// Call of Cthulhu //

19.信頼
時間を巻き戻すことは出来ない。時の流れる方向が過去から未来という一方方向である以上、それは永久不滅の絶対的真理である。この当たり前の摂理がこれほどまでに身に染みたことは今までなかっただろう。日向は虚ろいだ表情で、目の前に揺れる深緑色を無心に追いかけていた。つい10分ほど前は恋人のように寄り添い、甘く激しいキスを交わしていたというのに、今の狛枝の背中からは拒絶の棘が無数に突き出ている。触れることすら許されない茨を纏いし想い人。睦言を囁き合っていたあの瞬間がいかに満たされていたか思い知る。
「狛枝……」
声は届いているはずなのに、振り向きもしない。予備学科である自分には答える価値すらない。冷たい背中が言葉もなくそう言っているようで、日向の心は更に深く沈んだ。狛枝に好意を向けられている時、散々嫌がっていたのが一転して、今は日向が狛枝から拒絶されている。壊れてしまうのは本当にあっという間だ。それを再生させるにはきっと長い時間を要するのだろう。いや、そもそも再び息を吹き返すことが可能なのかも疑わしい。

狛枝は長い脚を颯爽と動かし、七海と苗木の待つテーブルへと真っ直ぐ向かった。先ほどの休憩と同じくテーブルの上には簡易ドリンクバーが乗っており、2人はそれぞれ自分の好きな飲み物の入ったカップを手に持って、和気藹々とお喋りをしていた。
「お待たせ…」
狛枝の声に苗木と七海がハッと顔を上げる。七海は浮かない顔つきで日向と狛枝を見比べた。もしかして、と日向は思う。狛枝との口論を彼らに聞かれてしまったのだろうか。しかし七海とは逆に苗木はのほほんと笑っていた。
『あれ、もう2人とも大丈夫なんだ。あ、少し休憩する?』
明るく無邪気に声を掛けてくる苗木に、狛枝は怪訝そうに眉を顰めた。狛枝は苗木を邪推している。2人の会話に日向は内心ハラハラした。日向の秘密を差し出すことを条件に、その存在を暴かないという約束をしたが、狛枝がそれを守るとは限らないのだ。苗木に突如として襲いかかっても不思議ではない。さり気なく日向が苗木を守れそうな位置に移動すると、狛枝はそれに気付いたのか、ふっと口角を少しだけ上げて微笑んだ。
「別に良いよ。日向クンも休憩要らないでしょ?」
「あ、ああ…」
優しげに日向を気遣っているように見えて、狛枝の声はひんやりとしている。彼が自分を友達だと言ってくれた時は、言葉では言い表せない喜びに心を震わせたが、今にして思えばあれはただの社交辞令だったのだ。日向が予備学科であるという事実が狛枝に刻み込まれている限りは、自分と彼は決して相容れぬ存在。その現実に目の奥がツンと小さな痛みを訴えた。
苗木に何かする気はないようで、狛枝はさっさと自分に宛がわれた席に座ってしまった。日向も気分が晴れないまま、イスに腰掛けた。正面にいる七海が真剣な表情で日向を見つめる。
「日向くん、本当に大丈夫…?」
「…七海。…俺は大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとうな」
「そっか。それなら良いけど。何かあったら、私にも相談してほしい…かもしれない」
七海の言葉に日向は黙って頷く。図書館の奥が入り組んでいるとはいえ、あれだけ大声を出していたら聞かれていたと考えるのが自然だ。でも内容までは分からなかったはずだ。七海は狛枝を咎める素振りを見せていない。ただ勘の鋭い彼女は日向と狛枝の関係に何かしらの亀裂が走ったことは理解しているようだった。


……
………

『さて、休憩はここまで。セッションを再開しよう。3人が小泉さんの家の探索を終えて、その場を離れた所だったね』
休憩で使っていたドリンクバーや菓子類を片付け、苗木は3人の顔を順に窺った。そうだ、最優先される目的を忘れてはならない。日向はぎゅっと拳を握り締める。修学旅行を共に過ごした仲間達を助け出さなければならない。まだNPCとして登場していないのは、辺古山、罪木、田中、弐大の4人だ。絶対に彼らを救ってみせる。固い決意を胸に日向は唇を引き結んだ。
「西園寺さんからも話は聞けたし、情報収集は十分…だと思うよ」
「探索を終えた時点で夜も遅い時間になってたよな。確か…夜の8時だったか」
西園寺が手配してくれた罪木との約束は明日の昼だ。今はどうすることも出来ない。
「一先ずボクの探偵事務所に戻るのが良いんじゃないかな。状況の整理とこれからすべき行動をキチンと話し合おうよ」
「俺もそれが良いと思う」
狛枝の発言に賛成すると、彼はあからさまに不機嫌そうな顔をした。憎々しげに歪む灰色の瞳に、日向はビクンと体を強張らせた。それほどまでに自分は彼に嫌われているのか。しかし狛枝はしょんぼりとした日向の反応を見て、その表情を崩した。ゴミでも見るような蔑む視線を、温かい慈しむようなそれへと変える。その顔は日向に縋り、愛を囁いていた頃の狛枝だった。
「狛枝……っ!」
「…あはっ! これだけのことで一喜一憂するキミを見られるなんて…。友達っていうのも案外悪くないね」
愉快そうに口元が歪み、くくっと狛枝は意地悪く笑いを漏らす。日向が自分に好意を抱いていると知った彼は、それで遊んでいるのだ。日向は言葉を返せなかった。今の立場は完全に狛枝が上である。自分がそうなるように仕向けたのだからそれは大して問題ではない。でも今のように以前の優しい片鱗を垣間見せられるのは心臓に悪かった。狛枝の所為で図書館の空気は最悪だった。
「………、苗木。進行、よろしく頼むな」
『う、うん。分かったよ』
狛枝の態度に苗木は困惑しているようだったが、日向の言葉を聞いて、分厚いルールブックをパラパラと捲り始めた。


