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03.狛枝くん…、本当に女の子?
「どうするの!? 日向クン。もう修学旅行も35日を超えてしまったよ。早くっ、早くしないとキミの希望の種がががが…っ!」
「そんな必死になんなくていいから! ちょっと離れろってば、狛枝」
ぐるぐるとした灰色の瞳に混沌を宿らせた狛枝が、俺の肩を揺さぶってくる。正気を失いつつあるのか、ガクガクと体を震わせながらこの世の終わりでも見たような表情で俺を凝視する。異常な行動には多少ビビるが、狛枝は基本こんな感じだからどう扱えば良いかは大体分かってるつもりだ。
「日向クンが超高校級の童貞のままだったら、キミの優秀な遺伝子は誰にも受け継がれることなく死に絶えてしまう! 酷い絶望だ…っ。そうなってしまったらボクは…!!」
「とりあえず落ち着け!」
涙や涎やその他諸々の液体を飛び散らせながら、狛枝は力説する。最早、禁断症状の一歩手前だ。
狛枝の分かるようで分からない理論を俺の口から説明すると、超高校級の才能を持った者はすべからくその遺伝子を後世に伝えなければならないらしい。つまり子作りということだ。しかし童貞である俺はその前段階にいるので、この修学旅行でそれを卒業するべきだと狛枝は主張している。曰く今ここで童貞卒業のチャンスを逃してしまえば、何やかんやで30歳を超え、魔法使いとなり、遺伝子を残すことなく希望が失われるとのことだ。
俺からしてみれば「余計なお世話だ」と一蹴出来てしまいそうだが、希望を崇拝する狛枝の必死さには何だか鬼気迫るものを感じているので、迂闊に反論出来ない状況である。
「はぁ…。ボクが女の子だったら、話は簡単だったのに」
「おいおい。お前、俺を襲うつもりか?」
「その可能性は大いにあるよね。ボクがキミの子供を宿せるのなら、こんな幸運はないよ」
「狛枝、念のため聞くけど…花村と同じ人種じゃないよな?」
「違うって。男なんてありえないね。許容範囲外だよ。でもその先に希望があるのなら話は別さ」
「そうか…」
狛枝の返事に俺は思わず落胆した。…そう、落胆。俺は何故だか狛枝のことを意識し始めていることに気付いた。何日か前に互いの勘違いで、狛枝との関係がふいになりそうになった時に初めて自覚したんだ。俺は狛枝がいないと自分らしくいられないって。
あれから何度も狛枝は男なんだからと自分に言い聞かせてみたものの、相変わらず狛枝を見ると胸がドキドキしたし、何気ない仕草にも見惚れてしまうし、鼻を掠める僅かな匂いでも心が溶けそうなほど打ち震えていた。既に手遅れというか、花村をバカに出来ないレベルだ。狛枝以外の男には嫌悪感しか湧いてこないから決してホモではない。
中性的な美貌と物腰柔らかな表情。不健康そうな色白な肌をしていて、虚弱体質。スタイルは良く、俺と身長は変わらない。いくら美人で顔が好みとはいえ、どこをどう見ても男だ。ルックスだけで好きになるなら、まだ九頭龍の方が納得出来たかもしれない。(それを九頭龍本人に言ってしまったら、海に沈められてしまうのだが) それはつまり、決して見た目だけで好きになった訳じゃないということだ。
出会ったばかりの俺を気遣って一緒にいてくれる優しさ、たまに俺をからかって弄ぶような無邪気な悪戯っぽさ、俺を自分の不運から守ろうとする健気さ、自分に自信が持てなくて壊れてしまいそうな儚さ…。希望に対する狂気染みた信仰心も可愛いと思えてしまうほど、俺は狛枝のことを好きになっていた。
でもそれが分かった所で、俺には何も出来なかった。友情を壊したくないと考える理性があったし、男同士は異常だと感じる常識もあった。俺が友達だと言った時の、狛枝の嬉しそうな表情を忘れることが出来ない。もし俺が恋愛感情で狛枝を好きだと伝えてしまったら、その顔は2度と見られないかもしれないんだ。
狛枝は俺に抱かれても良いと言っているけど、それは別に俺のことを好きだからじゃない。俺の中の希望を愛しているから、そのためなら体を明け渡してもいい。そういう思考回路だ。俺は自分の未知の才能に嫉妬さえ覚えた。だけど逆に感謝もしている。俺が才能を持たないただの凡人だったら、多分狛枝は俺に視線すら合わせてくれなかっただろう。
「どこに行こうか。立ち話もなんだし」
「そうだね。日向クンとなら、ボクはどこでも嬉しいよ!」
今は一緒にいられれば、俺は満足だ。狛枝は最近不運に見舞われていないらしくどこかビクビクしていたけど、俺はそれを安心させるように宥めるのが精一杯だった。「幸せ過ぎて怖い」。そうポツリと呟いた狛枝の言葉が耳に残る。誰よりも自分の才能を良く知っている狛枝は、きっとこの先に起こる何かを予感していたんだ。そしてその不運は翌日に狛枝に振りかかった。



朝。ブラインドの隙間から差し込んでくる光に、目が眩んだ俺はゴロンと寝返りを打つ。ここは南国だからスズメはもちろんいない。だけど知らない鳥の鳴き声が外から小さく聞こえてくる。まだウサミのアナウンスがないから8時よりは前だろう。俺はあくびをしながら、思いっ切り伸びをする。南国生活は順調で平和だ。もちろん採集には力を入れないといけなかったが、誰も仲違いや大きな怪我をしていない。
