// Call of Cthulhu //

01.Prologue
Starting Call of Cthulhu Version 1.01………
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データ 読み込み中

……
………



[クトゥルフ神話TRPG]

 >GAME START




ゲーム を 開始 します



…扉だ。扉がある。真っ暗闇の中、忽然と現れた木製の両開きの扉。上質な素材で細工を見る限り、丁寧に作られているのが分かる、艶やかでどっしりとした雰囲気のそれ。何かがおかしい。その違和感は自分の手を見ることで理解出来た。光が一切ない深淵のはずなのに、扉や自分の体はハッキリと視認することが出来る。
『ああ、デジャブってやつか』と日向は思った。確か修学旅行が始まる時もこんな感じだった。他に道などない。そう、この扉を開けば…始まる。日向はドアノブに手を掛け、それを力を込めて押す。その先から見えたのは目が眩むほどの光だ。視界を白く染め上げる光の洪水に、日向は思わず手で視界を覆った。


……
………

落ち着いた木造の建築物。天井が高く、中は仕切りのない広い空間になっている。壁一面に本棚が所狭しと並び、その全てに本がギッシリと収まっていた。階数にして4階はあるだろう高さ。正面の2階部分は窓ガラスになっており、麗らかな陽気の空が垣間見える。
中央には読書をするためのスペースなのか落ち着いた色味のテーブルとイスがいくつか置かれ、周囲には監視カメラ、モニタ、地球儀や銅像などがポツポツと設置されていた。ふわりと古紙の香ばしい匂いが鼻を掠める。日向はこの匂いが嫌いではなかった。


「あ…、日向くん。こっちに来れたんだね」
静かで眠そうな少女の声に日向が視線を走らせると、本棚の影から七海がひょっこり顔を出した。薄い紫がかったセミロングの髪を外巻きにして、モザイク柄の飛行機のピンをつけている。ピンク色がかった瞳は眠そうなのか目尻が下がっていた。フードの付いた紺色のカーディガン、ベージュのスカート、カーディガンと同じ色のニーソックス。背中には猫のキャラクターのリュック。柔らかい印象が魅力的な美少女だ。修学旅行以来に見た彼女の姿に、日向はホッと息を吐いた。
「こうして面と向かって会うのも久しぶりだな」
「うん、そうだね。何だか懐かしい感じ」
「っていうか図書館なんだな。もっと別の場所かと思ったぞ」
「テーブルトーク、だからね。ここでプレイするのが1番かなって思ったの」
なるほど。ロビーやレストランなんかも人が集まるには問題なかったが、落ち着いてという雰囲気ではないかもしれない。その点、空間が閉じていて静かな図書館は打ってつけと言える。
「日向くん、まず確認なんだけど。ここに来るまでの記憶はちゃんとあるかな?」
「? ああ、そういうことか。コロシアイ修学旅行が1回。アイランド修学旅行が2回。合間には目覚めてるぞ」
「ということは…、君は全ての記憶データを引き継いだ日向くんってことだね」
七海は安堵したように柔らかい笑みを浮かべた。彼女の言うように、本当に懐かしかった。最後の学級裁判で自ら消えることを望んだ七海。一生会えなくなるかもしれないと思った彼女とは、アイランド修学旅行で再会したが、それも大分前だ。

