// Mirai //

01.煩悩の話 : 12/31
1年間、本当に色々なことがあった。春夏秋冬、光陰矢のごとし。歳を重ねるほど月日が早く過ぎて行くことは少し物悲しかったが、狛枝とこうして一緒に居られることはとても恵まれていると思う。年末年始に実家に帰ろうとは考えなかった。俺が1番愛してるのは狛枝だ。最愛の彼と共に新しい年を迎えられたら嬉しい。ダメ元で頼んでみたら、相手も残ってくれると言ってくれて、その時は飛び上がって喜んでしまった。


俺も狛枝も年越しそばを食べてから、既に晩酌を始めている。元々酒が弱かった狛枝だが、左右田達との飲み会に連れて行くようになってからは、段々と飲めるようになったようだ。最近の狛枝は焼酎シャーベットにハマっているらしく、ガラスの器に入れたはちみつレモン味のそれをスプーンで掬っては美味しそうに口に運んでいた。
「うん、やっぱりはちみつレモンが最高だね。…日向クンも一口どう?」
「いいよ、甘いし。っていうか真冬に冷たい物ってどうなんだよ」
「分かってないね、日向クンは。アイスしかりみかんしかり、それがまた良いんだよ。炬燵でぬくぬくとね…」
酒が完全に回っているのか、赤らんだ顔で楽しそうに話す狛枝。意外にも酒が入ると陽気になるタイプだ。前と違ってすぐには潰れなくなったが、こう調子づいてると後から二日酔いになって、俺が困るパターンだ。1杯だけと許した俺が甘かった。
「もう1回作ってきても良いかな? まだ焼酎残ってるし」
「ダメだ、明日も早いんだから。もう終わり!」
それを聞いた狛枝は「ええ〜」と口を尖らせて、その場にゴロンと転がった。お前は小学生か! しばらくブツブツと文句を言っていたが、やがて眠くなったのか大きな欠伸をして目を瞑ろうとする。おいおい、ここで寝るなよ。
「風邪引くぞ。そんな所で寝たら…。お前まだ風呂入ってないんだろう?」
「ふぁああ〜。んやぁ…、眠いよぉ、日向クン…。30分経ったら起こして」
「待て待て待て! 風呂はいいとしてせめてベッドで…、はぁ〜」
狛枝はもぞもぞと体を炬燵に潜り込ませ、やがて体の動きを止めてしまった。布団の端からはもさもさとした薄い色のクセっ毛が飛び出ている。本当にやりたい放題な奴だ。普段は冷静に努めていても、俺の前ではこの有様。今日は酒の力も加わってその強引さに拍車がかかる。正に煩悩の塊だ。
…仕方ない、年末ギリギリまで仕事をしてて疲れているのだろう。今年の狛枝はすごく頑張ったのだ。花マルをあげても良いくらいに。少しだけ寝かせてやるか。そう思い 寝室から持ってきた枕を狛枝の頭の下に敷いてやってると、遠くから低く鳴り響く音が聞こえてきた。
「…外からか」
除夜の鐘だ。108回鳴らし、人の煩悩を落とすと言われるその音色。部屋に籠った酒気を外へ追い出そうと窓を開けると、案外ハッキリと聞こえてくる。狛枝が寝てしまい、何もすることがない俺はしばらくその音に聞き入った。どうかこの煩悩だらけの恋人の心が洗われますように。そう願って…。


30分後…
「煩悩が鐘の音で消えるって、何それ。ふふっ、そんなのもう人間じゃないよね…っ」
限界までいきり立った俺自身をそっと撫でると、狛枝はペロリと舌舐めずりをした。
「……っ、狛枝…。ぅ…く、は……っ」
「それに煩悩が108だけとは限らないでしょ? ねぇ、日向クン…」
そうだな、確かにお前の場合はそうだ。今となっては股間を膨らませている俺だって、それは否定出来ない。狛枝は自分の内側に白い指を埋め込み、苦しそうに小さく喘いでいる。そして準備が整ったのか、クスッと微笑んで、俺に跨り一気に腰を落としてきた。予想はしていた。寧ろしてこない方がおかしい。さすがの神様もこいつの煩悩は全て消し去れなかったようだ。
「っあ…ああっ、ひ、なたクゥン…ッ」
「はぁ…狛枝…っ。こまえだ、狛枝…!」
妖しく笑い 腰を淫らに動かす狛枝に、俺は性欲を我慢することが出来ない。俺の腹に手を置いて、狛枝は楽しそうに腰をぐりぐりと押し付けた。良い所に当たっているのか、顔が蕩けている。そして切羽詰まっている俺を見て、ゆっくりと体を前に倒し、激しく口付けてきた。俺もそれに答えるように舌を絡ませ、狛枝を強く抱き締める。そして突き上げるように大きく腰を振り続けた。
「……ふ、ん、……あ、ひぁたクン…、あっ、はあっあああ…ッ」
「ん、こまえだ、はぁはぁ…! 狛、枝…っ」
強烈な突き上げに、狛枝が白い喉を仰け反らせて大きく喘ぐ。…108じゃ、足りないよな。結局俺達は互いの体が繋がったまま、年を越したのだった。


