// Call of Cthulhu //

21.所持
ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_ERORR_...


「何、よ……。な、んで、…こんな、奴に……っ!!」
皓々と光るモニタに羅列する赤い文字を、江ノ島は憎々しげに睨んだ。怒りで小刻みに震える両手をゆっくりとキーボードの上に乗せ、爪を思いっ切り立てる。力を入れ過ぎた指先からはピシピシとネイルが割れる音が響いたが、彼女は視線をモニタから一切外すことはなかった。
遊び目的とはいえ、不二咲アルターエゴの組んだクトゥルフ神話TRPGプログラムは完璧だった。最初は改竄してやろうと、プログラム内に侵入した江ノ島であったが、内部構造を知る内にその考えはなくなった。綿密に組まれたそれは絶妙なバランスで構築されていて、それを書き換えるということは、例えばピッチリと隙間なく積み上げられた何百ものブロックから1つを抜き去ってしまうことと同じだった。すぐには影響は及ばないものの、歪みは後で必ずどこかで表面化する。それを知った江ノ島は3ヶ月もの間潜伏し、プログラム構造の完全把握に注力した。
モニタにチカチカと浮かぶERORRの文字に重なるように、図書館の監視映像が映し出されている。焦げ茶色の髪をした少年が他のプレイヤーと会話をしている様子がハッキリと視認出来た。真剣な表情でロールプレイをしつつも、時たま白い歯を見せて笑う様に江ノ島は腸が煮え繰り返る。吐き出す声が、震えた。
「あり…、えない…」
そう、ありえないのだ。あんなシステムの破られ方は想定していなかった。シナリオは既存の物に手を加えただけで基本データはそのままだし、アップデート自体も新世界プログラムを流用しているのだから、何も問題はない。全ては江ノ島の意のままのはずだった。バグが生じる可能性など1%もない。
「…ありえない? あなたは何をもって、『ありえない』と判断するのですか?」
背後から聴こえる抑制のない声に、江ノ島の胸の奥がチリッと焦げ付く。黙ったままイスから立ち上がると、彼女はゆっくりと声がした方向に振り向いた。暗闇に立っていたその人物は案の定と言った所か。長い黒髪は深淵と同じ色をしていたが、モニタからの光を受けて、僅かに艶めいていた。生気を感じさせない茫洋とした赤い瞳。その無感情な顔は人格が分裂しているとはいえ、顔貌は画面の中の日向 創そのものだった。それが江ノ島を更に苛立たせる。恐らく相手も江ノ島のする反応が分かっていて、ここに現れたのであろう。何せ彼は全ての才能を持ち合わせているのだから。
江ノ島は内側を満たしていく絶望感に打ち震えながらもカムクラ イズルに微笑みかけた。
「ふ、ふふふっ、アンタのクソムカつく顔が見れて…、絶望度が更にアップしたわ。ありがとう…」
「どういたしまして」
淡々と返答しながら、カムクラは江ノ島のすぐ横まで近付いてきた。モニタにチラリと視線をやった彼は静かに言葉を紡ぎ出す。
「クトゥルフ神話TRPGプログラム…。人工知能の分野に長けた超高校級のプログラマー・不二咲 千尋のノウハウが随所まで生かされてますね。1番の特徴はプログラム自身で現在ある材料から分析し判断するという、独自の能力を兼ね備えている点。プレイヤーの思考パターンを会話から判定し、その人間が選びそうな選択肢を優先して提示したり、プレイヤー双方が対立しそうな場合は間に入り、折衷案を瞬時に回答することが出来る。まるで人間のように臨機応変に対応するそのキメの細やかさは普通のコンピュータには不可能です。それを自分の手足のように操作出来るあなたは大したものですよ…」
「………」
「ただ相手が悪かったようです。『日向 創』に関しては、僕にも予想がつきません」
「…何で? 元々はアンタ自身なんでしょ? それが予想出来ないなんておかしいじゃない」
江ノ島の言うことは尤もであった。同一の存在であった日向 創とカムクラ イズル。日向はカムクラの過去であるのだから、彼の才能を持ってすれば行動を予測するのは容易く思える。だがその問いかけにカムクラはゆっくりと頭を振った。
「既に彼は僕の良く知る過去などではありません。あのコロシアイ修学旅行を乗り越え、未来に希望を見い出し、ただの予備学科生から変貌を遂げてしまった…」
「………変貌ったって、高が知れているじゃん。変なこと言うなっつの」
カムクラの発言に江ノ島はケラケラとバカにするように失笑した。腹を抱えて、髪を振り乱す。いくら何でも自分が予備学科に劣っているとは思えない。才能とは絶対なのだ。希望ヶ峰学園に選ばれなかった人間は彼女にとって塵にも等しい。その考えが間違っているはずはない。しかしそんな江ノ島の嘲りを、カムクラの言霊が鋭く射抜いた。
「日向 創があなたの手に負えるかどうか、僕には分からないです。現にあなたは1度彼に敗北してますよね…?」
「………っ!」
「楽しませて下さい、僕を…。あなた以外の人間にはきっと不可能ですから」
カムクラは深紅の瞳でじっと江ノ島を見つめた後、その場から音もなく立ち去ってしまった。やがて見えなくなる黒いスーツの背中に、チッと舌打ちをする。黙ったままイスに座り直した江ノ島は、表示され続けるERRORの文字をキーを叩いてクリアした。アップデート版の修正パッチはファイル自体が壊れてしまっており、まずはその修復をしなければならない。アップデートに移るのはその後だ。江ノ島はやれやれと溜息を吐きつつも、修復作業に没頭するのであった。


