// Mirai //

67.頬の話 : 12/24
今日も朝から肌寒い。灰色の雲が重く垂れ込み、空の色は鬱蒼としている。しとしとと細い雨が降っていた。

「日向先生、まだ帰らないんですか?」
職員室に入ってきた女性職員に驚きの混じった声でそう言われて、俺は「ええ、まぁ」と適当に返事をする。弾んだような足取りで彼女は俺の対面のデスクに座る。そして散らばっていた資料をさっと片付けると「お先に失礼しまぁす」と職員室を出て行った。俺の言う「お疲れ様です」なんて聞いちゃいない。そういえばこの間結婚したばかりで、初めて夫婦でイブの夜を迎えるのだと嬉しそうに話してたっけか。
俺は一息ついて、グッと伸びをした。時計は午後7時を回っている。テストが終わった直後で他のことが処理出来ていなかった。担任をしているクラスの雑務以外にも、顧問をしている部活のメニューや大会スケジュールなんかも組まなければならない。効率良く仕事を終わらせられなかった俺の自業自得なのだが…。
「狛枝、待ってるかな…」
誰もいない職員室でポツリと呟き、目の前に散らばる紙の束を眺める。早く狛枝会いたい…。昼休みに見た狛枝からのメールの文章が頭から離れない。

『公園で待ってるよ』

「…帰ろう」
別に今やらなくても大丈夫な仕事ばかりだし、無理して終わらせる必要もない。昨日は会えなかったんだ、だから今日ぐらい会いたい。そう言い訳をしつつ、帰り支度をしようと俺は席を立つ。ふと、窓の外を見た。チラチラと白い物がゆっくりと落ちてくる。最初は目の錯覚だと思った。窓ガラスに貼りついては儚く消えるそれ。朝見た天気予報は、どうやら外れたようだった。


……
………

白く細かい雪は積もることなく、地面に吸いこまれるように色を無くす。静寂に包まれた寒い道のりを、俺は公園に向かって走った。夏に狛枝と一緒に花火をやった公園。俺の家からも狛枝の家からも近いそこは、自然と俺達の待ち合わせ場所になっていた。凍えた手に缶コーヒーの熱が伝わって、ジンジンと痺れる。
公園に足を踏み入れると、男が1人ぽつんと立っている。彼の肩は水滴がつき、街灯に反射してキラリと光った。
「日向クン…! 遅いよ」
鼻の頭を赤くした狛枝が顔を上げ、軽く睨んだ。でもすぐに微笑んで、俺に抱き着いてくる。いつもなら人目を気にして押し返す所だったけど、今日は待たせてしまった負い目もあって、俺は狛枝を優しく抱きとめた。…ああ、コートがひんやりと冷たい。これじゃ体も冷え切っているのだろう。
「狛枝。…ごめんな」
「何ボケッとしてるのかな? 早くあっためてよ…」
クスリと笑って、気まぐれな猫のように擦り寄ってくる狛枝。抱き締める腕に自然と力が入る。上目遣いに見つめてくる狛枝の顎を指先でくいっと上げると、予想していなかったのか小さく「えっ」と呟いた。何だよ、「あっためて」って言ったのはお前だろ?
「ひ、ひなたクン…っ? んんぅ、ぁ…、ん…っ!」
狛枝のカサついた唇に俺のそれをピタリと合わせた。ビクリと一瞬体が跳ねたが、大人しく俺に身を預けてキスに応えてくれる。いつも以上に甘く感じてしまう。唇を離すと、とろんとした表情の彼と目が合った。少し涙目になって色っぽいその様子に、体中がゾクゾクと鳥肌を立てる。狛枝はカーッと耳まで赤くして、唾液で濡れた唇をきゅっと結ぶ。居心地悪そうに俺から視線を逸らして、巻いていたマフラーで唇を隠してしまった。
「………。日向クン…っ、いきなり、なんて……反則」
ほら、温まっただろう? 狛枝の色付いた頬をそっと撫でると、ほんのりとした熱が俺の冷たい指に伝わった。

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68.料理の話 : 12/24
正直、驚いた。
狛枝は頭が良い。そして本人は『それほどでもないよ』と笑うものの手先も器用だ。慣れないことでも数回やってコツさえ掴めば大抵何でも出来る。しかしバレンタインのチョコレートを見ると、料理はその限りではないらしい。料理をし始めて半年ほど経つが、味噌汁や和え物やらの基本的なメニューならまだしも、包丁を使って魚を裁いたり、工程が多く手の込んだ料理はまだ不得手のようだった。だから『クリスマスはボクがキミを持て成すよ』と言った時も、あまり期待しないでおこうとひっそりと思っていたのだ。
だから…正直、驚いた。


「これ……全部、狛枝が作った…のか?」
「うん、そうだよ」
緑色のステッチが入ったブルーグレーのエプロン―――料理を作ってくれた礼にと俺が狛枝にプレゼントした―――の結び目を解きながら、狛枝はさらりと答えた。目の前に並べられた料理をまじまじと見て、俺はその言葉の意味に頭を抱える。どう考えても、『そうだよ』で済まされるレベルではないのだ。
まず最初に目に留まったのは本格的なローストビーフだ。内側から外側へと焼き色がついて、ジューシーな肉汁が白い皿にじわりと浮かんでいた。黒コショウとにんにくの香ばしい香りですごく食欲がそそられる。新鮮なレタスとプチトマトが添えられてて彩り的にも満点の出来だ。そして副菜にはポテトとブロッコリーのサラダ。深めの皿にクリスマスツリーを模して木のようにブロッコリーが積まれ、てっぺんには星形の人参がある。何かすごくクリスマスっぽいぞ! クラムチャウダースープからはほこほこと白い湯気が立ち上り、これまた俺の胃が早く食べたいとぐぅと音を鳴らした。
「すごいぞ……! お前いつの間に…、こんなに料理出来るようになったんだ!?」
「あはっ! 大袈裟だなぁ、日向クンは。大したことないよこんなの」
「いや、かなり大したことあるぞこれは!!」
本当にこれはすごい。涎が出てくるのを抑えながら席に着くと、狛枝は両手で胸の前で振って、否定のジェスチャーをしてみせる。
「うーん…。あのね、手が掛かっているようで実はそれほどでもないんだ。下準備は連休の内に済ませてたから、仕上げは5分とか10分とかで済むものばっかりだよ」
「そういうもんだとしても、俺から見たら御膳上等のご馳走だよ。ありがとう、狛枝」
「ふふ、どういたしまして。キミに喜んでもらえて嬉しいな。頑張った甲斐があったよ」
「……やっぱりお前ってすごいな」
「待たせちゃったけど乾杯しようか。ごめん、お酒にまで頭が回らなかったから安物のスパークリングワインだけど…」
そう言って向かいの椅子に腰掛けた狛枝は、俺のグラスにトクトクとワインを注いでくれた。俺も狛枝のグラスに同じように注ぐ。そして互いのグラスをカチンと合わせて乾杯。定番だけどやっぱり良いよな。恋人と自宅で温かい料理を食べながらのささやかなクリスマスパーティー。狛枝が作ってくれた料理はどれも胃に染み渡る美味なものばかりで、俺は感動に泣きそうになりながら次から次へと夢中で頬張った。