【苗木 誠/GM】
『小泉 真昼の部屋の探索を終えた日向 創、七海 千秋、狛枝 凪斗の3人は、狛枝 凪斗の探偵事務所に戻ることにしました。遅めの夕食をとった後、リビングで資料を広げながら、3人は状況を整理します』
【狛枝 凪斗/PL3】
「今日1日で色々なことが分かったね。まずは事件の流れをおさらいしてみようか。ボク達は高校の同級生である小泉さんに誘われて、食事を共にした。しかし彼女は異常な暴食の末、ボクら3人の目の前で怪奇的な消失を遂げたんだ」
【七海 千秋/PL2】
「手足が見る見る内に欠損し、最後には口だけが残るという恐ろしい消え方だったね。例の『口』はそのまま狛枝くんに襲いかかり、煙のように消えてしまった…。その後の狛枝くんは自身の意思に反して、涎を垂らすようになったっけ」
【日向 創/PL1】
「狛枝の症状が分からない俺達は狛枝の探偵事務所で一夜を明かした。だけど次の日の朝…、狛枝は自我を失い、俺と七海に襲いかかってきた。一応気絶させることでその場は凌いだけどな」


「日向くん、病院での検査のこともここで話してくれないかな?」
七海がスッと手を上げて、発言してきた。始めは「改めて言うことか?」と首を傾げていた日向だったが、彼女の提案に考えが追いつくと、なるほどと合点がいった。セッションをしているプレイヤー(PL)が知っていても、セッション内のキャラクター(PC)は知らないのだ。TRPGの世界では、病院の検査結果は日向しか聞いていないことになっている。
「ああ、そういえばロールプレイ上はまだ2人に結果を話していなかったな。それじゃ…」


【日向 創/PL1】
「病院でのレントゲン検査では、狛枝の体に大きな黒い靄が映っていた。…『口』は狛枝の体内に潜伏していると見て間違いないだろう。蛍光灯なんて食べられない物を口に入れるだなんて、正気の沙汰じゃない…!」
【苗木 誠/GM】
『日向 創は腕を組んで、苦しげに言葉を詰まらせます。病院で「口」を取り除く方法は見つからなかったからです。恋人である狛枝 凪斗の体を蝕む「何か」の存在に、日向 創は憤りを隠せませんでした』
【狛枝 凪斗/PL3】
「………。小泉さんからボクの体へ移動した『口』。じゃあ小泉さんはどこからこの『口』を取り込んでしまったのかな? それを探るためにボクらは小泉さんのアパートを訪ねた。そこで色々なことが分かったね」
【七海 千秋/PL2】
「ここ最近の小泉さんが精力的に調べていたこと。それは摂食障害。基本的な症状はもちろん、摂食障害に関連するカウンセラー、患者、製薬会社社員の資料がたくさん見つかった。神話生物と思しき、謎のスケッチもあった…」


ああ、あのへんてこな生物かと日向はスケッチを思い出す。ヒキガエルの顔にコウモリの耳、体は太ったクマ…だったか。あれが今回のセッションのラスボスである可能性はある。不気味ではあるが、RPGのザコ敵っぽいし、頑張れば勝てそうだと日向は変な自信が湧いてきた。


【狛枝 凪斗/PL3】
「手掛かりとして、3人の人物の名前が出てきた。1人目は摂食障害専門のカウンセラー・音無 涼子。2人目はその音無 涼子のカウンセリングを受けて、劇的な回復を見せた摂食障害の患者・罪木 蜜柑。3人目は製薬会社社員・斑井 一式」