狛枝もよく転んで擦り剥いたり、物を失くしたりしているが、自分の才能に慣れ切っている彼にとっては日常茶飯事らしい。「この程度で今の幸運を相殺することなんて出来ないよ」と昨日の狛枝は笑っていた。それって俺やみんなと一緒にいることを幸せと感じてくれているってことだよな。素直に嬉しいと思う。あいつも最初の頃より段々と変わってきたのかもしれない。
「起きるか…」
寝汗を掻いたので軽くシャワーを浴びて、シャツとズボンを身につける。コテージの外でたまたま顔を合わせた連中と挨拶を交わしながら、俺はみんなが集まるレストランに足を進めた。「今日は和風にしてみたよ」と笑う花村の前には、慣れ親しんだ日本食がずらりと並んでいる。些細なことで不機嫌になりやすい西園寺も機嫌が良いのか、瞳を輝かせながら皿をいくつも取っていった。
俺も食べたい物をトレーに乗せていく。ふと振り返ったレストランのテーブルに視線を走らせたが、白いふわふわとした髪のあいつはいない。まだ寝てるんだろうか。少し心配だったが、その内ひょっこり現れるだろうと考え直して、俺は席に着いて朝食を食べ始めた。


……
………

来ない。食事中に何回も階段を気にしてみたが、一向に狛枝は現れなかった。そうこうしている内に全部食べ終わってしまい、俺は何だか嫌な予感がして席を立ち上がった。
「悪い、ソニア。俺の分も片付けといてくれないか?」
「え? ええ、合点承知の助です! けれど、どうかされました? そんなに慌てて」
「まだ狛枝が来てないみたいなんだ。ちょっと様子見てくる」
口元を手で押さえて、ソニアは「まぁ!」と声を上げた。サファイアのような透明な瞳をパチパチと瞬きさせて、辺りを見回している。やがて狛枝がいないことに気が付いたのか、「わたくしとしたことが、面目ないです…」としょんぼりとしてしまった。これだけ個性的なメンバーが16人集まれば、1人位いなくてもすぐには気付かないだろうな。
俺は食器をそのままにレストランの階段を駆け降りた。悪い状況ばかり頭を過ぎる。もしかして風邪でも引いて、コテージで倒れてるんじゃないかとか、既に昨日の内に外で大怪我をして動けなくなってるんじゃないかとか。色々物騒なことが頭に浮かんで、それを振り切るように狛枝のコテージまで走る。息を切らして辿り着くと、ドアノブに手をかけた。
「…鍵掛かってるのか?」
ガチャガチャと動かしてみてもドアは開かない。どうしようかと考えあぐねていると、中からか細い声で「誰?」と声が聞こえた。男にしては高い掠れたような声…、狛枝の声だ。とりあえず中にいることは分かって、俺はホッと息を吐く。
「俺だよ、日向。もしかして体調悪いのか?」
ドアの向こうに呼び掛けてみたものの、返事はない。何だよ、シカトかよ。少しイラついて「おい!」と促した所で、コテージのドアが開いて狛枝が顔を覗かせた。深緑色のコートに白いTシャツ、ズボンを履いている姿を見る限り、具合が悪くて部屋で寝ていた訳ではないようだ。だけど何か、雰囲気がいつもと違う…?
「日向クンか、おはよう」
「おはよう。じゃなくてどうしたんだよ、朝食に来ないから心配したんだぞ」
「そっか。心配かけてごめんね…」
「誰でちゅか〜? はわわっ、日向くんじゃないでちゅか! こ、狛枝くんは、えっとそのぅ…」
「ウサミ!? 何でウサミが狛枝のコテージにいるんだよ!!」
予想外だ。考えてもない人物(?)No.1のウサミが狛枝と一緒にいる? ウサミはプライベートにはあまり首を突っ込んでこない。俺達だけで修学旅行を達成させようとしているからか、生活範囲…増してや個人個人のコテージには決して足を踏み入れたりはしない。何か変だぞ。疑問に思った俺は勢いよくドアを開け、狛枝のコテージに突入した。
ビックリしたような狛枝と慌てふためいてオロオロするウサミ。改めて狛枝を見てみるが、何だか違和感を感じる。狛枝は俺を見上げて、「日向クン」と呼び掛けた。ん? …見上げて?
「…狛枝、お前縮んだ?」
「あの、あのでちゅね、狛枝くんは、」
「ウサミは黙っててくれ」
口を挟もうとするウサミを一喝すると、「あんまりでちゅ〜」としくしく泣き出す。そんなウサミは放っておいて、俺は狛枝に近付く。狛枝は身長180cm。179cmの俺とは目線が大体一緒だ。だけど今目の前にいる狛枝は俺より10cmほど身長が低い。…まじまじと見ていると、狛枝は困ったように俺から視線を背けた。ほんのり頬を赤くして「日向クン、近いよ」と俺の肩を押す。…その手を俺は思わず取ってしまう。
「小さい…」
狛枝の手は俺に簡単に包まれてしまうほど小さく、華奢で真っ白だった。それに柔らかくてあったかい。以前採集で木の枝に引っ掛けた時に、応急処置した時の記憶が蘇る。確かにこいつの手は綺麗だったけど、もう少し骨っぽくて大きかった気がする。それに生傷が絶えなくて怪我の跡が多かったはずなのに、今握っている手には傷が1つもない。今日の狛枝は何だか更にフェロモンが出てるんじゃないか?ってくらい色っぽくて、俺は心がざわついてしまう。俺を見つめる狛枝は冗談抜きに綺麗で可愛い。まるで女の子みたいに…。……女の子、みたい?
