線をやる。こいつが狂人だなんて、ハマり役も良い所だ。昨夜、初めて顔合わせをした時にそう思った。
「…今日は西園寺が死んだな」
「なァ、あの死体って本物か…? あんな簡単に死んじまっていいのかよ」
帽子を掴んで辛そうに俯く左右田に、罪木が「大丈夫ですかぁ…?」と心配そうに声を掛ける。学級裁判の後に、砂浜で発見された西園寺の首吊り死体。着物の裾からポタポタと体液が零れる様子を間近で見てしまった澪田や小泉はその場で吐いてしまっていた。罪木の検死では、あれは間違いなく人間の死体だったようだが…。
「うん、あれは多分…偽物の死体だよね」
しんみりとした空気を掻き消すかの如く、狛枝があっさりと言い放つ。「えっ!?」と素っ頓狂な声が左右田から上がった。
「ちょ、おい! あれが偽物って…」
「ち、違いますよぉ! 確かに人間の死体でした。わ、私…嘘なんてついてませぇん!」
罪木は必死になって、狛枝に反論する。日向には彼女が嘘を吐くと思えなかった。性格上のこともあるし、嘘を吐いても罪木には何のメリットもない。狛枝は腕を組んで、罪木に呆れたような視線を投げる。
「罪木さんの検死通り、物は確かに死体かもしれない。だけどそれだとこの人狼ゲームのルールに歪みが生じる。…このゲームは村人と人狼と妖狐の戦いだ。どの陣営も最終的にチームの誰かが生き残っていればいい。1人でもいれば、そのチーム全員が勝ちになるんだよ」
1人生き残っていれば、全員が勝ち…。狛枝の言葉を口の中で繰り返して、思考を巡らせる。日向はピンときた。
「! そうか…、途中で誰が死んでも、勝利条件には関係ないのか!」
「その通り。このゲームは作戦として、自ら犠牲になったり囮になったりすることがある。それにモノクマは負けたチームにはおしおきがあるって言ってたよね。でもこのゲームで負けるということは裁判で吊られたり、人狼に襲われたりして『死んだ』ことになる。でももし本当に死んでいたら、おしおきなんて受けられないよ」
『狛枝クン! それ正解〜☆』
「ぎにゃああああああ!! で、で、出たああああああ!」
左右田が派手に悲鳴を上げるのにつられて、隣の罪木も「ひぃいい!」と引き攣った声を漏らす。突然現れたモノクマはトンと軽い動きでテーブルに乗り上げると、くるくると踊るように回った。予期しない来訪者に日向は声を荒げる。
「い、いきなり出てくるなよ!!」
『めんごめんごー! まぁいつかは言おうと思ってたんだけどね。あの死体は良く出来た偽物です。初日犠牲者さんもね! うぷぷぷぷ〜、ボク頑張ったでしょ?』
「どう頑張ったら、あんなグロい死体が出来んだよ! 何なのッ、オメーは!?」
「そうだな。罪木を騙すほどの精巧な死体を、瞬時に用意出来るだなんて…」
初日犠牲者という男も西園寺の死体も、本物にしか見えなかった。皮膚の細かい皺や小さく浮かぶ毛穴は人形とは思えないほど。西園寺は直前まで学級裁判で顔を合わせていたから、尚更だった。
「生きてるのか? 西園寺は。どこにいるんだ!?」
『うん、生きてるよ☆ だけど場所までは教えられないな〜』
「んの野郎ッ!!」
「止めなよ。西園寺さんのことなんてどうでもいいさ。だって最後には死ぬんだよ?」
「!!」
モノクマに掴みかかろうとする左右田を狛枝が言葉で遮る。彼の笑いを含んだ声に、日向も左右田も罪木も一瞬凍りついた。…最後には、死ぬ。今の時点で生きていても、助けられやしない。3つの陣営の内、勝ち残れるのは1つだけ。それ以外はおしおきを受けて、殺される。その事実を突き付けられ、日向はざわざわと胸が騒いだ。ぎゅっと制服の上から胸元を握り締め、狛枝を軽く睨みつける。
「狛枝、…そんな言い方しなくても、」
「え………、何? まさか西園寺さんを助けるつもりかい? ふふっ、……あっはははははは…! くくっ…」
狛枝は日向の言葉を受け、堰を切ったように笑い出した。馬鹿にするような笑いだ。腹を抱えて苦しそうにしながら、やっとのことで呼吸を整えた狛枝はこちらを見る。愉快そうに形を変えた灰色の双眸が日向を射抜いた。
「ねぇ、日向クン。彼女は敵陣営なんだよ? それを助けたいの? 敵なのに? …どうやって?」
「……そ、それは、何か考えれば方法が、」
「モノクマ? 日向クンはああ言ってるけど」
『うぷぷぷぷ〜。甘いね! アマアマ過ぎて、胸やけ起こして、ボクのドロッとした中綿が全部出ちゃうよね! ゲロゲロゲロ〜。ボクがオマエラを自由になんてさせないし、西園寺さんの居場所が分かった所でそこには決して辿り着けないんだよ!』
モノクマの言葉を聞き、狛枝は苦笑いを浮かべて、肩を竦める。
「…だってさ。無理なんだよ。どう足掻いたって、全員が助かる道は…ない。それとも………、キミは村人の命を助けるために、ボクらを巻き込んで犠牲になろうっていうの?」
「違っ、そんなんじゃない…! でも、あんまりだろ……! こんな、…こんなことで、」
「…うん、日向クンは優しいんだね。…だけどこのゲームでは、その優しさは命取りになるよ。考えを改めるべきだ」
「………、……くっ…」