……
………

「ご馳走様。本当に美味しかったよ、狛枝…。もう、最高だ…!!」
全ての料理を平らげて、満腹感に幸せな溜息を漏らすと、狛枝はニコニコしながら椅子からスッと立ち上がる。そして冷蔵庫の方へと行き、屈むようにしてチルドを覗き込んだ。そして調理場で取り出した皿に何かをしている。俺は彼の背中に向かって、「…狛枝?」と呼び掛けた。すると後ろを向いたままの狛枝からとんでもない答えが返ってきた。
「日向クン、まだ終わりじゃないよ。デザートもあるからね!」
「何…だと…!?」
この豪華な料理の他にデザートまであるのか!? 俺は目を点にしていると、彼は大皿に乗ったリング状の大きなデザートを持ってきた。ケーキ、じゃないみたいだ…。ぷるぷると振動で震えるそれに俺は何なのだろうと見当を付けようとする。…ゼリー? それともプリン…か? 真ん中の穴にはイチゴやラズベリー、ブルーベリーがたくさん詰まってて、周囲は生クリームで綺麗に縁取られている。柊の葉と"Merry Christmas"のゴールドピックが刺さっていて、サンタの顔の板チョコまで飾られていた。色は淡萌黄…。ってことは抹茶味、か? コトリと皿がテーブルに置かれる。未だに何なのか分かっていない俺に狛枝は「抹茶のパンナコッタだよ」と教えてくれた。
「えーっと、パンナコッタって…何だっけ?」
「牛乳と生クリームをゼラチンで固めたデザートだよ。プリンと似てるけど、こっちは卵を使ってないんだ」
「へ、へぇ…」
「実はこれ、味見をしてなくて…。だからちょっとお口に合うかどうか分からないだよね」
狛枝は口をへの字にしながら、デザートナイフでパンナコッタを切り分けてくれた。何だかビックリし過ぎて何にも言えないぞ。大真面目な顔の狛枝はふるふると腕を振るわせて、そーっとパンナコッタを取り分けてくれる。俺と同じで日々仕事に追われているのに、クリスマスのためにこんなに頑張ってくれただなんて…。改めて俺にはこいつしかいない…。そう思った。
本当は今すぐにでも狛枝にプロポーズの返事を聞きたい。だけどまだ"あれ"を用意出来てないんだよな…。年末のギリギリの日に"あれ"は出来上がることになっている。クリスマスには、間に合わなかった。どうして俺って、もっとスマートに物事の段取りを組めないんだろうか? 自分の不甲斐なさに情けなくなるし腹も立ってくる。
「日向クン…、もしかして美味しくなかった?」
パンナコッタを掬おうとしたスプーンを無意識に皿に置いてしまっていたようだ。しょんぼりと眉を下げた狛枝に寂しそうに言われて、俺は慌てて首を大きく振る。何をしているんだっ、俺は! こんなに健気で可愛らしい恋人を傷付けてしまうなんて!
「違う違う! 何というかその…食べるのが勿体ないって思ったんだ」
「見た目も重要ではあるけど、料理は食べてもらって初めて価値が出るとボクは思うんだ。だから、お願い…。日向クン、…食べて?」
誤魔化そうとしたのを正論で返されてしまった。ぐうの音も出ないとはこのことか。もっと気の利いたことを瞬時に言えれば良いのにと反省しながら、俺はパンナコッタを一口食べた。牛乳の味をした弾力のある食感とひんやりとした冷たさ、そして洋風な見た目とは裏腹に馴染みのある甘苦さが口いっぱいに広がる。美味しい…。でもただ美味しいって言うのも芸がないよな? このパンナコッタの特徴を褒めるような良い感じの言葉を言いたい。しかし俺が発したコメントは何とも間抜けなものだった。
「……すごく、抹茶だな…!」
「うん。実に日向クンらしい感想だね! ありがとう!」
「っ! す、すまない…。美味しいんだ、すごく…。何というか…思ったより割と、抹茶だったから…」
「ボクはね…、別にキミにそこまでの感想を求めてる訳じゃないよ」
クスっと小馬鹿にしたような笑いを浮かべる狛枝に俺は少しモヤモヤした。確かに俺は口が回る方じゃないけど、そこまで言うのはあんまりじゃないか? しかし反論するよりも先に狛枝は「それは違うよ…」と緩やかに首を振る。
「……ん? 意味が分からないぞ? 何が違うんだよ」
「ごめんね、そういう意味で言ったんじゃないんだ。…言葉よりも先に、キミは料理の感想をボクに伝えてくれてたんだよ」
俺が首を傾げていると、狛枝は人差し指でトントンと自分の頬を突っついた。
「日向クンの顔にね…、書いてあった。おいしいって…。幸せそうに緩む顔がさ、口に出るより先にそう言ってたんだ」
「あ……っ」
「その顔を見れて、何だか胸がいっぱいだよ。誰かのために作る料理って、良いものだね!」
「狛枝…」
「美味しく食べてくれて本当にありがとう、日向クン。すごく自信になったよ。また作って食べさせてあげたいな、キミに…」
うっとりと俺を見つめて、狛枝はそんなことを言う。どうやら気付かない内に、俺の知らない彼が新たに顔を出したようだ。調理を前にしてうんうんと難しい顔で唸っていたあの頃の彼はもういない。信じられないくらい、どんどんと魅力的になっていく恋人。俺は一体何度彼に惚れ直しているんだろうか? 想いが留まることを知らないのだ。狛枝を好きというゲージの上限はとうに振り切っていて、限界など存在してないが如く青天井。


静かな2人だけのイブの夜、甘い甘い時間の中で…俺は狛枝に心臓を一突きにされた。

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69.返事の話 : 12/24
「日向クン、はい! 残りのお皿だよ」
「…ああ、そこ置いといてくれるか?」
示されたシンクの右端に食器をカチャンと置くと、「サンキュー」と日向クンはニッと笑った。冬も寒さが増す中、冷たい水に手を浸すのはしんどいだろう。だけどボクが手伝おうとすると、彼は『お前に皿洗いなんて任せたら、皿がいくつあっても足りない』なんて言って、お皿を引っ込めようとするのだ。確かにボクはお皿を良く割るけどさ…。その度にちょっとくらい任せてくれても良いのに…って不貞腐れちゃうよ!
スポンジでサクサクお皿を洗っていく日向クンの背中を見ながら思う。プロポーズの返事はもうボクの中で決まっている。早く『YES』と返事をしたくてウズウズしているくらいだ。彼は年末にまた聞くって言ってたけど、一体いつなんだい!? もう今って年末だよね? んぅううう…、ボクから『結婚して下さい』って言ったらダメかな? 逆プロポーズになるのかな? でもボクも男だし…。
「狛枝! 皿洗い終わったぞ。…ん? どうした?」
「ううん、何でもないよ」
ボクから日向クンにプロポーズか。そういえば今まで考えたことなかったな。言ってしまおうかと一瞬考えたけど、男としてのプライドを保ちたいと日向クンは思ってるだろうし、ここは彼の顔を立てるべきだ。でも少しくらい妄想しても良いよね?

そうだなぁ、月だけが見守る静かな夜に日向クンを外に呼び出すんだ。人気がなくて、夜景が綺麗な場所が良いな。『何だよ、いきなり…。外で話か?』って苦笑いをする彼の手をぎゅって握り締める。どうしよう? 自分は口の回る方だと思ってたけど、気の利いたセリフってこういう時パッと出てこないね。困ったな…。不思議そうに首を傾げている彼とどう伝えたら良いか分からず口籠るボク。緊張で唇が震える。
『狛枝…?』
『ボクは…、キミを…キミの中に眠る希望を心から愛して』

「おーい、狛枝! 何してるんだ? お前が見たがってた特集始まったぞ!」
「えっ? い、今行くよっ」
一世一代の告白のために用意されたロマンチックな幻想は、辛くも愛しい恋人の声で打ち破られてしまった。


……
………

炬燵に入ってぬくぬくと過ごしながら、ボクはうつらうつら日向クンへのプロポーズの妄想を脳裏で展開させる。

やっぱり外は寒いから室内が良いかな? ゲストハウスを貸し切って、落ち着いた雰囲気の中で2人きりで食事をする。楽しく日向クンと話をしながら前菜、メインディッシュ、スープと順に食べていって、食後のデザートが運ばれる時にフッと照明が落とされるんだ。日向クンが血相を変えて、『!? 狛枝ぁ、た、大変だっ! 停電だぞ! 急いでテーブルの下に!』とか言い出す前にパッと照明が明るくなる。ぽかんとする彼にボクはキザったらしく囁くんだ。
『日向クン…、ボクと結婚…してくれるよね?』
『っ…、狛枝…?』
テーブルに乗った丸いケーキの上に乗った銀色のリング。それを見た日向クンが目を見開いてそして…、