2人が顔を見合わせていると、ふいに足音が聞こえた。振り向くと、そこには小柄な少年が立っている。『立っている』というより『忽然と現れた』の方が正しいかもしれない。日向の知る限り、最初にはいなかったはずだ。扉が開いた様子もなく、彼がどこから現れたのかは不明だった。
整ってはいるが、幼く可愛らしい顔立ち。襟が大きく折れたブレザーの中に深緑色のパーカーを着ている。どことなく活発そうな印象を受けた。ごくごく普通の出で立ちだが、日向と同じくアンテナのように立った髪の毛が目立つ。彼は日向と七海に視線を向けられると照れ臭そうに小さく笑った。その顔に日向は覚えがあった。
「苗木、誠? …何でここに。いつもの未来機関のスーツじゃないし」
「日向くん、ここは現実じゃない。プログラムの世界なんだよ。だからここにいる苗木くんは…」
『その通り。ボクは本当の[苗木 誠]じゃないよ。アルターエゴがキミ達と意思疎通を取るための、仮アバターって考えてもらえると助かるな。この苗木 誠を動かしているのは、もちろんアルターエゴさ』
どうして気付かなかったんだろう。日向は頭を掻いた。どうもこの世界はリアル過ぎて、現実との境目が無くなってしまう。七海が現実には存在しない少女と分かっていても、目の前にいる彼女はまるでそこに生きているかのように瑞々しく息衝いている。それは自らをアバターだと言った苗木にも当て嵌まるのだが。人物に限らずこの空間も作り物であるはずなのに、現実と見紛うばかりに生々しい質感を放っていた。



そもそも何故このような状況になったのか、日付は何ヶ月かを遡る。モノクマが支配していたコロシアイ修学旅行を卒業出来たのは日向、左右田、終里、ソニア、九頭龍の5人だけだ。強制シャットダウンという手段を行使したにも関わらず、何故か5人とも修学旅行の記憶を持ったまま、目覚めることが出来た。まさに奇跡だった。NPCとして創られた七海は日向達が目覚めた数日後、モニタ越しに顔を合わせた。
しかし残りの10人が目覚めることはなかった。だからと言って、ただこのまま指を咥えて見ているだけとはいかない。未来機関の協力の元、彼らを目覚めさせる計画がスタートした。デバックを幾度となく重ね、ウイルスが入らないように細心の注意を払い、新世界プログラムを修復していく。気の遠くなるような作業が続いた。

そうして完成された新世界プログラムを起動し、本来行うはずだった修学旅行を再度実施させたのが今から3ヶ月ほど前だ。10人の新しいアバターを作成し、改めて上書きしようという計画だ。生き残りの5人も参加し、それは2回行われた。希望のカケラは16人全員が全てを集め終わり、上書きするアバターは完成したのだった。
だがそれらをサルベージする前にトラブルが起こった。スタンドアロンで動いていたはずの新世界プログラムにアルターエゴの別プログラムが浸食してしまったのだ。人の感情面というシビアなデータ形式で、捕まえるのが難しいとモニタの中のアルターエゴは表情を曇らせて言った。データをサルベージするためには、誰かが直接プログラム内にダイブして、取り戻さなければならない。
「5人全員で」と主張する生き残り4人を何とか宥めて、その内の1人の少年が単独でプログラムに入ることになった。そして今、その人物―――日向 創―――はこの場にいる。



『日向クンだけなんだね、ダイブしたのは』
「ああ。他の連中を危険に晒す訳にはいかないからな」
『アルターエゴのプログラムが浸食したのが最初の原因なんだよね…。本当にごめん。こんなことになってしまって』
泣きそうになる苗木の肩を日向はポンと叩いた。「お前の所為じゃない」と言いたげな視線だ。それに気付いた苗木は『ありがとう』と目尻を下げた。失敗してもフォローすれば大丈夫。なるようになる。日向が七海から教わったことだ。
そんな2人をじっと見ていた七海だったが、「ところで」と言葉を紡いだ。
「みんなのアバターを回収するにはどうすればいいのかな?」
『うん。それなんだけど、アルターエゴから浸食したプログラムに、みんなのアバターが紛れ込んでいるみたいなんだ。それを日向クンが見つければ、回収されたことになる』
苗木の言葉に日向は首を傾げる。
「…その浸食したプログラムってのは何なんだ?」
『えっと…、それが完全にお遊びで作ったやつで。机を囲んで話し合いながら進めるゲームなんだけど』
「話して進める…? 学級裁判とは違うのか? まぁあれはゲームじゃないか…」
ゲームと言うには余りにも凄惨で残酷な内容。思い出しただけでも身震いしてしまう。思わず日向は自分自身を抱き締めた。モノクマはもういなくなったのだから、危機感に身を縮める必要もないのは分かっているが、あの時の恐怖は忘れようにも中々忘れることが出来ない。七海は心配そうに日向を見ている。