日向は唇を噛み締める。彼の言うことは尤もだった。みんなを、助けられない。どう頑張っても、誰かが命を落とす。これはそういうゲームなのだ。
「早く誰をターゲットにするか考えよう。時間は無限じゃないんだ」
狛枝はさらりと空気を切り替える。西園寺のことを考えていても仕方ない。明日のことを考えなければならないのだ。日向は苦々しくもそれに黙って頷き、立ったままだった左右田に座るように促す。渋々着席した左右田はイライラと貧乏揺すりをしていたが、狛枝の意見に反論はしなかった。

「今の状況は占い2−霊能1−共有2だ。初日役落ちなし。占いは狛枝が出てるから、十神が真だな」
「怪しさでいったら狛枝のボロ勝ちだよな。みんな十神を真占いで見てるだろ」
「ええ〜? ボクそんなに怪しいかな…」
狛枝は眉を下げてしょんぼりしてみせる。わざとらしいその仕草を見るに、本気で言っている訳ではないのだろう。髪質と同じくその本心はふわふわと形が安定せず、掴み切れない。左右田の言う通り、狛枝は怪しい。だが真占いの可能性も少ないながらあるので、すぐに吊られる位置ではなかった。
「狼が全員潜伏ですかぁ…。今日の議論では吊り先が見つからないで、グレランになっちゃいましたね」
そのグレランの結果が西園寺だった。個性的なメンバーが集まっている修学旅行だ。浮いている人間は何人もいる。その中で周囲のヘイトを集めてしまった西園寺が吊られただけのことだった。
「さすがに七海さんは鋭いよね。後、田中クンも。弐大クンや小泉さんも良い線いってるけどおしいかな」
「…誰が狐なんだろうな」
「ステルスなのは九頭龍クン、辺古山さん辺りかな。狐か…あるいは狩人もありえると思う」
狛枝は頭の回転が速い。日向がまとめ切れなかった考えをスラスラと述べ、整理する。彼が味方でいてくれて良かった。敵に回ると大変だ。そう、決して敵に回したくない男。何をするか分からないのだ。
この人狼ゲームは狛枝が鍵を握っていると言っても過言ではない。人狼陣営の中で、表に出ているのは狛枝だけだ。彼の発言1つでこちら側全員が道連れになるかもしれない。普通の人間なら、自分の陣営を勝たせようと必死になるはずだ。だが狛枝に関してはそうも言えない。彼は死を恐れていない。あっさりと負けを認め、笑顔でおしおきを受け入れる。そんな終わり方もあり得る。そう、彼は『何でも』するのだ。
ゲームが始まっても、日向と狛枝の関係は変わらなかった。狛枝は日向に完全にひれ伏しているようで、実際は違う。以前は修学旅行メンバーの命、今は日向、狛枝、左右田、罪木の命。それと引き換えに、日向自身を明け渡すように狛枝は巧みに誘いを掛けている。狛枝の采配1つで簡単に命が尽きてしまう。日向の方が狛枝に依存しているのだ。彼に逆らうことは絶対に出来ない。
狂人にも人狼陣営の勝利に貢献してもらわなければならない。日向はゴクリと生唾を飲み込んでから、左腕を後ろから回し、狛枝の腰を抱いた。正面からはテーブルで見えない低い位置だ。ピクンと僅かに体を跳ねさせた狛枝は、そっと日向の顔を上目遣いで窺ってくる。恥ずかしそうに視線を逸らせて、唇を噛み締めた。意外と可愛い反応をするな。狂気的な彼の初々しい一面に、日向は頬を緩ませる。ゆっくりと手を動かして、彼の細い腰のラインを撫でてやると、狛枝はぎゅっと目を瞑り、再びピクピクと体を震えさせた。

「それじゃ、九頭龍さんを噛むってことで決まりですねぇ」
「左右田。明日、九頭龍の死体を見ても泣くなよ? あれは偽物なんだからな」
『あっ、それは多分ナシ! リアルな死体作るの面倒だし、明日からは人形で再現するから』
まだレストランにいたらしいモノクマが会話に入ってくる。早くどこかへ行ってほしかったが、人形で再現するということを聞けたので良しとした。
「人形でも左右田クンは泣きそうだよね」
「何だと!? 狛枝ァ!!」
ぎゃんぎゃん吠える左右田に日向は明快に笑う。噛み先が決まって一段落したが、まだ決めることはある。
「さて次はボクの占い先だね。今日は辺古山さんにシロを出したけど、明日はどうする?」
小首を傾げて狛枝が尋ねる。(存在感的な意味で)十神との信用差がある今、彼の信用度を上げてやるべきかもしれない。だけど、どうやって? 日向は悩んだ。隣にいる狛枝は最初の時より更に体を近付け、半ば日向に体を預けているような体勢である。狛枝に潤んだ瞳でうっとりと見上げられて、日向はカッと顔が熱くなるのを感じた。

『あのね、キミのことが好きなんだ。…友達として、じゃないよ?』
『キミのことばっかり考えてる。ボクはキミに何をしてあげられるかなって』
『ボク、日向クンのためなら…何でもするよ』

何でも…。才能も分からないような同性である日向に、そんなことを言う狛枝の気が知れなかった。唇を吊り上げ、妖艶に微笑む狛枝から目が離せない。その瞳の奥に突き落とされそうな、そんな錯覚さえする。