「あはっ、年が明けたね。ボクが1番だ。…日向クン、お誕生日おめでとう! 後ついでに明けましておめでとう」
「はぁ……、ありがとよ。明けましておめでとう。こちらこそよろしく頼むぜ」

Menu 〕  〔 Next 〕 



02.初詣の話 : 1/1
神社に向かう道すがらでボクは大あくびをした。隣を歩く日向クンが「眠いか?」と心配そうに声を掛けてくる。


始発に乗って初詣に行こうと誘ってきたのは日向クンで、ボクは一緒に行けるのならと二つ返事で了解した。人混みが嫌だから初詣なんて絶対に行かないボクとは違い、日向クンは真面目に毎年参拝しているらしい。しかも午前中に済ませると縁起が良いらしく、眠いから昼過ぎで良いとごねたボクを置いていこうとするほど信心深かった。
「日向クンって縁起担ぐタイプだったんだね。そういえばお財布にいつもお守り入ってたし」
「そうか? 別に普通だと思うんだけどな…」
「破魔矢とかお札まであるんでしょ? ボクには普通とは思えないよ」
「お前…、おみくじでさえ引かないって言ってたもんな」
「いつも大吉か大凶かのどちらかだからね。結果なんてあってないようなものだよ」
例え引いても結果をチラリと見た後、さっさと結んで帰る人種だ。子供の頃からの習慣だったとはいえ、ボク達はどちらも極端なのかもしれない。日向クンが持っている紙袋の中には、役目を終えて納めるだろうそれらの物がたくさん入っている。「毎年そんなに貰うの?」と聞いたら、「去年は本厄だったから」と返された。
「去年って本厄だったんだ…。ボク全然気にしてなかったよ」
「いや、お前は一昨年だろ。俺の場合は早生まれだから去年だ」
「ふぅん」
ボクは生返事を返す。神社前に差し掛かり、人混みの向こうに厄年の看板が見えた。日向クンと並んで歩きながら、ボクは書かれている生まれ年を読んでいく。男性は…っと。数え年で25だから、24の時らしい。良く良く思い出すと、本厄の年にボクは日向クンに再会した訳なんだけど。ここまで深い関係になるような人と会えたことから考えても、やっぱり当てにはならないな。ボクはそう結論付けた。
「……お、」
日向クンのポケットにあるケータイが振動音を響かせた。彼は慣れた手付きでケータイを取り出し、中身を確認する。内容は分かっている。日向クンへのハッピーバースデーメールだ。家にいる時から、電車に乗り、神社へ歩くまでの道すがら何度も鳴っている。年賀状だって、玄関の下駄箱の上に大量に積み上げられていた。彼には友達が多く、もちろんライバルだっている。だけど今、日向クンの隣にいるのはボクなんだ。彼に最初に誕生日を祝ったのはボク。そこだけは譲れないよ…。


神社は朝も早いのに結構な人がいた。だけど人数制限をしていないからそれほど多くはないんだろう。
「待たせたな、お札返してきた。早速参拝しに行こうぜ」
日向クンがボクの肩を軽く叩いた。これから石段を登って、本堂へ行く。擦れ違う人に揉まれながら進んでいるボクを見兼ねたのか、日向クンは「ん」と手を差し出してくれた。ボクより大きくて無骨な手だ。…繋いでいいのかな。ボク達男同士なんだけど。少し躊躇してしまう。だけど日向クンは全然気にしてないらしく、迷っているボクの手をパッと取って歩き出した。
「あ、…日向クン」
ドキッとした。日向クンの手はすごく温かくて、一瞬でボクにもその熱が回る。寒いから手袋をしていこうか迷ったけど、しなくて良かったかも。ボクはほっこりとした気持ちで、彼の左隣にピッタリと寄り添った。

石段を登り終えると、正面には見事な構えのお堂がある。2人で賽銭箱の前に並び、小銭を投げ入れた。ええっと礼はどうするんだっけ? しばらく神社の類には行っていなかったから、やり方をすっかり忘れてしまった。二礼二拍手一礼か…。隣の日向クンの真似をして、礼と拍手を何とか済ませる。
給料アップしますように。変なトラブルに巻き込まれませんように。…今年も日向クンと一緒にいられますように!
目を開けると、日向クンはまだお願いをしている。後ろに人も待っていることだし、ボクは脇の石段を先に降りた。
「神頼みで願い過ぎじゃないかな。…日向クン、どれだけ当てにしてるんだろう」
懸命に手を合わせている日向クンを尻目に、ボクはぼやいた。彼を待っているのも暇だ。ボクは辺りをぐるりと見回す。
そんなに広くない境内だ。本堂以外はおみくじを引く所、お守りやお札を渡している社務所。出口辺りにお汁粉を振るまっているテントがあるだけだ。最初からおみくじは引こうと思ってたけど、折角だからお守りも貰おうかとボクは社務所に近付く。思ったより色々な種類があった。厄除け、学業、スポーツ、縁結び、健康、幸せ、安産…。
「お、狛枝。こんなとこにいた。何だ、興味あるのか?」
参拝が終わったらしい日向クンがボクの後ろから声を掛けてきた。
「…別に。たくさん種類があるからビックリしただけだよ。おみくじ引きに行こう」
興味がない訳じゃない。お守り1つだけで日向クンとの仲が約束されるんだったら、安いもんじゃないかって思える自分がいる。引いたおみくじは大吉で気分はそれなりに良かったけど、ボクはやっぱり将来が不安だった。
「なぁ、見てくれよ。狛枝! 俺のおみくじ。恋愛のところ、『今の相手が最上』って書いてあるぞ!」
日向クンは満面の笑みだ。年甲斐もなくはしゃいでいる彼のおみくじを横から覗き見ると、確かにそう書いてある。そんな細かい所見てなかったな。折り畳んでしまった自分のおみくじを広げて、ボクも項目に視線を走らせる。恋愛、恋愛…。
「ボクは…『この人となら幸福あり』だって」
「ホントか!? ははっ、何か照れるな。俺すっごく嬉しい。お前はあんまりそういうの信じなさそうだけどさ」
「………」
がしがしと頭を撫でられ、ボクの心臓はきゅううと音を立てる。ああ…、日向クン、日向クン…! 社務所へ向かおうとする日向クンの背中を見つめる。キミの言う通り、ボクはおみくじなんて信じていない。でも…。『この人となら幸福あり』。その文字をボクは何度も読み返す。日向クンと一緒なら…。心を占めていた将来への不安なんて吹き飛んでしまいそうだ。