……
………

『さて、5分くらい経ったかな。日向クンと狛枝クンは持ち物決まった?』
苗木は腕時計を見てから、日向と狛枝に視線を投げる。狛枝は苗木の声に「ボクは平気だけど…」と返事をするが、言葉の後に悩ましげな顔で日向を窺った。視線を向けられた日向だったが、未だにああでもないこうでもないとシートの裏に文字を書いては消している。頬杖を突きながら、ペンをくるりと回し、「うーん」と喉を唸らせる。
『日向クン、もうちょっと時間取ろうか?』
「……いや、大丈夫だ。決まったぞ。GM、俺が追加したい持ち物は…メリケンサックと安全靴だ」
色々と考えたが無難な所に落ち着いたと自分では思っている。<こぶし>と<キック>にダメージボーナスを期待して、この2つにした。日向は街でメリケンサックが売っている店―――ミリタリー専門店と言うのだろうか―――を見たことがない。もしかしたらGMに止められるかもしれないが、交渉事は始めは高めに設定するのが鉄則だという話を聞いたことがある。日向がじっと見据える中、持ち物を聞いた苗木は『ふんふん』と小さく頷いている。
『良いんじゃないかな。割と普通の持ち物だね』
苗木は特に咎めるような反応は見せなかった。日向はホッとして、小さく嘆息する。
『メリケンサックも安全靴も技能のダメージ値に威力+2+dbする。耐久力6だよ。ただ安全靴はDEX(敏捷)が-1、<回避>なんかの体を動かす一部の技能が-5%されるから、そこは気をつけてね』
「あー、制約はあるよな…。GM。これって<武道/空手>と同時に使うと、最終的なダメージはどうなるんだ?」
『<武道/空手>は攻撃を2倍にする技能だね。ダイスロール成功でメリケンパンチは2D3+4+db、安全靴キックは2D6+4+dbだよ』
なるほどと日向は頷いた。ダイス目が良ければかなりのダメージを与えられそうだ。普通の人間相手なら1ターンキルも夢じゃない。だが神話生物が相手となるとどうなのだろうか? 正面の七海は苗木の言葉を聞いて、淡いピンク色の瞳をキラッと輝かせた。
「ほうほう。思ったより威力ある…かもしれない」
「あはっ、大したもんだね! もし神話生物が現れたとしても、日向クン1人で何とかなりそうかな。食べられてる隙にでもボクと七海さんは逃げようか」
机に肘を突き、顔の前で両手を組んだ狛枝は隣の席に座っている七海に微笑みかけた。その表情は穏やかで柔らかいが、予備学科という才能の不在を根に持っているのか、いちいち針で突き回すような挙動が多い。だがこの程度の冗談なら、痛くも痒くもない。寧ろ素直に思っていることを言ってくれる方が、日向にしてみれば楽だった。
「ああ、俺のことは気にせずに最善だと思う行動を取ってくれ。それで事件が解決するなら安いもんだ」
「………」
日向がそう言うと、狛枝は見る見る内にその表情を険しいものに変えていった。先ほどまでの澄まし顔とは全く違う。綺麗な形の眉を顰め、灰色の双眸で真っ直ぐにこちらを睨み付け、薄い唇を噛み締めている。そして大袈裟に溜息を吐いてみせた。
「……ヒーローでも気取っているつもりなのかな? 似合わないね」
「別に気取ってなんかないけど…」
「へぇ、無意識でそういうこと言っちゃうんだ。さっきから本当に調子狂うよ。不愉快になるから、それは止めてくれないかな。自分が犠牲になることで全てが救われるだなんて勘違いしないでほしいね。キミはそうご大層な存在じゃないんだよ?」
「何だよ、酷い言い草だな。逃げるんだろ? そうしたいならそうしろって言ってるだけだぜ?」
何故文句を言われなければならないのか。そもそも狛枝が逃げるなどと言い出したからだ。発言を肯定したのに臍を曲げられるなんて、本当に面倒臭い男だ。当の狛枝は腕を組んで、日向に蔑視するような視線を走らせている。
「キミの指図を受けるのも、それはそれで腹が立つんだよね」
「お前って、本当に捻くれてるな!」
厭味ったらしい狛枝の発言に日向が口を尖らせる。すると彼はふっと微笑した。腹を押さえて、くくっと苦しそうに笑うその姿は何だか楽しそうに見えた。日向は狛枝の表情に胸がすくような思いだった。まるでドロドロに汚れていた服を綺麗に洗い上げたような感覚。狛枝との言葉の応酬で痛快だと感じたのは初めてかもしれない。
「ふふっ、仕方ないね。もしそうなったら、キミの言う通り好きにさせてもらうよ。貧弱なボクがキミを助けられるとは思えないし、そこは期待しないでくれるかい?」
「ああ、俺も好きにするぞ」
狛枝がピンチの時は必ず助けるから。口には出さなかったが、日向は最初から心に決めていた。狛枝のやることなすこと全てが許せて、狛枝なしでは生きていける気がしなくて、狛枝の望むことなら何でも叶えてやりたい。それが人を好きになるということ。本当に自分は彼のことが好きなんだなと、日向はどこか他人事のように思った。