「おい、狛枝! 炬燵で寝るなって何回言ったら分かるんだ!?」
「んぁあ…?」
顔を上げると頬がやたらとベタベタしていた。頬をくっつけていたテーブルには透明な染みがついている。んぅ…? これって涎? …ボクいつの間に寝てたの? ぼんやりしていると日向クンが「仕方ない奴だな、お前は…」と呆れ顔で傍に膝を突いた。お湯で湿らせたタオルでボクの顔をぐいぐいと拭いてくれる。
「ほら、目…覚めたか? 風呂湧いてるから入って来いよ」
「…ねぇ、日向クン」
「何だ? 狛枝…。まだ寝惚けてるのか?」
ボクは首を振って、彼の持っているタオルを取った。タオルを畳んでテーブルの上に置き、彼の左手を両手で包む。ボクと大きさはそんなに変わらないけど、ゴツゴツと骨ばっていて男らしい手だ。無言でボクが手を撫でているのを見て、日向クンは何かを言いかけたけどすぐに口を閉じる。彼は何も言わずボクの好きにさせてくれた。
幸せな時も不安な時も楽しい時も辛い時も、ボクは彼と一緒にいた。ずっと、ずぅっとだ。この手がボクの頭を撫でて安心させたんだ。この手がボクの両頬を包み込んで温めたんだ。この手がボクの体を愛しげに触れて心地好くしたんだ。ボクの大事な…日向クンの手。キミがしてくれたようにボクも変わらぬ愛を誓いたい。左手の薬指をつっと撫でると、「狛枝…っ?」と日向クンの声が慌てたように裏返った。
「聞かれてないけど、…返事をしても良いかい?」
「……っ、お、おい…、狛枝…!」
「あの時ボクがすぐに返事をしていれば良かったんだけどね…。待たせてごめん」
「………」
返事だけでも緊張するね。日向クンはじっとボクの瞳を見つめている。太陽のように明るくて綺麗なそれはどこまでも真っ直ぐで、ずっと見ていたいと思う。ああ、好きだよ…キミが。どうして彼から聞いてくるのを待ってしまったんだろう。ボクはバカだ…。ボクは自分の意思で彼を好きになったのに。爆発してしまいそうなこの想いをキミに伝えたい。どんなにキミを愛しているか、どんなに本気でキミに惚れているか…。ボクはキミに示さなければならないんだ。
「ボクは…、キミと結婚したい…です。ずっとずっと離れずに、年を取っても…今みたいに日向クンと過ごしたい」
「……狛枝」
「キミとならボクは必ず幸せになれるし、誰でもない…ボクがキミを幸せにしたいって思ってる」
キミにボクが1番愛されてるから、ボクがキミを1番愛してるから。今までの時間がそれをボクに教えてくれたんだ。これがボクの答えだよ、日向クン。ボクが返事を言い終わると、彼の顔が見る見る内に泣きそうに歪んだ。分かってたのに…。キミがそういう表情をするって分かっていたのに。実際にその顔を目の当たりにすると、胸がぎゅっと締め付けられてしまう。
「狛枝…、受け入れてくれて、ありがとう…!」
「それはこっちのセリフだよ。良くこんな面倒で訳の分からない人間にプロポーズしようって思ったね!」
「〜〜〜っ、お前が言うな! …ったく、自分を卑下するようなことは言うなって、あれほど言っただろ?」
「ええ? もう分かってるでしょ? 別に本気じゃないよ」
「………。そうだとしても、俺の好きな奴を酷く言われるのは、やっぱり嫌だ…!」
日向クンはボクの頬を撫でながら優しく言い聞かせる。いつでもキミはボクの欲しい言葉をくれるんだね。たまにキミはボクの心を読んでるんじゃないか?って錯覚する時もあるよ。じんわり染み込む優しい言葉に顔に熱が集まってくる。どうしよう、泣きそうだ…。
「……っねぇ、日向クン」
「何だ?」
「手…カサカサだね」
「…そうか? 悪い。痛かったか?」
「ううん、平気。ごめんね! ボクの代わりにいつもお皿洗いしてるからだよね」
「別に大したことじゃないし、気にするなよ」
「あ、ちょっと待ってて! 今ハンドクリームつけてあげる」
そう言ってボクは彼の前から離れることに成功した。いつからこんなに涙脆くなっちゃったんだろうね? 昔は辛いことがたくさんあっても泣かなかったのに…。人は幸せでも泣くということを彼に出逢ってからボクは知った。
ボクは洗面所の下にある開きから愛用のハンドクリームを取り出した。男のクセに情けないけど、肌が弱いのでスキンケアアイテムは色々と持っている。罪木さんや小泉さんにおススメされた蜂蜜が入ったハンドクリームだ。他にもローヤルゼリーとかくるみのエキスが入っていて、1回付けるだけで肌が芯まで潤ってくれる。
日向クンの元に戻り、パチンとチューブの蓋を開いて、適量を掌に出す。ボクが彼の手を取って塗ろうとすると、何だか怪訝そうな顔で横目にパッケージのイラストを見ていた。蜂蜜の壺に小鳥が集まっていて、更に花と青りんごも描かれている。うん、キミの言いたいことは分かるよ。
「何か…すごく甘い匂いがするんだけど。これ、俺がつけるのか?」
「んぅ? こういう匂いは嫌いかな?」
「別に嫌な系統じゃないけど、……女みたいな匂いだぞ」
「大丈夫。付けてみるとそこまで匂わないから安心して。すごくしっとりして良いんだよ、これ」
「……そう、なのか?」
納得してくれたのか、日向クンは大人しくボクに手を預けてくれた。スッと肌にクリームを伸ばして香りがパッと広がる。するとボクの言ったことが漸く伝わったらしく、彼は納得したように自分の手を見て「悪くないな」と1人ごちた。
「手が綺麗な男の人はモテるよ? 日向クン」
「俺はお前以外にモテたくない」
ああ、もう本当に! 無意識で言ってるのかな、キミはっ。何でもないような顔でボクの心を揺るがす言弾を放つなんて反則だ。素直にもう片方の手を差し出してくる日向クンに、ボクはじりじりと胸焼けを起こしかける。
「…いつも狛枝の手って良い匂いするけど、この匂いだったんだな」
「ふふっ、気に入ったのならいつでも貸してあげるよ!」
「狛枝の手から香ってるのが好きなんだ。でもたまにこうしてお前に付けてもらうのも良いな」
そう言って、彼は目を閉じてすんすんと空間に漂うハンドクリームの香りを楽しんでいた。ボクの手の中にある日向クンの男らしいがっしりとした手。この先の一生を過ごす最愛の人の手だ。キミの手に皺が刻まれて、衰えていっても…ボクがずっと隣にいて、握ってあげるから。