「狛枝。年越し、俺と一緒にいてくれて…、ありがとうな」
そう言ってにっこり笑う日向クンに、ボクも「こちらこそ」と笑顔で頷き返す。日向クンの手にはお守りとお札と破魔矢がいくつもあって、何だかカッコつかなかったけど。たくさん願って、たくさんおみくじを引いて、たくさんお守りを貰うってことは、ボクとの将来も含めて色々と考えてくれてるって解釈していいのかな? そう思うとすごく愛されてるって感じる。
「じゃあ、日向クン。そろそろ帰、」
「あ! 俺、祈祷の予約してたんだった。狛枝は先に帰ってていいぞ。じゃあな!」
「え。………え!?」
祈祷? 何それ…。唖然としているボクをそのままに、日向クンは境内の奥へと去ってしまった。まさか本当に置いていかれるとは…。うーん、信心深過ぎるのも考えものか。一瞬呆れはしたが、許してあげることにする。1人になったボクは社務所に向かい、並べられているお守りを順に見ていく。『幸せ守』と刺繍された小さいお守りが付いたケータイストラップが目に入り、思わず手に取った。日向クンを見習って、願いを込めるってのも案外良いかもしれない。
ボクも日向クンとの願いを込めよう。お守りはその証になる。そう思ったボクは巫女さんにお守りと初穂料を渡した。

Back 〕  〔 Menu 〕  〔 Next 〕 



03.誕生日の話 : 1/1
祈祷も終わり、何となく心身が洗われたような感覚がある。俺は社殿から出て、左腕に巻いている腕時計を確認した。時刻は9時を過ぎたくらいだろう。ここの神社は正月の間だけ、祈祷受付時間が早めになっている。これなら10時くらいには家に着けるはずだ。狛枝をあまり1人で待たせたくなかった。
電源をオフにしていたケータイを操作すると、ランプがチカチカと光っている。数件のメールの中に狛枝の名前を見つけて、俺は最初にそれを開封した。

『Time:20XX/01/01 8:38
 From:狛枝 凪斗
 Sub:おせち
 届いたよ。
 日向クンまだかな?』

クール便で頼んでいたお節が届いたらしい。『受け取ってくれて助かった。今から帰る』という旨の返事を返し、俺はケータイを閉じる。今年は狛枝が一緒にいてくれる。白い吐息を吐きながら、俺は石段を下りていった。足取りは軽く、僅かに弾んでいる。こんなに幸せな正月は久しぶりだ。いや、正月というより誕生日か。
俺の誕生日は1月1日だ。世間はもちろん元日。尚且つ冬休みの真っ只中で、家族以外と顔を合わせたことなんて今までなかった。家族でさえ正月の準備の忙しさもあり、俺に構ってすらくれなくて。俺の考える誕生日のイメージは、言葉から滲み出る晴れやかさなんて微塵もない寂しさを感じる1日だった。
小学校の頃を思い出す。何でもない平日が誕生日の友達は、周りに「おめでとう」と祝福され、たくさんプレゼントを貰って、楽しそうに過ごしていたっけ。会えなくてもメールで祝ってくれる奴は何人もいたけれど、やっぱり面と向かって言われる方が嬉しい。

『…日向クン、お誕生日おめでとう!』

言われた状況は煩悩だらけで、下品だったかもしれないけど。狛枝に綺麗な笑顔でそう言われて、俺は至福だった。一緒にいてくれてありがとう。さっきは素直に言えなくて、『年越し』って言葉に変えてしまったけど、ちゃんと言わなきゃな。石段を下り切り、俺は神社の広場まで来た。さすがに良い時間だし、さっきより混んできたようだ。
そういえばおみくじを引く前、狛枝はお守りを見ていたな。ふと気になって、俺は授与所へ足を向ける。結構真剣に眺めていた気がする。上の方に置かれている見本を右から左へと浚っていくと、ある1つに視線が留まった。
「幸せ守…」
あいつはお守りに興味なんてないかもしれない。だけど何となく、四葉のクローバーの付いたケータイストラップから目が離せない。深緑色のそれは狛枝が愛用しているコートと色が似ている。要らないって言ったら、俺が持ってれば良いか。そんなことを考えながら、お守りを手に取り、俺は巫女に声を掛けた。