『それじゃ、狛枝クンの持ち物を聞こうかな』
「うん。やっぱり七海さんについてきてもらって正解だったよ。男じゃここまで揃えられない」
狛枝は探索者シートを摘まみ上げながら、ニヤリと口角を上げる。先ほどから気になっていたが、彼の用意した持ち物とは何なのだろうか? 買い物前も『男1人では買いづらい』と狛枝は言っていた。武器の類ではないのは予想はつくのだが。
「ボクが買ってきたのは、女性物の服、下着、靴。それから化粧道具一式にウィッグだね」
狛枝の口から飛び出た言葉に、日向は思わず「えっ!!?」と声を上げてしまう。何かの間違いじゃないか?と狛枝の顔を凝視するも、浮かべる面持ちに変化が訪れることはない。日向は混乱する頭で提案された持ち物をリフレインする。このラインナップは…、どう考えても女装だ。
『俗に言う変装セットってやつかな? 七海さんと一緒の買い物はそういう意味があったんだね』
「ちょ、ちょっと待て、狛枝! 何で、女装なんだ? 唐突というか、…意味が、分からないんだが」
「…は?」
言葉も切れ切れに日向が発言すると、狛枝は侮蔑の瞳でこちらを見た。一瞬日向はギクリとしたが、彼はすぐにふんわりとした優しげな笑みを浮かべる。
「日向クンには意味が分からないんだ。ふふっ、じゃあキミにも分かるようにボクが教えてあげるね」
クスクスとバカにしたような笑い声を漏らしながら、狛枝は目を細めた。淫靡さを含んだ妖しい目線と少し掠れた色気のある声が日向を貫き、腰回りにゾクリと衝撃が走る。
「罪木さんと話をするに辺り、ボクら3人の内の誰かが摂食障害である設定じゃないと怪しまれると思う。女性である七海さんが適任かもしれないけど、実際に『口』に取り憑かれたのはボクだからね」
「それならそれで、別に女装する必要はないんじゃないか?」
「日向クン、今までの摂食障害についての話は頭に入ってる? あれは主に女性がなる病気なんだ。男のボクがそうだと知ったら、もしかしたら不審がるかもしれない。それに女同士って体面の方が罪木さんから話を聞き出しやすいよ」
「ああ、うん。そうだな…。狛枝の言う通りだ」
穴のない理論を目の前に突き出されて、日向は納得し首を縦に振った。狛枝なりに考えて、持ち物を準備したということだったが、女装というのは衝撃的だった。彼より小柄で可愛らしい顔立ちの九頭龍が同じことを言っても、ここまでドキドキしなかっただろう。そんな日向の気も知らずに、狛枝は淡々とGMである苗木と話をしていた。
「化粧道具は一式ってしちゃったけど、詳しい内容を挙げた方が良いかな?」
『いや、必要ないよ。ボクも女の子のそういうのって詳しくないし。基本的なお化粧が出来る道具ってことで進めるね』
狛枝と苗木が会話を進めている間も日向は動揺が収まらなかった。狛枝が女装…。ゴクリと唾を飲み込んでから、周囲に気付かれないようにそっと目の照準を斜め前の麗人に合わせた。
狛枝は、綺麗だ。贔屓目もなく一般的に美形な部類に入る。男であるにも関わらず、あまり男臭さが感じられないというか、中性的で儚げな印象がある。涼しげかつ色気のある灰色の瞳、品のある鼻梁、薄く色付いた可憐な唇。それらのパーツがバランス良く小さな顔に配置されていて、その甘いマスクで微笑まれてしまうと条件反射で日向の心臓は大きく脈動してしまう。それに彼の身長は180cmあるものの、胸板や腰は細く、華奢な体躯をしている。さぞ女装が似合いそうだと、日向は満足感に表情筋が緩むのを感じた。狛枝に悟られないように、こほんと咳払いをする。しかし聡い彼にそれは見抜かれていたようだ。スッと日向に翡翠の瞳を向ける。
「……日向クン。さっきから何? 気持ち悪いよ」
「え? いや、その…。気にしないでくれ」
「そう……」
不機嫌そうに眉を寄せて、狛枝は日向を一睨みした。妄想が過ぎた。日向は深呼吸をして、浮ついた心を静めることにした。
『3人の最終的な持ち物はこんな感じかな』
苗木が示したモニタには更新された日向達の所持品の一覧が表示されていた。

[所持品]
日向 創 :財布、携帯電話、筆記用具、メリケンサック、安全靴
七海 千秋:身分証、拳銃、弾、手錠、財布、携帯電話、携帯ゲーム機
狛枝 凪斗:携帯電話、救急キット、財布、女性物の服、下着、靴、ウィッグ、化粧道具一式

『狛枝クンは<変装>を使うんだよね? それはいつするのかな?』
苗木はGMらしく、先手に回って狛枝に<変装>ロールの必要性を聞いている。狛枝は日焼けをしていない指を顎に添え、考えるような仕草を見せた。
「罪木さんとの約束までまだ1時間あるし、今しちゃおうと思ってるんだけど」
『具体的にどうやって<変装>をするのか教えてくれないかな。例えばどこで着替えるのかとか。まさか街の真ん中で<変装>はしないよね?』
街の真ん中で。それを聞いた日向はいても経ってもいられず、イスから勢い良く立ち上がる。通行人が行き交う賑わった街中で狛枝の肌が晒されるのには黙っていられない。呂律が回らない舌で、一気に捲し立てた。
「そ、それはダメだ! 外で着替えるだなんて、誰かに見られたら…!」
「日向くん、ちょっと落ち着こう? その辺りは狛枝くんと私で相談してあるから大丈夫…だと思うよ」
「あ、…ごめん」
七海に静かな眼差しで諭されて、日向はストンと力が抜けたように着席した。良く考えれば、街の真ん中で着替えなんて正気の沙汰じゃない。何故そこに反応してしまったのか。自分の挙動不審さと気持ち悪さに思わず日向は涙ぐんだ。狛枝はその様子を横目でチラリと一瞥した。日向と目が合うと、さっと血の気のない頬を赤らめる。狛枝は苦しそうに顔を歪めながらも、日向から逃げるようにパッと視線を逸らした。
「どこで<変装>するかだよね? うーん、百貨店とかのトイレでささっと着替えるのが1番良いかな。GM、それらしい建物はすぐに見つかるかい?」
『もちろん。大きな街だからね。狛枝クンは時間を掛けることなく、老舗の百貨店を通りに見つけることが出来たよ』
「それじゃ、その中にある女子トイレで変装しようか。ダイス振っても良いかな?」
にこやかな狛枝の提案を聞いた苗木は『っ…』と言葉を詰まらせ、曇った表情で相手を見た。そしておずおずと口を開く。
『……狛枝クン、今…何て言ったかな?』
「ん? 女子トイレで変装しようってだけだけど。…ボク、何か変なこと言った?」
ことんと首を傾げる狛枝に、苗木は神妙な面持ちで『ううむ…』と目を瞑ってしまった。苗木の反応を見て、七海は何かに気付いたのか「あちゃー」と小声かつ棒読みで呟く。狛枝と同じく日向にも何が何だか分からない。特別変な提案をした訳ではない。PLとして当たり前のことを口にしただけなのに、何故そこでストップが掛かるのだろう。日向は首を捻りながらも、後に続く苗木の言葉を待った。
『狛枝クン、キミは今「"女子"トイレ」って言ったね。悪いけど、GM的にそれをスルーすることは出来ないんだ』
「………。女子トイレに男の人が入ってきたらパニックになって、下手したら通報される…かもしれない」
パーカーのフードを被って視線を落とす七海に、苗木はこくんと頷いて同意を表す。
『その通り。だから<変装>ロールの前に、<幸運>と<忍び歩き>の組み合わせロールをお願いするよ』
「あ……」
狛枝の口から出たのは何とも呆けた声だった。用意周到で綿密なようでいて、狛枝はたまに抜けている所がある。普段の冷静沈着さからは考えにくいその行動は、年頃の男子高校生らしくて日向は好きだった。
『<幸運>は女子トイレに人がいるかどうか、<忍び歩き>は周囲に気付かれることなく中に侵入出来るかどうかを判定するよ』
「不審者判定…」
「七海、言ってやるなよ」
「んぅぅ…。ボクとしたことが余計なことを言っちゃったようだね。仕方ない…」
やれやれと狛枝は頭に手を当てる。彼の<幸運>も<忍び歩き>も技能値は低い。このダイスロールが成功しなかったらどうなってしまうのだろうか。日向は緊張しながら成り行きを見守る。