「この3人目の斑井 一式って人は、捜査線から外しても問題なさそうだとボクは思うよ。この人、何かもう明らかにフェイクだよね?」
狛枝は片目を瞑って溜息を吐きつつ、隣に座っている七海に水を向けた。彼女も狛枝と同意見らしい。淡いピンク色の瞳を上方に向け、「そうだね」とそれに頷いた。
「本来なら摂食障害という単語から治療するための薬を連想するから、製薬会社っていうのは無視は出来ないんだけど…。明らかに斑井 一式より怪しい人がいるからね。そっちを優先した方が良い…と思うよ」
「音無 涼子、か…」
日向はポツリと呟く。音無 涼子。摂食障害専門のカウンセラーという肩書ではあるが、七海が調べたことが事実なら大分信用のならない人物だ。


【日向 創/PL1】
「七海の調査では音無 涼子って奴が限りなくクロっぽいよな。中小企業のOLがいきなりカウンセラーを始めて、難病でもある摂食障害を短時間で治しちまうだなんて、やっぱりおかしいぞ。おまけにカウンセリングの挨拶が『ウガア・クトゥン・ユフ!』っていうのもな…」
【七海 千秋/PL2】
「何かしらの暗示で治すのかなぁ。催眠療法とか」
【狛枝 凪斗/PL3】
「摂食障害は心の病だからね。摂食障害の患者さんの多くは、簡単には癒せない心の傷を持っている。催眠療法で病状が改善されたという話は珍しくないよ。音無 涼子の治療がどんな方法で行われるのか知るためにも、ボク達は明日彼女の患者である罪木 蜜柑に会わなくてはならない。そして最終的には…、音無 涼子を訪ねることになるだろうね」
【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗の言葉に日向 創も七海 千秋も首を縦に振ります』


『一通り、状況を纏める事が出来たかな?』
苗木が静かに問いかけてくる。どういう流れで事件が起こっているのか大体理解出来た。自分より頭の回転が速い七海や狛枝は、きっと罪木に会った際の会話やその後の行動も想像出来ているのだろう。罪木から話を聞き出すのは2人に任せて問題はなさそうだ。
「ああ、俺は大丈夫だ。七海も狛枝も十分だよな?」
「私も平気。後は明日だね」
「……ボクも問題ないよ」
七海は普段と変わらず眠そうな声で返事をしたが、狛枝は日向から顔を逸らしたまま言葉を返した。今まで明け透けだった好き好きオーラが消え失せ、嫌いだよオーラが全身から滲んでいる。あまり気にしないようにしていたけど、思ったよりキツいかもしれない。日向はガシガシと頭を掻いた。
『日向クン、狛枝クン。それじゃ<恋人>ロールお願いするよ』
「は?」
苗木ににこやかに言われ、被せるように返事をしたのはもちろん狛枝だった。冷徹な灰色が嫌悪感に染まるその瞬間を日向は見てしまった。ズキズキと胸の痛みが更に強まる。平常心を保とうと日向は大きく息を吐いた。セッションが終わるまでの辛抱だと自分に言い聞かせようとして、日向はあることに気付く。辛抱? いつまで? きっとこの雨は止まない。セッションが終わったとしても、狛枝は自分を嫌い続けるのだろう。絶望感で日向は胸がいっぱいになった。
『<恋人>ロールは強制ロール。拒否は出来ないよ』
「………」
『今のキミ達はケンカ中かもしれないけど、セッションでの日向 創と狛枝 凪斗は恋人同士。さぁ、どちらでも良いからダイスを振ってね』
自分と狛枝の仲がギクシャクしていることを苗木も見抜いていたようだ。苦虫を噛み潰したような顔の狛枝に苗木は飄々と言ってのける。一見すると気弱そうな見た目に反し、強気な態度のGMに日向は目を見開いた。
「……例え恋人同士でも、そういう気にならない日もあると思うんだけど?」
『そうかもね。でも今の流れを考慮したら、<恋人>ロールは発生するとボクは判断したよ。そもそもキミがお願いするから、わざわざ<恋人>ロールを設定したのに…。これじゃあセッションは進まないね』
穏やかな口調で狛枝を窘める苗木。それを見た狛枝は額に手を当てた。
「…くっ……。仕方ないな。…日向クン、ダイス……振ってくれるかい?」
半ば諦めたように溜息を吐く狛枝に促され、日向は紫色のダイスを手に取る。掌に感じる硬い感触のそれをテーブルに放り投げると、カランカランと陽光を反射しながら跳ねた。

<恋人>
探索者名 範囲    出目
日向 創  (1D6) → 1 (手繋ぎ)

