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01.うん。友達じゃないよ。
「日向クンって、童貞なの?」
南国の麗らかな日差しの下、ジャバウォック公園のベンチで。その男は爽やかな微笑を崩さず俺にそう聞いてきた。



狛枝 凪斗は何を考えているのかよく分からない。この修学旅行で10日ほど過ごした今となっては、それは既にメンバーの中での暗黙の了解になっていた。苦手意識を持ち、あからさまに狛枝を避ける者もいる。だけど俺は「そういう考え方する奴もいるんだな」程度に考えて、ちょくちょく彼とは話をしていた。
突然の修学旅行に混乱していた俺に、最初に気にかけてくれたのは彼だ。心配して俺にずっと付き添ってくれる辺り、基本的には優しい奴なんだと思う。超高校級の才能と希望を愛していると語る時は、どう口を挟んでいいのか分からないけど、話す彼の表情はとても生き生きしていてちょっとだけ微笑ましい。
どうやら物事を考える際のスタート地点からして、狛枝は常人とは別の場所に立っているらしい。そのことに気付いてからは不信感が身を潜めたのか、更に彼と話す機会が増えた。
「日向くんは狛枝くんといつも一緒にいるね」
「そうか? 七海とだって結構いるような気がするけどな」
「ん〜…、でもやっぱり仲いいよね」
採集が終わった後の自由時間。ぼんやりとした七海の声にあてられて、俺も思わずあくびが出てしまう。周りから見ても俺と狛枝って一緒にいるイメージなんだな。満遍なく集めたような気になっていた希望のカケラは、他の奴らより狛枝のだけが2、3個多い。
「何だろうな。周りにいなかったタイプだから、話してて新鮮なんだよ」
たまに変なこと言うけど。最後に付け加えるように言うと、七海はクスリと笑った。そう、あいつはたまに変なことを言う。本気とも冗談ともつかない話を振り、突拍子もなく話題を変える。もう何回か話していて慣れてきたと思っていたのに…。

「日向クンって、童貞なの?」
南国の麗らかな日差しの下、ジャバウォック公園のベンチで。狛枝は爽やかな微笑を崩さず俺にそう聞いてきた。
「………は?」
「あれ? 聞こえなかったのかな。日向クンは経験あるのかどうか聞いたんだけど…」
眉を寄せて、狛枝は困ったように小首を傾げる。中性的で整った顔立ちのお陰で、かなり絵になる表情だ。しかしその優男の口から飛び出したのはとんでもない単語だった。
「い、い、い、いきなり何言い出すんだよっ、狛枝!」
「? そんなに驚くようなことかな。ボクは極めて平均的な男子高校生の会話をしただけなのに」
「ちょっ、おま…っ!! 話の流れってのがあるだろ!? 意味分かんねぇよ!」
「ま、その反応を見るにまだ…みたいだね」
反論しようにも俺の口は引き攣って、声が出せない。ふふっと悪戯っぽい笑みを零す狛枝は何だか楽しそうだ。嘘だろ、…最悪だ。ふいうちで質問を食らった挙句、答えまで見透かされるなんて…!
「まさかキミのような超高校級の才能を持つ人がいまだ童貞だなんて…。世の中不思議なこともあるもんだね!」
「べ、別に才能とそういうのは関係ないだろっ」
「うん、その通りだね。2つには直接的な関連性は一切ない。だけど才能を持っている=異性にモテやすい=経験があるって繋げていくと、全くの無関係という訳じゃないんだよ」
「…うぐっ」
スッと鋭い視線を投げてくる狛枝。極めて常識的な論理を展開され、俺は言葉に詰まる。思わず下を向いてしまった俺に、狛枝は少し慌てたように背中をポンと軽く叩いた。
「ごめんごめん。別に日向クンのことをいじめようだなんて思ってないよ。ただ、もしキミが誰かと経験したいと考えてるのならボクは力になれるかもしれない」
「力になるってどういう意味だ?」
「うん、今のボク達の状況はある意味チャンスなんじゃないかな」
「チャンス?」
「ほら、折角男女一緒に修学旅行に来ているんだよ。みんなとの絆を深めるのが目的なんだから、恋人を作っても良いとボクは思うんだ」
「……」
確かに引率の先生を名乗っているウサミは生徒同士で『らーぶらーぶ』になることを推奨してるけど。
「お前なぁ、俺をけしかけてるんじゃないか? 女子に手を出したところでウサミに捕まるかどうか試すつもりだろ!」
「そんな…! ボクを疑ってるの? キミが童貞だって言うから、それを解決するアドバイスを提示しただけなのに」
「余計なお世話だ! お前に相談しなくってもその内…」
「その内? そんな悠長に構えているだなんて、さすがは日向クン。超高校級だね! で? それっていつ頃? そもそも相手もいないのにどうやって童貞を捨てるの?」
畳みかけるような追随をしてくる狛枝に俺は体を引いてしまう。本当によく分からない奴だ。狛枝に反論出来るような材料を俺は持ち合わせていない。唇を噛みしめるだけで固く口を閉ざすしかなかった。