ふいに狛枝の右手が日向の太ももに置かれた。白い指が優しく撫でて、太ももの内側の敏感な部位にまで伸びる。ゾクゾクと日向の全身に鳥肌が立った。じんわりと熱が生まれるのを察知した日向はそれに身を預けたくなる。だけどダメだ。まだ落ちる訳にはいかない。本能を振り切るように頭を振る。
「今の段階で誰かにクロを出すのは危険ですかねぇ…」
「人狼と狂人の意思疎通が出来ているのなら、クロを出す意味はあまりないかもね」
「クロ出すんなら、狐がイイんじゃねーか? まだ誰なのか分かんねェけどよ」
「今は…シロを出すしかないだろうな。囲いも止めた方が良い」
狛枝の指先の動きを意識しつつも、考えを口にする。思考が上手く動いてくれない。そんな日向を嘲笑うかのように狛枝は手の動きを速めていく。日向の本能に近い部分すれすれまで、繊細な動きで指が触れた。
「狛枝……っ」
「なぁに? 日向クン」
「…あ、その……占い先。お前の意見を聞きたいんだけど」
切羽詰まって、狛枝の名前を呼んでしまったが、今は会議中だった。誤魔化すように狛枝に水を向けると、彼は愛おしそうに日向を見て、薄く微笑む。そして美しい笑顔を浮かべたまま、桜色の唇を開いた。
「ねぇ、日向クン…。罪木さんはいらないよね?」
「え……っ」
言われた当の罪木はポカンとしていた。しかし狛枝の言葉を認識したのか顔を真っ青にして、泣きそうになりながらも日向を見つめた。狛枝の言葉を最後に、そこにいる誰も口を開けなくなる。会話がふつりと途切れて生まれる変な沈黙。居心地が悪い。左右田は場を占領する静寂を何とか崩したいのか、わざと音を立てて足を動かしてみせた。
「狛枝、それはどういう…」
「だって、今日の議論で罪木さん占い候補に上がってたんだよ? 出した意見が聞きようによっては視点漏れだったからね。日向クンが矛先を変えてくれたお陰で事なきを得たけど、あのままだったらどうなっていたことやら」
ふぅと色っぽく息を吐きながら、狛枝は片目を瞑る。彼の呆れたような物言いに罪木は小さく身を縮めて、もごもごと口籠った。左右田は狛枝の言葉に「あん?」と首を傾げている。
「んだよ、狛枝。今のじゃ分かんねーっつの。オメー何がしてェんだよ」
「罪木さんはね、グレーの中でかなりクロに近いって言いたいんだ。だから今の内にそれを利用するのはどうかなって」
「…え?」
「ボクが罪木さんにクロを打って、そのまま吊るすんだ。霊能で同じ判定が出たら、ボクの信用は上がるよね!」
そう言って狛枝は無邪気に笑う。それにすぐさま罪木が戦慄いた。
「ひゃあああん、だ、ダメですぅ…!! 私は、お…狼なんですよぉ? いくらクロに近いからって、わざわざ仲間の頭数を減らすような真似はしなくて良いと思いませんかぁ?」
「疑われるような位置の狼なんていらないよ。残しておいてもどうせ後で吊られるに決まってるさ」
「そ、そんなの分からないじゃないですかぁ!! 仲間を吊るより、村人側を吊った方が絶対に…」
「キミはボクの言いたいことが本当に分かってるの? 言ったよね? 全員が生き残る必要はないんだって。数は関係ない。要は1人でも生き残って、勝てば良いだけのことだよ」
「で、でもぉ…!!」
冷徹な狛枝の意見に、罪木は涙を堪えながら必死に反論していた。言葉の応酬が繰り広げられる。傍らのイスにちょこんと座っているモノクマは、物珍しそうに2人の言い争いを見て笑っていた。狛枝と罪木は互いに全く譲歩しない。平行線のまま、時間がどんどん過ぎていく。さすがに不味いと思ったのか、左右田が「日向ァ…」と訝しげに呼び掛けた。確かにそろそろ止めなければならない。日向は狛枝と罪木を見やったが、2人は未だに論戦を交わしていた。
「これは人狼陣営の4人が一丸となって、立ち向かわないといけないことなんだよ。個人戦とは違う。自分だけが生き残ろうだなんて、おこがましい考えを持つような人には居てもらいたくないね」
「うゆぅ…仲間を吊るだなんて、危険な考え許されるはずないですよねぇ…? 賭けに出て裏目に出たらどうするんですかぁ? 責任取れるんですかぁ? 最後に誰かが生き残ればいいなら、人狼2人より3人の方が確率が高いに決まってますぅ」
「おい、2人とも止めろ。とりあえず落ちつけよ」
日向がストップを掛けると、2人は不機嫌そうな顔でこちらを見たが、大人しく口を噤んでくれた。考えを纏めるのはどうやら自分になりそうだ。日向は頭を掻いて、溜息を吐いた。
「日向クンが決めてくれるの? じゃあ、お願いしようかな。ボクと彼女、一体どちらが正しいか」
「そ、そうですねぇ! 日向さんなら安心ですぅ…! 私のこと、裏切ったりしませんよね…? ね? 日向さん…」
突き刺さる4つの瞳に、日向は思わず逃げ出したくなったが、ここは我慢しなければならない。日向自身、まだ考えがまとまっていないのだ。すぐに判決を下せる状態ではなかった。狛枝の考えは罪木にクロ判定を出して、そのまま吊らせ、霊能の結果でもって偽占いの信用度を上げる。罪木の考えは無難に誰かにシロ判定を出して、平穏に進行を進める。どちらの意見も間違いではない。この人狼ゲームに正解などない。
「狛枝は罪木がボロを出したって言ってるけど、俺はそこまでじゃないと思う」