「???」
おかしいぞ…。手を離して、狛枝の頭から足の爪先まで注意深く観察する。スラリとしたモデル体型だったが、全体的にいつもより小柄だ。次にもう1度狛枝の顔を良く見てみた。…こいつ、こんな顔してたっけ。キメが細かくてツヤツヤした肌、長い睫毛に縁取られた切れ長の涼しげな双眸、スッと鼻筋の通った形の良い鼻、キュッと結ばれた桜色の唇。確かに狛枝なんだけど、狛枝じゃないような…? 腑に落ちないモヤモヤとした感覚を抱きながら、そこから視線を更に落とすと、俺の目はある1点に釘付けになった。……白いTシャツを押し上げているのって、もしかして、
「こ、こ、こ、狛枝…っ、ま、まさか、お、お前……!」
「日向クン、気付いたようだね。そう、ボクの体…どうやら女性になってしまったようなんだ」
「………はぁ!?」
神妙な面持ちで額に手を当てる狛枝に、俺はパクパクと口を金魚のように開くだけだった。何とも間抜けだ。真正面から向かい合っていることに、今更ながら恥ずかしさが込み上げてきて、俺はバッとその場から後ずさった。うそっ、嘘だろ!? 狛枝って女の子だったのか!? いや、そんな訳ない。昨日まで俺と同じ男だったのに、突然女になっただと!? ありえない! 天地がひっくり返ってもそんなファンタジックなことが起きるなんて…!!
「あちしにも分からないんでちゅ…。狛枝くんが突然女の子になってちまったなんて。システム的にそんなことあるわけないんでちゅ!」
「いや、システムってか、現実的にありえないだろ! 原因は何なんだよ!! まさかそのマジカルステッキの魔法でそうなったとか言うんじゃないだろうな!」
ウサミを持ち上げて、問い質すも汗をダラダラ流しながらウサミは「えーっとえーっと」と言葉を濁している。横から「落ち着いて、日向クン」と狛枝に腕を押さえられ、俺はようやくウサミを床に下ろした。頭が混乱する。深呼吸してから狛枝に向き直ってみたけど、当の本人はさほど取り乱していないようだ。口元に手を当てて、考え込んでいる。
「前にボクら2人で牧場に行った時、ウサミは鶏を牛に変えてみせたよね? あれは関係あるの?」
「…原理的にはそんな感じでちゅ。だけどあちしは狛枝くんには絶対そんなことちまちぇん! 大事な生徒にそんなヒドイことはっ」
「そう。それじゃ、もう1つ質問。…これはちゃんと元に戻るのかな。というかどのくらいこのままなの?」
狛枝は冷静だった。ウサミに問いかけると、「わ、わかりまちぇん…」と何とも期待外れの答えが返ってきた。分からないのかよ! ずっとこのままだったらどうすんだよ! 狛枝は「ちょっと困るなぁ」と苦笑いしつつ、腕を組む。その両腕の上に緩やかにカーブを描く膨らみが見えて、俺の心臓はドクンッと大量の血流を全身に送り込んだ。…む、胸だよな? あんぱんが詰められていたとかそんなオチじゃないよな?
「と、とにかく狛枝くんの体はあちしが責任もって直ちまちゅ! 解析して、バグを突きとめて…、時間かかると思いまちゅけど、絶対元に戻してみせまちゅから!! 待ってて下ちゃいね!!」
ウサミはステッキをビシッと狛枝に差し向けた後、素早い動きでコテージから出て行ってしまった。この世界も謎だけど、ウサミの動力も謎だよな、と俺はどうでもいいことを考えていた。
「今はどうすることも出来ない。分かったのはこれくらいだね。ウサミが治してくれるまで、普段通りの生活を続けるか…」
「狛枝……、その、本当に女になったのか? 何かの間違いじゃ…」
「勘違いでも見間違いでもないよ。朝起きたらこうなってたんだ。ちゃんと確かめたんだよ、服を全部脱いでね。そしたらあるべき物がなくて、ないはずの物があった」
「!? 脱いだのかよっ」
「おかしいかな? 現実的な行動だと思うよ。日向クンだって朝起きて女の子の体になっていたら、迷わず服を脱ぐでしょ?」
「うっ…まぁ、そうだけど」
否定はしない。もし俺がそうなってしまったら、下心も働いて、服を脱ぐことは確実だった。
「でも、本当に…そんなことが…」
「…疑ってるのかい? だったら日向クンも確かめてみる?」
そういうと狛枝は妖艶な笑みを浮かべて、コートをするりと脱ぎ始める。脱いで裸に…!? 瞬時に頭に浮かんだ妄想の裸体に、俺の全身の毛が逆立った。テンパってる間に狛枝はコートをベッドに投げ捨て、白いTシャツに手を掛ける。
「ちょ、ちょっと、待った!! いいからっ、脱がなくていいから!! は、早く着ろって」
俺は慌てて、狛枝の手を掴んで止める。俺に悪戯っぽい視線を投げかけた狛枝は「そう…、残念だな」とコートを羽織った。何でこいつ、一挙手一投足がこんなにエロいんだ? 俺は胸元をぎゅっと押さえる。心臓に悪過ぎだ!