「ねぇ、そんなに落ち込まないでよ。さっきも言った通り、これはチャンスなんだからさ。修学旅行に来ている女性陣はみんな可愛らしい人ばかりだし、日向クンの努力次第で必ず恋人同士になれるよ!」
ニコッと笑う狛枝の言葉に、『そうかもしれない』と思った俺は無言で頷いた。七海、ソニア、小泉、罪木、澪田、辺古山、西園寺、終里…。みんな良い奴だ。だけどその誰かを彼女にするなんて今まで考えもしていなかった。
この16人の内で誰かしらが恋人になったという前例はない。左右田は毎日のようにソニアの後を追いかけているけど、ソニアといえば女子同士でおしゃべりしたり、田中のハムスターと遊んだりで左右田には見向きもしない。九頭龍と辺古山は良く一緒にいる所を見かけるが、彼らは一定の距離を取っているようで恋人同士という訳ではないらしい。
考えあぐねた俺は頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。…どうも腑に落ちない。狛枝の意見は非の打ち所がなく、そのまま鵜呑みにしてしまいたいくらいだ。だけど何かがおかしい。そもそも…。
「なぁ、狛枝。何でこんな話を言い出したんだ?」
「何。どうしたの? いきなり。ボク、何か間違ったことを言ったかな」
呆れたような物言いだ。さも俺を馬鹿にするかのような。でもきっと何かある。だって狛枝は俺の質問に答えずに論点をずらしているんだ。こういう声色の時は何故だか真意を隠されている気がしてならない。じっと上目遣いで見つめてくる灰色の瞳を俺は真正面から見据えた。
「いや、そういうのはもう良いから。単刀直入に聞きたい。お前は何がしたいんだよ?」
一瞬目を見開いた狛枝だったが、やがて楽しそうに「ふふっ」と笑い出した。降参だとでも言うように両手を軽く上げると、片目を瞑ってみせる。気だるげな雰囲気も相まって、まるで映画に出てくる俳優のような挙動だ。不本意だけど俺は見惚れてしまった。その一連の動作が様になるのは彼が美形だからだろう。
「お手上げだよ、日向クン。キミには敵わないね」
「…やっぱり何かあるんだな。目的もなくお前が行動を起こすなんてありえないからな。それで本当のところは何なんだよ」
「ボクみたいなゴミムシの意見を聞いてくれるのかい? キミは何て素晴らしい人なんだろう! そう、例えるなら…」
「あー、そういうのいいから。さっさと教えてくれよ」
俺は気が長くない。聞き慣れた文句を遮って促すと、狛枝は小さく頷いた。
「日向クン…、人って何のために生きてるんだと思う?」
「……は? 何だよ、また話が変わるのか? 関係ない話はもう、」
「いや、これは前置きとして必要なんだよ。…ボク達人間が生きる目的って何なんだろうね」
何のためにって、そんなの考えたこともない。楽しいことを見つけたり、満足感を得たり。頭にパッと浮かぶのはそれぐらいで、目的と言えるようなことなのかも曖昧で、俺は首を捻る。考えあぐねている俺を見て、狛枝は言葉を続けた。
「全ての生き物は、子孫を残すことを本能としているんだ。自分の遺伝子を残すことこそが動物としての正しい行動なんだよ。この辺りは田中クンが詳しいんじゃないかな。ドーキンスの利己的遺伝子って聞いたことない?」
「ドーキンス? 知らないな」
「利己的遺伝子だよ。1度読んでみることをおススメするね。…と、話が逸れちゃった。ボクが言いたいのはつまり、キミのような超高校級の才能を持つ人達は未来のために、優秀な遺伝子を残すべきなんだと言うこと。ここまでは分かるかな?」
「遺伝子を残すって、その…子供を作るってことだろ? そんなの俺にはまだ早いって。まだ15になったばっかりだぞ?」
「早い遅いは今は問題じゃないよ、日向クン。要は残すか残さないかなんだ。うん、キミが童貞を卒業していたらこの話はここでお終いだったんだけどね。そうじゃなかった。キミは超高校級の童貞であることが分かってしまったんだからね!」
人に変なキャッチフレーズをつけるなよ。俺がじっとりと睨み付けると狛枝はバツの悪そうに視線を逸らす。ここまで聞いて何となく話がリンクしてきた。
「キミの稀有な遺伝子を残すには生殖行為が必要なんだけれど、その前には童貞を捨てることが絶対必要条件だよね。まさか結婚して子供を作るまで純潔を守るとかそんなこと言わないでしょ?」
「お、おう」
下らないと思いつつ、俺は何故か狛枝の話を真面目に聞いていた。こいつの話し方は大袈裟な挙動のせいか、何だか引き込まれてしまう。
「童貞ってね、年齢を重ねれば重ねるほど捨てにくくなるんだって。女性を女性として認識しなくなるという例もある。30歳を超えると魔法が使えるらしいけど、本当かどうかは分からない」
「どう考えても嘘だろ」
「もし日向クンが魔法使いになってしまったら、遺伝子を後世に伝えられる確率はものすごく低くなるよね。そうなってしまったらボクは…!」
「いや、お前関係ないし」