それがボクの未来にある"幸せ"です。

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70.聖夜の話 : 12/25
「日向クン…、先に行っててくれるかな?」
バスタオルでガシガシと乱暴に体を拭いていると、一緒に風呂に入っていた恋人にそう告げられた。俺と違って狛枝は髪が長めだから、ドライヤーで乾かす時はいつも俺が先に行く。なので今回も特に気にすることもなく、「分かった」と言って洗面所を出た。寝間着は着ず、裸のまま俺は寝室のベッドに入って彼を待つことにする。以前、狛枝のアパートに泊まった時は2人分のバスローブを用意してくれたが、俺の家にはそんな洒落た物はない。どうせすぐに脱いでしまうから着る必要がないと思ってるのは、少々短絡的だろうか?
クリスマス・イブの夜だ。恋人同士が1つ屋根の下にいるとしたら、することはその…決まってる、よな? 小泉辺りは『男ってすぐそっち方面に行くんだからっ』と顔を真っ赤にして怒りそうだけど、大事なことだと思うぞ。恋人と愛を確かめ合うって。愛の言葉を囁いて、生まれたままの姿で相手に全てを曝け出して、体の底から気持ち良くなるんだ。
「ごめんね、日向クン。待たせた…かな?」
「狛枝。どうしたんだよ、バスタオルなんか被って」
「ん? っ……、ちょっと、ね?」
キィと寝室のドアを開けて入ってきた狛枝は頭からすっぽりとタオルを被っていた。俺みたいに素っ裸で室内を移動するのは恥ずかしいといつもは腰にタオルを巻いているのだが、今日はまるで体を隠すように白い布で全身を覆っている。
「もしかして寒いのか?」
日中からかなり冷え込む季節だ。風邪を引いてもおかしくない。それを心配して声を掛けたが、狛枝はふるふると首を振って否定した。何だろう? 俺は思わず布団から起き上がって彼の方を見る。バスタオルを被ったまま狛枝はいそいそとベッドに上り、上気した顔で「えへへ…」とはにかんだ。小首を傾げて俺を見つめる姿は、まるで雪ん子のように愛らしい。
「あのね…、今日は、イブ…だから。その…頑張ろうかな、って」
「? 狛枝…?」
彼が何を言っているのか分からない。しかしその疑問もすぐに狛枝から回答を示される。俺に向けられていたネフライトの瞳が伏し目がちになり、体を覆うバスタオルがするりするりと落ちていく。そこから現れたのは、真っ白な雪のように美しい玉の肌…だけではなかった。
「っ!!? お前…その格好…っ!」
「…〜〜〜ッ、流石に…コスプレは、ハードル高くて…。でもこのくらいなら」
顔を赤くしたまま、蚊の鳴くような声でぼそぼそ呟く狛枝。彼の首元には赤いリボンが蝶々結びにされていた。金色のラインが両側に入り、緑色の糸で"Merry X'mas!!"と刺繍がされている。中央の結び目には金色の小さなベルが付いていた。更に手には忘年会の時に俺に被せていたサンタ帽を持っている。ってことは、これも被ってくれるって意味だよな!?
「………」
「ごめん、やっぱり…引くよね。あはっ…やっぱり外そう、こんなの」
「待てっ! 外すなよ。…俺はこのままが良い」
「日向クン…?」
リボンを解こうとした狛枝の手を咄嗟に掴んで止める。彼はビックリしたように長い睫毛をパチパチと瞬かせた。だって、可愛いじゃないか…。クリスマスリボンを付けた狛枝自体も可愛いけど、何よりも…俺が喜ぶことだけを一生懸命考えて、そうしてくれたいじらしさが堪らなく可愛いと思う。俺のためにリボン付けてくれたんだよな? ああ、何て健気な恋人なんだろう。
俺は狛枝の手にあるサンタ帽を取って、彼の頭に被せた。ふわふわと手触りの良い淡い色の髪に赤いベルベットのコントラスト。頭が隠れてしまうのは少し勿体なかったが、目の前に現れた可憐なサンタに俺の心臓はドキドキと煩くビートを刻む。「あっ…」と呟いた狛枝はサンタ帽を気にして、手で自分の頭を触っていた。首のクリスマスリボンに赤いサンタ帽。俺だけのサンタだ。
「もっと良く…見せてくれないか?」
「日向クン…もう、嫌だよ…」
「何でだよ、見せろって」
「……だって、恥ずかしいもん。キミに見せたらすぐに外すつもりだったんだ」
「っダメだ。そんなことする必要ないだろ? 今晩はずっとこれ付けてろよ」
狛枝は「んぅううう〜…」と悩ましげな唸り声をあげる。頼む、まだまだこの姿を見ていたいんだ! そんな思いを込めて、俺は彼に必死に熱視線を送った。唇をきゅっと噛んで、その視線から逃れようとする狛枝だったが、ややあって小さく頷いてくれた。