『日向クン、今回のゲームも所詮はバーチャルなんだけど…。内容は楽しいものじゃないかもしれない』
「どういうことだよ?」
『登場人物が死ぬ場合もあるってこと。あ、でも安心して! ロールプレイの中だけの話だから、実際に彼らが死ぬことはないよ。アバターも会った瞬間に回収されるから、その後の生死は関係ない。残酷な言い方だけどね』
苗木は苦虫を噛み潰したような表情のまま、日向に告げた。死ぬ場合もある…。口の中で転がした言葉に日向は氷の手で心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。もう誰の死も見たくないのに。
『現実世界で眠りについている仲間達に関してだけど、今回のゲームをプレイするに辺りペナルティはない。アバター回収に失敗したら目覚めないままになっちゃうけど』
「……俺がゲームオーバーになる場合もあるのか?」
『もちろんある。キミ達がリタイアしたら強制的にゲームの外に弾き出されるよ。その時は現実の日向クンの命に別条はない。でも回収したアバターも保存出来ないから気を付けて』
「分かった」
それくらいの覚悟がないとみんなを救えない。つまりはそういうことだ。苗木が突き付けた事実は思った以上に過酷だった。しかしここまで来て、決意が揺らぐはずもない。必ず全員を捕まえて、現実の世界に戻るんだ。日向は固く心に誓う。
「大丈夫だよ。私もいるから。みんなを犠牲になんて、絶対にさせない…!」
「…七海」
強い決意を滲ませて、ハッキリと言い切る七海。彼女も覚悟を決めている。誰かのふとした言葉が勇気になる。今まで過ごしてきた修学旅行でたくさんの言葉があった。その言葉達が今の自分を支えている。


『ところで先に済ませてしまいたいことがあるんだけどいいかな?』
神妙な面持ちの日向と七海に、苗木は小首を傾げながら話し掛ける。
「? 何だ?」
『ボクらが最優先にすべきことは、みんなのアバターを回収することだよね。このゲームを開始するに辺り、最大プレイヤー数は3人なんだ。今は日向クンと七海さん。2人しかいない』
「苗木は入らないのか?」
『ボクは別の役割で参加することになるから、心配しないで。とりあえず参加人数は多い方が良い。だから残り1枠に目覚めていない10人の内1人を呼び出したいんだ』
「??? 全然分からん。七海は分かるか?」
「んー、1人なら強制サルベージが可能ってこと?」
「…は? 更に訳が分からなくなったぞ」
プログラムの内容を初心者に分かりやすく伝えるのは骨が折れるらしい。眉間に皺を寄せて 唸り始める日向に、苗木は困ったような笑みを向けた。
『混乱させてごめんね、日向クン。七海さんの言うように、1人だけなら強制サルベージが可能なんだ。ある程度融通が利くゲームなんだよ。ルールで縛られている部分はあるけど、それ以外なら自由に改変出来る。まだ彼ら10人は覚醒していないから、その内の1人がキミ達の助っ人NPCとして登場することになるね』
「! なるほど。見つけたら回収ってことは、その1人は確実に回収されるんだな」
『そういうこと。それじゃ日向クン、ダイスを振ってくれるかな』
そう言われて、苗木に手渡されたのはサイコロだった。しかしよく見るただの6面サイコロとは違う。面の数が多い。数えてみると10面あった。10…、死んだ仲間達と同じ数だ。だが何故ここでサイコロを振るのか? 疑問符が頭に浮かび、日向は苗木を凝視した。苗木は微笑んで、『とりあえず振って?』と促すだけだ。日向は深く考えず黒いサイコロをテーブルの上に軽く投げた。