「あるよ! ボクはね、希望のためなら何だってするんだ。物心ついた時にボクは人生の全てを希望のために捧げると誓った。希望ヶ峰学園に来たのも、きっとそのためなんだ。みんなの踏み台になることこそがボクの務め。キミの才能を継ぐ子孫を残すためなら努力は怠らないよ。さぁ、ボクに出来ることなら何でも言ってよ!」
「……」
言葉を失うとはこのことなんだろう。狛枝の主張することは分からなくもない。生物学に則っている。だけどその考え方はハッキリ言って異常だった。絶句する俺を狛枝は不思議そうに見つめる。悪気はなく、彼は心の底からそう思っているんだろう。
「日向クン、キミが将来子供を作る…その可能性を広げるためにも、この修学旅行で童貞を捨てることは大切なんだ」
瞳は潤んでいた。熱っぽく俺を見る視線に焦がされそうだ。こいつの希望に懸ける姿勢は普通じゃない。狛枝のロジックに押し潰されそうになるけど、俺は納得する訳にはいかない。彼を論破する考えを何とか頭の中で組み立てて、俺は軽く息を吐いた。
「狛枝…。まず最初に結論を言うけどな、俺はお前の申し出を受けない。理由は…お前の話は俺の考えに反するからだ。恋をするなら、誰かに強要されたくない。自分で好きになった人が良いよ。お前に協力してもらわなくても、自分で解決出来るから多分大丈夫だ。…ただ、心配してくれたことは正直嬉しかった。ありがとうな」
「……」
今度は狛枝が黙る番だった。ぱくぱくと何か言いたげに唇を動かしたけど、それは言葉にならない。やがて俯いて、「そっか」と小さく呟いた。
「キミには脱童貞すら早かったということか。ボクとしたことが読み違えてしまったね」
「みんなのことは仲間として好きで、大事なんだ。もしかしたらこの先違う意味で好きになれたら、その時に狛枝に協力してもらうから」
「…違う意味?」
「ん? 彼女とかの『好き』って意味だよ。友達とは違うだろ」
狛枝を見やると、彼は分からないと言ったように口元に指を当てた。何だか珍しく鈍い反応だ。いつもの狛枝ならスラスラと話を理解するのに、唸りながら腕を組んで考える素振りを見せている。
「うーん、ボクには友達も彼女もいないから良く分からないな」
「おいおい、何言ってんだよ。俺のことは友達じゃなかったのかー?」
「うん。友達じゃないよ」
冗談で聞いたつもりが、真顔で返された。笑いながら背中を叩こうとした俺の手が空中でピタリと止まる。友達じゃ、ない? 思わず狛枝を凝視した。いつもと同じ涼しげな笑みを湛えた彼の中性的で端正な顔つき。サッと風が吹いて、細く柔らかそうな淡い色の髪がふわふわと形を変える。「なんちゃって」と破顔する狛枝を期待したのに、何度瞬きしてみても、それは変わらなかった。
「………っと、友達、じゃないって…、何だよ…っ!」
「? 何ってそのままの意味だけど。ボクみたいなどうしようもない才能のクズと、キミのような希望溢れる才能の結晶が友達だなんて、おこがましいよ。奴隷とか雑用とか下僕とかそういう扱いで良いんだ、ボクみたいな人間は。日向クンだってそう思うでしょ?」
「俺は…お前をそんな風に思ったことなんて1度もない」
言葉が冷える。俺、今どんな顔してるんだ? 心がどこか遠くへ離れて行ってしまいそうな、空虚な感覚だ。周りの音がぼやけて遠くなるのに、狛枝の声だけはやけに耳に残る。こびりつくようにジワリと。何だか頭痛がしてきた。
「ああ、そうなんだ。日向クンって優しいよね。ますます好きになっちゃいそうだよ!」
「……。お前は俺のこと、どう思ってるんだ?」
「え、どうって…。そりゃもちろん愛しているよ。キミの希望は朝日のように光り輝いて眩しい。どんな才能かは分からないけど、きっと他の希望ヶ峰の生徒達とは一線を画する才能だと思う。これは単にボクの勘なんだけどね。ボクはキミの希望を狂おしいほどに愛しているんだ…!」
両腕を掻き抱くようにして、狛枝は熱い息を零す。狛枝の話を聞くにつれ、俺の頭痛はどんどん酷くなっていく。
「キミになら何をされても良いんだよ。殴られたって、足蹴にされたって、犯されたって。いっそ殺してくれたっていい。キミが必要とするなら喜んでこの身を明け渡すよ。ああ、想像するだけでゾクゾクするよね。希望の糧になって死ぬなんて、最高の幕引きだよ」
「やめろ」
「童貞の話もさ、ボクの体を使ってくれても一向に構わないんだよ。まぁキミがその気になってくれたらの話なんだけどね。でもボクは残念ながら男だし、そんな気にはならないよね。それに出来るならもう2度とやりたくないって思える行為だったからなるべくなら、」
「もうやめろっ!!」
「……? 日向クン」
思わずベンチから立ち上がってしまった俺を狛枝はポカンと見上げた。ズキリと頭に鈍い痛みが走る。最悪な気分だった。
「どうしたの、何だか顔色が悪いようだけど」
「俺、先にコテージに戻るから。じゃあな」
「ちょっと、日向クンっ? 待ってよ。具合が悪いんだったらボクも一緒に、」