「ただいまー」
「日向クン! お帰りなさい。寒かったでしょ?」
てっきり炬燵で寝ていると思っていたが、狛枝は起きていたようだ。玄関まで小走りで来て、ぎゅうっと俺に抱き着いてくる。可愛いな。ほぼ同じ身長の男相手にそう表現するのは変かもしれないが、俺にとっては狛枝はこれ以上ないくらいに可愛くて愛しくて大事な恋人なのだ。
「ほら、お前まで冷たくなっちまうだろ」
苦笑いで狛枝の肩をゆっくりと押すと、名残惜しいのか唇を尖らせつつ離れてくれた。着ていたダウンを脱いで、狛枝に渡し、リビングへと進んでいく。炬燵の上にはお節の重箱とは違う白い大きな箱が乗っていて、心当たりのないそれに俺ははてと首を傾げた。
「ちょっと待っててね。おせち、冷蔵庫から出すから」
「狛枝、それ…何だ?」
「…日向クン、もしかして分からないの?」
白い箱を指差す俺に、灰色の瞳を瞬かせた狛枝が驚いたような声を上げた。いや、本当に分からないぞ。俺の反応に困ったような優しい笑みを浮かべた狛枝は、「こっち来て」と手招きで俺を炬燵へと導いた。
「あのね、今日は日向クンのお誕生日なんだよ。『おめでとう』だけで終わると思う?」
「え…っ!」
「ケーキ、だよ。本当は手作りしたかったけど、ボクがキッチンに立つとロクなことが起こらないからね。花村クンのお店で特別に作ってもらったんだ!」
「座って」と促されて、俺は炬燵の布団を捲った。寒さの染みた体に炬燵の熱がじわじわと侵食して、体が段々と解れていく。狛枝は得意気に微笑んで、白い箱のシールを剥がすと蓋を開けた。
「………っ」
俺は言葉が、出なかった。
そこには花村らしい繊細な飾り付けの苺のショートケーキがあった。あずき色の生クリームは芸術品のように美しい流線型を描き、周囲を見事に縁取っている。赤、青、緑、黄色、白、銀。色とりどりのツヤツヤと光る小さな飴の粒が散らされていて、中央にはデカデカと『はじめくん おたんじょうびおめでとう!』とひらがなで書かれたチョコレートプレートが乗っていた。その脇には俺の高校時代愛用していたネクタイをモチーフにした飴細工が添えられている。
「クリスマスの後から花村クンにお願いしてたんだよ。ボクも今初めて見たけど、本当に見事だよね! 素晴らしいよ…。日向クン、どうする? おせち持ってくるけど」
「いや、お節は後で良いよ。こっちを先に食べたい…」
「日向クン、…泣いてるの?」
狛枝の言葉に、俺はハッとした。目から零れているそれは、紛れもなく涙だった。嬉し過ぎて涙が出るなんて、今までなかったのに。それを見た狛枝は俺の傍に来て、優しく抱き締めてくれた。温かい…。すりすりと頬擦りするように俺の頭を抱えている。
「……狛枝、ありがとうな。本当に、ありがとう…っ。俺のために一緒にいてくれて、ありがとう…!!」
「ふふっ、喜んでくれてボクも嬉しいよ。改めて…日向クン、生まれてきてくれてありがとう! あ、蝋燭立てないとね」
「良いって。もう大人なんだし」
涙交じりに笑って、狛枝を見上げる。彼は顔を赤くして、穏やかに微笑んだ。