<幸運&忍び歩き>
探索者名  技能名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗  幸運  _(35) → 16  [成功]
狛枝 凪斗 忍び歩き _(30) → 〃   [成功]

「あれ、成功しちゃったみたいだね! これは幸運…なのかな。ああっ…、後から来る不運に今から身悶えしてしまうよ…!」
30以下の値をキッチリ出して、狛枝はダイスロールを成功させた。思いがけない成功判定に狛枝は目を丸くする。そして体をぶるぶると小刻みに震わせ、熱く湿った吐息を零した。いつもの狛枝だ。
「ここでダイス成功かよ。すごいな、お前…」
「まぁ、次ぐらいには失敗するんじゃないかな」
日向は冗談抜きで驚いた。ダイスに振り回されて、思ったような値が出ない自分とは大違いだと感心する。へらっと笑った狛枝はひらひら手を振っていた。苗木はルールブックを捲りながら、『わぁ!』と感嘆の声を上げる。
『さすがだね、狛枝クン。とするとシーンはこんな感じになるかな…』


【苗木 誠/GM】
『百貨店に来た狛枝 凪斗はフロア案内の掲示板から、女子トイレの所在を確認しました。幸運にも目的の女子トイレには人気がなく、狛枝 凪斗は苦労することなく中に忍び込みます』


完全に不審者だ。先ほどの七海の発言に同意せざるを得ない。狛枝もまさかこんなロールプレイをするとは予想していなかっただろう。僅かながら日向は彼に同情した。
『では引き続き、<変装>ロールに移るよ』
「50%あるから成功してほしいんだけどね…」

<変装>
探索者名  技能   出目    判定
狛枝 凪斗 (50) → 01  [クリティカル]

「……おお、クリティカルのお目見えだね。狛枝くん、おめでとう!」
七海がパチパチと手を叩くが、狛枝はそれに喜ぶどころか半ば呆然とダイスを見つめていた。間もなくして「あは…」と乾いた笑いを零す。見る見る内に抜けるような白い面差しが蒼白になり、額からはものすごい量の汗を流していた。ぐるぐると螺旋を纏わせた灰色の瞳は、焦点が合っておらず、右に左にゆらゆらと揺れている。
「おい、狛枝。大丈夫か? 顔色が…」
「どうし、よう…。どうしようどうしようどうしよう、日向クン! さっきロールを成功させたばかりなのに、今度はクリティカルだよ! ふふふ、我ながらすごい才能だね。ふ、ははは、…これからどんな不運が来るのかな? 早く悪いこと起こってくれないかな? そうじゃないとボク耐えられないよ。いつまでも幸運のままだなんて、恐ろし過ぎて生きた心地がしないね…!」
「狛枝、…狛枝!」
日向は慌てて席から立ち上がり、狛枝の傍へと駆け寄る。少し屈んで目線を合わせると、灰色の美しい瞳とかち合った。ガタガタと震え上がった狛枝は日向を見た途端、縋りつくようにYシャツの胸元を掴んでくる。
「うぁああ…、ひなたクンひなたクンひなたクン…ぁああああ…!」
「大丈夫、大丈夫だ…狛枝。落ち着け。こっち見ろ」
ふわふわの淡い色の髪を梳きながら、日向は宥めるように言い聞かせる。外敵に怯える雛鳥のように縮こまった狛枝の背中を優しく撫でてやる。狛枝は何度も日向の名前を呼びながら、浅い呼吸を繰り返していた。
「ほら、今お前は俺に抱き締められてるだろ? 大丈夫だ。これが不運だから、次はきっと幸運がくる。…そしたら怖くないよな?」

<精神分析>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (70) → 24  [成功]

「ひ、日向クン……。あ……、」
「狛枝? …もう平気か?」
背中を擦りながら、日向は狛枝からゆっくりと体を離す。狛枝の右手は相変わらず日向のYシャツをきゅっと掴んだままだったが、恐怖を感じていたその表情は少しだけ安らいだように見えた。うるうると潤んだ瞳が可愛らしくて、日向の心はトクンと甘い音を立ててときめく。
「あぅ…、ん……へぃ、き…。もう、大丈夫、だから……」
狛枝は耳まで真っ赤になりながら、ぐっと日向の胸板を押し返す。「本当か?」と顔色を見ようとする日向の手から逃げるように体を後ろへと逸らせた。
「そうか、大丈夫なら良かった…。お前の才能のことは分かってるつもりだ。怖いことがあったら何でも言ってくれ。俺も七海も力になるから」
「うん……」
恥ずかしそうに口籠る狛枝に、日向は安心して席に戻る。毛嫌いしているはずの自分を狛枝が頼ってくれた。そのことが嬉しくて、周囲を意識するのをつい忘れてしまう。すぐ隣から注がれる茶色い瞳の強い視線を気にすることなく、日向は着席した。