コロ…コロ…コロロ…。軽い音を立てながら、転がっていくそれ。やがてクルクルといくつかの目を彷徨い、その動きはピタリと止まった。出た目は…0だった。
「苗木、何でサイコロ振るんだ?」
『誰が来るかはダイスでしか決められない。そういうルールなんだ』
変なルールだ。日向はそう思ったが、決められているのなら仕方ないと納得する。今まで自分達が過ごしてきた修学旅行もルールが決められ、それを破ることは叶わなかったからだ。
「今の目で誰が来るのかなっ?」
ワクワクしているのか興奮気味の七海。珍しく表情を露わにしている彼女に、日向は思わず噴き出してしまう。10人の内、誰が来るのか。2人は期待を込めた視線を苗木に投げた。視線を受けた苗木は深刻そうに言葉を漏らす。
『それは…彼だ。超高校級の幸運、狛枝 凪斗。…彼がNPCに選ばれた』
「え」
日向はその名前を聞いた途端、喉の奥から引き攣ったような声を出した。あまりにも衝撃的過ぎる名前。無理もない。コロシアイ修学旅行は彼がトリガーとなって、殺人が起こったようなものだからだ。狂気染みた希望への信仰心、異常なまでに才能に執着するその姿勢。どこからどう見てもコロシアイ修学旅行における狛枝 凪斗は常軌を逸していた。


修学旅行に参加した誰もが、彼に良い感情を抱いていない。それは日向も同じだ。狛枝と関わることがどれほど危険かなんて、分かり切っていたはずなのに。狛枝は日向と顔を合わせても近付いたりしてはこなかった。しかし寂しそうな面持ちでじっと遠くから日向達を見つめているのを見ると、雨の中捨てられた子犬を目の前にしているような気分になってしまい、どうしても放っておけなかった。同情だ。ほんの少しだけと自分に言い聞かせて、狛枝へと爪先を向ける。そこから段々と微妙に打ち解けていった。
『狛枝、…お前は誰かを殺したいって思ったことは、あるのか?』
『えっ、ないよ。言ったでしょ? ボクはみんなの…希望の踏み台になりたいんだ! 殺されるならまだしも殺したりなんかしない。…日向クン、キミのこともね』
スッと細められる灰色の美しい双眸。内なる恐怖を見透かされたような気がして、心臓が変に大きく鼓動したのを覚えている。得体の知らない気味の悪さも話し始めてしまえば少しは気にならなくなった。しかし最初の裁判の印象が強過ぎて、何日経っても狛枝は1人だった。日向が話し掛けるのを止める者も多く、段々と周りの目が気になってきて、明るい内に人前で彼と話すのは憚られた。それを伝えると狛枝は「そうだよね…」と残念そうに眉を下げたので、皆が寝静まった深夜に密かに落ち合って会話をすることを思わず約束をしたのだ。
恐らくそれがキッカケだった。
コテージで寛ぎながら他愛もない話をする。モノクマや殺人事件に関することは一切話さなかった。昼は他のメンバーと同じく視線すら合わせずに生活をしているのに、夜になると背中合わせだった2人の関係が切り替わるのだ。日を追うごとに何となく距離が縮まっていっているのには気付いていた。狛枝の体からは甘く爽やかな香りがする。香水の類でもつけているのか、その肌の匂いを強く意識するようになった時には指先が触れ合うほどの距離までになっていた。
『こ、狛枝…!?』
『ねぇ、いい加減に教えてよ。キミの才能は…何?』
妖しくねっとりと絡みついてくる上目遣いの眼差し。『知りたいなぁ…』と耳元で囁かれて、ふんわりと掠める生温かい吐息にゾクゾクと戦慄した。
『俺だって、知りたい…。自分の才能が何なのか』
『…本当は知ってるんじゃないの? 知ってて、わざとボクのこと焦らしてる?』
『何だよそれ。焦らして何の意味があるんだよ。意味分からないぞ…!』
相手は同性であるのに何故こんなにもドキドキと心臓が脈打つのか、日向には分からなかった。恐怖とは違う、ムズ痒く背筋に神経が集中する感覚。作り物かと錯覚するほどに整った狛枝の顔が間近にあるのに、目を逸らしたくても逸らせない。
『そうだよね、ご尤もだ。でもボクは何となく日向クンはきっとすごい才能持ってるんじゃないかなって思うんだ』
『そんなの買い被り過ぎだ…』
『だってこんなにも惹かれるんだもの。記憶がないのだって、持っている才能が特別なものだからかもしれないよ?』
『こ、狛枝…。近いってば。もう、これ以上は…』
手を上から重ねられて、日向は動揺する。決して体を拘束されている訳ではないのに動けないのだ。いや、始めから体が抵抗することを諦めている。このままではダメだ、相手は男なんだぞ!と警鐘を鳴らす理性と気持ち良いことをするには今がチャンスだ!と鼻息を荒くする本能。美人の方から迫ってくるだなんて、もしかしたらこの先ないかもしれない。相手が同性だという問題は、狛枝の美しさを見てしまえば大したものではないように思えた。
『日向クン…』
日向がどうしようかと迷っている内に、柔らかい唇が頬に触れた。ふと視線を上げると妖艶に微笑んだ狛枝がいる。殺伐としたコロシアイに怯える所為で、満足に性的欲求を満たせない日々が続いていた。少しくらいなら…と自分自身に言い訳をしながら、日向は流れのままに狛枝に身を任せた。
その日から夜毎逢瀬を重ね、情欲を共有するという秘め事を繰り返していた。が、それも終わりを迎える。4度目の学級裁判が開廷する前、日向の才能が露呈することにより、2人の距離は急激に離れた。嘗ては明確に好意を主張してきたのに、今では掌を返したように日向を冷たく蔑み、声を掛けても皮肉の言葉だけが返ってくる。結局彼が興味があったのは、才能を持っている"超高校級の???"である日向 創だった。
それが意外と堪えた。自分には何の価値もないと烙印を押されてしまったのだ。悔しさから反発心が生まれ、日向は狛枝を嫌いになった。自分でも身勝手だとは分かっているが、こちらを嫌っている人間のことを好きにはなれない。その後は大した言葉も交わさずに狛枝が死んでしまい、それっきりである。一線は越えてはいない。強制シャットダウンを経た平和な修学旅行では、記憶のない狛枝と友達として過ごした。
槍で腹を突かれて絶命するといった衝撃的な狛枝の最期は、未だに日向のトラウマになっている。日向を希望と勘違いしていた際の擦り寄りを省けば、狛枝は思考回路が捻じ曲がった不気味な存在というイメージしかない。絶望を皆殺しにしてしまおうと考える危険人物でもある。だがアイランド修学旅行で日向に嫌われたくないと思考していた狛枝も決して虚像ではないのだ。未だに狛枝への気持ちの整理がつかない日向であった。