早速台所から持ってきた包丁でケーキを切り分ける。綺麗な飾り付けを崩してしまって、勿体ない気もするけど、ケーキは見るもんじゃなくて食べるもんだしな。プレートを外して、つぷりと沈めた包丁で二分割にすると、今まで見えなかった内側のスポンジが姿を見せる。緑茶のような上品の色合いのそれに俺はビックリした。
「お! 中のスポンジが緑色だぞ」
「抹茶味なんだって。生クリームにはあずきが入ってるよ。和菓子好きだからって言ったら、こうしてくれたんだ。花村クンだから味はバッチリだよね!」
狛枝は炬燵の正面ではなく、俺の隣にピッタリとくっついている。子供のようにワクワクしているのを見ると、俺よりケーキを楽しみにしてたんじゃないか?とすら思う。取り分けたケーキを皿の上に乗せてやると、「おいしそうだね!」と目を輝かせていた。
「ケーキとは別に、プレゼントも用意してるからね。期待してて」
「! まだあるのか! すごいな、狛枝…。あ、そうだ。プレゼントのお返しって言ったら変だけど、さっきの神社でお守り貰って来たんだ。要るか?」
鞄から取り出した神社の名前が入った包みを見せると、狛枝は「良いの?」と言葉を跳ねさせた。受け取って、上目遣いでこちらを見てくるので、「開けて良いぞ」と掌を向ける。喜んでくれると良いな。反応を楽しみに、狛枝が包みを開けるのを見守っていたが、中のストラップを見た途端、彼は無表情になってしまった。
「狛枝…? もしかして気に入らなかったか?」
「………」
「ごめん。お前ってお守りとか持たない主義なんだっけ。悪かったよ、それ俺が使うから」
「ううん、そうじゃ、ないよ。あの…、ボクもね」
そこで言葉を切った狛枝は、傍らにある自分のコートを引き寄せた。ポケットを探り出てきたのは、俺と同じ神社の包みだ。その包みを逆さまにして、テーブルの上に落ちてきたのは…。
「あれ? それ、俺と同じ…」
「そう、なんだよね。本当に偶然…」
深緑色の幸せ守の付いたケータイストラップだった。何だ、2人して同じ物を貰ってきたのか。ダブったってことか? 先に狛枝に聞いてからにすれば良かったかもしれない。狛枝は2つのストラップをじーっと見ていたが、やがてテーブルに出したそれを俺に差し出してきた。
「?」
「これはボクが貰った方だよ。日向クン、持ってて」
「あ、ああ」
「それで日向クンがくれたのはボクが付ける…。これで良いよね?」
狛枝は片目を瞑って、顔を綻ばせる。ああ、なるほどな。彼のしたいことが分かって、俺も釣られて笑った。すぐにケータイを取り出し、古いストラップを外して、狛枝に貰ったストラップを付けた。うん、良い感じだ。ストラップ穴に悪戦苦闘していた狛枝だったが、向こうもようやく付けられたようだ。
「おそろい、だな」
「日向クンと、おそろい! えへへっ」
幸せそうに破顔する最愛の恋人。来年の今頃もこうして過ごしていられたら、もう何も言うことはないな。ふと隣の狛枝と視線が合う。どちらともなく顔を近付け、俺達は幸せなキスを交わした。

Back 〕  〔 Menu 〕  〔 Next 〕 



04.スーツの話 : 1/7
ピピッピピッと枕元にあるケータイがアラーム音を響かせる。夢の終わりを告げるその音に、ボクはのっそりとベッドから起き上がった。そして薄目のまま、目覚ましの停止操作をする。雨戸を閉めているので、辺りは真っ暗だ。隣に感じる熱い体温を手探りで探し当て、その筋肉質な背中に唇をそっと寄せる。早起きな日向クンより、ボクの方が先に起きるなんて珍しいなぁ。
「ひなた、クン…」
ボクより少し硬めの肌の感触を確かめるように撫でる。だけど日向クンは起きる気配がしない。…仕方ないか。これから好きな時に愛し合えないことが2人とも分かっていたから、昨夜はいつもよりも激しく互いを求め合ったのだ。愛と怠惰と情欲が溢れた冬休み。それはずっとは続いてくれない。
「ああ、今日から学校か」
ボクは1人ごちる。学校にいても、日向クンとは一緒にいられるんだけど。仕事だからラブラブモードは厳禁だ。早く家に帰って、イチャつきたい。ボクは床に落ちていた部屋着に腕を通しながら、そんなことばかり考えていた。


ボクも日向クンも学校の先生だ。2人ともとある中高一貫の私立校で教鞭を奮っている。元々は高校の同級生だったボクらだけど、その時は知り合い程度の付き合いしかなかった。大学時代も顔を合わせることがなかったから、記憶の彼方に忘れ去ってたくらいだ。しかし一昨年になって、日向クンがいる学校にボクが転任してきて、久しぶりに再会した。
先生同士ということもあり、仕事上での関わりは多かった。同期から友達、友達から親友…と付き合いを深くしていって。そして去年の春、ボク達は恋人同士になったのだ。何と告白は日向クンの方からという、とんでもない幸運付き。…人生何があるか分からないよね。
「狛枝、朝メシ出来たぞー」
「ありがとう、今行くよ」
キッチンから日向クンの呼ぶ声が聞こえる。ボクにもちゃんと家があるけど、冬休みの間はずっと日向クンのアパートにいた。だって離れたくなかったし。でもさすがに学校が始まったら、自分の家に帰らないとダメだ。ちょっとガッカリだけど、幸いなことにお互いの家は歩いて5分程度ととても近い。