「あははっ! やっぱりボクは幸運だ…」
出た目を見た途端、狛枝は嬉しそうに軽やかな笑い声を発した。その顔には『安心した』と大きく書かれていた。嫌っている日向と深い仲になるような選択肢が出なくて良かった。そんな態度だった。ニコニコと笑っている狛枝と悲痛な面持ちで俯いている日向。対照的な2人の反応を交互に見やり、今までずっと黙っていた七海が口を開いた。
「もう止めようよ、狛枝くん…」
「……何か言った?」
図書館の空気が僅かにピリッとした緊張に包まれる。いつも眠気眼な七海の淡い瞳がしっかりと隣の狛枝へと向けられていた。
「君が日向くんのことを怒ってるのは、私でも何となく分かる。でもね、日向くんは狛枝くんに出来る限りのことをしているよ。君が気付かないだけでね。足掻いて、努力して、必死に頑張ってるんだ。そういう人…、だから」
「はぁ…。知った風な口のきき方、しないでもらえるかな? …キミに何が分かるの?」
「うーん…? どうだろう、分かってないのかもね。だけど私も君も見てきたはずだよ、彼が不可能を可能にする所を。いつだって、日向くんは私達の希望を叶えてきた。そうでしょう?」
「……何が言いたいのかな」
狛枝の声のトーンが落ち着いてきた。苛立ちは見受けられるものの、さっきまであった言葉の棘はなくなっている。それを敏感に察した七海は穏やかに微笑みかける。
「大丈夫。日向くんは君のこと、裏切ったりしないよ。見捨てたりもしない、絶対に。君もそれを知っている。だって1番近くで日向くんのこと見てたの、狛枝くんなんだもん。だから、今ここにいる日向くんを信じよう?」
「………」
狛枝は七海の言葉を静かに聞いていた。そしてスッと切れ長の美しい瞳が日向へと向ける。真剣な表情に日向はドキッとした。彼に見つめられているだけなのに、心臓が早鐘を打つ。指先が震えて、額からじわりと汗が浮かぶ。どうして恋をしてしまったんだろう? その答えはきっと永遠に出せない。理由を考えても無駄だった。もう自分は狛枝から離れられないのだから。戦慄いた狛枝の桜色の唇がおもむろに開き、言葉を紡ぎ出す。
「キミを、信じていいの…?」
「…信じて、ほしい。狛枝のことが好きだから。だけど信じるのをお前に強要する資格は俺にはない…。ズルい言い方かもしれないけど、それしか言えない。ごめん。俺が隠し事をしていた所為で、お前を傷付けちまった」
「………」
「……1つだけ確実なことがあるとすれば、俺はお前を信じている。それだけだ」
痛いほどの静寂に日向は落ち着かなくなる。狛枝は微動だにせず、七海も苗木も神妙な面持ちで見守るだけだ。自分にはそれしか言えない。何て無力で愚かな人間だろうか…。好きになった人を自ら苦しめるなんて。日向が自責の念に駆られていると、狛枝がふいに日向の名前を呼んだ。
「日向クン…」
「…狛、枝? 何だ?」
「ボクは男で、幸運で、…それ以外に何も持ってない。それでも…本当にボクのこと、好き?」
「ああ、好きだ。どんなお前でも好きだよ」
「!! ……あはっ。キミって本当にバカだね。この質問に即答なんて…」
狛枝の双眸が切なげに細められる。今にも泣き出しそうだ。日向にはそう見えた。
「バカで良い。それでお前にこの気持ちが伝わるなら」
「………。何があっても……ボクの傍に、いてくれる?」
「いるよ。お前の傍にいる。…決めたんだ。1人にしないって。だからこの手を離さない」
その言葉を聞いた狛枝は眉根を寄せ、日向から隠すように顔を両手で覆った。深緑色のコートを纏った肩が僅かに揺れる。白く綺麗な両手の向こう側から、何かがぽたりと落ちた。
「…狛枝、泣いてるのか?」
「泣いてない…。涎だよ。キミなんかの言葉で、ボクが泣く訳ないじゃないか…っ」
誤魔化しきれない声の震え。狛枝はしばらくの間俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。目元は赤くなっていたけれど、どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした顔つきだった。
「ごめん、日向クン。ボクはどうしようもないことを責めていたんだね。……信じるよ、キミを。ボクの目の前にいるキミを。キミがボクを受け入れてくれたように、ボクもキミの過去を受け入れたい…」
目を閉じた狛枝は「少しずつでも」と付け足した。良かった、分かってくれた…。日向は狛枝の変化に表情を崩す。七海も苗木もホッとしたように破顔していた。笑顔を携えた苗木が日向に無言で頷く。

『罪木 蜜柑との約束は明日の昼。考えを纏め上げた探索者達は明日に備えて、就寝することにしたよ。寝る場所は前と同じで良いかな?』
「GM、待ってくれ。俺は狛枝の部屋で一緒に寝る! 手を繋いで」
「え…っ!? 日向、クン……」
日向の宣言に狛枝はサッと頬を朱に染める。少し踏み込み過ぎたかと日向は心の中で焦ったが、狛枝の顔には驚きが浮かんでいるだけで、拒絶の色は見えない。戸惑うような素振りを見せる狛枝に、日向が念押しするように「良いよな?」と聞けば、恥ずかしそうにモジモジと体を捩らせ、小さくコクンと頷いた。
「念のため、狛枝くんを拘束した方が良さそうだね。今朝の二の舞にならないように…」
「あ、うん。ボクも避けられる面倒は避けたいからね。それには従うよ」
以前の戦闘時に狛枝は不在だったが、何となく状況は読めているのだろう。素直に七海に返事をする。苗木は『了解』と頷いて、黒いダイスを投げる。日向から出目は見えなかったが、苗木は数字を見ても特に慌てる様子はなかった。
『…それじゃ、日向 創と七海 千秋は狛枝 凪斗を手錠と紐で拘束したよ。ここで1日が終わりだ。…いよいよ、クライマックスだね。みんな、準備は良いかい?』
3人の真剣な眼差しを受けた苗木はコホンと咳払いをした。キン…ッと耳の奥で耳鳴りがする。軽かったそれは段々と頭いっぱいに広がり、日向は思わず片手で頭を押さえる。自然と寄ってしまう眉間の皺。痛い、痛い…。頭が痛い。