おたおたとベンチから立ち上がる狛枝を尻目に、俺は一目散に駆け出した。俺、もしかして泣いてんのか? 何なんだ、何なんだよ! 俺ばっかり、こんな思いして。友達だって思ってたのは俺だけだったなんて…! 裏切られたような気さえする。今までたくさん島中を歩き回って、色々な話をしてきた。修学旅行のメンバーの中で1番長く過ごしてきたのに、あいつの中には何も残っていなかったなんて。ただただ、ショックだった。



次の日の朝、ウサミのアナウンスがコテージの室内に響き渡った。いつもならホテルのロビーで聞く声だ。のそりとベッドから起き上がり、伸びをしてみたが、体の疲れは全然抜けなかった。当たり前だ。夜明け前まで寝付けなかったんだ。欠伸をしながら、服を着替える。外に出ると向かいのコテージから左右田がちょうど出てくる所だった。
「おーっす、日向」
「おはよう…」
「お前ひでぇ顔してねーか? 寝不足かよ」
「左右田だって、目の下クマが出来てんぞ」
「あー、ちょっとバラしてたらすーぐ朝なんだもん。今日の採集は楽なとこがいーよなぁ」
それには同意だ。重い体を引きずるようにして、レストランへの階段を上る。風の通る広々としたスペースにはもうほとんどのメンバーがいて、各々花村の作った料理をトレーに乗せていた。視界の端にはクセのある白髪が見える。狛枝は窓際のテーブルに腰を掛けて、朝食をとっていた。周囲には何人か座っているけど、会話の輪には入っていないようだ。狛枝が俺の視線に気付いたのか顔を上げたが、俺は慌てて逃げるようにビュッフェに向かった。
「やぁ、日向くん。今日は珍しく遅かったね。一体どうしたんだい?」
「別に。ちょっと寝付けなくってさ…」
「んっふっふ〜、隠さなくったって良いんだよ。ぼくのことを思い出して、体を熱くさせてたんだろう? 何だったら今夜ぼくのコテージにおいでよ、子猫ちゃん。たっぷり可愛がってあげるからさ〜」
「断固として遠慮する」
下卑た笑みを浮かべて鼻血を垂れ流す花村をやり過ごし、俺はトレーに適当に皿を乗せる。超高校級の料理人だけあって、花村の作った料理はただの朝食とは一味違う。食欲が全くない今でも、何皿かは食べられそうだ。俺はサラダや目玉焼きなんかの軽めの物とデザートだけ選んで、テーブルの空いている席に座る。幸いなことに狛枝が視界に入らない位置だった。
「あれれぇ〜、創ちゃん! それしか食べないんっすか?」
向かいに座っていた澪田が俺のトレーを見て、素っ頓狂な声を上げた。元気な声がいつも以上に頭に響く。
「あんまり腹減ってないんだ」
「はっは〜ん、さては夜につまみ食いしちゃったっすね。今度は唯吹も誘って下さいなー!」
「…ははっ」
澪田は納得してくれたのか、その後は特に何も言わなかった。食事に取りかかった俺は目玉焼きを牛乳で流し込むように胃に入れる。食べないよりは幾分かマシだろう。サラダを口に運びながら、昨日のことを考える。狛枝は俺のことを友達とは思っていなかった。今まで過ごしてきた時間は一体何だったんだろう。単なる暇つぶし…、いやもしかして無理して付き合ってくれてたのかもしれない。それとも他に何か理由でもあるのか? 俺は何かあいつの癇に障るようなことをしたのだろうか。だけど考えてみても頭にはそれらしいことは浮かんでこない。チラリと左後ろに視線を送ると、弐大の向こう側に狛枝が見える。ぼーっと遠い目をして、窓の外に見える青い空を眺めていた。どこか寂しそうに見える表情に俺は心がツキンと痛む。…落ち込んでるのはこっちの方なのに、何でお前がそんな顔をするんだ。やるせない感情が胸に染み出してきた。
『キミになら何をされても良いんだよ』
昨日の彼の言葉が思い出される。あの時はショックでスルーしてしまったけど、狛枝は確かこんなことを言ってた。何をされてもいいだなんて、友達の域を超えている。その後は何て言ってたっけ…。
『まぁキミがその気になってくれたらの話なんだけどね』
頭に響くねっとりとした声色に、カッと顔が熱くなった。ドキドキと心臓が大きく鳴って、持っていたフォークを取り落としそうになる。額からはポタリと汗が1粒落ちた。狛枝で童貞を捨てるって、まさか…そういう意味なのか? いや、本気じゃないだろう。冗談として捉えるのが普通だ。だけど、こと希望に関しては狛枝は嘘を吐かない。狛枝なら男同士という死活問題ですら、希望の前では塵にも等しいと考えてもおかしくはない。それだけ狛枝 凪斗という人物は異常なのだ。
引きはしたものの、幸いなことに食欲が落ちるほどの気持ち悪さは感じなかった。他の男子メンバーに言われていたら、速攻でトイレに吐きに行っていたかもしれない。(花村に関しては、心外だが免疫が出来ている) 自分が童貞で実感が湧かないのも理由にある。それに狛枝の容姿が浮世離れした美形だからだろうか、あまり性的なイメージはない。…何だか変だ。心がざわついて、落ち着かない。俺は無心でフォークを動かして、朝食を飲み込んでいった。

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02.ボクと友達になってくれるかい?