寝室から顔を出すと、そこにはエプロン姿の日向クンがいた。フライパンを持って、お皿にベーコンエッグを乗せている。そのエプロンの下に見えた、落ち着いたデザインの結び目にボクは見覚えがあった。
「ボクがあげたスーツ! 着てくれたんだね。嬉しいな♪」
「ああ。早く着たくてうずうずしてたんだ。今日は始業式だし、丁度良いだろ?」
「そういえばそうだね。さすがにジャージは着ていけないもんね」
「狛枝ってセンス良いよな。俺1人でスーツ買いに行っても、こんな洒落たの選ばないよ。多分適当なセール品買っちまうだろうし…。本当にありがとな!」
そう言って、日向クンは爽やかな笑みを浮かべる。そしてフライパンをコンロの上に置いて、エプロンを外そうと手を後ろに回した。
「あ! ちょっと待って。まだそのままでいて」
「? 何だよ」
首を傾げる日向クンにボクは近付いていく。ボクが誕生日にプレゼントしたのは、某カジュアルブランドのスーツ一式だ。最初は腕時計と迷ったけど、結局スーツにした。こっそり覗いた彼のクローゼットには、就職活動中に着ていたであろう黒いリクルートスーツしか入ってなかったから。彼の担当教科は体育で普段はラフな格好しかしてないけど、1着くらいしっかりとしたスーツは持っていた方が良いだろうと思ったのだ。
何を告げるでもなく真正面に立ったボクを、日向クンは不思議そうな顔で見ている。クリーム色の飾り気のないエプロンの下に、ボクが見立てたYシャツとネクタイが見えている。
「…狛枝?」
「ふふっ。スーツにエプロンってミスマッチのようで、意外と良いなって思って」
そうなんだ。働いている男というイメージのスーツに、家庭的な雰囲気を纏っているエプロン。ジャージを着ている日向クンも大好きだけど、今の姿も新鮮でグッと来てしまう。ああ、すっごくいい…! ドキドキと胸が高まっているのが自分でも分かる。
「へぇ、そういうもんなのか。俺もお前のスーツ姿好きだけど、エプロンって発想はなかったな。狛枝、今度着てみてくれよ」
「あはっ、ボクなんかで良ければいつでもOKさ」
日向クンはボクの語る魅力を良く分かっていないらしく、自分の姿をキョロキョロと見回している。そして「もうエプロン外していいか?」とボクに聞いてきた。そうだよね。朝で時間もないのに、彼を引き止める訳にはいかない。ずっと見ていたいという願望を抑えて、ボクは日向クンに頷いた。


「お前、家には帰らないでそのまま学校行くんだよな」
「もちろん! そのつもりで着替えも荷物も全部持ってきたんだから」
向かい合って、日向クンが作ってくれた朝ご飯を食べながらそんな会話をする。日向クンが作るご飯はとってもおいしい。花村クンの料理に勝るとも劣らないとボクは本気で思っている。そのことを前に日向クンに告げたら、真っ赤な顔で「バカ…」って言われたっけ。
「一緒に電車乗ってて怪しまれないか?」
「大丈夫でしょ。先生方はボクらの家が近いこと知ってるんだし」
「違うって、生徒の方だよ。何か俺達…、噂になってるらしいぞ」
「…そうなの?」
学校では先生という立場もあるから、他人行儀な会話しかしてないはずなのに変だな。何で噂になってるんだろ。考えても原因が見当たらない。
「何でだろうね。気を付けてるつもりだったんだけど…。視線が合う回数はそう多くないはすだよ」
「だよな。………。もしかして俺って、お前のこと見過ぎか? 今思い出したんだけど、去年の体育祭で不二咲にさ、『日向先生って狛枝先生のことばっか見てるねぇ』って言われたんだ」
「………日向、クン…」
その言葉を聞いて、ボクはトーストを齧ろうとした手を止めてしまった。何でキミはそういうことをボクの前で平然と言うんだ…。当人は自分の発言がボクにどれだけのダメージを与えているのか、知りもしないのだろう。「狛枝?」と能天気にボクに呼び掛けている。
「すまない。俺、何か変なこと言ったか?」
「……ううん。そうじゃなくて、」
ああ、何て言えば良いんだろう。言い淀むボクを心配そうに日向クンが見つめている。
学校にいる時のボクはハッキリ言って、余裕がない。たまに日向クンを校内で見かけた時も、彼の様子をじっくり観察…とまではいかない。視界の端に映ったその姿を目に焼き付けて、1人幸運を噛み締めるくらいだ。だから日向クンがボクを見てくれていたなんて、認識していなかった。しかも生徒に気付かれるほどボクを見ていたらしい。こんな形でそれを知ってしまうなんて…。ショックな反面 言葉が出ないほど嬉しくて、ボクは堪え切れずに下を向いてしまった。
「もしかしてトースト焦げてたか?」
「違うよ…。トーストは大丈夫」
日向クンは見当違いなことを口にしている。ボクが日向クンを無意識に追ってしまうのと同じように、キミもボクを見てくれていたんだね。ああ、もう…! そんな日向クンが好きで好きで堪らない。好き、好き、大好き、愛してる…。やっとのことで気を持ち直し、ボクは顔を上げた。
「…えっと、噂の原因がそれっていうのは、十分にあるよね」
「ああ。俺も見ない努力はするけど…」
「ボクもするよ。努力は、ね」
「そうだな。努力…は、な」
お互いの言わんとしていることを察して、ボクらは同時に吹き出した。大好きな日向クンと一緒の職場にいて、彼を視線で追わないなんて無理だった。それに今日は…。食事を再開させながら、ボクは向かいの日向クンをさり気なく見る。
彼は身長もそこそこあり、運動系だからいつも姿勢が良い。しなやかな筋肉がついた、無駄のない綺麗な体。ボディービルなどの見せる筋肉とは違う、運動で自然と培ったものだ。日向クンの体は同性でも憧れるほど理想的だと思う。そして体がキチンと出来ているからこそ、スーツがとても似合うのだ。
ネクタイを緩めることなくキッチリ締めているのは、高校の時と変わらない。長袖のYシャツだと彼の逞しい腕が見えなくて残念だけど、肌を見せない方がクラシックな雰囲気がより引き立って良い。ボクとは違う厚みのある胸筋がYシャツの下で張っているのが分かってしまって、それが昨夜の情事を思い出させた。暗闇に垣間見た彼の体が脳裏にチラつく。
「………」
ああああっ! 日向クンのスーツ、最高だよ…っ! 何てそそられるんだ。もう、ヤバいね。カッコよ過ぎ…。鼻血が出たら、どうしよう。事前に鼻栓をするべきかな? んー、それはダメか。息が出来なくなっちゃうもんね。あははっ! ………。
「………。やっぱ無理そう…」
彼に聞こえないように独り言を漏らす。…ああ、今日は一段と日向クンへの視線が多くなりそうだ。ボクはそっと溜息を吐いた。