「そうかな? 占い=真狼の考えを捨ててるって、村人としてはありえないよ」
「ふぇええ…。日向さぁん、許して下さぁい…。私、頑張りますからぁ…。許して許して許して許して許して…」
ポロポロと優しげな瞳から涙を零す罪木はとても憐れだった。いくら死なないとはいえ、仲間にクロを打たれて吊りへと導かれるというのは些か残酷かもしれない。日向の心は揺れる。無難な進行で、別にチャンスを作る。それも悪くない。しかしその考えも隣からするりと伸びてきた手によって掻っ攫われてしまった。
「ねぇ…、日向クン。別にボクはどちらでも良いんだよ? 罪木さんの考えが間違ってるなんて思ってない。だけどね…ボクはみんなのことを考えて、心苦しくも彼女を吊ろうって言ってるんだ。ボクはキミのことが好きだよ。絶対に生き残ってほしいって思ってる」
「……狛枝」
狛枝は日向の内股をゆっくりと撫で、人差し指から小指までで順に叩く。
「キミと同じ陣営になれたのは、ボクにとって最高の幸運だ。それを無駄にしないためにも、ボクは精一杯頑張るつもりさ。もしボクが十神クンに信用負けしたら、どうなるのかな? 十神クンに見つけられた獲物は次々に処刑されるだろうね。偽物の占い師であるボクの意見なんて、きっとみんな聞いてくれないよ。ボク、怪しいみたいだし?」
「………」
悲観に暮れる狛枝は長い睫毛を瞬かせた。色っぽい仕草に、日向はドキドキと鼓動を高鳴らせる。
「ふふっ、おしおきってどんなのかな? でも考えようによっては悪くないよね。だってキミと一緒に死ねるんだもん。はぁああっ、考えただけでもゾクゾクするね。心中させてくれるって言うんだから、モノクマも案外親切なのかな? ああ、左右田クンと罪木さんは邪魔だけど…。どう思う? 日向クン…」
「……あっ…」
大胆にも股間すれすれの所を狛枝の手が這った。ビクリと体を痙攣させた日向を見て、罪木は気付いたのか狛枝を淀んだ黒い瞳で忌々しげに見つめている。直接触られた訳ではないのに、日向の欲望がむくりと起き上がっている。狛枝は日向のズボンが盛り上がっているのを見て、ニヤリと笑った。
「良いんじゃないかな? 村人にシロ出し。いつでも進行に修正が可能だ。じゃあ、明日は…」
「ま、待て」
「……何? 日向クン」
日向の言葉を待っていたかのように、狛枝は余裕の笑みを浮かべた。もし罪木の言う通りにしたらどうなるのか。親切にも狛枝は日向に説明をしてくれた。心中も、悪くないと。逆らうことは出来ない…。日向はきつく目を瞑って、正面の罪木を見つめた。
「………罪木、ごめんな…」
「え…っ」
「狛枝、明日は罪木にクロ出しだ。吊りに持っていく…。ただ死体が2つ出た時はちゃんと占い先を変えてくれ」
「分かったよ、日向クン!」
「ひなた…、さん……。いや、嫌ですぅ…。わ、私…死にたくな、い…」
ニッコリと笑った狛枝とは対照的に、罪木は蒼白になって茫然としていた。罪悪感でいっぱいだった。だけど自分は狛枝に背けないのだ。彼に依存することで命を繋いでいる。狛枝は鼻歌を口ずさみながら、席を立った。寄り添っていた熱が離れ、急激に日向の体が冷える。会議は終わりになったので仕方ないのだが、それでも彼の体温が恋しいと思ってしまう。そんな日向を見た狛枝はフッと薄く微笑し、軽やかにレストランを出て行ってしまった。

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04.3日目・夜
3日目の学級裁判が終わり、罪木が処刑された。残り13人。

分かっていたこととはいえ、同じ陣営である彼女を処刑に追いやってしまったことは辛かった。………。辛い…? 今更そんなことを考える自分に、日向は思わず笑ってしまう。人狼ゲームに参加した時点で、全員が生き残れないことはすでに承知だった。七海、田中、西園寺、ソニア、弐大、終里、辺古山、九頭龍、十神、澪田、小泉、花村…。陣営が別れてしまった彼らとは相容れぬ関係になってしまったのだ。
「おっす…」
レストランに足を踏み入れると、左右田が振り返った。狛枝はまだ来ていないようだ。左右田はレストランの入り口に視線をやってから、ヒソヒソと声を潜めて日向に話しかける。
「あのよぉ、オメーと狛枝ってどういう関係なんだよ…」
「え? …何がだ?」
「惚けてんじゃねーよ! オレが気付いてねェと思ってたのか? 昨日の会議でちちくり合ってただろ」
「う…っ」
日向は左右田のツッコミに言葉を詰まらせる。別に乳繰り合ってた訳じゃない。そう言おうとしたが、思い返してみればあれは乳繰り合い以外の何物でもなかったので、日向は言葉を返すことが出来なかった。
「何? ホモなの? 2人付き合ってんの?」
「ち、違う…! 俺達は別に」
「男同士でベタベタすっとかキモチワリィぞ、ハッキリ言って。考え直せよ。な?」
「…っだから、違うって言ってんだろ!!」
テーブルをバンッと叩いて日向が立ち上がると、左右田は大袈裟に体をビクつかせ、涙目になる。
「悪かったって…、んな怒るなよぉ…」