「ま、まさか……、ここに…っ狛枝が…、来るのかっ…!?」
『来ないよ。NPCとしての参加だから、ここに来ることは……、!? え………っ』
後ろめたさに苛む日向を安心させるように苗木は優しく笑ってみせる。しかしそれも一瞬だった。日向の背中越しにある大きな木製の扉がギィと重苦しい音を立てて開いたのだ。そこからカツン…と足音が響き、誰かが図書館に足を踏み入れた。入ってきた彼の顔を見た3人の挙動はバラバラだった。
「な……っ! 何で、お前が……!」
日向は絶句し、言い知れない悪寒に顔を歪ませた。全身に鳥肌が立ち、ガクガクと小刻みに体が震える。
「あれ? 何でだろう。これって…」
七海はポカンと首を傾げ、その可能性を1人探る。顔色は変わることなく、相手を見ている。
『う、そ…。こんなことがあるなんて……、すごいよ……!!』
苗木は僅かに顔色を悪くしたが、期待に胸を膨らませるかのようにパッと顔を輝かせた。

「あれ? 日向クンに七海さんじゃないか! あはっ。もしかしてボク、デートの邪魔しちゃった?」


やけに軽快で明るい声が図書館に散って、反響する。図書館に入ってきたのは紛れもなく、狛枝 凪斗だった。

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02.邂逅
白い柔らかそうな癖っ毛が炎のように揺らめいている。フードの付いた深緑色のパーカーの裾は、ギザギザと特徴的な形をしていた。白いTシャツと黒いズボン。穏やかで涼しげな双眸を携えたその顔はとても端正で、誰が見ても口を揃えて美形だと彼を湛えることだろう。背は高く、脚も長い。肉付きは良くなかったが、彼の不健康そうな白い肌とはマッチしていた。気だるい妖しげな表情が不思議な色気を放っている。