「そ、そういえばお前、声はそんなに変わってないな」
「うん、そうみたいだね。ボクは元々声が高い方だから」
狛枝は喉を押さえて、何度か咳払いをしてみせる。全体的にほっそりして、柔らかみが出た気がするけど、基本的に狛枝は女になっても変わってない。男だった時から中性的で綺麗な見た目をしているからだろう。弐大辺りが女になったらどうなってたんだ? ちょっと想像がつかないな。
「女の子になったのはまだ分かるけど、腑に落ちない点がいくつかあるよ。ほら、ボクの服…今の体型にあつらえたようにピッタリなんだ」
「? 本当だ…。袖の長さも合ってるな」
確かめてみると、服はブカブカではないようだった。肩幅も余っていない。体だけが女になったのならまだしも、服ごと変わってしまったのはおかしい。狛枝はそう指摘しているようだ。女体化に比べたら些細な問題ではあるが、そう言われれば引っ掛かる。
「それにボクは女性物の下着を身につけていたんだ。締め付けられてる感じが嫌だからすぐに取っちゃったけどね」
指で示した先に無造作に落ちているそれは、紛れもなくブラジャーだった。
「欲しい? ボクには必要のないものだし、日向クンにあげるよ」
「いい。いらない」
カーッと熱が集まる顔を下に向けて、早口で言い切った。狛枝は「ウブなんだね」と擦れ違いざまに囁いて、コテージを出ていく。断ってしまってから、後悔したのは言うまでもない。



「そういう訳でボクは女の子になっちゃったんだけど、これからも仲良くしてくれると嬉しいなぁ」
爽やかな笑顔でそう言い放った狛枝に、勢揃いした14人は茫然と立ち尽くしていた。気持ちは分かるぞ。いきなり男が女になったなんて、マンガかアニメでしかありえないことなんだからな。
おまけに当事者である狛枝はへらへらしていて、普段と変わらない態度だ。見た目も劇的に変わった訳ではなく、パッと見は身長が低くなった程度。顔立ちはほぼ同じだったし、体格もスレンダーだからよくよく見ないと違いが分からない。じっと狛枝を観察するメンバーの中から七海が狛枝に近付いていく。
「狛枝くん…、本当に女の子?」
「う〜ん、情けないことにそうなんだよね」
「…あ、ホントだ」
七海は指先で狛枝の胸をつっついた。男にはない弾力があるのを確かめて、七海は振り返りみんなに「ちゃんと柔らかいよ」と伝える。…そうか、柔らかいのか。べ、別に羨ましいとかじゃなくて、それが事実なら仕方ないってだけで! ……お、俺は何を言ってるんだ!!
「禁じられた古の魔術を解呪するためには生贄が必要…。ふはははははっ、面白い。この呪いを俺様に解けという地獄からの挑戦か! 受けて立とうではないか!!」
「まぁ! 呪いなのですか? それでしたらわたくし知ってます! 狛枝さんにお湯をかければだいじょうブイですわね」
「ソニアさん…、それマンガの話なんで本気にしちゃダメですよ〜」
「メス猫よ、良い所に気が付いたな。貴様、中々素質があるのではないか? さすがは堕天せし闇の聖母…」
「はい! 田中さんに褒めていただけるなんて光栄です」
「ううう、オレを無視しないで下さいぃ…」
半泣きの左右田を尻目にキャッキャと楽しそうに盛り上がる田中とソニア。その傍らでは花村が鼻息荒く狛枝を見つめていた。
「狛枝くんが女の子だなんて…! ああっ、これは日頃の行いが良かったぼくのため? ね、ねぇ狛枝くん…ぼくにもその禁断の果実の感触を、」
「ちょっと花村!? あんたはダメだからね! っていうか男子は狛枝に触るの禁止!!」
「何でだよ、差別だろ! オレだって本当に女になったか確かめたいっつーの」
「左右田!? アタシ本気で怒るよ。アンタ達みたいなデリカシーのない奴らに、狛枝だってベタベタ触られたくないって」
小泉が「でしょ?」と話を振ると、狛枝は困ったように「そうだね」と笑った。いくら心は男のままだとは言え、鼻息荒くした男に胸を揉まれるなんて最悪だろう。その点に関しては狛枝が常識的な考えを持っていて、俺は内心安堵した。まぁ、「希望のためなら、みんなに触られても構わないよ!」なんて抜かしたとしても、俺が全力で止めるけどな。
「女ってことはオレと同じなんだよな。つーことはオメー、男のしっぽは!?」
「ないよ」
さらりと答える狛枝にさすがの終里も「マジかよ…」と固まってしまった。みんなざわざわと囁き合い、狛枝をジロジロ見ている。…大丈夫か? 狛枝は元々メンバーと深く関わり合うことがなかった。これがキッカケでみんなとますます距離が離れてしまったらどうしよう。いくら強制的に始まった修学旅行だからと言っても、ここにいる間くらいは仲良く過ごしてほしい。横目に狛枝を心配しながらそんなことを考えていると、集団からスッと手が上がった。
「九頭龍?」
「おぅ、狛枝がこうなったのは何でなんだよ。原因っつーか、心当たりは?」
九頭龍に問われた狛枝は腕を組んで考え込んでいたが、やがて残念そうに首を横に振った。
「ごめん。ボクにも見当がつかないんだ。昨日は特別何かした訳でもないし」
「例えば何か変なもん食ったとかよ」
「あっ、唯吹分かっちゃったっす!! 輝々ちゃんがご飯にイッパツ盛ったんじゃ〜」
「ええっ、ぼく!? いやいやいやいやっ!! りょ、料理に薬なんてそんな野蛮なことしないよ! 味が台無しになる可能性だってあるんだし」
「…その言葉に偽りはないだろうな? まぁもし貴様が犯人であれば、私が斬り捨てるだけだがな」