身を縮ませている彼に対し、日向はこれ以上何の感情も湧いてこなかった。黙って、ドスンと席に座る。左右田の言ったことは図星だ。それを否定した自分の言葉は、厳密に言えば願望であり、要するに嘘だった。だからこそ頭にくる。
狛枝を恋愛対象としては見れない。性欲を刺激されることはままあったが、付き合いたいとは微塵も考えたことはない。彼が男だからというレベルではない。人間として無理なのだ。だけど不思議と狛枝に心が惹かれてしまう。…恐怖だ。恐ろしいと分かっていながら、思わず見てしまう。恋などという可愛らしいものとは違う、殺伐とした思い。服従、依存、支配…。そういった単語の方がしっくりくる。
日向は頬杖を突いて、ぼんやりとした。狛枝に落ちてしまえば、話は簡単なのだろうか? 周囲のレストランの景色が、話しかけてくる左右田の声が遠のく。自分は思ったより疲れていたのかもしれない。滲んだ視界がぐらりと傾きかける。眠い…。日向がまどろみに足を踏み入れようとしたその時だった。
「ごめんね。お待たせ…」
日向の世界にその声は彗星の如く降ってきた。弾けるように顔を上げると、左隣には白いふわふわの髪の毛が見える。いつの間にレストランに入ってきたのだろう。足音に全く気付かなかった。隣に座った狛枝は日向の顔を覗き込むと、クスリと笑った。
「日向クン、今うとうとしてた?」
「……少し、な」
「心が休まらないよね。また明日もこれが続くだなんて、考えただけでも嫌になっちゃうよ」
背凭れに体を預けた狛枝は短く息を吐いた。だがすぐにパッと笑顔になって、「会議を始めようか」と切り替えた。今日は昨日より1人少ない。罪木が処刑されたからだ。モノクマの言葉を信じるには彼女は生きている。精巧な死体を見せるのは止めたらしく、砂浜で首吊りになっていたのは罪木を模した等身大の人形だった。
「噛み先か…。今日の九頭龍は狐…じゃないよな?」
日向が2人に問いかけると、両者とも「うーん」と唸ってしまう。昨日決めた噛み先である九頭龍だが、今日の十神の占い先でもあったのだ。もし呪殺だったら結果オーライとも言えるが…。
「どうだろうね。ステルスだったから、狐もありそうな場所だけど。まぁ…、まだ潜んでるんじゃないかって考えた方が賢明じゃないかな?」
「そう、か」
だとしたら妖狐探しを続けなければならない。誰が妖狐なのか…。全員が怪しく見えてしまう。
「テキトーにグレー噛んどきゃ、狐当たんじゃね?」
「左右田、適当過ぎるだろ! もっと真面目に考えろよ…」
「…日向クン、こういうのはどうかな? 共有を噛む」
「!? …おいっ!」
狛枝が出した案に、左右田が目を剥いて叫ぶ。無理もない。共有者はソニアと田中なのだ。ソニアはゲーム開始時からいつも以上に張り切っていたが、役職が判明してその理由が理解出来た。慕っている田中と同じ共有者になれたから。彼女の眩しい笑顔とは逆に、左右田の顔つきは浮かないものだった。
「……きょ、共有はまだイイだろ、なっ! 狐とか狩人探さねェといけねーし!」
焦ったように左右田は声を弾ませ、日向と狛枝の顔を見比べる。左右田がソニアに好意を抱いているのは、修学旅行メンバーの誰もが知っていた。ソニアと陣営が別れていても、敵と考えるのは難しいようだ。1日でも長く彼女を生かしたい。そんな思いが見え隠れしている。個人的な感情を抜きにしても、左右田の言うことは最もだった。狛枝は何故共有噛みという思考に至ったのか、それを知りたくて日向は狛枝に話しかける。
「…狛枝、共有を噛むメリットを教えてくれないか?」
「共有を噛むということは、狼が狐や狩人を探していないことになるよね。つまり既に死んでいる九頭龍クンが狐だったと思わせることが出来る。それだけ考えればデメリットだ。でも1人くらいは必ず言い出す人がいるよ。『これは十神を真に見せるための、狼の作戦じゃないか?』ってね」
「そりゃそうだ。呪殺GJや狐噛みと占いが被るなんて、そうそうない」
村人達はいずれ、狛枝と十神のどちらかを切らなければならないだろう。だが人狼と狂人が連携を取っている今、狛枝がボロを出す要素は1つもない。人狼の内訳を知っているから、占いも正確な結果を出せる。だからこそ真贋の区別がつきにくい。些細なことで真を切っていく必要がある。その疑心を狛枝は誘おうとしているのだ。
「でしょ? そうなると村人は狼側が十神クンを真占いとしてアピールしているように見えて、必然的に彼は黒くなる。…型にハマれば、大分有利にはなるかな」
「………」
日向には辿り着けないような考えだった。何故こうも頭が回るのか…。思わず身震いがする。もし狛枝と敵陣営だったら、自分は呆気なく負けるだろう。
「…お前って、何で綱渡りみたいな作戦ばっかり考えるんだ?」
「別にボクは作戦だなんて思ってないよ。こんな粗末な考えが作戦だなんておこがましいし。成功するかも分からない…。1歩間違えれば、取り返しのつかないことになる。だからただの意見として受け取ってほしい」