『………。ねぇ、日向クン。今のって…』
「苗木?」
『ううん、何でもないよ。……おめでとう、狛枝クン。<変装>でクリティカルだったね』
指揮棒の先でくるくると円を描きながら、苗木は<変装>クリティカルの説明をする。

【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗は女子トイレの個室で着替えることにしました。まずは着ていた服を脱いで、女性物の下着を身につけます。そしてふわっとしたレース素材の白いIラインワンピースに腕を通し、黒いストッキングと焦げ茶色のロングブーツを履きました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「さて着替えは終わったし、次はこの醜い顔をどうにかしないとね…」
【苗木 誠/GM】
『七海 千秋の協力を経て揃えた化粧道具一式をドレッサーの前に並べて、狛枝 凪斗はメイクを始めます。素肌をファンデーションで整え、瞼にはオパールグリーンのパール、頬にはオレンジピンクのチーク、唇にはローズピンクのグロスを乗せていきます。アイラインとマスカラで目元をくっきりさせた狛枝 凪斗は、最後に髪質に合わせて購入したウィッグをずれないように頭にしっかり留めました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「ん。こんなものかな。我ながら結構上手に出来たような気がするよ」
【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗は鏡の向こう側にいるモデル風の美女にそう呟いて、満足気に微笑みます。持ち前の美貌と変装テクニックを駆使し、彼は完璧なまでに女性に変装することが出来ました』


モニタに表示された狛枝のアバターを見て、日向は思わず「はぁ…」と溜息を漏らしてしまった。狛枝の容姿を反映させているそのアバターはAPP(外見)が16というステータスもあり、とても見目麗しい。ワンピースというのは男からしてみればかなりグッとくるファッションだ。清楚でありながら女性らしさを感じさせるスタイルに、日向の心臓はバクバクとうるさく鼓動を続ける。ふわふわの髪はウィッグのお陰で背中まで長さがある。何より薄づきメイクは狛枝の肌の透明感を引き立て、文句のない優艶さを一層強くしていた。
「狛枝……」
「? 何かな?」
「綺麗だ、すごく」
そう言われるや否や狛枝はピクンと体を跳ねさせる。
「っ……、ひ、日向クンに…そんなこと言われても、嬉しくないよ」
「そうだな。ごめん」
実際に彼にこんな格好をされたら、自分は変に高揚してしまって心穏やかではないだろう。未だに心臓の音は治まらない。治まる気がしない。少なくともこのモデルのようにすらりとして、艶やかな美しさを称える美女を目の前にしている内は不可能だ。
苗木は『言い忘れてたけど、』とおたおたと言葉を付け足す。
『狛枝クンは<変装>でクリティカルを出しているから、これから誰に会っても男性だとは気付かれないよ』
「それってつまり…どういうこと?」
『ごめんね、七海さん。言葉が足りなかったみたい。普通だと狛枝クンと出会った相手が<アイデア>ロールをして、成功だったら変装が見破られちゃうんだけど、今回はその<アイデア>ロール自体発生しないよ』
それは中々好都合である。狛枝が男だと分かって、話が拗れるような状況にはならないということだ。


【苗木 誠/GM】
『準備が終わった狛枝 凪斗は日向 創と七海 千秋の前に姿を現しました。彼の劇的な変貌に2人とも驚きを隠せません。特に恋人である日向 創はうっとりと狛枝 凪斗に熱っぽい視線を向け、しばし見惚れていました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「…どう、かな? あはっ、他の人に見破られない自信はあるんだ」
【七海 千秋/PL2】
「狛枝くん、似合うねぇ。どこからどう見ても女の人だ。雑誌とかに出てるモデルさんみたいだよ」
【狛枝 凪斗/PL3】
「ありがとう、七海さん! キミが買い物で色々と見繕ってくれたお陰さ。……あれ、日向クン?」
【日向 創/PL1】
「すまない、見惚れてた…。可愛いよ、狛枝。何と言うか、綺麗過ぎて落ち着かないな。手が震えちまう」
【狛枝 凪斗/PL3】
「……あ、ありがとう。嬉しいよ、キミにそう言ってもらえて」
【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗は恋人に褒められ、照れたようにはにかみました。2人の間に甘い空気が流れます』


「苗木クン、そこまで描写に拘らなくて良いから。早く次に進んでくれないかな?」
『あ、うん。ごめんね! それじゃ、3人の準備は完了したってことで待ち合わせ時間まで進むよ』
苛立ちを含んだ狛枝の声が放たれ、苗木がしどろもどろにセッションを進行させる。始めは狛枝が怒っているのかと日向は思ったが、そうではないらしい。長い睫毛を揺らし、眉をハの字にしているその表情は、湧き上がってくる羞恥を必死に誤魔化しているように見えた。

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22.質問
【苗木 誠/GM】
『時刻は正午過ぎ。探索者達が指定された駅前の喫茶店で待っていると、そこに1人の女性が現れました。たおやかな笑みを携え、涙ぼくろが印象的です。黒い艶やかな髪は不自然な長さで所々ふつりと切れています。ピンク色のブラウスに膝下ほどのウール地のスカートという服装でした』
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ…。あのぉ、あなた達が西園寺さんが言ってた、小泉さんのお友達の方々ですかぁ?」
【日向 創/PL1】
「あ、ああ。そうだよ。じゃあ、君が日寄子ちゃんの先輩の『罪木 蜜柑』さん?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「はいぃ、そうです。ウガァ・クトゥン・ユフぅ! は、初めましてぇ、罪木 蜜柑と申します。ふゆぅ、西園寺さんからお話は聞いてますぅ。立ち話もなんですから、とりあえずお店の中に入ります? わ、私のようなゲロブタとご一緒でも構いません、よね…?」
【苗木 誠/GM】
『そう言って、「罪木 蜜柑」は喫茶店へと探索者達を誘います』