「ううっ、酷いよ酷いよ、辺古山さん! こう見えてぼくは正々堂々と勝負するタイプなんだよ。んふふっ! …だってほら、その方がアーバンな香りがするでしょ?」
花村は得意満面に主張する。こいつはこいつなりに変態のプライドというものがあるようだ。そんな花村に何人かが胡散臭そうに視線を向けているが。
「ってゆーか、薬ってんなら罪木も怪しいよ。ドラッグストアにそういうのがあるとかさ。オラさっさと吐けよ、このゲロブタァ!!」
「ひぅぅっ! な、何で私がそんなことしなくちゃなんないんですかぁっ! 酷いですぅ、濡れ衣ですぅ!」
ガヤガヤと騒ぎ出すメンバー達を横目に狛枝は「ふぅ」とつまらなさそうに溜息を吐いていた。何で渦中のお前が1番落ち着いてるんだよ。狛枝を気にしていると、俺の視線に気付いたのかこちらをチラリと見る。ふいうちの流し目に俺の心臓が大きく音を立てた。クソッ、顔を見る度にときめいてちゃマトモに話も出来やしない。
…俺がこんなんじゃダメだ。状況は変わらない。まだ修学旅行は途中なんだ。今出来ることをしないと。俺は気合いを入れるためにパンッと両頬を叩く。そして輪になって話し合ってるみんなの中に割って入った。
「ちょっと待ってくれ、みんな。狛枝の件はさっきウサミが何とかするって言ってたし、そっちは任せて今日はもう作業に入らないか?」
「でも…このまま狛枝さんを放っておいて良いのですか?」
「解決しない以上、今考えてもどうしようもないと思うんだ。原因も分からないんなら当たり前だよな」
「ふんっ、…日向の言う通りだな。確かに後回しにした方が賢明のようだ」
十神の言葉が鶴の一声となって、その場は一旦お開きとなった。事前に決めておいた割り振りを伝え終わると、みんな納得したように頷き、それぞれ自分の持ち場に散っていった。
「狛枝、今日は休むか?」
「ううん。大丈夫だよ。体が変化した以外は特に問題ないんだ」
狛枝はそう言うと、へらりと笑ってみせる。狛枝の元々の担当はいつものごとく掃除だ。他に十神と七海が掃除担当になっているので、万が一体調不良になっても大丈夫だろう。今はウサミを信じて、狛枝が元に戻るのを待つしかない。
「ウサミちゃんは知ってるんだ…。なら安心だね」
ポツリと七海が呟く。彼女はウサミをかなり信頼しているようだ。
「俗物とはいえ一応は引率の先生だから仕方なく呼んだんだ。まぁ成果を期待するのは別の話だけどね」
「お前って相変わらずウサミに冷たいよな」
「狛枝くん、不安にならなくても平気…だと思うよ。きっとウサミちゃんが何とかしてくれる」
七海にそう元気づけられると、狛枝は眉間に皺を寄せて視線を俺達から逸らす。…あれ、今の反応って。狛枝は俺を一瞥すると背中を向けて、コテージの方に行ってしまった。七海も「それじゃあ」と小さく手を振りながら、狛枝の後を追っていく。
俺も持ち場である遺跡に足を向けた。2番目の島まで考え事をしながら歩く。狛枝とは修学旅行メンバーの中でもそれなりの付き合いだ。彼独特の癖もいくつか見つけた。
例えば希望を語る時、狛枝は自分でも気付かない内に涎を垂らしている。これはすごく分かりやすかったので、最初に気付いた。それから心にもないことを言ったり、嘘を吐いたりする時、あいつはほんの少しだけ体が揺れる。それに気付いてからプレゼントを渡す際は、渡した物が好きかどうかが見分けられるようになった。そして図星を突かれた時、狛枝はすぐに言葉が出てこないらしい。多分、相手に言われたことを自分の中で確かめる時間なんだろう。
七海に言われて、沈黙した狛枝。きっとあいつも不安なんだ。何でもないようなフリして笑ってるけど、無理してるんだ。だったら俺が助けてやらないと。少しでも狛枝の力になって、不安を取り除きたい。今日の作業が終わったら、あいつを誘ってみよう。何か話でもすれば気が紛れるかもしれない。俺はそう決めて、採集場所に向かって走り出した。

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04.俺はお前を見捨てないよ。
「日向クン!」
「狛枝!?」
自由時間になって、とびっきりの笑顔で俺に駆け寄ってくる狛枝。何だかあいつの周りだけやけにキラキラしてて眩しくないか? 思わず俺は目を擦った。
「? 目なんか擦って。ゴミでも入ったの?」
「いや、何でもない。それで俺に何か用か?」
「うん…。日向クンとどうしても話がしたくて。この後空いてるかな? ごめんね。こんなゴミムシのために時間を無駄にさせてしまうなんて、本当に申し訳ないんだけど。ああっキミに見つめられるのなら、蔑むような視線でもボクは嬉しい…!」
別に蔑んでる気はないんだけど、身長差があるからかそう見えるらしい。上目遣いで訴えかけながら、若干息を荒げた狛枝は俺の右手をスッと取った。白くて柔らかい女の子の手に、俺は無条件でドキドキしてしまう。
「あのさ、俺も…お前のこと誘おうと思ってた、から」
「そうなんだ! ふふっ、これは幸運なのかな。ボクとキミが同じことを考えていたなんて…」
うっとりと自分の体を抱き締めて、狛枝は体を震わせる。ハッと我に帰り 周囲を見回すと、俺達を遠巻きにして他のみんながじっと様子を窺っていた。女になった狛枝と一緒だとどうにも目立ってしまうようだ。とりあえず居心地が悪いので適当な場所に移動することにした。