狛枝は穏やかな笑みを浮かべる。確かに彼の言う通り、成功するかは不明だ。だが勝算はあるかもしれない。このままただ流れのままにゲームを進めさせてはいけない。数が少ない人狼だが、噛みで始めの流れを作ることは出来る。村人より楽に展開をコントロール出来るというメリットを存分に生かすべきだ。
「いや、…お前の考えを採用するよ。明日は共有噛みだ。狩人がいたとしても、占いを護衛してるだろうから多分抜けるはずだ」
「ちょ、ソニアさんは止めてくれよ!? 頼むから…っ!」
日向に縋るような視線を向ける左右田。チラリと狛枝を窺うと、無言で頷く。どうやらソニアでなくても大丈夫なようだ。
「…じゃあ、田中を噛むか」
「そうだね。彼の言うことは難解だけど、かなり的を得ているからね。ボク達にとっては脅威だよ」
気がつけば、また狛枝の意見を汲んでいる。日向は今になって、ハッとした。無意識だとしたら、自分はもう後戻りが出来ないような位置まで彼に引き摺られているということだ。狛枝は日向を気にすることなく、左右田に明るく話しかけている。
「ねぇねぇ、左右田クン。1つお願いがあるんだけど…」
「…何だよッ?」
左右田は苦手意識が抜けないのか、狛枝にビビりつつ言葉を返す。
「明日の学級裁判で、『九頭龍クンが狐かも』って言ってみて? それをきっかけに議論が始まってくれるよ、きっと」
「そんくらい自分で言えよ!」
「ボクは十神クンの対抗占いなんだよ? 彼の真をボクが証明する訳にもいかない」
「……オレじゃなくったって…、日向でいーじゃねーか」
「ボクは左右田クンの方が良いと思うな。キミはかなり村人視点だから、白く見てる人は多いはずだよ。キミの発言にきっとソニアさんも注目するはず…」
「…ソニア、さん」
想いを寄せている少女の名前を出されて、左右田はカッと顔を赤くした。狛枝はことりと小首を傾げている。その様子を日向は静かに見ていた。左右田を甘言で誘導しようとしているのはすぐに分かった。狛枝がいつも日向にしていることだ。客観的に見てみると、何故こんなにも簡単に転がされてしまうのだろうと疑問に思うが、実際に彼の言葉を聞くと拒絶をする気が起きなくなってしまうのだ。
「分かったよ…、やってやる」
「いいかい? ふふっ、任せたよ。占いはどうしようかな。小泉さん辺りにシロ出そうか。明日は霊能結果が見れるからボクの真目もあるって考える人が増えるんじゃないかな」
「…偽者が良く言うぜ」
皮肉に塗れた言葉を投げつけてやると、狛枝は「酷いなぁ」と肩を竦める。左右田が席から立ち上がり、レストランの出口へと歩いていく。日向も後に続こうと席を立つと、制服の裾を狛枝に掴まれた。
「…狛枝?」
「今日のボク、頑張ったよね? …日向クン、ご褒美ちょうだい」
裾を掴む指が内側に入り込もうとするのを感じて、日向は反射的に後ろに飛びのいた。
「な、な…、こま、…」
「あはっ、そんなに驚くことないのに。昨日はボクのこと、触ってくれたでしょ? もっとキミに触れてほしいよ…」
気だるげな笑みを浮かべた狛枝がスッと立ち、日向を真正面から見る。初めて彼の瞳の光彩に、薄い緑色が混じっていることに気がついた。ああ、吸い込まれそうだ。狛枝は目を細めて、愛おしげに日向を見る。
「大丈夫だよ、日向クン。きっと勝てる。村人は団結することが出来ないんだ。自分以外の中身を知らないからね。でも狼は互いを知っている。希望を同じくする仲間がいる。力を併せて、立ち向かうべきなんだよ」
「………。そう、だな。俺とお前と左右田と罪木…。村陣営には悪いが、勝たせてもらう…!」
自分の中に息づいていた僅かな迷いを立ち切るように、日向は力強く言い放った。袂を別ってしまった村人陣営のことは考えていても、どうにもならない。日向の決意の言葉に、狛枝は「そうだね」と破顔する。
「ボクのようなゴミムシはオマケみたいなものだけど…」
「バカ…、卑下するなよ。狛枝、お前も大事な仲間だ。狂人だからとかって考えなくていい。…一緒に、勝とう」
「…日向クン」
震える声で名前を呼んだ狛枝は、日向のことを穴が空くほどに見つめた。自分は狛枝に何をしているのか。彼を気に掛け、心の底から励まそうとしているのか、ただ機嫌を取って、やる気を出させようとしているのか。果たしてどちらなのだろう? ただ1つ分かることは…日向にとって、狛枝は必要だということだ。真正面に立った彼は物欲しげな顔で、日向を上目遣いに見上げる。
「日向クン。ご褒美…、くれる?」
「…狛枝」
狛枝が言わんとしていることは分かっていた。日向のことを恋愛の意味で好きということは、性的な接触を求めていると考えて良いだろう。彼の誕生日と同じ春の色をした綺麗な唇。それに指先でゆっくりと触れると、心待ちにしていたとばかりに狛枝はスッと目を閉じる。何となくこうなるような気はしていた。彼が望むのなら、自分はそれに従うのみだ。日向は狛枝の顔に手を添えて、ゆっくりと顔を近付けた。

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05.4日目・夜
4日目の学級裁判が終わり、弐大が処刑された。残り11人。