……
………

『探索者達は最後の謎に挑む。…ここまで来たら、もう逃げられない。狂気と恐怖はどこまでもキミ達を追いかける』
我慢出来ないほどに増した頭痛だったが、苗木の声が聞こえた瞬間、嘘のようになくなってしまった。
「苗、木……?」
ニヤリと歪む唇に日向は背筋がゾッとした。以前にも見たことがある。この無情な笑顔を。でも、どこで…? 記憶を走らせるもすぐには思い出せない。冷たく笑った苗木の左目に赤い稲妻がぼんやりと浮かんでくる。その瞬間、日向は強烈な眩暈に襲われた。
「う……っ…」
気持ち悪さに耐えかね、イスから転げ落ちるも、床に尻餅を突くことはなかった。いや体勢的には突いているのだが、その感覚が全くない。曖昧な感触の木目に触れた日向は違和感を覚える。だが立ち上がろうにも足元は覚束ない。何が起きているのか、全く分からなかった。
「何だ…!?」
図書館の本棚にジジッとノイズが走る。天井はガラスのようにヒビが入り、無残にも砕け散った。その隙間から大量の数字の羅列が洪水のように流れていく。あっという間の出来事に日向は指先1つ動かせない。テーブルを囲んでいた狛枝も七海も苗木も、電子の海に飲まれて姿を消す。
「っ、狛枝!! 七海? な、苗木…っ!」
呼び掛けても返事はない。ゴオゴオと耳鳴りがするだけだ。真っ黒な壁に緑色の数字が渦巻く底なしの空間。下方を見やり、日向の全身から血の気が引く。落ちる…。ふわりとした浮遊感の後、日向は物凄い引力で下へ下へと真っ逆さまに落下していった。

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20.再開
Starting Call of Cthulhu Version 2.01………
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データ 読み込み中
体機能リンク 100%完了

……
………


CAUTION!!
このバージョン は 未来機関 の 認可 を 受けておりません
プレイヤーの心身 に 重大な 後遺症を残す 可能性 を 含みます
それでも ゲーム を 続けますか?

 >YES
  NO

[クトゥルフ神話TRPG]

 >CONTINUE




ゲーム を 再開 します



意識が段々と浮上していってるのが分かる。閉ざされた瞼の向こうに感じる眩しい朝の光。じゃれ合う小鳥の囀りに懐かしさを覚えた。頬に触れるサラサラとしたシーツからは僅かに洗剤の匂いが香っている。いつもと変わらぬ朝のはずなのに、こんな心地好さはとても久しぶりなような気がした。
温かい…。右手に自分以外の誰かのぬくもりを感じて、『俺』はそろそろと目を開けた。
「……こまえだ?」
白いふわふわの髪、陶器のように滑らかな肌、長い睫毛の縁取った瞼、小作りな鼻、綺麗に色付いた唇。俺は美しい恋人の寝顔に満足して、頬を緩ませた。ほっそりとした指は俺のそれに絡められ、しっかりと握られている。安らかな寝息を立てている彼の額にキスを落とすと、灰色の宝石が徐々に姿を現した。
「おはよう、狛枝…。気分はどうだ?」
「ん…、日向クン。おはよ。…大丈夫みたい。キミが一晩中手を握ってくれたから」
狛枝から優しい微笑みが向けられて、その愛らしい唇にそっと口付ける。絶対にこいつを護るんだ。神話生物だろうが狂信者だろうが、俺は負けたりなんかしない。だって俺と狛枝は恋人同士で、愛しあaaアaaアアaAアAアaaa


(それは違うぞ!!)


