// Call of Cthulhu //

23.潜入
「不味いわね。どんどんセッションのシナリオが進んでいる…」
霧切は苦虫を噛み潰したような顔でモニタを睨んでいた。クトゥルフプログラムは未来機関からの外部干渉を全く受けず、何の問題もなく進行している。監視は可能なものの、他に出来ることと言ったらプログラムを覆っている防壁を攻撃するくらいだ。しかしそれも糠に釘、暖簾に腕押し。プログラムは幾重にも防壁で保護され、ちょっとやそっとでは壊れない。しかもあまり派手に攻撃すると、江ノ島アルターエゴの怒りを買うらしく手痛い反撃を受ける。その所為で既に何台かのコンピュータが機能停止状態に追いやられていた。
「霧切さん、不二咲アルターエゴはまだ捕捉出来ていない」
「さすがに新世界プログラムとクトゥルフプログラムが合わさると広大ね…。まだ未解析のエリアがこんなにあるなんて」
解析の進捗状況を示したマップを視線を投げ、霧切は溜息を吐く。この情報の海の中から、不二咲アルターエゴを見つけるにはまだまだ時間が掛かりそうだった。そんな膠着状態が続くコントロールルームに、セッションを見守るモニタとは別の大きなスクリーンから信号音が響く。
「十神君からね…。繋いでくれるかしら?」
スクリーンに映ったのは、11人の肉体が安置されているカプセルルームだ。被験者の精神を吸い上げ、プログラムの中へと送り込む巨大な接続装置が部屋の奥に鎮座している。そこから伸びた太いケーブルは簡単に切断されないように、鉄製の配線カバーでしっかりと覆われていた。全体的に室内は薄暗く、光といえば15個のカプセルから放たれる白い光のみ。スクリーンの右手側から姿を現した十神は唇を吊り上げ、満足気な表情だった。言葉を待つ苗木と霧切を切れ長の瞳で一瞥した後、勿体ぶったように口を開いた。
『苗木、霧切。フッ…、良い知らせだ。罪木 蜜柑、辺古山 ペコにも反応が出たぞ』
「ってことは…」
『ああ、脳が活動状態に移行している。上手くいけば覚醒する可能性が高い』
「報告ありがとう、十神クン! 霧切さん、先に反応があった5人と同じだね」
「そうね…。十神君、残念ながらこっちは進展がないわ」
『………。分かってはいたがな…』
不機嫌そうな顔で視線をふいと逸らし、十神の通信はプツリと切れた。
「……シナリオ上遭遇したアバターは回収され、肉体との接続を許可される…? 江ノ島は一体何を考えているの?」
霧切は江ノ島アルターエゴの思考パターンを探ろうと、今までの行動を記した報告書に目を通す。アバターを肉体へと戻す行為は、どう見ても未来機関側の有利になる。何故自分が損をするようなことをするのか。霧切には見当もつかなかった。彼女の呟きに苗木はコンピュータの操作をしていた手を止める。
「…きっと、楽しんでるんだと思う」
「楽しむ…?」
「彼女にとって、これはゲームだから。勝つか負けるかのギリギリのラインで、勝負をすることが…堪らなく楽しいんじゃないかな」
苗木の発言に霧切は顔を顰めた。江ノ島 盾子との唯一の接点である、コロシアイ学園生活での最後の学級裁判。それは今でも記憶が脳裏にこびり付いている。忘れようにも忘れられない。絶望的に凶暴で、絶望的に異常で、絶望的に凄惨。あの女の狂った笑い声を思い出す度に、全身に怖気が走った。
「人工知能なのにそこまで再現されているのね。本当に厄介…」
「霧切さん、…大丈夫かい? 一昨日から寝てないみたいだし、少し休んだ方が良いんじゃないかな」
体を両手で抱き締めている霧切を見て、苗木は心配そうに声を掛けたが、彼女は頑として首を縦には振らない。
「いいえ、ここにいるわ。何としてでも、…彼らを助けたいの」
「……そうだね。ボクもキミと同じ気持ちだよ」
強い意志を感じさせる言葉の響きに、苗木は静かに目を閉じる。思い返してみれば、絶望した15人と出会ってから随分と長い時間が経過していた。コロシアイ修学旅行、アイランド修学旅行、そして今…。立ちはだかる闇―――江ノ島 盾子、自分自身―――と対峙し、日向達は一生懸命闘ってきた。恐怖に慄き、絶望に苦悩し、挫折を繰り返しながらここまで這い上がってきたのだ。
「必ずみんなを…、外の世界へ出そう。希望はなくなったりなんかしない!」
苗木は拳を握り締め、霧切に励ましの言葉を掛けた。しかし当の彼女は呆けたようにこちらを見ている。苗木は首を傾げた。話を聞いていなかったのだろうか。もしかしたら言葉にしないだけで、相当の疲労が溜まっていたのかもしれない。仮眠室へ霧切を連れて行こうか迷っていると、彼女は無言で苗木が向かっているコンピュータを覗き込んだ。
「えっ、え…? 霧切さん?」
「これは…一体、何…?」
霧切の困惑した声色に苗木は慌てて、自分のコンピュータに向き直る。そしてすぐに彼女の言葉の指し示すものを目の当たりにした。