人狼ゲームがスタートした後は、周囲との接触を禁じられた。学級裁判以外はコテージに軟禁状態だ。食事はモノクマがコテージに持ってきてくれる。窮屈な生活だが敵味方に分かれて疑心暗鬼に陥っている今となっては、レストランで一同に会して食事をする方が苦痛だった。
自分が人狼であるということを、日向は少しだけ感謝している。もし村人だったら学級裁判以外に誰かと話す機会は皆無だ。だが人狼は仲間同士で会話が出来る。狛枝の言う通り、気心がしれた仲間がいるということは大きい。
今日の学級裁判で、狛枝の信用はグンと上がった。霊能の花村が告げた結果は罪木=クロ。ただ1人しかいない霊能と狛枝のラインが繋がったことで、狛枝が真占いであるという考えを持ち始めた者も目に見えて存在している。狂人は人狼の内訳を知っているので、誤爆はありえない。それを指摘する者もいたが、狛枝がクロを引き当てたという実績は思いの外大きかったようだ。
「あれ、俺が最初か…」
レストランを覗くと、まだ狛枝も左右田も来ていないらしく、その場はシンと静まり返っていた。いつもの席に座って、2人を待つ。数分も待たずに狛枝と左右田が現れた。一緒に来るだなんて、珍しいこともある。狛枝は当たり前のように日向の左隣にぴったりと寄り添う。風呂上がりなのだろうか、狛枝からは仄かに痺れるような甘い香りがした。
「つーかよぉ、狛枝! さっきのはどーいうことだよッ!」
話し合いを始めようとする前に、左右田が狛枝に苛立ったように言葉をぶつける。対する狛枝は冷静だった。話の筋が読めないでいる日向に視線を走らせ、狛枝は「キミにも説明するね」と口元に指を当てた。
「今日の裁判で、左右田クンはボクのお願い通りに『九頭龍クン=狐』説を提唱したよね。それに同意したのは弐大クンただ1人。これってすごく分かりやすかったよね。簡単過ぎて、ボク体から力が抜けちゃったもん」
「…弐大が狐ってことか?」
「十中八九ね。やっぱり対面だと感情が出やすいよ。負けたらゲームオーバーじゃ済まないんだ。九頭龍クンを狐ってことにしてしまえば、自分は助かるかもしれないんだから。目の前の餌に釣られて、しっぽを出しちゃったんだろうね」
「十神自身は九頭龍を狐とは思っていないだろうな…」
「そうだね。彼にとっては『九頭龍クン=狐』説を出した左右田クン、それに同意した弐大クンが怪しいって訳。今日は2人の内、弐大クンは吊られてしまった。となると…」
「おい、オレはどーなるんだよ…! なぁ、狛枝ァ!」
青ざめた顔の左右田がガタガタと震えながら狛枝を凝視している。問われた狛枝は1枚の紙を取り出した。そして「だからね…」と勿体ぶったように話を続ける。
「これは今回の投票先の一覧だよ。十神クンは左右田クンに投票している。もしかしたら占い先かもね。彼は『九頭龍クン=狐』説に賛成した2人を狐候補として見ているんだ。霊能とのラインを繋げたボクとの信用差は思ったよりも開いている。何としてでも呪殺を出して、自分が真占いだと主張したいだろうね」
「ってことは…」
「ボクの予想が当たれば……、明日左右田クンは占われて、クロを打たれるかな」
軽い口調で狛枝は告げた。左右田は目を見開いたまま、ピクリとも動かなかった。まるで死刑宣告を言い渡された罪人のようだ。やがて彼は苦しげに短く息を吐いて、油を差していない機械のようにぎこちなく体を動かす。
「………オレが、吊られる…?」
「んー。ゴミムシの予想だから、外れるかもしれないけど」
「こ、狛枝! オレを助けろ!! 占い師なんだろ!? ど、どうにかして、」
「左右田クン、落ち着いて。ボクは占い師じゃない。それに吊られたからってすぐ死ぬ訳じゃないんだよ? 狼が全員吊られて敗北した時、ボクらはおしおきを受けて死ぬ。ボクも日向クンも勝てるって思ってる。…キミが死んでもボクらが上手くやるから」
狛枝の声は冷たかった。生温かい南国の夜にも関わらず、鳥肌が全身に浮かび上がる。左右田は狛枝の発言に混乱を極めた。
「ぉ、おい、止めろよッ! …んな言い方すんの! オレの死って…」
「…狛枝! 左右田を追い詰めるな。明日がどうなるかなんて、分からない。俺は左右田が最後に残るって思ってた。左右田は自分の役職を頭に入れないで、純粋に推理してたからな」
「……村目に見えてるオレが、何で吊られんだよ…。くっ、……昨日のあの発言が…、」
言いかけた左右田は、ゆっくりと日向から視線を外した。三白眼の先にいるのは狛枝だ。
「ん? どうしたの、左右田クン」
「オメーが九頭龍を狐って言えって…」
「あはっ、そうだったね! でもあの時のボクはこうなること、ハッキリとは分からなかったんだよ」
「………狛枝」
絞り出すように左右田が呟く。不快感を滲ませた彼の視線を、狛枝は正面から堂々と受けていた。
「人狼は残り2人…。ボクとしても戦力を失うのは惜しい。明日は左右田クンにシロ出しして囲うよ。ボクを真だと考えてくれてる人がきっといる。十神クンもキミを占うとは限らないんだし、もしかしたら吊られずに済むかもしれない」