思いがけない人物の登場に、日向も七海も…苗木でさえも口を閉ざしてしまった。図書館は沈黙に包まれる。何故狛枝が…。思考が黒に染まり、ゆっくりと停止していく感覚。驚き過ぎて、日向は指先1つ動かせない。その静寂を破ったのはただ1人状況を分かっていなさそうな狛枝だった。
「えっと、キミは初めて見る顔だけど…誰かな? ボクの記憶が正しければ、キミみたいな人は修学旅行に参加していなかった…はずなんだけど」
申し訳なさそうに狛枝は言い淀んで、その視線を苗木に向けた。マズい。日向は直感的にそう思った。日向や七海とは違い、この狛枝は目覚めておらず、外の世界のことを知らない。聡い彼が何かしらに気付いてしまったら、この計画はどうなるんだ? 内心焦り、日向は苗木を見る。苗木は戸惑うように瞳を揺らしたが、彼が言葉を発する前に七海が1歩前に踏み出した。
「あのね、彼は途中参加の苗木 誠くんっていうんだよ。今日の朝に船が4番目の島に来て、それに乗ってたの」
「…ふぅん。そんなこと、ウサミは一言も言ってなかったよね?」
『伝達されてなかったのかな? あはは…っ。突然1人増えたとか驚いちゃうよね。ボク…ちょっと事情があって、最初から参加出来なかったんだけど。決して怪しい者じゃないんだっ! 歴とした希望ヶ峰学園の生徒だよ!』
グッと拳を握り締めて、苗木は狛枝を説得に掛かる。自分で怪しい者じゃないって言った時点で既に怪しいだろ。日向は心の中でツッコミを入れたが、苗木のある一言に狛枝の表情はパッと明るいものに変わった。ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべて、早歩きで苗木の目の前まで迫り、その手を取る。
「希望ヶ峰学園の生徒ってことは…、キミ……もしかして、超高校級の才能を持ってるの? ねぇねぇ、それってどんな才能かな! ボクにも教えてほしいなぁ」
『ボクはその、才能って言うのもおかしいんだけど、抽選で選ばれたってだけで…』
「え!? じゃあボクと同じ超高校級の幸運ってことなのかな!? すごいよ! 毎年1人選ばれるみたいだけど、幸運を持っている他の人にこんな所で会えるなんて…! あああっ、感激だよ!」
『キ、キミもそうなんだ。偶然だね…』
歓喜に体を戦慄させ、興奮を隠そうともしない狛枝。頬を赤く上気させ、口の端からツッと涎を垂らすその挙動は誰であろうと引いてしまう。苗木も例外ではないようで、しどろもどろになりながらも狛枝に握られた手を離せずにいた。握手を交わしながら機嫌良さそうにしていた狛枝だったが、急に眉間に皺を寄せて、「ん?」と何かを思案するような素振りを見せた。日向は何だか不安になる。もしかして感付かれたのか?
「おい、狛枝? …どうしたんだよ」
「ん……、ボク達って新入生だよね? そして幸運の才能を持つ者は毎年1人しか選ばれない。でも苗木クンはボクと同じ超高校級の幸運…。もしかしてキミは先輩なのかな?」
『あっ、そ、それはねっ』
「狛枝くんの想像通り…だと思うよ。苗木くんは私達の1つ上の先輩。去年の修学旅行に行けなかったから、今回は下の学年に混ぜてもらおうっていう学園の意向だって」
七海の言い訳はいささか苦しいような気がする。緊張しながら事態を見守っていた日向だったが、予想外なことに狛枝は「そうなんだ」とあっさり納得してみせた。急に肩の力が抜ける。何とかこの場は凌いだようだ。