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真っ黒い画面に白く小さな文字がざっと流れる。それは一瞬の出来事だった。
「苗木君、…今の発信元は!?」
「…ちょっと待ってて。辿ってみる!」
苗木がキーボードを叩くと、先ほど流れた文字列が再度表示された。カタカタという小さなタイピング音を聞きながら、霧切は沈思黙考する。これは未来機関から出された物ではない。機関員同士でこんな分かりにくいやりとりはしない。プログラム内に潜む何者かから発せられたのは、解析をしなくても想像はついた。では誰がそれを送ってきたのか? 考えられる中で可能性の高い人物は敵方である江ノ島アルターエゴである。
「いいえ、違うわ。彼女じゃない…」
1度は行きついた結論に霧切は頭を振った。江ノ島は主張性が強かったが、無駄に手の内を見せたりはしない。こちらをからかってメッセージを送りつけることはあったが、もっと派手でストレートなものだった。わざわざコードを変えて、地味にする意味はない。だとしたら…。
「これを送ってきたのは、もしかしたら不二咲アルターエゴかもしれないわね」
「そうか! 江ノ島に気付かれないように、わざと分かりにくい言語を使っているんだね。……いや、でもそれだとおかしいよ」
「おかしい?」
「メッセージの座標はクトゥルフプログラム内だ。キミの推理だと、不二咲アルターエゴは新世界側にいるんだよね?」
「………」
振り返った苗木は正に腑に落ちないといった表情をしている。それもそうだと霧切は思った。プログラム内の全ての権限を統括する不二咲アルターエゴを、江ノ島は遠ざけておきたいはずだ。ならば一体誰がこのメッセージを送ってきたのだろう?
「っ! 霧切さん、メッセージの解読が終わったよ」
「やけに時間が掛かったわね。それほど複雑な変換が必要だったとは思えないけど」
「…ロックが5つも付いてたんだ。今、表示させるね」
パッと切り替わったモニタに見慣れた日本語の文字が並ぶ。それを見た瞬間、2人とも言葉を失った。苗木はキーボードから手を離し、思わず立ち上がる。霧切は苦しげに顔を歪ませ、黒い手袋をつけた手を額に当てた。送り主が誰だか、苗木も霧切も理解してしまった。今の状況だけでも手一杯なのに、更に混乱の種が増える。
「最悪ね……」
霧切の呟きに、苗木は重々しく頷く。同意だった。そのメッセージの送り主はきっと台風の目になるだろう。情報を共有し、事態を把握した機関員達も顔に影を落とす。コントロールルームにいる全員が寂として声もなかった。