『さて、3人はどうする?』
苗木が問いかけてくるが、答えは決まっている。ここで断ってしまったら、話が進まない。罪木が例の『カウンセリング』を受けたのなら、その内容を聞きたい。それに喫茶店での飲食から何か分かるかもしれない。「一緒に喫茶店に入る」と答えると、苗木は『了解!』と白い歯を見せた。喫茶店に入るのは良いのだが…と日向は画面上の罪木を見やった。
「わぁー、何て冒涜的なあいさつ…!」
「ああ、初っ端からこう来るとは正直予想してなかったぞ。これはかなり重症だ…」
七海が思っていたことを代弁してくれた。初対面の相手に堂々とそのあいさつをしてくるとは相当だ。鬱陶しい上に流行らないと思われる謎のあいさつ。宗教的…、いや病的なものを感じる。ヒソヒソと言葉を交わす日向と七海。そんな中、狛枝だけがきょとんとした顔でモニタを見つめていた。
「そう? 罪木さんって、元々こんな感じじゃなかったかな?」
「それは違うぞ!!」


【七海 千秋/PL2】
「そうだね。じゃあ、喫茶店の中でゆっくり話を聞かせてほしいな」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフ。良かったですぅ…。皆さんもお昼はまだ、ですよね? 食事をしながら、『カウンセリング』のことをお話ししますよぉ」
【苗木 誠/GM】
『探索者達と「罪木 蜜柑」は喫茶店内へと入ります』
【辺古山 ペコ/NPC】
「いらっしゃいませ…。お客様は4名様でよろしいか? いや、…よろしいですか? …お煙草はお吸いになられ、ますか?」
【苗木 誠/GM】
『入り口で案内をするウェイトレスはルビーのような赤い瞳を探索者に向け、静かにそう告げました。上質な黒い布地のワンピースは裾がふんわりと広がっており、その上には真っ白で清潔なフリルのエプロンを身につけています。ギャザーの寄ったヘッドドレスや胸元のリボンは可愛らしいのに、彼女の冷徹な表情と寡黙な口振りからは何だか凛々しさを感じます』


「あれ、辺古山さんだね。メイドさんかな?」
そうボヤく七海に「そうみたいだな」と返事をしながら、日向はテーブルの下で指を折った。罪木と併せて、これで8人。回収するべきアバターは田中と弐大の2人だけだ。


【狛枝 凪斗/PL3】
「4名で。煙草は吸わないから禁煙席でお願い」
【辺古山 ペコ/NPC】
「承知…、いたしました。少々お待ち下さい。………。お席のご用意が出来ました。ごゆっくりどうぞ…」
【苗木 誠/GM】
『ウェイトレスは4人を席へと案内し、恭しく一礼をして戻って行きました。4人は案内された席に着きます』
【日向 創/PL1】
「わざわざ時間を取ってくれてありがとう、罪木さん。何から聞こうか…」
【七海 千秋/PL2】
「とりあえず、まずはカウンセリングを受けたキッカケから聞きたい…と思うよ。罪木さん、お願い出来るかな?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「えっとぉ…それは構わないんですけど。まず何か注文しませんかぁ? ふぇえ、すみませぇん…! 私、お腹が空いてしまって…」
【狛枝 凪斗/PL3】
「うん。注文もせずに話しこむのはお店に悪いよね。じゃあ、注文を決めようか」


「これは明らかにフラグだね!」
「七海、鼻息荒いぞ…」
両手をぐっと握り締め、身を乗り出す七海に日向は苦笑いをする。狛枝も笑い飛ばすかと思っていたが、彼は神妙な面持ちで悩ましげに腕を組んでいた。
「日向クン、七海さんの言う通りだよ。罪木さんがボクや小泉さんと同じ症状だとしたら、暴飲暴食の末に最悪な結末を迎えるかもしれない。彼女の動向には十分に注意を払うべきだ」
「分かった。すぐに罪木を止められるように心構えはしておくぞ」
狛枝は「頼むよ」とキリリとした清涼な視線を向ける。どうやら推理モードに入っているようだ。カッコいいなと日向は清廉な横顔を見つめた。真剣な表情の狛枝には、先ほどの可愛らしさとはまた別の魅力がある。


【辺古山 ペコ/NPC】
「ご注文は以上でよろしいですか? ではごゆっくりお寛ぎ下さい…」
【苗木 誠/GM】
『淡々とした口調のウェイトレスがお辞儀をして下がります。探索者達は昼食の注文を終え、テーブルには注文した料理が出揃いました』
【罪木 蜜柑/NPC】
「それでは…、カウンセリングを受けたキッカケですよねぇ? 私…、音無先生の『カウンセリング』を受ける前は、人間関係でストレスを抱えて『過食症』になってしまったんですぅ…。その時は色々と悩みました。摂食障害の本を読んだり、専門の病院に行ったり…。でも大学のお友達から音無先生のことを聞いたんです。
最初は本当に効果があるのか半信半疑でしたぁ。カウンセリングで摂食障害が治るなんて話、今まで聞いたことなかったですし…。で、でもぉ、実際受けてみると、絶大な効果だったんですぅ!」
【狛枝 凪斗/PL3】
「絶大な効果、か。ねぇ、それって具体的にはどういうものだったのかな?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ! それはもうすごい効果ですよぉ…! 『カウンセリング』を受けた後は摂食障害で悩まなくなってしまいましたから。何と言いますか…、食欲を感じなくなるんですよねぇ、不思議と。しばらくはお水だけでも平気なくらい」
【日向 創/PL1】
「水だけでか!? それはすごい効果だな…!」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ…! そうですよねぇそうですよねぇ、すごいですよね!? うゆぅ、例えるなら私が寝ている間に、夢の中で私の代わりにご飯を食べてくれるって感じなんですよぉ!
次の朝起きたら、何でか分からないんですが、充実した満腹感があって、1日が気持ち良くスタート出来るようになりましたぁ。でも…、欠点もあるんですよ」
【七海 千秋/PL2】
「むむ? 欠点…と言うと?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「それはですねぇ…。あ、すいませぇん、店員さん! ショートケーキ2つお願いしますぅ〜」
【辺古山 ペコ/NPC】
「畏まりました」