<アイデア>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (50) → 33  [成功]


……
………

日向はハッとする。自身を囲む膨大な量の本棚、遥か遠く上方に見える目に優しい色の木造りの天井、少しひんやりとした温度を伝える木製のどっしりとしたテーブル。その周囲にはセッションを始めた時と同じく七海と狛枝が席につき、日向の左手側には苗木が立っている。
「………」
ボーっとした頭のまま、日向はキョロキョロと周囲を見渡した。この場所は、図書館だ。どこをどう見てもそれ以外には考えられない。今自分が見たのは…、何だったのだろう? 切り取られた馴染み深い『日常』のワンシーン。夢…? それにしてはやけにリアルで、すぐ傍に狛枝の存在を感じた。微かに聴こえる吐息、繋いだ手の温かさ、そして何よりほんのり触れた柔らかい唇…。現実と錯覚するほどに、あの心地好い空間に囚われていた。
「日向くん、…どうしたの?」
「………何だか、顔色が悪いよ。日向クン…」
眠そうな瞳をパチパチと瞬きさせて、ぽやっと首を傾げる七海。眉を寄せた難しそうな顔で、こちらを真っ直ぐに見つめる狛枝。2人とも日向を気に掛けるだけで、周囲の異常に取り乱す様子もない。あんなに不可思議な現象が起きたにも関わらず、だ。日向は大きく息を吐いた。本当にただの白昼夢だったのか、バグによりプログラムの内部が垣間見えたのか…。その判断をするには材料が少な過ぎる。日向はここにいるメンバーの中で、唯一原因を究明出来そうな人物に視線を走らせた。
「苗木…」
GMである苗木 誠―――いや、アルターエゴ―――だ。彼なら先ほどの現象が何なのか分かるはずだ。首を傾げるようなら、それはきっと夢だったのだ。穏やかな彼の微笑を想像しながら隣に視線を投げた日向は、ビクリと肩を震わせた。苗木は無表情だった。少年らしい大きな瞳は瞬きもせず、見下げるような視線は氷のようだ。先ほどの赤い稲妻と冷笑を思い出し、日向は背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。だが苗木はすぐにニコッと屈託のない笑みを浮かべる。
『日向クン……』
「な……、苗、木…?」
『GMの指示には従ってね』
「あ…? ……ああ」
苗木はGMとしてごく当たり前の注意を口にする。日向の呆けたような返事に、苗木は『それじゃ続けようか』と話を切り替える。やっぱり、さっき見た物は全て夢…だったということか。集中しなければならない。日向は大きく息を吐いて、背筋を伸ばす。そして両手で顔をパンと叩いて気合いを入れた。みんなのアバターを連れ戻す大事なセッション。人生が掛かっているのだ。絶対に失敗は許されない。そんな様子の日向を斜め向かいから狛枝はじっと見ていた。

『まずは一緒にいる日向クンと狛枝クンのシーンからいこうか』
「ああ…」


【苗木 誠/GM】
『さて、夜が明けました。時刻は朝の7時です。先に目を覚ました日向 創は目を擦りながら、ベッドから身を起こしました。隣には恋人である狛枝 凪斗が眠っています』


『日向クンはどうする?』
「狛枝は今どんな状態だ? …例えば、表情とか体に変化はないか? 『口』の影響が出ていないかどうか確認したい」
『うん。狛枝クンは少し体を丸めるような体勢で横向きに寝てるね。涎は若干垂れてるけど、顔色はいつもと同じ。手足は手錠と紐で拘束されたまま。まぁ、就寝前とほぼ変わらない様子かな。…ああ、日向クンと手を繋いでいるよ!』
状況説明に日向はホッと胸を撫で下ろした。前日のようにおかしなことにならずに済みそうだ。狛枝はボーっとモニタに視線を向けていたが、やがて唇を噛み締めて俯いてしまった。
「狛枝…?」
「…何でもないよ。ただ、キミと一晩中手を繋いでたんだなって、思っただけ…」
「ごめんな…」
「もう、良いから。謝らないで」
狛枝は困ったように笑い、そこで会話は途切れた。そのやりとりを見計らって、苗木は落ち着いた口調で日向に話しかけた。
『日向クンは狛枝クンを起こす?』
「起こさなかったら、狛枝はずっと寝てるよな。もちろん起こすよ。『起きろ、狛枝』って体を揺さぶる」
あの夢では額にキスをして起こしていたが、きっと自分の中の妄想だったのだろう。日向は狛枝を普通に起こすことにした。


【日向 創/PL1】
「起きろ、狛枝。朝だぞ…」
【苗木 誠/GM】
『日向 創は眠る狛枝 凪斗を揺り起こします。やがて小さな唸り声を上げながら、狛枝 凪斗がゆっくりと瞳を開けました』
【日向 創/PL1】
「おはよう、狛枝…。気分はどうだ?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「ん…、日向クン。おはよ。うーん、どうかな…」
【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗は完全に覚醒したようです。隣にいてくれた恋人に優しく微笑みました。しかし体調は万全ではないようで、下腹部を押さえています』