しかし日向の頭に1つの不安が過ぎる。ここにいる狛枝はどれくらいのことを知っているのか。先ほど口にした『ウサミ』という単語から、コロシアイ修学旅行から来た訳じゃないという望みはある。どうしても確かめたかった日向は緊張しながらも、狛枝に声を掛けた。それは恐怖に怯えるのとはまた違った感覚だった。
「こ、狛枝! ちょっと聞きたいんだけど、今日は修学旅行何日目だっけ?」
「あはっ、日向クンってばボケちゃったの? 何か可愛いな…」
恍惚の表情を携え、1歩近付く狛枝に日向は思わず体を引いた。アイランドでの爽やかさよりもコロシアイでの蠱惑的なオーラを強く感じたからだ。狛枝のねっとりとした視線から、逃げるように日向は距離を取る。その行動を予測していたらしい狛枝は目を僅かに細める。彫刻のように美しく整った顔立ちが、彼の不気味な雰囲気を際立たせていた。
「今日は修学旅行28日目だよ! 丸1日お休みだから、図書館でのんびり読書でもしようと思ってね」
「…1人でか?」
「ふふっ。愚問だよ、日向クン。ボクみたいなゴミクズになんて、誰が興味を持つんだい? 好かれてるはずがないんだ、ボクなんか。超高校級の才能を持つみんなの視界に入らないようにひっそりと過ごすことが、希望の踏み台としての役割なんだよ。それで希望が更に輝くのなら、ボクはどんな所業も厭わないからね!」
両手を広げて、口の端を吊り上げる狛枝。分かっていた、彼がこういう性格なのは。だけどどうしても聞き捨てならない一言を聞いて、日向は狛枝を真正面から見据えた。
「狛枝…、1つ間違ってるぞ」
「え?」
「好かれるはずがないなんて、誰が決めたんだ。少なくとも俺はお前のこと、嫌いじゃない…」
「嫌いじゃないって…、どうでもいいって意味だよね。つまりその辺に落ちている石ころと同じ…。視界に入ったとしても、『石が転がっている』なんて思考すら生まれないほどに、限りなく無関係で遠い存在。うん、分かるよ! ボクはキミの生活において何の影響も及ぼさないし、それに」
「ちょっと待て!」
長ったらしい自虐の言葉が続くのが安易に予想出来た日向は、慌てて狛枝の言葉を遮った。そうだ、この面倒臭さ…。よく狛枝の長話に付き合わされた。会話をするのも一苦労だったと思い出す。日向は微妙に頭痛がしてきた。
「わ、悪かった! 訂正する。お前のこと、まぁまぁ…好き、だ。その…変だとは思うけど、良い奴だって知ってる。だからそこまで自分を卑下しなくったっていい」
「……日向、クン」
狛枝は息を飲んで、日向を切なそうに見つめていた。顔をほんのり赤くして、口をパクパクさせている。

取り繕っている訳でもなく、それは日向の本心だった。自分が彼に見たのは異常性だけではない。コロシアイ修学旅行の印象が強いだけで、アイランドではそれなりに優しい面も可愛らしい面も垣間見せていた。最後はちゃんと友達になれたし、何だかんだ言って一緒に過ごしてきて楽しかった。これくらい言っても大丈夫だろう。日向はそう思っていた。言葉を受けた狛枝はダラリと蕩け切った顔で、勢い良く振り返る。
「な、七海さん、聞いたかな!? はぁーっ、はぁー……、ボク…っ、日向クンに告白されちゃったよ! はぁぁああん…ッ、これはとんでもない幸運だ…!! どうしよう、どうしよう! 今の内に遺書でも」
「違うだろ!! どうしてそうなるんだよ!」
『なるほど…。そうなんだね!』
「苗木も納得するな! 今のは…っ、言葉の綾ってやつで…深い意味はっ」
「日向くん、顔を赤くして言うようなセリフじゃない…と思うよ」
七海に指摘され、日向は「うっ」と言葉に詰まる。何だか上手い具合に言わされた感がある。…何だ、こいつは。コロシアイ修学旅行での狛枝はこんなに明け透けに自分を見せなかった。アイランドでの狛枝はこんなに執拗に日向を追い詰めなかった。この狛枝はどちらにも似ているようで、どちらとも違う気がする。何にしろ厄介だ。