ジャバウォック公園を出た俺達は映画館に向かっている。公園を出た時点ではどこに行くのかは全然考えていなかった。いつも狛枝と行動する時は「キミが行きたい所ならどこだって良いよ」と言う狛枝の言葉もあり、俺が場所を決めることがほとんどだ。だけど今日は珍しく狛枝が「映画館に行きたい」と言い出したので、それならと一緒に行くことにした。
「何か観たいやつあったか?」
映画館に到着して、狛枝に話を振る。受付カウンターにあるパンフレットを広げて見ていた狛枝はふと顔を上げた。どれどれと横からそれを覗きこんでみると、狛枝が好みそうなミステリーやサスペンス物は皆無で、上映しているのはアニメや動物もの、恋愛系ばかりだ。今日は外れだったのか。
「お前の好きそうなのないな。別の場所に行こうか?」
「ねぇ、日向クンが観たい物は?」
「俺!? いや…。映画とか特に好みがないから、宣伝してて人気のありそうなやつ選んじゃうんだよな」
「なら恋愛物は平気?」
小首を傾げて尋ねられた。狛枝がそれをチョイスするなんて、どういう風の吹き回しなんだろう。
「別に良いぞ。どうしたんだよ、たまにはそういうの観たくなったとか?」
「ちょっとね…」
含んだような物言いで狛枝はポップコーンとドリンクを手に取ると、先に中に入っていってしまった。ちなみにこの映画館は何とも摩訶不思議なシステムになっている。いくつかある映画の中から観たいと思った物を1本選ぶと、中に入った瞬間自動でスタートするのだ。人もいないのにどうやって上映されているのかは謎である。
さてちょうど真ん中辺りに座っている狛枝の隣に腰を下ろすと、館内は真っ暗になった。映写幕にロゴが浮かび上がり、物語が始まる。ハリウッド映画みたいだったが、俺の知らないタイトルだった。内容は悪く言えばベタ、良く言えば王道と言った感じだろうか。住む世界の違う男女が出会い 段々と打ち解け、周りの妨害に遭いながらも2人で乗り切るというストーリーだ。ピンチになったヒロインをヒーローが助けに来て、2人で喜び合うシーンは何だか心が温まる。最後は悲しい結末を迎えてしまう筋書きに俺は涙腺が刺激されてしまい、狛枝に気付かれないようにそっと涙を拭いた。
そういえば狛枝はどんな顔をして観てるんだろう。少し気になって、隣にチラリと視線を送る。………うん。ある意味、予想外だ。何と奴は気持ち良さそうに寝ていたのだった!


……
………

「自分から観たいって言い出しておいて寝るって、お前なぁ!」
「うーん、だってつまらなかったんだもの。何だろうね、全体的に生温いっていうか…何もかもが茶番に思えてきちゃって。どうせフィクションでしょ?」
クスリと呆れたような笑みを浮かべて、肩を竦める狛枝。そんな彼に俺は思わず頭を抱えた。
「それを言うならほとんどの映画は作り物だぞ」
「推理物なら考えて楽しめるけど、他人の恋愛なんて見てもどうしようもないよね。まぁそれが分かっただけでも有意義だったかな」
狛枝は残念そうに言い捨てた。こいつの行動が読めないなんていつものことだし、もう何を言っても無駄だろう。俺は諦めてエンディングが流れる真っ暗な館内を出ることにした。
「何でボクが恋愛映画なんかを選んだか気になった?」
映画館のロビーに座って落ち着いていると、狛枝が俺の顔を覗き込むようにして聞いてきた。
「そんなの気分の問題じゃないのかよ」
「ボクこんな体になったでしょ? だからイマイチ自分が本当に狛枝 凪斗なのか自信が持てなかったんだ。ボクがボクであると主観的に認識しているだけで、本当は全てが入れ換わった偽物かもしれない」
「…んー、さすがに考え過ぎじゃないか?」
「狛枝 凪斗が突然女になったことよりも、自分を狛枝 凪斗だと思い込んでいる人間が記憶はそのままにすり替わったって考える方が幾分現実的だよ」
「だとすると記憶はどうなんだよ。お前、今まで修学旅行であったこと覚えてるよな?」
「日向クン、ボクらがジャバウォック島に来た時のことを思い出してごらんよ。ここに来るまでの記憶が消されてるのなら、偽の記憶を捏造するのも簡単だよね」
「要するに狛枝にそっくりな女が別にいて、本物の狛枝は消失したってことになるけど…。はぁ、そんなSFチックなことがあって堪るか」
マトモに推理出来そうな材料がない。いや…あるにはあるが、突飛過ぎて手の着けようがないと言ったところか。俺は早くも匙を投げたかったが、狛枝は顎に手を添えて真剣に考え込んでいる。
「女性なら恋愛に興味を示すかと思ったからあの映画を観た訳だけど、どうやら趣向はボクのままだったみたいだ。ボクが推理物を好むことは日向クンが知っているから、これで1つ証明出来たね」
「…なるほどな。だからお前は狛枝だと言い切れるってことか」
「確定は出来ないけど、その可能性が高まったってことだね。…うーん。入れ替わりトリックを否定するとなると、更に謎が深まるなぁ」
ブツブツと呟きながら、狛枝は考えを巡らせているようだ。俺も狛枝のアイデンティティの証明すれば、こいつも少しは安心するのか? 狛枝らしいことと言ったら、希望に対する熱意が真っ先に頭に浮かぶ。
「……お前って、今も変わらず希望が好きなんだよな?」
「そうだよ! 大好きさ。ボクは希望のために全身全霊を尽くして、この命を全うする所存だよ」