「や……っ、ふ、んぁ……、そこ、ひな…っ、あぁッ」
胸の飾りをちょんと舌で突っついてから、わざと音を立てて吸ってやる。すると狛枝は嫌々をするように顔を振り乱して、吐息交じりの色っぽい喘ぎ声を零した。首に付いているベルがチリ…チリン…と小さな音を奏でている。サンタ帽の先の白いポンポンも彼に合わせてシーツをころころと転がった。そろそろ準備するか…。俺は狛枝の後孔に手で温めたローションを垂らして、指を1本ずつ侵入させる。ビクリと体が跳ねて、ベルがさっきよりも大きな音で鳴った。
「あぅ…! あ…ふぅ、ふぅう…んん…っんぅ〜…、」
「指、増やすからな…」
「はぁはぁ…、アッ……あ、あ、日向ク…、ひ…あふぅっ」
解す必要はないかもしれないと思えるほど狛枝の中は柔らかかった。しっとりと濡れて、内壁が指に絡みついてくる。すぐに3本目まで飲み込んで、もっともっとと強請るように入口をひくつかせていた。きゅうきゅうと程良く指を締め上げてくる気持ち良さに俺は「はぁ…」と歓喜の溜息を漏らす。淫らで性に貪欲な体が、俺だけを求めて欲しがっているんだ。バラバラに指を動かすと、尻はその刺激にビクビクと痙攣する。
「も、…ひなぁ、クゥン……ふぁ、そこじゃな、ん…奥ぅ…」
「分かってる。ここ、…だろ?」
「!! あッあ、アっ…、だ、め……ンっあ…んんっ、……っ」
1番感じるポイントを指で押してやると、狛枝の手は耐えるようにシーツを握った。彼の本能もふるふると震えて、先端からツ…と透明な液を滴らせている。ぐちゅりと後ろから卑猥な水音が響き、狛枝が息も絶え絶えに「ひなた、クン…」と俺の名を呼ぶ。薄らと開いた灰色の瞳には涙が滲んでいて、もう限界のようだった。俺の物も腹まで反り返っていて、かなり苦しい。温かく狭い狛枝の中に入って、早く気持ち良くなりたいとさっきから煩いのだ。
「俺も…、もうダメだ…。狛枝、挿れるぞ?」
「……あはぁ…うん、ぁ、来て…っ、日向、クン…あぁ、ひなたクゥン…!」
俺がずるりと指を引き抜くと、狛枝はゆっくりと足を開いた。奥に控えているピンク色の窄まりは慎ましやかながらも淫猥に俺を誘っている。俺は息子の先端をそこにピタリと当てて、慎重に腰を進めていった。
「んぅううッ! あ、日向クンの…、んふ…、んー……あぁ、ふ、うぅ…」
「ああ、お前の中…、いいよ。…はぁっはー…、もう、少し…!」
ギチギチと狛枝の穴が俺ので拡げられているのを見ると、痛いんじゃないかと心配してしまうが、当の本人は蕩けたような顔で口の端から涎を垂らして、気持ち良さそうにそれに感じ入っている。根元まで収めてから「入ったぞ」と狛枝に告げると、彼は結合部を見下げてから力なく…しかしながら満足そうに微笑んだ。
「ひなぁクンの……あつい、ね。んぅ…動いても、いい…よ?」
「…ゆっくりか? それとも激しく?」
「……っん…はげしいのが、いいな。あはっ、奥…いっぱい……突いて、ね?」
「ああ…!」
激しくしてほしいなんて随分と積極的だ。それが彼の望みなら俺が叶えてやるまで。男にしては細い腰を掴んで俺は力を込めて狛枝の最奥を突く。
「んぁ、ああっ……! ひ、ん…ッ……あ、あぁあッ…」
狛枝が体を揺らす度に首元のベルがチリンチリンと鳴る。行為の激しさに比例するかのごとく、音は段々と大きく引っ切りなしになっていった。指で触ったザラザラとした箇所に先端を擦りつける。これがもう抗うことが出来ないくらいの快感で、俺は狂ったようにそこばかりを突き上げてしまう。
「あ、こまえだ…こまえだぁ…! うぁ…きもちい、狛枝…っ」
「ふぅ、はぁあ…ッ、ボクも、おくが……ん、んっあ、アンっ……」
「はぁ…っく、……ん、狛枝……イきそう、か…?」
「……っん、あ…ちょっと、待って…日向クン……、あのね、ボク…」
はふはふと息を切らせながらも、狛枝は俺に何かを伝えようとしているようだ。体を前に倒して涎塗れの唇に耳を寄せると、狛枝は俺の首に腕を回してきた。吐息が掛かって耳が擽ったかったけど、何とか彼の希望を聞いてやる。
「じゃあ…、抜かないままで良いか?」
「うん、そのままで…大丈夫」
後ろに気を付けながら俺は体をベッドに静かに倒す。少し抜けてしまったが、狛枝が行為の倦怠感を引き摺りながらのっそりと起き上がり、俺の上に乗ることでまた奥まで本能が収まった。彼は自分が上になりたいと俺に言ってきたのだ。所謂、騎乗位ってやつか。俺は寝ているだけだから後はどう動くも狛枝次第…。何をしてくれるんだろう? 期待に満ちた目で上に乗っかったサンタを見つめると、彼はクスクス笑って、腰を前後に動かし始めた。
「はぁん……、んん、…あ、届いてるよ…、キミの…あ、あ、ッん」
首元のベルがチリンチリンと軽やかな音色を小気味良く響かせているのとは裏腹に、下腹部はぬちゃぬちゃと妖しく濡れた音を発している。たまに俺が下からグッと突き上げてやると、「あぁン…ッ」と狛枝は切なげな悲鳴を上げた。体に汗を浮かべて、眉間に皺を寄せて…。ただただ気持ち良くなりたいがために、彼は一生懸命腰を振る。
「あっ…いいぞ、狛枝…っ今の……ん、はぁ…ッ」
「…っい、い? ひぁたクン…いい? あっあ、あ……っひぃ…アぁ…」
正常位は互いの顔が良く見えて、愛の言葉を囁き合うのに最適だ。バックから突くのは、行為を一方的にさせ、雄としての支配欲を十分に満たしてくれる。そして騎乗位はそれとは逆に、蔑まされて独占される悦びを与えてくれる。
サンタはゆるゆると前後に動かしていた腰を止め、俺の腹に手を突く。そして今度は上下にピストンし出した。狛枝の中から出し入れされる俺の本能に興奮しながら、俺は抽挿を助けるために彼の腰に手を添える。ネフライトの焦点が朦朧としてきていた。もう登り詰める直前だろう。俺もそろそろイきたい。下から連続で突き上げてやると、狛枝はクッと背中を弓なりに撓らせた。
「あっ、あっ…ダメっダメ……! んふぅ…あ、ひぁあ…、イっちゃ、」
「……! イこう、狛枝…っ。一緒に、…こまえだ、ハァハァ…!」
「…あんっ……ひぁたクン…、や、も、あっあ、あふぅ…んんんんっ、あ、あぁ…ッ!!」
「っく…、キツ……あ、出……る、ふ…うぅ…!」
狛枝の欲望からぴゅっと白い液が俺の腹に飛び散る。そしてそれと同時にビクビクと彼の体が痙攣し、凄まじい勢いで後ろが締まった。気持ち良過ぎる…! 俺はその締め上げに逆らえず、ドクドクと熱い衝動を狛枝に注ぎ込んだ。力の抜けた体がパタリと俺の上に倒れ込んでくる。チリンとベルが最後の音を鳴らす。赤い帽子を被った俺だけのサンタは、胸板にすりすりと頬擦りしながら甘えてきた。
「狛枝…、頑張ってくれてありがとう。…お疲れ様」
「んぅうう、日向クゥン……」
疲れてしまってもう何も言えないようだ。そんな狛枝に忍び笑いを漏らしながら、枕元の目覚まし時計を確認すると、針は0時を超えていた。25日、クリスマスだ。
「メリークリスマス、狛枝…」
「? …そっか。12時過ぎたんだね。日向クン…、メリークリスマス」
サンタのプレゼントというより、サンタがプレゼントか? 温かい狛枝の体温に当てられて、俺も眠気にじわじわと蝕まれる。少しだけ眠ろうか…。俺はくぅくぅと寝息を立て始めた狛枝の背中を撫でながら、浅い眠りへと落ちていった。

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71.365日の話 : 12/31
1年間、本当に色々なことがあったね。今日は12/31…、大晦日。1年の最後の日。
ボクは年越しそばを啜りながら、同じようにそばを食べている日向クンを見た。彼もすぐに気付いて、フッとボクに笑いかけてくれる。ボクもそれに微笑み返すと、彼は満足そうな顔で再びふぅふぅとそばに息を吹きかけて啜った。1年前のこの日も、日向クンと一緒に年越しそばを食べたんだっけ。懐かしいなぁ。1年、経ったんだ…。

キミと歩んできた365日が、終わろうとしている。

あのね、キミは知らないかもしれないけど…。丁度1年前のボクはキミとこんなに長く過ごすなんて思ってなかったんだよ。この1年の内にキミはボクじゃない誰かを好きになって、その人の元へ行ってしまうと予感していたから。ボクって結構勘には自信があるんだよね。でも今回、それは外れてしまった。
「狛枝、早く食べないと麺伸びちまうぞ?」
「分かってるって。…ちょっと休憩だよ」
あの時のボクは日向クンを確かに好きだったんだけど、心のどこかで信じられなかった。そして何よりもボク自身を信じてあげられなかった。でもそんな不安は今はどこにもない。一息ついてからボクは再び箸でどんぶりからそばを掬い上げてちゅるちゅると吸う。しばらく箸を動かしていると、お腹がいっぱいになる前にどんぶりの中は空になった。
「ん…、完食したか。偉いぞ、狛枝! つゆは飲まなくて良いからな」
「こんなことで褒めないでよ。はぁ、ボクが子供みたいじゃないか…」
「何言ってんだよ。去年は年越しそば残して、最後俺が食ったんだぞ? お前覚えてないのか?」
そうだったっけ? 彼の問い掛けにボクはふるふると首を振った。細かい所まではちょっと覚えてないかもな…。年越しそばの後に焼酎シャーベットを食べて、年を越すタイミングで日向クンとシたことくらいしか頭に残ってない。その次の日は朝早くから初詣に引っ張られたんだよね。日向クンが信心深いタイプなのはその時初めて知った。

食べ終わったらすぐにお皿をシンクに持っていく日向クンが、珍しくどんぶりをそのままに炬燵の上のみかんを手に取った。そして皮を剥きながらしみじみと言葉を口にする。
「まぁ、俺も全部は覚えてないけどな。ああ、でも…誕生日の時のことはちょっとやそっとじゃ忘れられないか…」
「…日向クン、泣いちゃったんだもん。ビックリしたよ」
「ははっ、悪い悪い。後はそうだな…。学校の新年会でお前が潰れたのも良く覚えてる」
「〜〜〜っ、その話はしないでってあれほど言ったでしょ?」
悔しい…。べろんべろんに酔い潰れた新年会はボクの黒歴史の1つなんだ。んぅううう、ちょっとくらい日向クンに仕返ししたいよ! 何かあったかな、何かあったかな…。あっ、思い出した!
「ボクが作ったチョコレート、体に塗りたくって舐めた変態はどこの誰だったかな?」
「あ…、いやそれは…っ。1度やってみたかったというか、その…っ」
「猫の日に日向クンが黒猫になって、ボクににゃんにゃんって甘えた時もあったね?」
「!? 確かに黒猫にはなった、がっ甘えた覚えは…っ。ってかお前が付けろって言ったんだろ?」
ムッとして軽く睨み付けてくる彼にボクは笑って誤魔化してみる。ふふ、記憶を掘り返すと案外見つかるものだね。他には何かあっただろうかと思考を巡らせていると、不敵に笑った日向クンから不意打ちの言弾が発射された。
「炬燵仕舞うのが嫌だって我儘言って、お前籠城してたよな。熱いのによくやるよ…」
「むぅ…。花粉症のクセに薬飲まずに、不審者してたキミの話しようか?」
「いや、それは良い。……そういえば、俺達天文部の部室でさ…」
日向クンの言葉にボクは「あ…」と呟いた。誤解が原因だったとはいえ、学校であんなことしちゃって…。誰にも気付かれないように声を潜めて、愛し合ったんだ。