Back 〕  〔 Menu 〕  〔 Next 〕 



05.写真の話 : 1/15
学校が始まって、1週間が経った。4時間目の授業が終わり、俺は職員室へ戻ろうと廊下を歩いていた。冬休みが明けた直後は休みボケで仕事が覚束なかったが、今となっては完全に感覚が戻ってきていて、そつなくこなすことが出来ている。狛枝の方はというと、俺よりも仕事の面では優秀なので心配するようなことは1つもなかった。
1階へと続く階段を軽い足取りで下り、角を曲がる。職員室とは反対側の階段なので、またしばらく廊下を歩く。擦れ違う生徒に声を掛けられながら、進んでいくと前方に知り過ぎた顔が見えた。狛枝だ。
ふわふわと薄い色の髪を遊ばせたスレンダーな体型の彼が、職員室から出てきた。俺と一緒にいる時のだらけた雰囲気を微塵も感じさせないその立ち姿は、恋人の贔屓目を抜きにしてもとてもカッコいい。一挙手一投足、どこを切り取っても絵になる男。それが狛枝だ。仕立ての良い細身のストライプスーツに濃灰色のネクタイを締め、上着の合わせからは深緑色のベストが覗いている。彼のお気に入りの色だ。楕円型の銀縁メガネの奥の涼やかな灰色の瞳が、俺を捉えた瞬間に穏やかに細められた。
「………」
足を止め、うっとりとしてしまうほど、綺麗な微笑みだった。思わず抱き締めて、キスがしたくなる。だけどここは学校で、俺達は男同士。そんなことは出来る訳がなかった。悶々とした思いを携えながら、俺は職員室に向かって歩く。狛枝との距離がどんどん詰まっていく。平常心、平常心…。彼を意識して、誰かに気付かれでもしたらおしまいなのだ。軽く会釈を交わしつつ、擦れ違う…その瞬間のことだった。
「美味しかったよ…」
「っ!?」
心地好い高めの声が耳に響いて、俺は慌てて狛枝の方を振り返る。彼は振り向きすらしなかったが、軽く左手を上げ、ヒラヒラとさせていた。俺は反射的に周囲を見渡す。窓際、廊下の先、職員室の向こう側…。良かった、誰もいない。ドキドキする心臓を、抱えた出欠簿で強く押さえつけて、職員室のドアを開けた。
「ったく、あいつ…」
俺は頭を掻きながら、小さく口の中で呟いた。あんな不意打ちめいた真似してくるなんて、心臓に悪いだろ。俺は自分の席に戻ると、鞄の中から弁当を取り出す。きっとさっきの狛枝の言葉はこれのことだと思う。怠惰で栄養不足が懸念される彼のことを考え、俺が狛枝の分も毎日弁当を作っているのだ。彼は4時間目が空きだったから、もう食べてしまったのだろう。
美味しかった、か。明日は何のおかずを入れようか。あいつのことを考えるだけで楽しい。どんなおかずを入れても、きっと狛枝は嬉しそうにするんだろうな。彼のキラキラとした笑みを思い浮かべて、俺もふっと表情を緩めてしまう。
「………」
あ、ヤバい。真正面にいる職員からの怪訝そうな視線が、俺に突き刺さっている。1人でニヤついてるとか、ただの変な奴だ。適当に誤魔化せば大丈夫だろうか。俺は喉を押さえて、わざとらしく咳払いをするのだった。