グッと拳を握りしめて、狛枝は強く主張した。ああ、これでこそ狛枝だ。それだけでお前はお前だっていう証明は出来てるような気がするんだけど。ここまで希望を愛してやまない人物は狛枝以外ありえない。鋭い割にどこか抜けている狛枝に俺は思わず吹き出してしまった。
「これで1つ証明出来たんじゃないか? 俺はお前以上に希望に夢中な奴知らないぞ。…お前は狛枝 凪斗だよ」
「…そう、かな。うん、そんな気がしてきた…! ボクは、狛枝 凪斗…なんだよね?」
ぎこちなく疑問を口にする狛枝に俺は大きく頷いてやった。すると彼の表情は見る見る内にパッと華やいだような笑顔に変わる。やっと笑ってくれたな。
「…キミの言葉って不思議な響きがあるよね。何だろう、すごく心が落ち着く」
「別に大したこと言ってないぞ。お前が変わってないのは俺が知ってるから。だからそんな難しく考えるなよ」
「えっ、変わってない? ……今のボクって、男っぽい? やっぱり変? 気持ち悪い?」
「そうじゃなくて! 男であれ女であれ、狛枝は……魅力的、だってこと」
「日向クン…」
狛枝は目を見開いて、少し顔を赤くした。マズい、つい口を滑らせた。もっと普通の単語を選べば良かったのに、これじゃ口説き文句にしか聞こえない。狛枝は聡い奴だ。どうしよう、俺の気持ちを知られたら…。ドキドキしながら狛枝の反応を待ったが、どうやら彼は俺の様子には気が付かなかったようだ。困惑しているのかモジモジと下を向いている。その姿が可愛くて、思わず目下にある綿毛のような髪を撫でたくなった。いや、ダメだ。中身は男なんだから、そんな扱いをされたらさすがに怒るだろう。どう扱っていいか困っていると、俯いていた狛枝からポツリと言葉が紡がれた。
「あのね、日向クン。映画はついでで、今から話すことが本題なんだ。…聞いてくれるかい?」
「? 何だよ」
「過程はどうあれ、ボクは女の子になってしまった。つまり、キミにとっての選択肢が8から9になったということ。ここまでは分かるよね?」
「………? 何だよ、8が9って。っ!! おいおい、あの話の続きかよ…」
突然何を言い出すのかと思えば、俺の童貞卒業の話とは…。まだ続いてたのか。脱力してそれ以上の言葉が出てこない。
『ボクが女の子だったら、話は簡単だったのに』
確かに狛枝はそう言っていた。そして現実に狛枝の体は女になってしまった。欠落していたピースが埋められ、その行為を阻む障害は全て取り払われたのだ。
「本当は映画館でキミを襲うつもりだったんだ。誰もいない暗闇だし、見てる映画は恋愛物だし、気分が乗ってシてしまうのもありそうでしょ?」
「お前、俺のことを何だと思ってんだよ!」
「男ってそういうもんじゃないのかな? 裸の女が誘ってきたら、キミだって食い付くはずだよ」
「俺はそんなことしない…!」
「そう…。まぁ実際は映画に入り込んでいるキミの顔を見たら、そういう気すら失せちゃったんだけどね」
あははっと軽く笑い、狛枝はグッと体を逸らした。わざとなのか、胸の膨らみが強調される。俺は慌てて狛枝から視線を外した。クスクスと甘ったるい狛枝の声が耳を擽ってくる。
「ふふっ、ホラ…今もボクのこと見てたでしょ? その気がないなんて言わせないよ、日向クン」
「やめろよ、狛枝っ」
「遠慮しなくたって良いんだよ。ボクはキミに何されても構わないんだから。ねぇ…ボクのこと、触って…?」
座っている俺に向かい合うように狛枝が跨ってくる。ネットリとした声が背筋にゾクゾクと響き、熱の籠った吐息が耳を震えさせた。狛枝は妖艶に微笑んで、俺の頬をそっとなぞるように撫でた。目の前に迫った柔らかい2つの膨らみが顔に押し付けられて、全身にカッと熱が回り始める。ヤバい…!!
「…あれ? あれあれ? 日向クン…何か固い物が当たってきてるけど、コレ何かなぁ?」
「っ! ばかっ、どけよ! こまえ、だ…!」
楽しそうに笑いながら、狛枝はユラユラと厭らしく腰を振る。熱を抑えるのに必死で、思うように体を動かせない。抵抗しようとした腕を狛枝にがっちりと掴み取られ、俺は後ろに倒れ込んだ。ハァハァと熱い吐息を漏らしながら、狛枝は更に腰の動きを激しくした。陶酔しきった狛枝の口元から涎がボタボタ飛び散って、俺の顔を濡らしていく。
「あはぁぁっ、熱くなってきたよ。言葉で嘘は吐けても、体は嘘を吐かないね…。キミの体はボクとシたいって言ってる。全身で感じて、ドロドロに溶けて、混ざり合いたいって思ってる」
「はっ、やめ、冗談、だろ? なぁ、狛枝!」
「ねぇ…っ、これって挿れてるみたいじゃない? 服がなかったら、このままボク達1つになって…。ボクの中に、日向クンの精子が…いっぱいいっぱい注がれるんだよね? ああっ、素晴らしいよ! 日向クンっ日向クン、あぁっアハッははは、」
グラグラと世界が回る。狛枝はすごい力で俺を押さえつけてきていた。俺の物は奴の言う通り、完全に勃起している。このまま流されてしまおうか。そんな考えが頭を過ぎる。俺は狛枝のことが好きだ。友達としてじゃなく、1人の男として。童貞とかそんな問題を抜きにして、狛枝と体を重ねられたらとも妄想したこともある。でも今みたいな状況は想像していなかった。もっと暖かくて抽象的で幼稚な妄想だった。
狛枝が俺のことを好きになって、恋人同士になってくれたなら本望だ。だけど今の狛枝が俺との行為に及ぶ理由は希望のためだからだ。俺ではなく、俺の中の希望を愛している。それに何より狛枝は、大事な俺の友達なんだ! 童貞とかどうでもいい理由でその関係を壊す訳にはいかない!!