罪木の追加注文に日向はハッとした。似ている、あの時の小泉に。急いで七海と狛枝に視線を投げると、2人とも硬い表情で黙って頷いた。


【罪木 蜜柑/NPC】
「あっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさぁい! クソビッチの分際で話を中断させてしまって…。あの、あのあの、今から私……脱ぎます…からぁ…! お願い、許して許して許して許してゆるして…」
【日向 創/PL1】
「だ、大丈夫だ。脱がなくても良いからっ。話の続きをしてくれないか? 頼む」
【罪木 蜜柑/NPC】
「はいぃ…、すみません。欠点の話ですよね。欠点は3週間くらいすると『カウンセリング』の効果が薄れてしまうんです。これは仕方のないことみたいですねぇ…」
【狛枝 凪斗/PL3】
「あのさ…今ケーキを追加したけど、もしかして罪木さんが『カウンセリング』を受けてから3週間経ってるのかい?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ! ふゆぅ…、実はそうなんです。なのでそろそろもう1度、音無先生の『カウンセリング』を受けなくちゃダメですね」
【狛枝 凪斗/PL3】
「ふぅん。劇的な効果のようだけど、『カウンセリング』ではどんなことをするのかな? もしかして薬とか使ったりする?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ…。薬なんて使いませんよぉ。お茶会みたいな感じで音無先生とお話ししているだけで、スゥ…と食欲がなくなってしまうんですぅ! 素晴らしいですよね?」


何と罪木曰く、音無 涼子と話しているだけで摂食障害の症状が治まってしまうらしい。どう考えてもそれはおかしい。常識の範疇を超えている。『カウンセリング』の内容を静かに聞いていた狛枝は「GM」と苗木に呼び掛けた。
「罪木さんに悟られないように、目視だけの<医学>で彼女を診察したいんだけど」
『OKだよ。それじゃ<医学>で振って下さい』

<医学>
探索者名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗 (81) → 77  [成功]

「ふぅ、危なかったね」
『ギリギリだけど、成功だね! では狛枝クンは<医学>に成功した結果、罪木さんの肌が食事の極端な偏りから荒れ気味で、そして不自然な痩せ方をしていることが分かるよ』
どうやら罪木からは体の異常な状態を認識出来るだけで、その以上を解決する『カウンセリング』の手段が何なのかまでは掴めないようだ。


【七海 千秋/PL2】
「ちなみになんだけど、『カウンセリング』のお値段ってどのくらいなのかな?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ! 1回6000円ですぅ。高いって思う人もいるかもしれないですけど、『カウンセリング』としてはそこまで高額じゃないと思いますよ。効果もありますしぃ…」
【辺古山 ペコ/NPC】
「お待たせいたしました。ご注文の苺のショートケーキ2つです」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ありがとうございますぅ! うふふっ、すごく美味しそう…。あ、また追加でお願いしたいんですけどぉ」
【辺古山 ペコ/NPC】
「はい、何になさいますか?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「確かここに載ってた…、あ、この期間限定のマロンモンブラン! これもお願いしますぅ」
【狛枝 凪斗/PL3】
「モンブラン、か。砂糖めいた甘みは好きじゃないんだけど、栗の甘さなら好きだな。ボクもそれを注文するよ」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ。それじゃ、マロンモンブランを2つ下さぁい」
【辺古山 ペコ/NPC】
「畏まりました」


「何でお前までケーキ頼むんだよ」
「うーん、ふふっ。何となく、かな。日向クンはケーキはお好みじゃなかったかな?」
「この喫茶店で草餅が出る可能性はない…と思うよ」
「だよな……」


【辺古山 ペコ/NPC】
「お待たせいたしました。マロンモンブラン2つをお持ちいたしました」
【狛枝 凪斗/PL3】
「やっぱり秋だし、モンブランだよね」
【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ! ですよねぇ。あ、店員さんすみません。甘いケーキばかりですし、ビターチョコを使ったケーキが欲しいんですけどぉ…」
【辺古山 ペコ/NPC】
「承知いたしました。ではこちらのガトーショコラなどいかがでしょうか?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「うふふふふっ、これも美味しそうですぅ! ガトーショコラ1つお願いしますねぇ」
【七海 千秋/PL2】
「甘い物は別腹ってやつだね! さてと…、『カウンセリング』のことは大体聞いたかな。罪木さん、音無先生の所の住所を教えてもらえる?」


七海のロールプレイに、日向のアンテナがピンと立つ。そうだった、住所を聞くのをすっかり忘れていた。小泉のアパートで探索した時は肝心な住所がどこにも見当たらなかった。


【罪木 蜜柑/NPC】
「あのぉ、失礼ですが…、どなたか摂食障害なんですかぁ? 『カウンセリング』を受ける用事以外で訪ねるのは、音無先生も困ると思いますよ…?」
【七海 千秋/PL2】
「うん、こっちの彼女がね…、原因不明の過食症に悩んでいるんだ」
【苗木 誠/GM】
『七海 千秋はそう言って、正面に座っている狛枝 凪斗に視線を移します』
【狛枝 凪斗/PL3】
「ああ、実はそうなんだよ。最近仕事でストレスが溜まってしまってね。彼がものすごく心配性でさ、音無先生の噂をどこかから聞いてきて、『早く治せ』ってうるさくて」
【日向 創/PL1】
「悪かったな。うるさくて…」
【罪木 蜜柑/NPC】
「やっぱり摂食障害は女性に多いみたいですねぇ。音無先生の『カウンセリング』を受けたいって思ってらっしゃるんですか? だったら内容が気になるのも納得です。……でも良かったですぅ。彼氏さんがいるとそれだけで心強いですよね?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「……そう、だね。何だかんだで彼がずっと傍にいてくれるから、ボクは落ち着いていられるんだろうね。普段あまり言う機会はないけど、すごくありがたいって思ってるよ」


「狛枝……」
「…日向クン、これはロールプレイだからね。誤解しないで」
そう言って、プイッと顔をそっぽに向ける狛枝だったが、その言葉に刺々しさはない。「うん」と笑って返事をする日向に、七海が「らーぶらーぶ」と呟いた。