「日向さん…、顔色良くないですよぉ。今日は休んだ方がいいんじゃ…」
「いや、大丈夫だよ。全然平気だ」
食事が終わって片付けている時に、隣の罪木に怪訝そうに言われて、俺は笑顔を作る。まだみんな採集や掃除に慣れていないこともあって、学級目標を達成するには少々厳しい状況だった。ここで俺が休んでしまったら、ますますみんなに迷惑が掛かってしまう。
「うぅ…、そうですよねぇ。私なんかが差し出がましいこと言ってしまって、すいませぇん!! …でも念のため、脈を診せてくれませんか?」
泣きそうな表情で恐る恐る言われると断れる気がしない。俺は食器を置いて、罪木に左腕を差し出した。小さな手が俺の手首に掛かり、罪木は真剣な表情で脈を聞いている。澪田も心配そうな顔でこちらを窺っていた。やがて罪木は俺から手を離し、「あのぉ…」と言い淀んだ。
「やっぱり脈がいつもより速いですよぉ。原因としては寝不足やストレス、カフェインの過剰摂取、疲労なんかが考えられます。日向さんは若いのでもしかしたら大したことないのかもしれませんが、念のため今日は大事をとって休んだ方が良いと思いますぅ」
「……」
超高校級の保健委員は伊達ではないらしい。脈を診るだけでここまで言い当てられてしまうものなのか。俺は驚きのあまり、何も言えなかった。澪田も「蜜柑ちゃんが言うなら間違いないっす!」と席を立ち上がり、慌てて十神の所へ行ってしまった。うーん、何か大層な感じになったみたいだな。既に食べ終わっていたらしい十神がこちらに来て、「ふむ」と俺を一瞥する。
「確かに顔色が悪いようだ。昨日の採集場所は…山だったか。貴様は今日は休め」
「そんな、俺は大丈夫だって!」
「ふん、超高校級の保健委員の診断が間違っているとでも? 貴様1人穴を空けた所で影響など何もない。完璧にこなしてみせるさ、十神の名に懸けてな!」
「白夜ちゃんがそう言ってんだから、今日は1日まったりぐったりするっすよ。後は唯吹達にお任せ!」
体格的にも貫禄のある十神と無邪気にウインクする澪田に押し切られた形で、俺は小さく頷いた。
「悩みがあるのなら、いつでも言え。愚民の声に耳を傾けるのは上に立つ者の務めだからな…。俺達は協力すべき仲間なんだ。分かったな、日向」
「ヒュー! 白夜ちゃん、カッコイイ〜!! 唯吹惚れちゃいそうっす」
「ありがとうな。十神、澪田。それに罪木もありがとう。今日はお言葉に甘えて休ませてもらうよ」
「い、いえ! 保健委員としてみなさんの体調を管理するのは私のお仕事ですからぁ。でも日向さんにそう言っていただけて、…嬉しいですぅ」
えぐえぐと泣き出した罪木を、澪田があやしながらレストランから出ていった。俺も食器を片づけて、コテージに戻ろうと階段を下りる。自然と狛枝を探してしまったが、既に割り振られた作業場所に向かってしまったのだろう。どこにも姿はなかった。



自分のコテージに入ると、ドッと力が抜けていった。思ったよりも体は疲れていたらしい。俺はフラフラとベッドに倒れ込んだ。ベッドが軋んで体が沈む感じが心地良い。寝返りを打ちながら、俺は枕をきつく握りしめる。狛枝が分からない。嫌われてはいないと思う。だけどあいつが言うには俺達は友達じゃない。頭の中をぐるぐるとそればかり巡ってしまうが、やがて脳の思考回路も焼き切れたのか俺は深い深い眠りに落ちていった。


……
………

何の前触れもなく、目を開けた。ぼんやりと浮かんでくる見知った自分の部屋の内装。黄色い監視カメラ、シャワールーム、良く分からない雛壇。それに淡い髪色をした誰かしらの後ろ姿…。
「っ狛枝!?」
パッと飛び起きた俺にその人物は弾かれたように振り返る。警戒するように構えた相手は、状況を理解したのかモップの柄から手を話した。…狛枝じゃない。彼女は…。
「辺古山、か…」
「いきなり叫んだから驚いたぞ」
スッと安堵したように細められた瞳は鮮やかな赤だった。辺古山は「起こしてしまったならすまない」と素っ気なく言った。モップを持っていることから今日の掃除当番は彼女だったらしい。採集や掃除の間はコテージの鍵は閉めない決まりになっている。休んでいる者の部屋も掃除をしないといけないからだ。俺は今まで休みを取ったことがなかったから、掃除当番と遭遇するのは初めてだった。
「ごめん、ちょっと寝惚けてたみたいだ」
「寝言にしてはやけにハッキリしていたな。狛枝なら今日は海だ」
聞かれてたなんて、恥ずかしい。俺が俯くと、辺古山は穏やかな表情で「あいつが心配か?」と聞いてきた。否定はしない。心配は心配だ。狛枝の才能は超高校級の幸運。それはただの幸運ではなく、不幸と引き換えにもたらされる物だ。才能というより、呪いとしか言いようがないその力。彼の半生の一部を聞いただけでもその恐ろしさが分かる。