「………あ、そうだっお花見! 桜綺麗だったよね?」
「…っそ、そうだな。桜、もっと写真撮っとけば良かったな!」
「エイプリルフールでキミが本当のことを喋った時は驚いたよ…」
「結果オーライ…だよな? 今みんなに祝福されて、狛枝と一緒にいられるんだから」
「ふふ…。祝福といえば、ボクの誕生日…キミらしくない演出でドキドキしちゃった…」
「お前が生まれてきてくれた日だから、精一杯祝いたかったんだ」
「本当にありがとう、日向クン。ボクが生きてきた中で、最高の誕生日だったよ」
ボクがそう言うと、彼は眉間に皺を寄せて照れ臭そうに笑った。1番好きな日向クンの笑顔…。ずっとずっとこの先もキミの傍でそれを見ていたい。
「……その後の休みにお客さん来たよね? 夜にボク達左右田クンの隣でさ…」
「………。バレてないよな?」
「…え?」
「『え?』って何だよ…っ、嘘だろ? 俺達のアレ左右田に…」
「ああ、うん。バレてないバレてない」
「ちょ、おい! 狛枝、こっち見て言えよ!!」
そうだった。ボクしか気付いてないんだった…。あはっ、つい口が滑っちゃったよ。サッと顔を赤くして狼狽えている彼にボクは苦笑いをする。そういう表情もすごく加虐心をそそられるんだけど、あんまり虐めるのは止めようか。ボクはさり気なく別の話題を口にする。
「球技大会でキミに見つけられちゃって悔しかったから、次は頑張って隠れることにするよ!」
「どこに隠れようが俺が見つけてやるけどな」
「うん。……お願い、ね。神座クンが来た時は…もう終わりなんだって思ったよ」
「終わらせない。終わらせて堪るか! 俺はお前を絶対離さないからな…!」
「ボクだってキミを離さないよ。七夕飾りにもそうお願いしたんだ」
「それもあったな」
日向クンは思い出を懐かしむように上方を見上げた。短冊の願い事はボク自身が叶えるもの。神様が決めるんじゃない。ボクが日向クンを好きだから。彼を幸せにして、彼に幸せにしてもらって、2人で一緒に生きていくんだよ。

「祭りでさ、お前が浴衣着た時…すごく色っぽくて可愛かった」
「っ初めて、外でしちゃったんだよね…。ああああ、今思い出しても恥ずかしいよ」
「結構お前ノリノリじゃなかったか?」
「そんなことないよ。あれで精一杯だったんだからね! そういえば…あの勝負でキミには負けちゃったけど、一体何を隠してたの? ボク『日向せんせーの彼女は…』しか聞こえなかったんだよね」
「………」
言及した途端、彼はピタリと口を噤んでしまった。ボクからスッと視線を逃がして、そわそわと体を揺らす。でもボクの様子が気になるようでチラリと透き見する。まるで怒られるのを恐れている子供のように…。これは言い方によっては言ってくれるかも? ボクは日向クンの心を溶かす言葉を慎重に選びながら、優しく話し掛けた。
「もうあれから5ヶ月だよ? いい加減、時効だ。怒らないから言ってよ…」
日向クンの心の柔らかい部分を擽るように、ボクは上目遣いで甘える。大丈夫、彼の弱点は知り尽くしている。「日向クゥン…」とダメ押しの一言に彼は喉を唸らせて考え込んだ。そして間を置いてから漸く口を開く。
「………俺の彼女は、胸が小さい…って」
「…ふぅん」
「こ、狛枝! 怒らないって言ってただろ!? 狛枝ぁ…!」
なるほど、ね。彼が必死に隠そうとしてた理由が分かった。どういう状況でその話になったのか不明だけど、日向クンに悪気はないんだろうな。ボクはわざと唇を尖らせて、ツーンとそっぽを向いてみせる。それだけで日向クンは炬燵から飛び出して、ボクの隣にぴったりとくっついて座った。ああ、何て可愛い日向クン! すりすりと彼の肩口に頭を擦りつけてから、無防備な頬にちゅっと軽くキスをする。『怒ってないよ』というアイコンタクトに答えるように、彼は微笑んでボクの額の髪を掻き上げ、ふわりと優しく口付けてくれた。

思い出は更に"今"へと近付いてくる。
「ボクは夏期講習で日向クンと手を繋げたのが嬉しかったなぁ」
「ん? そんなことあったか?」
「あったんだよ」
こんな風にたまに忘れてたりしてね。人間だから当たり前。抱えていた記憶が腕の隙間から落ちてしまっても、またボクと日向クンで楽しい思い出を創っていくから良いんだ。もしかしたら楽しくない記憶が生まれてしまうかもしれない。だけどそれは構わない。キミと一緒に創り上げることに意味がある。
膝の上にある日向クンの手にボクのを重ねて、ぎゅっぎゅと戯れに握り合いながら記憶を辿る。冬の凍える季節からは信じられないくらい、夏は暑くてむしむしと湿度が高かったな。でも夜はそれが収まって、風がさらりと吹いただけでも涼しくて心地好かった。
「合宿先で一緒に星を見上げたね…。濃紺の空にたくさんの星が輝いててさ」
「あんな夢みたいな光景が現実にあるんだなって圧巻したよ。でも俺寝ちまったんだよな…」
「疲れてたから仕方ないよ。星の下で眠るのも良いと思うよ?」
顔に似合わずロマンチストなキミにピッタリだね。そう言うのは止めておいた。日向クンと重ねているボクの手に、更に彼のもう一方の手が加わる。両手で徐ろに包まれて、ボクはハッとして日向クンを見つめた。真剣な表情の彼と間近で視線が絡み合う。心を射抜かれてしまうと錯覚するほどの力強い眼差しだ。「狛枝…」と名前を呼び掛けられて、何となく察した。ボクもキチンと真正面から座り直す。
「納涼会でキスしたのはその…俺達のこと、みんなに知ってほしかったからだ」
「分かってるよ。キミは酔っ払っていても理性を保てる人間だ。…ボクも後悔してない」
きっとあれがキッカケだった。キミが未来に向けて決意を固め、ボクが希望を心に宿したキッカケ。大胆過ぎたかなって今でも恥ずかしいけど、あの事実がなければずっと日向クンとなぁなぁの生活を続けていたんだろうなと思う。

「今度は競技用プールじゃなくて、普通に遊べるようなプールに行きてぇな」
「ええ? 嫌だよ…。そんな所に行ったら、キミ女の子にナンパされちゃうでしょ?」
日向クンの体は綺麗だ。同性のボクが見てもそう感じるのだから、きっと女性からしてみればとても魅力的に映るはずだ。健康的で均一の取れた体つき。何て言うんだっけ…。そうそう、細マッチョってやつだ! 背も平均以上あるし、顔立ちは平凡ながらその辺を探しても中々いない男前。性格もボクとは違って癖がなくて取っ付き易い。こんな優良物件とっくに売れててもおかしくないのに、ボクと付き合うまで童貞だったというから不思議だね。日向クンの恋愛方面の鈍感さにはひっそりと感謝するボクだった。
現にボクの言葉を聞いた彼は「そんなことない」と謙遜を微塵も持たずに首を振る。ここまで頑なに否定されるとちょっと反応に困るけど、まぁ日向クンらしいよね。 「それを言うならお前の方が危ないぞ? 変な奴が寄ってきたらどうするんだ…」
「? 女の子に言い寄られてもボクちゃんと断れるよ。そもそもボクみたいなタイプはプールじゃモテないよ」
「はぁ…、狛枝。お前全然分かってないのな。俺が言ってるのは男…いや、もう良いや」
日向クンは「はぁ」と嘆息する。んぅうううう…? 何か呆れられちゃったみたい。ボクそんなに変なこと言ったかな? 何を言いかけたのか知りたかったけど、いくら言葉を待っても子供をあやすように頭を撫でられるだけだった。やんわりとした彼の手付きにボクは段々と気持ち良くなってしまう。ボクは日向クンに頭を撫でられるのが好きだ。