「あの…、お昼休みに申し訳ございません。日向先生、よろしいですか?」
「? ああ、ソニア先生。大丈夫ですよ」
弁当を食べ終わって寛いでいると、同僚であるソニアから声を掛けられた。ソニアは非常勤の英会話講師としてこの学校に勤めている。その華やかなルックスと誰にでも分け隔てなく接する気持ちの良い性格から、生徒達に絶大な人気を誇っていた。今は特に何をしている訳でもなかった俺は、ソニアに「どうしたんですか?」と返事を返した。
「校長先生の家で行われた新年会の写真が出来たんです」
「ああ、あの時の…」
新年は校長の家に挨拶に行くのが恒例になっている。冬休みが終わる直前の金曜日に、校長宅に訪ねて行ったのを思い出した。ほとんどの職員がこの日に挨拶しに訪問する。大体昼に重ならない時間帯に訪ねて、話をしつつ酒を1杯飲み交わして、迷惑にならない内にお暇する。そういえばソニアは写真係だったな。どうやらその時の写真が出来たらしい。
「その写真を職員用のイントラネットに掲載しようとしたのですが、アップロードの時にエラーになってしまって…。日向先生、どうやったらアップ出来るか分かりますか?」
しょんぼりと眉を下げたソニアは溜息混じりにそう告げた。
「ちょっと見せてもらえますか?」
「はい!」
俺は席を立って、ソニアの机に近付く。開かれたデスクトップのパソコンには、フォルダが開かれ、撮られたであろう写真のアイコンがずらりと並んでいた。楽しそうに酒を飲みながら、談笑している職員達の顔が並んでいる。その1枚をプレビューで見てみる。端の方に赤い顔の狛枝が日本酒の入ったコップを持って、ぼんやりとしているのが写っていた。
人見知りな狛枝は学校の集まりに顔を出すものの、いつも1時間もしない内にさっさと帰っていた。だけど今年は違った。焼酎にハマり始めた影響もあり、周囲から勧められるがままに酒を飲んでいたらしい。俺が来た頃には既に出来上がっていたのだ。
「狛枝先生はいつもと違って、楽しそうでしたね」
「…そ、そうでしたっけ?」
「あっ! 見て下さい、この写真。眠ってますよ!」
ソニアは声を弾ませながら、モニタの写真を指差す。俺の肩にぐったりと頭を預けて、寝ている狛枝の写真だ。…何だ、この可愛い生き物。俺の胸がトクンと音を立てる。無防備な寝顔は幼い子供のようだった。乱れた薄い色の髪が顔に纏わりついて、口の端に引っ掛かっている。透き通るような白い肌とほんのりと赤い頬のコントラストが鮮やかで、何とも言えず色っぽかった。
「…この写真、載せるんですか?」
「モチのロンです! 載せない理由がありません」
「……こんなこと言いたくないんですが、あいつ…これ他の人に見られたくないと思いますよ」
というか、俺が見せたくないんだが。だってこんなのを職員の掲示板に載せたら…、あいつのファンが増えてしまう。俺の恋人を狙うような輩が増えるのは何としてでも避けたい。
「そう、なんですか…。うーん、仲の良い日向先生が言うのでしたら、そうなんでしょうね。…仕方ありません。これは載せないでおきましょう」
カチカチとマウスを操作して、ソニアは別のフォルダにその写真を移した。するとプレビューには次の写真が表示される。
「あ、これもすっごく良いですね! 我ながらナイスアングルです!」
「………」
きゃっきゃとソニアは楽しそうだ。反対に俺は言葉が出てこなくなる。これは…さっきの写真よりヤバい。俺はズグンと下半身に大量の血液が集まってくるのを感じた。
2枚目に出てきたのは先ほどと同じシーンの写真だった。だけどカメラの位置が引いているのか、肩口だけしか写ってなかった俺もしっかりとフレーム内に収まっている。端的に言えば、俺と狛枝のツーショット写真だ。2人のポーズはさっきとほとんど変わらない。ただ困ったように狛枝に視線を落としている俺が、彼の隣に写っていた。俺の顔は少し赤いようだ。これは酒の所為じゃない。俺は酒を飲んでも顔が赤くならない体質だから。何故赤いのかというと、まぁ隣にいる人物の影響だろうと思う。
微妙にだが、狛枝の表情も違った。周囲の喧騒に目を覚ましたらしい。眉を僅かに歪め、薄く開いた清澄な瞳がカメラを真っ直ぐに捉えている。この表情に俺は見覚えがあった。

『あっ、ひなたクン……そこ、んんッ、もっと…、んっあ、あ、』
『…狛枝。……ここ、か?』
『そう、そこ…。ん……ッ、きもちぃ…日向クン、はぁ、いいよ…!』

俺を求める時の彼の蕩けた赤い顔。劣情に塗れた朧げな光を宿す瞳。涎で濡れた桜色の唇。狛枝と交わした情事の光景が頭に降ってくる。パソコンのモニタ越しに、狛枝と視線が合っている。…逃げられない。目を逸らしてしまいたいのに、俺の体はピクリとも動いてくれなかった。
「…日向先生? どうかされましたか?」
不思議そうなソニアの声に、俺はハッと意識を取り戻す。ああ、この写真もアウトだ…。
「ごめん、ソニア先生。これも…」
「うふふっ、だと思いました。いつものクールな狛枝先生と全然違いますものね。この写真は掲示板には載せないで、後で日向先生と狛枝先生にだけお送りしておきます」
「ありがとう、ソニア先生」
ソニアはニッコリと笑って、「苦しゅうないです」と告げる。俺はたくさんのアイコンの中から狛枝の白を浚っていったが、他は集合写真ばかりで問題はないようだった。ファイルが大き過ぎて、アップロードが出来なかったらしく、ソニアに数回に分けてアップをするようにと言って、俺は席に戻った。5時間目まではまだ少しだけ時間がある。掛けてある時計を横目に確認しつつ、俺は職員室を出た。例え写真の中でも、狛枝は厭らしい。今日分かったことはそれだ。証拠は今の俺の体。ゆったりとしたジャージを着ていて良かったと改めて思う。体内に生まれた熱を逃がすために、俺は人気のないトイレを目指した。

Back 〕  〔 Menu 〕  〔 Next 〕