「あいつ、海なんていつもは行きたがらないのに…」
「今日は珍しく自分から行きたいと言っていたな。さすがに毎日掃除じゃ飽きたんじゃないのか?」
もしかして俺が寝てるから顔を合わせたくなかったんじゃ…。何だか良くない方にどんどん考えてしまう。具合が悪いとネガティブになりやすいとは聞いてたけど、自分でも当てはまるんだな。黙り込んだ俺に、辺古山は静かに口を開いた。
「海は危険だが、さすがに1人では行かせてはいない。確か田中と終里が一緒だったはずだ。私達もあいつの才能を信じていない訳ではないからな」
「そうか、狛枝から聞いたんだな」
「? お前が私達に話したのだろう。幸運に恵まれる分、不運も多いようだから目を離すなと。狛枝自身からは何も聞いてないぞ」
「……そういえばそうだったな」
ハイジャックに巻き込まれ、隕石の落下により犯人と両親が命を落とした話。殺人犯に誘拐された揚句、ゴミ袋に詰められて捨てられた話。狛枝はそれと引き換えに莫大な富を得たとは言っていたが、俺はそれを幸運とは思えなかった。「いつ何時死んでしまっても納得だよ!」と満面の笑みで語る狛枝に胸騒ぎを覚えた俺は、狛枝がいない時を見計らってみんなに彼を1人にしないようにと頼み込んだのだ。
別にそれについては見返りを求めてないから、怒りは湧かない。仲間には無事でいてほしいと心から思っている。俺だけじゃない。みんな狛枝のことを気にかけている。それすら彼は友達じゃないと切り捨てるのだろうか。
「なぁ、辺古山…。みんな、仲間だよな。友達って思っていいんだよな」
「どうしたんだ、日向。…何故そう心配するかは知らんが、私とお前は間違いなく友だ」
「そう、そうだよな! 俺も辺古山とは友達だ。ありがとう」
「礼を言われるようなことはしていない。全員にそれを聞くつもりか? それは無駄だぞ。全員が全員、お前を友と認めているからな」
きっぱりと言い切った辺古山は凛々しい。だけど違うんだよ。狛枝はそうじゃなかった。
「親愛は情だ。友とは心に決めてなるようなものではない。自然となっているものだ。それが今まで培ってきたお前と仲間との絆。そうだろう?」
「ああ、それに賛成だ」
「1度壊れたとしても、全てが無くなったりはしない。また絆を深めればいい話だ。何度でもな。…誰かとケンカでもしたのか?」
「ん…、ケンカっていうか、そうなのかな」
「ハッキリしろ。ウジウジ悩んでいるのを見せられると背筋がむず痒い。さっさと相手と話してこないかっ」
キッと赤い瞳に睨みつけられ、俺はビクリと姿勢を正す。そうだ、まずは話をしないと。いつまでも悩んでいても仕方ないんだ。狛枝と会って、話をする。もしかしたらお互い誤解していることがあるかもしれない。今生の別れでもないんだ。まだやり直せる!
「罪木から預かってきたビタミン剤と睡眠導入剤だ。寝付けているようだからこちらは不要か。とりあえず昼まで眠れ。何も考えずにな」
水の入ったグラスとビタミン剤を渡し、辺古山はモップとバケツを持ってコテージから出て行ってしまった。そうか、まだみんな採集から戻ってきてないんだな。今日の自由時間は狛枝を誘おう。いつまでもこんな思いはしたくない。…そう思っていたのに。



「おにぃ〜、今日はわたしと一緒にデートしてくれるんだよねー。言った約束は守らないと針千本マジで飲ませちゃうよー、キャハハハハ!」
「さ、西園寺…! そんなに引っ張るなって」
「えっ…、日向。あんた、日寄子ちゃんと約束してたの? だったらアタシの写真の被写体になるって話は…。せっかくカメラの手入れしてたのに」
「…あ、小泉。その、今日はちょっと、」
「そうじゃあああ! 今日はワシとみっちりトレーニングをするんじゃからなあああああ!! 特別に日向にはアレしてやるからのぅ!!」
「弐大、悪いけどそれはまた今度、」
「日向、貴様は氷の覇王たる俺様と契約を交わした唯一の人間…! 魂の伴侶である俺様からは逃げられん。我が魔獣合成の手伝いをしてもらう」
「うわっ、田中まで」
俺を交えて睨み合う4人。何だか火花が目に見えるようだ。どうしよう、止めないと。だけど俺の目的である狛枝は九頭龍と話をしている。そのまま行かせる訳には…! 俺は引き止めるためにも後を追おうとしたけど、グッと左腕を掴まれた。ケンカ腰の4人の隙間を縫うようにして現れたのは七海だった。
「みんな取り込み中みたいだから、とりあえず行こうよ。時間無くなっちゃうよ?」
「え、あ、」
慌てて視線を投げると、狛枝は九頭龍と連れ立って、島を繋ぐ橋へと歩いていってしまっていた。クソッ、間に合わなかったか。七海に手を引かれ、俺は名残惜しくもジャバウォック公園を後にした。