「秋はアパートにいた印象が強いけど、どうかな?」
「だな。台風も来てたし、月見も…一緒に部屋で見たし。お前と抱き合いながら…」
「あはっ、日向クン…顔が赤いよ? もしかして風邪でも引いた?」
「風邪引いたのはお前だろ!」
ああ、痛い所を突かれてしまった。体調は気を付けていたつもりだったんだけど…。仕事が忙しかった所為かな? 看病で迷惑掛けたことはすごく申し訳ないって感じるけど、風邪を引いて動けない時に甲斐甲斐しくお世話をされるのって何か良いよね。あはっ、不謹慎かな? ボクは元々人には甘えられない性質だったんだけど、日向クンには何故か甘えちゃう。甘えても良いんだって思える。彼も彼で頼られるのが好きみたい。でも心配させるのは良くないよね。ちゃんと健康管理をしよう。
「何で日向クンにキスしたのにキミは風邪引かなかったの? おかしいよね!?」
「そんなの知るか!!」

「借り物競争で燻っていた火元に文化祭で油が注がれて、一気にボク達の噂が広まったらしいね」
「霧切先生には厳重注意を受けたよ。お前は何か言われたか?」
「特に何も。でも多分、霧切先生色々と気付いてるよ。鋭い人だからさ。もしかしたら噂になる前から…」
霧切先生は校長としての手腕も然ることながら、人を見る目を有している。気付いていながら黙っててくれるのはボク達から言うのを待っているのかもしれない。
「ねぇ、知ってる? 今のスレッドタイトル、『白メガネとアンテナの結婚式会場』になってるよ」
「……は?」
表情を緩めながら語り合っていた恋人の顔がその瞬間に色を失った。そのぽかんと開いた唇をふにふにと突っつくと、彼はハッとしたようにボクに「今何て言った?」と聞き返してくる。あれ? もう知ってるものだと思ったけど違ったみたいだね。
「結婚式に配るボクと日向クンのメモリアルアルバムって想定で、生徒達が写真投稿してるんだ。もちろん遊びだけど」
「………」
「すごく欲しそうな顔してるね」
「あ、後で見てみる…」
日向クンは落ち着かないらしくそわそわしながら「結婚式…メモリアルアルバム…」と呟きを繰り返している。ボクとしては『盗撮されてたのか?』っていう反応が来るかと想定してたけど、これは…予想外だね!

「ごめん。プロポーズ…はもっとちゃんとお前に伝えたかったんだ」
「…ううん、日向クン。ボクはあの言葉だけで十分だよ。キミがボクと結婚したいって想いを口に出してくれたってことが嬉しいんだ」
『同棲しよう』と言われてたら踏ん切りはつかなかった。いつでも互いに放棄出来る関係は後腐れなくて良いかもしれないけど、ボクは日向クンに捨てられるのを恐れていたから。中途半端に近いくらいなら未練が生まれない距離感の方がまだマシだ。
「温泉に行った時も、紅葉を見に行った時もずっと考えてた。言葉や想いは大切だけど、きっとそれだけじゃ足りなかったんだ。ボク達に必要だったのは時間…」
「そうだな。1年前の今日から変わってきてる、俺もお前も」
日向クンはそう言うとボクの手を離して、スッと立ち上がった。窓際のカーテンをそっと捲り、カチリと鍵を外す。カラカラと音を立てて開かれたガラス戸の向こうから、ぼーん…と音が重く響いてくる。
「除夜の、鐘…?」
「もうすぐ年を越すな…」
壁に掛かった時計は0時まで後10分という所だった。日向クンは炬燵に戻らずにそのまま寝室へと入っていく。どうしたんだろう? 首を傾げつつ待っていると、すぐに彼は戻ってきてくれた。その手に真っ白な小箱を携えて…。
「狛枝、いや…。凪斗」
綺麗な姿勢で正座をした日向クンが口にしたのは、ボクの名前だ。いつも苗字だったのに…? 改めて下の名を呼ばれた衝撃に言葉を失っていると、更に彼はボクに幸福という名の追い討ちを掛ける。彼の手の中にある小箱の蓋が静かに開かれた。
「………これ、って…」
「今年中に間に合って、良かった…」
「……………」
目が離せない。白い小箱の中には銀色の指輪が入っていた。緩やかにカーブを描いた銀色のそれにボクの視線は釘付けだ。何も、考えられない。何も…。夢じゃないの? 現実? 信じられない思いで何度か瞬きをしても、小箱に収まった指輪はなくならなかった。輝きを抑えるようなマットな加工が施されていて、中央のラインだけが磨かれた美しいフォルム。日向クンがボクのために…!
驚いているボクに日向クンはくすっと笑う。目を瞑り、深呼吸をした彼は静かに言葉を紡ぎ始めた。
「私…日向 創は、狛枝 凪斗を伴侶とし、健やかな時も病める時も…彼を愛し、助け、生涯変わることなく…愛し続けることを、あなたに誓います…」
ボクの左手を取り、薬指の付け根にキスを落とす。ドキリとした。その心臓の鼓動で、今までふわりと浮き上がっていた意識が体の中へと戻ってくる。これは…、何? 誓いの言葉。日向クンがボクに生涯の誓いをしてくれた…。
「愛してる、凪斗…。俺にはお前だけだ。これからもずっと…一生、お前の傍にいる」
「……ひなた、クン」
「10年、20年…年を重ねても、笑い合いながら生きていきたい。2人で一緒に未来を創ろう」
日向クンは小箱から取り出した指輪をキスをした左手の薬指に通す。彼の温かい大きな手と指輪の冷ややかな感触。硬く冷たい銀の輪が指を少しずつ進んでいき、ピッタリと薬指に収まった。日向クンとの…結婚指輪だ…。ボクと彼を結び、生涯の伴侶としてくれる誓いの指輪。日向クンが、日向クンが…!


その途端、ボクの目から涙が滲んで…落ちた。

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72.未来の話 : 1/1
左手の薬指をじっと見つめる凪斗。宝石のような綺麗な輝きの瞳は、俺がつけた指輪から逸らされることはない。年末ギリギリになってしまったけど、渡すことが出来た。想いでもなく、言葉でもなく、形として…、凪斗を愛している証明を残したかった。もしかしたら彼の心を縛ってしまうかもしれないと恐々とした思いを抱えつつ、12月を過ごしていた。
指輪を見つめたまま、桜色の唇が何かを言いたげに小さく開閉する。彼の声を聞きたい。俺の言葉をどう受け止めたのか、どう感じたのか…知りたい。凪斗の視界に入るように屈んで、表情を窺う。
「凪、斗……?」
「……………」
固まったまま何も言わなかった凪斗の目から、ポロリと透明な雫が流れていく。それは1粒で終わらず、次から次へと零れた。ネフライトが涙で一層潤み、室内の光を反射してキラキラと輝く。綺麗だ…。頬を赤らめ、鼻を啜りながら凪斗は静かに泣いている。涙を拭おうとする手を制して、俺は親指で優しくそれを拭き取った。それでも涙はボロボロと溢れてくる。拭いても無駄か、それなら…。
「あっ……!」
「泣き止むまで、こうしてろ…」
凪斗の背中に腕を回して、肩口に顔を預けさせる。いくらだって濡らしていい。俺が泣かせてしまったんだから。しゃっくりで体を揺らしながら泣く背中を落ち着かせるように俺は撫で続けた。俺とほとんど変わらない大きさの彼の体が、少し小さく感じる。凪斗…、凪斗…。心の中で何度も呟く。俺が一生を捧げても良いと思ったくらい惚れている唯一の人。狛枝 凪斗…。