「心にもないこと言ってんじゃねーよ! 無理に、決まってんだろ、…んなこと。今日の十神はオレに何回も突っ掛かってきてたし」
左右田は泣きそうな顔でブツブツと何かを呟いている。帽子をギュッと掴む手は僅かに震えていた。彼も、怖いのだ。人狼が1人減るごとに、勝負は先に持ち越される。その分吊り輪は増え、負ける可能性が高くなる。
「左右田……、」
日向は左右田の名前を呼んだが、それ以上の言葉は出てこなかった。罪木と同じように、左右田もここからいなくなってしまうのだろうか。怖い…。仲間が1人ずつ減っていく。そして最後には1人に…。そう考えて、日向は涙がじわりと浮かんできたのに気付いた。
もし狛枝が自分より先にいなくなってしまったら、どうなってしまうのだろう。隣にいる狂人の横顔を見て、日向は胸が詰まる思いだった。嫌だ、離れたくない、傍にいてほしい…。狛枝は殺人鬼モドキだ。恐ろしくて堪らないのに、1人にされた時のことを想像したら、狂ってしまいそうだった。
「……もーいーっつの」
「左右田…?」
「吊られてやんよっ!! …狛枝視点で1匹吊ったんだ。十神視点でも吊るに決まってる。霊能が生存で、残り狼把握出来てんだ…。狐対策にキープなんてしねーだろ」
決心したかのように左右田は言葉を荒げた。それを聞いた狛枝はニコッと笑顔になる。
「左右田クン、理解が早くて助かるよ」
「おい…、信じていいんだな? 絶対狼が勝つって、信じるぞ!? …日向! 狛枝!」
興奮気味に乗り出す左右田に、日向は黙って頷いた。狛枝も「必ず勝つよ」と凛々しい視線を返す。それを見た左右田はやっと気を落ち着けることが出来たのか、ぐったりとイスに寄りかかった。
「今日は誰噛むんだよ…?」
「辺古山さんかな。何となく狩人っぽいし。日向クンもそれで良いよね?」
「ああ…」
人狼会議が終了し、左右田はふらりとレストランから出て行った。覚束ない足取りの彼を追った方が良いのか悩んだが、狂人がそうはさせてくれないだろう。案の定、隣に座った狛枝は日向の腰に腕を回していた。
「今日で左右田クンともお別れだね。ふふっ、明日からは2人きりかぁ」
「お前、何で嬉しそうなんだよ…」
日向の問いかけに狛枝は「えへへ」と子供っぽく笑った。背中をやんわりと撫で、脇腹部分を軽く掴まれている。狛枝は日向の肩口に頭を乗せて、うっとりと夢見心地に目を瞑った。…動けない。手持無沙汰になってしまった日向はテーブルに置かれた投票先の紙を見た。自分は怪しまれていないだろうか? 投票先にそれが現れていないか心配で、全員の投票先を視線でなぞっていく。
「狛枝、……左右田に投票してたのか」
「うん」
「…それは占い先として、か? 囲うって言ってたもんな」
「ふふっ、どうかな…」
狛枝はクスクスと人を食ったような笑みを浮かべている。もし狛枝が占い先として左右田に投票していたのなら、十神の考えを見抜いていたことになる。しかしいくら狛枝でも、その日の内にここまで考えを巡らせるのは難しいだろう。…気の所為か? 日向は思考を停止しようとしたが、左右田のことを思い出した。
『九頭龍=狐』説を左右田に言わせたのは狛枝だ。彼にそれを発言させることで、狛枝は十神に左右田と弐大が妖狐である疑念を持たせた。結果、妖狐と思われた弐大は吊られ、残った左右田は占われる。まさか、昨日からここまで考えていたのか…? 日向はそっと狛枝を見やる。
「………」
「2人きりって良いよねぇ…。キミと一緒にいると心が落ち着くよ。…キミも左右田クンには困っていたでしょ? 昨日ボクと付き合ってるだなんて勘違いなこと言われて、怒ってたもんね。日向クンを虐める奴はみーんないなくなっちゃえばいいんだ…」
「……狛枝、お前…」
「うーん。左右田クンが吊られて、弐大クンが占われるのも、それはそれで楽しそうだったんだけどね…」
狛枝は眉を寄せて、「中々思い通りにいかないね」と苦笑する。何なんだ、こいつは…。日向の額から冷や汗が吹き出す。どこまで先を読んでいるんだ。もしかしたら最終局まで全て見通しているのかもしれない。先見の明なんて、朧気なものではない。千里眼と言っても良い。
果たして人間なのか。彼の浮世離れした美しい容姿は人外の証なのかもしれない。馬鹿馬鹿しいとは分かっていても、本当はそうかもと少し思ってしまう。それくらい狛枝は日向の予想を超えていた。
彼は狂人。人狼である日向につき従い、心酔する卑しいしもべ。表向きはそうだ。だけど、本当は…。
「ねぇ、日向クン」
鼻にかかったような甘い声で、狛枝は日向の耳元に唇を寄せた。吐息混じりの掠れた声で「ご褒美…、ちょうだい」と強請られる。そんな熱っぽく見つめられたら、踏み止まる余裕すらない。自然と体が動く。もう自分は彼の言う通りにしか動けない。日向は狛枝の柔らかい癖っ毛に指を滑り込ませ、間近で彼と見つめ合う。薄く開いた愛らしい彼の唇に、日向はそっと自分のそれを押し当てた。

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