気付けばいつの間にか七海とデートをしている俺。何でこうなった。砂浜で意気消沈している俺に、七海は「大丈夫?」と気の抜けるような声をかけてきた。
「あのね、私は恋愛ゲーム詳しくないから、的確なアドバイスは無理かもしれないけど。もう2人の間にはフラグは立っている…と思うよ」
「何の話だよ」
「素直になれなくてお互いの気持ちが伝わらないっていうイベントは、どのゲームでも必ず用意されているし。結局誤解したまま敵になっちゃうRPGってあったよね?」
「いや分かんねぇよ」
七海はほのぼのと言葉を紡ぐ。ひょっとして俺を励ましてくれてるのか? 狛枝と話が出来るように背中を押してくれてるのかもしれない。だけどあくびをして、涎を垂らしながらコックリし始める七海を見たら、気のせいかもしれないと思えてきた。
七海と別れて、俺は自分のコテージに戻った。昼がダメでも夜がある。タイミングを見て 狛枝を捕まえようと思ったが、今日の夕食後は食器洗い当番で俺はソニアと一緒に使った食器を洗っていた。やっと洗い終わって、急いで狛枝のコテージに走る。今日1日お前がいないだけで俺は調子が狂うんだ。お前が俺のことをどう思っていたって構わない。俺がお前に友達でいてほしい。
ポストの表札を確かめて、俺はゴクリと生唾を飲み込む。ドキンドキンと鼓動が体中に響いている。緊張してるのか? 手汗が滲んできてるような気がして、俺は掌を服で擦る。そして狛枝のコテージのインターフォンを押した。
「……あれ?」
おかしいな、反応がない。インターフォンは壊れていないし、部屋には明かりが灯ってるから中にいるはずなのに…。外にいるのか? 出直した方がいいかと迷っていると、コテージの中でガタンと物音がした。やっぱり誰かいる。勝手に部屋に入る訳にもいかないので、その場でじっと待っているとキィと僅かにドアが開いた。
「こ、狛枝…。あっ、…!?」
「あれ? 日向クンじゃないか。こんな時間にどうしたの?」
中から顔を覗かせた狛枝はいつもの深緑色のコートではなく、真っ白なバスローブを纏っていた。風呂上がりらしい生乾きの髪と上気して桃色に染まった肌。ふわりと香るボディソープの匂いに、何故か俺の心臓はバクバクと煩く音を立てる。バスローブの合わせから見える瑞々しい肌色から視線を背けて、俺は思わず「ごめん」と謝ってしまった。何だか見てはいけないものを見てしまったような気がした…。
「こちらこそ、見苦しい姿を見せちゃってごめんね」
「別に、そんなこと」
狛枝はあっけらかんと笑っている。思ったよりも気不味くはならずに済みそうだ。狛枝の様子に俺はホッとしていたが、それを掻き消すように胸の鼓動が大きく鳴る。
「こんなゴミムシの所にわざわざ来てくれたってことは話があったんでしょ? 大したおもてなしは出来ないけど、良ければ中へどうぞ」
「い、いや、俺のことは後で良いから。風呂上がりなら着替えたり、髪乾かしたりしないといけないだろ! …お前が風邪引いたら困るし」
「……日向クン。なら身支度が整ったら、キミのコテージを訪ねることにするよ。それでいいかい?」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
狛枝は「また後で」とコテージのドアを閉めた。俺はしばらくその場を動けなかった。別にそのまま上がり込んでも良かったのに、何故か首を縦に振ることが出来なかった。男同士で意識することなんてない。だけど狛枝から発せられる妙な色気に頭がクラクラして、俺は本能的に同じ空間にいることを拒絶していた。
「一旦戻るか」
俺は自分のコテージに引き返した。ベッドに座って気を落ち着けようと思ったけど、何だかじっとしていられなくてすぐに立ち上がる。ソファに腰を落として、大きく息を吐いた。しばらくすると、ピンポーンとインターフォンが鳴った。やけに早いなと思いながら、ドアを開けるとそこには案の定狛枝が立っていた。
「待たせちゃったかな」
「いや、全然。えっと、その…外で話さないか」
部屋で狛枝と2人きりだと、何だか話に集中出来なさそうだった。俺がそう提案すると狛枝は一瞬表情を曇らせたが、「いいよ」と踵を返す。俺達は何となく、ホテルのプールサイドに歩いていった。煌めく星空が一望出来るプールサイドは俺の気に入っている場所だ。夜に何となくここへ来て、星を眺めることも少なくない。今日も雲1つない濃紺の空に星屑が散りばめられていて、眩い光に俺は目を細めた。狛枝は空を見上げたまま、何も言わない。
「あのさ、昨日のことなんだけど」