「狛…枝…。やめろ…! はな…、離せ!!」
「!? ひな、あぐっ」
全身に力を込めて狛枝の両腕を掴み、思いっ切り突き飛ばす。グラリと大きく振られた狛枝は体重を支えきれずに、俺の膝から後ろ向きに落ちてしまった。ドッと床に倒れ込む音がロビーに響く。
「狛枝っ!!?」
「………。いっ…たた…」
ビックリして起き上がると、背中を強かに打ったのか狛枝は床に仰向けに倒れていた。イスから立ち、慌てて彼の傍に駆け寄る。苦痛に歪んだ狛枝を助け起こしたが、目立った外傷はない。気絶はしてないから命に別状はなさそうだけど、俺が振り払った所為でこうなったんだし、少し申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、…狛枝。痛かったか?」
「ん…、平気だよ。ちょっと頭にたんこぶ出来ちゃったみたいだけど」
乾いた笑いを零す狛枝の後頭部を軽く擦ると、言う通りこぶが出来ていた。床に落ちた時に背中を打った反動で、頭もぶつけたらしい。沈黙する俺を安心させるように狛枝は穏やかに笑って、体を起こそうとする。もちろん手を貸して、起き上がるのを手伝ってやる。狛枝の体は大した力も要らずに簡単に俺の腕の中に収まってしまった。折れてしまいそうに細く儚い狛枝。さっき押さえ付けられていた時の力は火事場の馬鹿力ってやつだったのか?
「狛枝が心配しなくても、童貞は自分で何とかするから大丈夫だ」
「…日向クン」
「狛枝が必死になるのも分かるけど、俺はお前と友達でいたいんだ。頼むからもっと自分の体を大事にしてくれ」
俺がそこまで言うと 狛枝は唇を僅かに動かしたが、やがて俯いてしまった。小刻みに震えているのが触れた部分から伝わってくる。思わず抱き締めたくなるけど、そうする訳にはいかない。俺と狛枝は友達同士だから。
「キミの童貞卒業の悩みを解決出来ないなんて、何て絶望的なんだ…。ボクは友達失格だね。史上最低のゴミムシだよ」
「…狛枝。無理にそんなことしなくても、失格とかないからさ。俺とお前は友達だ」
「ボクもキミのことを友達だと思ってるよ。キミがあの日友達と言ってくれた日は今でも忘れない。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、あの日確かにボクの世界は変わったんだ。自分が誰かから必要とされる日がくるなんて、今まで思ってもみなかった。キミはボクにとって…、初めての人なんだ」
初めての人。飾り気のない言葉にドキンと心臓が音を立てる。真っ直ぐ見詰める狛枝の口からそんな言葉が出てくるなんて。…単純に嬉しい。それって狛枝にとって俺の存在がすごく大きいってことだよな? どうしよう、狛枝のことますます好きになってしまいそうだ。雛鳥が親を追うように、ただ純粋に俺を信じてくれる彼が堪らなく愛おしい。もしここで俺が狛枝に告白したら、彼は想いを受け止めてくれるだろうか。
「ごめんね、日向クン。ボクの勝手な思い込みでキミを追い詰めちゃったんだね。友達のために何かしたかったんだ。普段のボクなら幸運と不幸のことを考えて、滅多な行動は起こさないんだけど。日向クンにはボクが出来ること何だってしてあげたい。そう思うから」
「友達だから? 才能とか希望とかじゃなくて…」
「うん。最初は才能のためだったけど、今は友達の意味合いが強いかな。友達を助けることはきっと希望に繋がるから」
「狛枝……」
狛枝は俺を才能だけで見てる訳じゃなかったんだ。心配していた要素が1つ消えて、俺はホッと胸を撫で下ろした。童貞卒業が友達の助けになるという考えはかなり歪んでいたけど、そんなことより狛枝が俺自身を見てくれている事実の方が大きい。尚更、告白なんて出来なくなってしまった。『友達』として慕ってくれている狛枝に、俺が『恋人』になってほしいなんて言ってしまったら、彼を傷付けるだけだ。
「日向クン…ボクが女の子でも、友達でいてくれるかい?」
「…バカ、何言ってるんだよ。どんなことがあっても、俺はお前を見捨てないよ」
「ありがとう、日向クン。キミみたいな友達がいて、ボクは幸せだね…」
今の関係を壊したくないなら、口を閉ざせ。頭の中に警鐘がガンガン響いている。狛枝が俺の傍にいてくれるなら、それだけで構わないから。決意を胸に俺は笑顔を取り繕う。目を細めて俺に微笑みを返す狛枝はどこか切なそうに見えた。

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