【罪木 蜜柑/NPC】
「ウガァ・クトゥン・ユフぅ! 頑張って下さいね。私も陰ながら応援してますぅ。あ、ここが音無先生の住所になります」
【苗木 誠/GM】
『そう言って、罪木 蜜柑は「音無 涼子の住所を書いたメモ」を狛枝 凪斗に渡しました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「どうもありがとう。助かるよ」


「七海、狛枝。俺達さ、音無 涼子の所に行くんだよな? それってやっぱりそいつと話をして、『カウンセリング』を止めさせるってことか?」
「十中八九そうだろうね。音無 涼子って人が怪しいカウンセリングをしているのなら、それを止めないと事件解決にならない…かもしれない」
もしそうなったら、罪木はどうするのだろうか? また摂食障害に苦しむことになるのかもしれない。表情を曇らせた日向に逸早く気付いた狛枝は労るように言葉を掛けた。
「日向クン、あまり感情移入することないんだよ。西園寺さんの時もそうだったけど、キミは優し過ぎる。罪木さんはゲームの登場人物なんだから、深く考えなくても大丈夫さ」
「そう、だよな。すまない、狛枝。…ありがとう」
目的がぶれてはいけない。アバターを回収することに専念するべきだ。だがモニタの中のNPC達は本物と同じように表情豊かで、セッションをしていると懐かしさを覚えてしまう。日向は頭を振って、その考えを振り切った。


【苗木 誠/GM】
『マロンモンブランを2、3口食べていた狛枝 凪斗でしたが、お腹がいっぱいになってしまったようです。フォークをお皿に置いてしまいました』
【日向 創/PL1】
「狛枝、もう食べないのか?」
【罪木 蜜柑/NPC】
「どうしたんですかぁ? モンブラン、美味しくなかったんですか…?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「いや、美味しいんだけどね。思ったよりもお腹に入らなかったみたいで」
【日向 創/PL1】
「罪木さん、気にしないでくれ。いつもそうなんだ。少食なクセに食い意地は張ってる奴でさ」
【罪木 蜜柑/NPC】
「うゆぅ…そうなんですか。じゃあ勿体ないですし、私がもらっても良いですかぁ?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「でもボクが口付けちゃったし…」
【罪木 蜜柑/NPC】
「そのくらい、大丈夫ですよぉ。そのままだと捨てられちゃいますし。もらっちゃいますね!」
【苗木 誠/GM】
『罪木 蜜柑は狛枝 凪斗の返事を待たずして、モンブランの皿に手を伸ばします』


―――「あれ? 日向、デザート食べてないじゃない。だったらアタシが貰うねっ!」
―――「ガツガツ、ムシャムシャ! バクバク、モグモグ!」
―――「 も っ と 食 べ た い … 」

小泉が消失した時の光景が脳内にフラッシュバックする。礼儀正しい彼女からは想像出来ないほどの暴食。日向達が止めるのも聞かず、テーブルに乗った料理を次々と平らげ、小泉は信じられないほど悲惨な最期を遂げた。
「おい、ヤバいぞ!!」
「日向くん、私に任せて」
じっと強い視線で七海がハッキリとそう言った。


【七海 千秋/PL2】
「狛枝くん、私もケーキ食べたいな。それで良いからちょうだい」
【苗木 誠/GM】
『七海 千秋は狛枝 凪斗の食べかけのモンブランにフォークを突き立て、ぺロリと口に入れました。罪木 蜜柑はポカンとした顔で皿と七海 千秋の顔を見比べています』
【七海 千秋/PL2】
「うん、美味しい。ごめんね、罪木さん。2人が食べてるの見たら、私もどうしても食べたくなっちゃって…」
【狛枝 凪斗/PL3】
「それにしても罪木さん。さっきから食べる量が多いんじゃないかな? ほどほどにした方が良いよ」
【罪木 蜜柑/NPC】
「え、あ…、で、でもぉ…。もっと…もっと食べたいんですぅ…。いくら食べても平気ですよ? うふふっうふふふふっ、だって音無先生の『カウンセリング』を受ければ、食欲なんてどうにでもなっちゃいますからぁ!」
【苗木 誠/GM】
『罪木 蜜柑の表情が鬼気迫るものに変わりました。優しげだった黒い瞳がカッと開き、ひくひくと頬が引き攣っています。笑っているようで上手く笑えておらず、探索者達にはその顔は何とも不気味に映りました』


「食欲に抗えず、食欲に負け…。正常な精神状態とは言い難いね。自分を見失っている…」
「正気じゃないってことか。GM、罪木を<説得>…、いや<精神分析>する」
精神的な病気に対して、説得だけでどうにかなるとは思わなかった。摂食障害はそこまで簡単ではない。苗木にロールを提案すると、モニタを確認しつつそれに頷いた。
『分かったよ、日向クン。ロールどうぞ…』

<精神分析>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (70) → 51  [成功]


【苗木 誠/GM】
『日向 創の<精神分析>により、罪木 蜜柑はハッとして、平常心を取り戻したようです』
【罪木 蜜柑/NPC】
「あ…そう、ですね…。いけません。いくら音無先生の『カウンセリング』が素晴らしくても、それに頼り過ぎるのは良くないですよねぇ。自制しないとですぅ…!」


「うん…。どうにかピンチは乗り切ったみたいだね。七海さん、日向クン、お疲れ様。ありがとう」
「小泉の二の舞になって、SANチェックされても困るからな」
「それにしても音無 涼子の『カウンセリング』は危険だね。患者がそれに依存し過ぎてる…と思うよ」
一時的に治せば良いというものではない。自らの精神力で克服することこそが本当の回復だ。やはり音無 涼子の『カウンセリング』は止める必要がある。
「そうだ。自分の力で打ち勝たないとダメなんだ。それが希望…。日向クン、七海さん。罪木さんから必要な情報は聞けたね。行こう、音無 涼子の所へ…!」
『探索者達は罪木 蜜柑と別れ、音無 涼子の元へ向かう。それで良いかな?』
苗木の質問に3人は視線を合わせてから、大きく頷く。いよいよだ。事件の核心である音無 涼子に迫る。ぐっと膝の上で拳を握り締めた日向を、苗木は密やかに見ていた。まるでプラスチックのように無機質な瞳で。

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