「うん。ボクが言ったことでキミを怒らせてしまったのは分かっていたよ。だけど嫌われてしまったのなら仕方ないって思ってたから、こうしてキミから話しかけてくれるなんて…、夢みたいだよ。今日は海で溺れそうになったけど、これがその代わりの幸運ということなのかな」
「お前溺れたのかよ」
こくんと狛枝は頷いて、「終里さんが助けてくれたよ」と苦笑いした。それが不幸で、俺の呼び出しが幸運だって? 狛枝には俺の思考や行動ですら『幸運』と捉えてしまうようだ。全てが運で、自分では制御出来ない流れに飲み込まれていると考えている狛枝。俺よりも自分の才能を信じているという事実に俺は内心ムカついた。
「俺が言いたいのは一言だけだ。お前は、俺の…友達だ。お前がどう思おうと知ったこっちゃない。一緒にいて楽しいって思うし、お前が困っているのなら何とかして助けてやりたい。ただそれだけを言いに来た」
「……日向クン。キミって人は…、どうしてボクみたいなクズに」
「〜〜〜っ、前から言おうと思ってたんだけどな、それ止めろ!」
「? それって?」
「自分を卑下するような言い方は止めろ。俺はクズと友達になったんじゃない。狛枝 凪斗と友達なんだ」
狛枝はポカンと俺の顔を見つめていたが、やがて泣きそうに顔を歪ませて自分の両腕を掻き抱く。体を震わせている狛枝に俺は何と言っていいか分からず、立ち尽くしてしまう。
「どうして、キミはそんなに優しいの? ボクと一緒にいたって、良いことなんて何もないんだよ」
「良いことがあるからお前と一緒にいるんじゃない。お前が友達だから一緒にいるんだ」
「………」
俺の言葉に狛枝は黙った。彼の表情はどこか寂しげで、俺はズキンと心が痛む。ああ、こんな顔されると放ってなんか置けない。あの嘘臭い笑顔の方が全然マシだ。
「友達…か。悪いけど、ボクはキミの友達にはなれない。話したじゃないか。ボクの幸運と引き換えに、周りの人はみんな不幸になっていったんだ。ボクの幸運の代償に、キミが傷付くようなことがあったら、ボクはきっと耐えられない。壊れてしまうよ…」
「狛枝…。俺を守りたいから、そんなこと言ったのか?」
「…うん、そうだよ」
しばらく間を置いてから、狛枝はそう言った。昨日の「友達じゃない」って発言はこれが原因だったのか。周囲に不幸をもたらす才能を持つ狛枝は、誰とも親しい関係を作ることが出来なかったんだ。それに気付かないで、言葉のままに解釈した昨日の俺を殴ってやりたい。狛枝は真っ直ぐ俺を見据えている。潤んだ灰色の瞳に星の光が反射して、キラキラ輝いている。もしかして泣いていたのだろうか。俺は狛枝に一歩近付いた。
「お前がそう主張するのは構わないけど、それを決定づける証拠はどこにあるんだ?」
「…え?」
「俺がいつ不幸になった? 俺は今までお前と友達として接してきたんだぞ。でもそれまでは何もなかった。ということはこれから先、不幸になるようなことは何もないって言えるよな。論破してみろよ、お前お得意の口上で」
「……それは…」
狛枝は口元に指を添えて考え込む。どうやったって、論破出来ないはずだ。俺は狛枝の不幸に巻き込まれたことは1度もない。狛枝が俺に細心の注意を払ってくれてたお陰だろうが、何にしろ証拠はどこにもないのだ。
「キミの言う通り、これは論破出来ない命題のようだ。…降参するよ。でも本当に良いのかい? 後悔するかも」
「しないよ。っていうかお前がいないと逆に変な感じだからさ」
「ふふっ、まさかそんなことを言われるなんてね。じゃあ、改めて…。日向クン、ボクと友達になってくれるかい?」
「当たり前だっ!」
鳥肌が立つほどの恥ずかしいやりとりなのに、狛枝の照れたような微笑みを見ているとどうでも良くなってくる。どちらからともなく右手を差し出し、固い握手を交わした。話して良かった。このまま修学旅行が終わるまでギクシャクしているなんて苦行だ。狛枝は「これからもよろしく」と明るく言った。
「日向クンが怒ってたのって、このことだったんだね。ボクはてっきり違うことかと思ってたよ」
「? 何だよ」
「ボクが体を貸すって言ったのが不快だったのかと思って。あの時は夢中で話してたから気付かなかったけど、そうだよね…ボクなんかじゃ気持ち悪いよね」
「まぁ…それにもビックリしたけどな」
ビックリはしたけど、気持ち悪くはなかった。そう言ったら、狛枝は何て言うだろう。告げてしまったら、今の関係が壊れてしまいそうで、俺は少し怖かった。
「もしそういう気分になったら言ってね! ボクはいつでもOKだよ」
「寝言は寝て言えよ、この変態!」
「うん。…そんな風に罵られるのも悪くないね。もっと酷いこと言ってほしいな」
「洒落になんないから止めろ…」

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