そんな日向の気持ちなど露知らず、狛枝は3人を不思議そうに見回した。
「ところで今更なんだけど、みんなで何やってるんだい?」
「あー、いや。大したことじゃないんだけどな…」
日向が居心地悪そうに狛枝に言葉を返すと、彼は見る見る内に泣きそうな表情になっていく。
「あの…もしかして、本当にお邪魔だった、のかな? そ、そうだよね。ボクみたいなゴミムシが超高校級の才能を持つ3人のデートを邪魔するなんて、おこがましいにも程があるよ! あははっ、そういう訳だしボクは早々に退散するとするね。それじゃ!」
早口で捲し立てた狛枝は図書館から出ようと、扉の方へ踵を返す。ドアノブに手を掛けて、下げようと力を入れるが、何故か扉は1mmも動かなかった。
「!? どう、して…。日向クン、日向クン! 図書館の扉が開かなくなってるよっ」
顔を真っ青にして狛枝が呼び掛けるものだから、日向は断れずに扉の方へと向かう。開かないのも無理はない。この空間は周りから切り離された特別な場所だ。外に出られないというより、外の空間はない。しかし狛枝に説明しようものなら、更にややこしくなるだけだ。どう誤魔化そうかと考えながら、ドアノブを下げようとするが、案の定ビクともしなかった。
「誰かが外から鍵掛けちゃったのかな? それとも何か引っ掛かってるのかも」
ぽやぽやとした声で七海が後ろから覗き込む。さっきみたいに七海が良い説明をしてくれないだろうか。そんな期待をしている日向の背中を誰かがツンツンと突っついた。
「苗木…」
『しっ、狛枝クンに気付かれないように。まずはこっちへ』

七海と狛枝が扉に注視している隙に、苗木は日向を引っ張っていく。2人から5mほど離れた場所―――テーブルが並んでいる閲覧席まで来ると、声を潜めて日向に話し掛けてきた。見るからに混乱しているようだ。
『これは予想外の状況だよっ、日向クン』
「…いや、NPCとして選ばれたからじゃないのか? あ…でもあの時、お前は『狛枝はここには来ない』って言ってたよな」
『うん。普通に考えて、彼はここには来れないんだよ。ロールプレイ上の助っ人NPCとして出す予定だったし』
「そのあいつがここに来たってことは…?」
日向はそれが何を示すのか良く分かっていない。続きを促すように苗木に水を向けると、唇を噛み締めた彼が日向に説明をしてくれた。
『狛枝クンは今のタイミングでアバターが上書きされ、覚醒することが出来た。ということになるね。本来だったら現実の世界で目覚めるのが、こちらに流れ着いたってことかな。つまり日向クンと同じくダイブした状態。今はアルターエゴのシステムが新世界プログラムに浸食してしまっているからね』
「はぁ…、このタイミングでかよ。良いんだか悪いんだか」
『そうだよね。現実の彼は未だ目覚めていない。これも才能だったらすごいよね。何だか怖いくらいだ』
苗木はそう言って、僅かに体を震わせている。狛枝 凪斗の才能…、超高校級の幸運。それが今、彼を目覚めさせた? 日向は考え込んだ。彼はやはりそういう星の元に生まれてきたということだろうか。
『狛枝クンがボクらにとってイレギュラーな存在なのは分かってる。だけど眠っている残りのみんなを助けるためにもプレイヤーの数は多い方がいい。彼にはゲームに参加してもらわないと…。日向クン、ボクに話を合わせてくれるかな?』
「ああ、分かった」
苗木の言葉に日向は大きく頷いた。これからゲームが始まる。ゲームとはいえ、みんなの生死が掛かっている大事な勝負だ。日向は拳を握り締め、狛枝と七海を呼ぶために扉の方へと向かった。

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