彼に知られることなく指輪のサイズを調べるにはかなり苦労した。かつて卒業した高校に出向いて、卒業時に配られたスクールリングの号を教えてくれるよう、その時凪斗の担任だった先生に頭を下げた。1度は個人情報は開示出来ないと拒絶されたが、事情を全て話すと押し問答の末にその人は漸く折れてくれた。
その後、俺は目星を付けていた結婚指輪の専門店にそのまま行き、凪斗の指輪を注文したのだ。事前にどれを選ぶかは決めていた。最初に気に入ったのはカーブの形で、上品なフォルムが彼に似合いそうだと思ったんだ。でも最終的に、指輪1つ1つに付けられた名称で決めたと言っても良い。店のスタッフも他を勧めることなく二つ返事で了解し、1時間も経たない内に凪斗に渡す指輪は決まった。ホームページで見た写真の下方には、彼を表すに相応しい単語があったんだ…。指輪の名前は"HOPE(希望)"と書かれていた。
「ひ、なた…クン…。ごめ、……もう、平気…だから」
「……凪斗?」
腕の中の凪斗がもそもそと身動ぐ。俺の胸元をぎゅっと握っていた手に力が入り、彼は顔を上げた。赤くなった目元が痛々しかった。唇がぎこちなく笑みを作る。凪斗は今にも泣きそうな顔で笑っていた。
「っまさか……指輪、用意…してくれてるなんて、…思って、なかった…っ」
「お前のことビックリさせたくて…。突然で悪かったよ」
「…嬉しいよ、すごく。ありがとう、日向クン。……ううん、はじめ…クン」
「っ、俺の名前…!」
「ボクだって、呼びたいよ…。キミの名前。大好きな人の名前だもん。創クンばっかりボクの名前呼ぶの、ずるいでしょ?」
目尻に浮かんだ涙を今度は自分の手で拭いて、凪斗は幸せそうに微笑んだ。そして蕩けそうなほどに優しい手付きで俺の頬を撫でてくれる。さらさらとした肌の感触に、俺は堪らずその手の上から自分の手を重ねた。
「……ねぇ、ボクからも言わせてくれる?」
「ん? お前から…?」
「男のプライド、だよ。創クン…キミを生涯の伴侶として迎えて、そのことを宣言したいから…。ボクにも、誓わせて?」
へらりとしながら「指輪はないけどね…」と軽く微笑んだ一拍後に、凪斗の表情はキリリとした怜悧なものに変わった。そのギャップに俺はドキッとした。凪斗は綺麗だ。性別の垣根が小さな問題に感じるほどに本能的に魅了される。その中性的な美しい顔は誰もが振り返るほどに整っていて、絵画に描かれた女神のようだとも思う。だけど今の彼は違う。カッコいい…。美しさの中に凛々しさ…、男としての揺るぎない信念を感じさせる。
凪斗は俺の左手を撫でてから、思いを込めるように握り締めた。
「私…狛枝 凪斗は、日向 創を伴侶とし、健やかな時も、病める時も彼を愛し、助け…、生涯変わることなく愛し続けることを、あなたに誓います」
神聖な儀式のように、凪斗は俺の薬指にちゅっとリップ音を立てた。キスをしたままネフライトが俺を見上げ、フッと色っぽく細められる。ドキドキした。体が震えてくる。俺の目の前に凪斗がいる。俺だけを愛してくれると誓ってくれた最愛の人が。いつものアパートなのに、どこかが違う。今この瞬間だけ、2人だけの結婚式場になっているんだ。
「創クン、愛してるよ。今までの人生で初めて…、ボクは人を愛する喜びを知った」
「…なぎと……!」
「離れない…離さない…。ボクの全てを捧げて、キミを永遠に愛してく…。…一緒に、幸せになろう」
一緒に、幸せに…。凪斗の言葉が耳にいつまでも残る。ああ、俺…愛されてるんだ。こんなにも…。幸せ過ぎて、何も考えられない。そうだな、言葉なんて出てこないよな。こんなに素敵なことを言われたらさ…。こいつの前で泣きたくなんてないのに、カッと目頭が熱くなる。涙は見せたくない。咄嗟に顔を伏せると、今度は凪斗が俺の背中を抱き寄せてくれた。
「ふふっ、さっきと逆だね…」
「…な、凪斗っ。良いって…俺は別に…、泣いてなんかっ」
「違うよ、そうじゃない。いつも抱き締めてもらってるからさ…、たまにはキミを抱き締めさせて?」
知ってて言ってるんだ。何てずるい奴…。背中をぽんぽんと優しく叩きながら、凪斗は耳元で「創クン…」と掠れた甘い声で囁く。俺はこいつと一緒に生きていくんだ。同僚から友人へ。友人から恋人へ。そして今、恋人から伴侶へ…。この先はきっと伴侶から家族へと変わるのだろう。
「あ、創クン…! 日付、もう変わるよ」
「えっ…もうそんな時間か?」
慌てて狛枝の腕の中から起きて、壁掛け時計を確認する。ああ、もう秒針がカチカチと12の文字へと近付いていっている。狛枝は俺の両手と自分の両手を繋いで、ニッコリと微笑んだ。改めてその指に光る銀色の結婚指輪が嵌められているのを見て、俺は心が擽ったくなった。
「誓いのキス…、まだしてなかったね」
「? 誓いの、キス…」
「今日は結婚式…だよ? するべきでしょ…?」
そうだな。俺は凪斗の言葉に頷いた。お前を世界で1番愛している…。うっとりと夢見心地に俺を見つめる灰色の美しい瞳。絹のように滑らかな白い肌はほんのりと桃色に染まっている。その頬を撫でながら、薄く開かれた桜色の唇に自分のそれを寄せる。ふわっとした温かい感触が唇に触れた。
「んぅ……」
凪斗からくぐもった吐息が漏れたのと同時に、開け放した窓から近隣住民の歓声が小さく聴こえた。名残惜しくも唇を離すと、時計の針は0時を超えている。年明けだ。1年が終わり、また新しい1年が始まる。凪斗と過ごす、365日がまた…始まるんだ。唇を離して、凪斗と向かい合う。そして「ボクが1番だね…」と彼は悪戯っぽく笑い、思い当たる節がない俺は首を傾げた。
「……えっと、何かあったか?」
「はぁ…、自分のことなのに忘れちゃうんだ…。まぁ、仕方ないか」
「俺のこと…? あっ!」
「ふふっ、漸く気付いた? 創クン、お誕生日おめでとう! そしてついでに明けましておめでとう」
「ありがとう、凪斗…。明けましておめでとう。これからもよろしくな」
「うん…。ずっと、ずっと…創クンと一緒にいるよ」
「…俺もずっと、お前の傍にいる。離さない。愛してるぞ、凪斗…」
どちらからともなく抱き締め合って、誓いのキスとは違う深い口付けを交わす。舌で凪斗の甘い口の中を味わい、唇を一瞬離して見つめ合った後、再びキスをする。俺も凪斗もいつまで経ってもキスを止められなかった。何度も何度もこの唇にキスをしてきたんだっけ。数なんてもう数え切れないほど…。この先の未来もたくさんのキスをするんだろう。
ずっと凪斗の傍にいるのなら、365日じゃ足りないな。1000日、10年…? いや、もっとだ。もっともっともっと…、末永く、彼と共に…。


―――君と歩む∞日が、これから始まる。

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