「狛枝くん、腹痛だね。蛍光灯なんて口に入れちゃったら、お腹下しちゃう…と思うよ」
「……そういえばそうだったね。何だか怖いなぁ。GM、念のためにトイレに行くよ」
七海の発言に狛枝は気落ちした声を漏らす。そして青ざめた顔でGMに提言した。
『狛枝クンはトイレに行くんだね。あ、ちょっと待って。キミの手足は拘束されたままだから、日向クンに解いてもらわないとトイレに行けないよ』
「ボク、日向クンの前で縛られてるんだね…。うーん。前までだったらすっごくゾクゾクして、速攻でイっちゃいそうだったけど」
「? けど?」
「今は何とも思わないね」
「………」
狛枝からアブノーマルな視線を投げ掛けられても困るので、本来なら安心すべきところなのだが、何となく悔しい気分なのは何故だろうか。
「なぁ、GM。狛枝の拘束を解かないままだとどうなるんだ?」
『日向クン、それ聞くの!? えーっとね…。詳しく言うとアレだからオブラートに包むけど、とんでもないことになるよ…!』
「…っ良く分かった。狛枝から手錠と紐を外すぞ。ついでに涎も拭いてやる。……こ、狛枝! そんなに睨むなって。ただ単に興味があって聞いただけで、お前に恨みがある訳じゃない!」
「ふんっ…。どうだか」
狛枝は頬を膨らませて、拗ねた子供のようにプイッとそっぽを向いてしまった。


【苗木 誠/GM】
『日向 創はトイレに行きたいと言う狛枝 凪斗の望みを叶えるため、拘束を外します。丁度都合良く傍にあったタオルで口元を拭いてやりました。狛枝 凪斗はベッドから抜け出し、足早にトイレへと歩いて行きます』


『七海さんのシーンも続けていくね』
「はーい」


【苗木 誠/GM】
『リビングで寝ていた七海 千秋はトイレの水を流す音で目を覚まします。壁に掛かっている時計を見ると午前7時30分でした』
【七海 千秋/PL2】
「ふぁ〜! ……まだ7時半。二度寝出来る…かもしれない。おやすみ……」


「待て待て待て待てーーーっ!!!」
「えっ、……何かな? 日向くん」
鋭く待ったを掛ける日向の発言に対し、七海の返答は大分ほわほわしていた。それはまるで春先に軽やかに飛んでいくたんぽぽの綿毛のように…。相手は可愛らしい美少女であるが、この際致し方ない。日向は口の端を引き攣らせながら、何とか七海に食い下がる。
「いやいや、『何かな?』じゃなくて。二度寝はダメだろ。俺達はこれから罪木に会いに行くんだぞ?」
「罪木さんとの約束はお昼だし、もうちょっと寝てたい…と思うよ」
何故そこまでプレイヤーの個性をキャラクターに引き継ごうとするのか。セッションの外でも中でも七海は七海以外の何者でもなかった。
「頑張れ、七海! 頼むから起きてくれっ」
日向は必死に七海にエールを送る。最悪、罪木との待ち合わせに寝ぼすけな女刑事を背負っていく羽目になるかもしれないのだ。
「むうぅ〜……。分かったよ。GM、私は音が気になって、二度寝をすることが出来なかったよ。昨日みたいに洗面所で顔を洗ってこようかな」
『あはは、了解! 七海さんも起きたってことにするね』
ぷくっと膨れた七海は渋々起きてくれた。これで3人揃って出掛けることが出来る。ただ七海の言う通り、罪木との待ち合わせは昼である。まだ朝も早い時間だ。少なく見積もっても4時間ほど余暇がある。
「ねぇ、GM。私の<応急手当>で、狛枝くんを回復して良いかな? HP減ったままだよね」
『病院の治療は昨日受けたばかりだよ。流石に許可は出せないなぁ。最低でも1週間後が望ましいよ』
「むぅ…。ダメ元で言ってみたけどやっぱり無理…なんだね」
「今の体力でも問題ないんじゃないか?」
「HPは常に満タンにすべし…! いつ何が起こるか分からないからね。RPGの鉄則なのです」
七海はどやぁと鼻息荒く力説する。どうやら彼女がプレイしているゲームは、日向が普段やるものより難易度が高いようだ。
他にここですることはないだろう。そろそろ出掛けられそうだ。斜め向かいの狛枝は何やら思案していたようで、「あの…」と苗木に凛とした声で呼びかける。
「GM、罪木さんとの待ち合わせ場所へはここからどのくらい掛かるのかな?」
『移動時間は1時間だ。3人は車を持っていないから、電車に乗ることになるよ』
「とすると自由になる時間は3時間ってことか…。早めに行って場所の確認をするか」
事件を追いかけている身の上だ。何があるかは分からないし、早めに着いておいて損はないだろう。
「時間を潰す必要がある…かもしれない。GM、私の持ち物に『携帯ゲーム機』を追加するよ」
『OK。じゃあシートに書き加えておいてね』
七海は頷くと、探索者シートに何やら書き込んだ。2人のやりとりに日向はひっそりと溜息を吐く。
「七海……」
「あはっ、彼女には言っても意味がないかもね。諦めたら? 日向クン…」
「…ああ、そうするよ」
頬杖を突いた狛枝は長い睫毛を瞬かせ、上目遣いを送る。気だるげな仕草の狛枝に、内心ドキドキしながら日向は同意を示す。恋心とは違う本能的な熱情が掌で転がっていた。
『もう探偵事務所でやることはないね? 時間を飛ばすよ』


【苗木 誠/GM】
『時刻は午前9時。探索者達は電車を乗り継ぎ、とある駅前の喫茶店に到着しました』


「ん? 何だ、てっきり喫茶店を探すんだと思ってたぞ」
『昨日の西園寺さんは喫茶店の詳しい場所を言ってなかったね。駅前の喫茶店とだけだった。だから今回のセッションでは誰もが知っている有名な喫茶店ってことで話を進めるよ』
探す手間が省けたのは良いことだ。自由な時間で何かをするべきなのか。日向は腕を組んで考え込んだ。
「とすると、丸々3時間あるってことだね。日向くん、狛枝くん、どうしよっか? カウンセラーの音無 涼子の情報でも集める?」
「うーん、ボクはもうこれ以上新しいことは分からないと思うな。小泉さんはネットや新聞、書籍に雑誌まで調べていた。これ以外の情報源を求めて、罪木さんに会う訳だし…」
七海の提案に、狛枝は渋い顔をして首を左右に振る。確かに彼の言うことには一理ある。今更新たな情報が得られるとは思えない。

更に日向の脳裏に思い浮かぶものがあった。ヒキガエルの顔に、コウモリの耳、体は太ったクマ…。小泉の自宅のゴミ箱で見つけた謎のスケッチだ。あれを相手にすると考えると、今の状態で太刀打ちが出来るのか不安だ。自分は狛枝と七海を命に代えてでも護らなければならない…。素手で戦えるから武器はいらないと思ってたが、やはり念には念を入れて用意した方が良いかもしれない。日向は苗木に顔を向けた。
「GM! 今の自由時間を利用して、今後のために色々と準備をしたい」
『良い視点だね、日向クン。ボクも丁度それをキミ達に提示しようと思ってたんだ!』
苗木はGMとして申し分ない進行をしている。気の回る彼の性格から、恐らく日向が言わなくても準備の機会を与えてくれただろう。
「とすると、これから買い物に行くってことかな? …ボクもちょっと買いたい物があるんだよね」
狛枝は指先でトントンと探索者シートを突きながら、そう言った。日向はそれに「えっ」と声を上げる。意外な発言だった。戦闘員ではない彼が武器を調達するとは考えにくい。何を買うのだろうか? 一方、買い物と聞いた七海は「うーん」と唸りつつ、口元に指を当てた。
「私は一昨日の内に準備しちゃったから、特にないなぁ」
「あ、七海さん。それだったらボクの買い物に付き合ってくれないかな? 男1人だと買い辛いから」
「うん、いいよ」
やんわりとお願いをする狛枝に、七海は素直に返事をした。七海と狛枝は一緒に買い物をするようだ。日向は言葉にはしなかったが、羨ましかった。想いに気付く前なら、七海と一緒にいられる狛枝を羨ましく思っただろう。だけど今は狛枝と歩ける七海が羨ましい。2人についていきたかったが、彼らに付き合ったら自分の買い物が出来ない。
狛枝が1人では買いづらい物とは何なのだろうか? 男…という限定した発言から、女性だと気兼ねなく買えるのか。正直、狛枝のことが気になって仕方ない。どうしても知りたくて、日向は迷った挙句口を開いた。
「狛枝…、何を買いに行くんだ?」
「…ふふっ、日向クンには秘密…だよ。心配しなくても大丈夫。ちゃんとセッションに必要な物を買うよ」
「そうか…。GM、俺は武器を探したいんだけど、どれくらいの物が揃えられるんだ?」
『シナリオの舞台が2010年の日本だから、入手が困難なのは「銃」とか「薬物」かな。その他の物は要相談だね』
「なるほどな。じゃあ、狛枝は七海を連れて、一緒に買い物。俺は1人で行くな。時間は早めに集合するってことで2時間だ」
GMにそう告げれば、苗木は『了解!』と指揮棒を振ってみせた。
「日向クン、1人で寂しい?」
狛枝はクスクスと色っぽい微笑みを日向に向ける。子供をあやすような口調であるにも関わらず、隠し切れない淫猥さを含んだ狛枝の声に、ゾクゾクと性的な戦慄が日向の背筋を走った。今の日向にとって、それは愚問だ。考えるよりも先に口を開いていた。
「寂しいよ」
「………っ、止めてくれる? そういうこと言うの…」
「? 何でだ?」
「……調子、狂うから」
カッと色白の顔を赤くして、視線を逸らす狛枝。余裕のある態度は数秒も保たなかったようだ。2人の間にあるテーブルが煩わしい。日向は斜め向かいの想い人を見つめる。好きだ、狛枝のことが。狛枝の綺麗な桜色の唇に、今すぐキスがしたくて堪らなかった。

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