……
………

『時刻は午後3時。探索者達は、罪木 蜜柑から受け取った「音無 涼子の住所を書いたメモ」を頼りに、とあるマンションまでやってきました』
ここにはいない誰かの声が直接頭に響き、日向は辺りを見回した。目の前にはその言葉通りの光景が広がっている。超高層とまではいかないが、それなりに高さのある白いマンションが建っていた。道路からマンションまでは少し高さがあるのか、建物の周囲は広めの階段に囲まれている。その奥まった場所にエントランスが見え、中には観葉植物の鉢植えが隅の方に置かれていた。
『音無 涼子のカウンセリングは住宅街にある、この1世帯2DKのマンションの一室で行われています。同居人はおらず、一人暮らしのようです』
「ここがあの女のハウスね」
「そうみたいだね。ボクは個人経営の相談所とか、カウンセリングセンターみたいなのを想像してたんだけど…」
「2DKって女の人1人だったら広い…かもしれない。でもカウンセリング用の部屋とかがあれば、丁度良いのかな?」
隣から声が聞こえ、日向が振り向くとそこには2人の女性が立っている。その片方は七海だった。彼女は可愛らしい顔立ちをフグのようにぷくっと膨らませながら、マンションを見上げていた。服装は刑事らしくピシリとしたスーツ姿だった。Yシャツの胸元のボタンがはち切れそうになっているが、何とか留まっている。膝上ほどのスカートからはストッキングに包まれた脚が伸びていて、靴は黒いパンプスを履いていた。
その傍らにはスラリと背の高い美女がいた。一瞬、日向はビクリと体を強張らせた。「誰だ?」と口を衝きそうになって、ハッとする。この世の者とは思えないほど美しく蠱惑的なその女性は狛枝だった。ふわふわとした白い髪はウィッグをしているので、背中まである。目元はキラキラとパールで輝き、睫毛は自身のものだけなのに十分に長い。ツヤツヤとした唇に日向はゴクリと生唾を飲み込んだ。レースのワンピースを翻し、狛枝は日向の方を向く。
「どうしたの? 日向クン」
「あの、さ…。どう言ったら良いか、分からないんだけど…その、ちょっとおかしくないか?」
「え……」
狛枝は日向の言葉を受け、見る見る内に青ざめていく。そして泣きそうに灰色の瞳を潤ませ、顔を伏せてしまった。ささっと後ろに下がった狛枝は七海の背中に回り、何とかその身を隠そうと体を縮ませる。
「……それってやっぱり、ボクの女装が気持ち悪いって、こと…だよね」
「ち、違う違う! そうじゃないんだ。狛枝はすごく綺麗だから、そんなこと微塵も思ったりなんかしない。ドキドキして心臓に悪いけど、お前のことずっと見ていたいんだ」
「日向クン…」
「俺が言いたいのはさ、狛枝の見た目とかじゃなくて…。俺とお前って、ケンカ…してなかったか?」
言葉にして初めて、日向はそうだったと強く確信した。自分と狛枝はケンカをしていた。いや、ケンカなんて生易しいものではない。狛枝にゴミを見るような目付きで見下され、触らないでと手を叩かれた。朧げながらその記憶が頭の片隅に残っている。狛枝に嫌われていた。伝えた気持ちを鼻で笑われて、「××××と恋なんて、ありえないね」と吐き捨てられて…。

<アイデア>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (50) → 87  [失敗]

『日向 創は狛枝 凪斗との記憶を過去から辿っていきます。幼馴染である彼とは長い付き合いでしたが、今まで1度も彼に拒絶され嫌われたことはありませんでした。ケンカをしたのは勘違いだったと考え直します』
頭の中の声に、日向は妙に納得してしまった。先ほどまで腑に落ちなかった狛枝との関係。それが今は、何故そんなことを疑問に思っていたのかと逆に聞きたいくらいだった。自分は狛枝を愛している。彼も自分を好いてくれている。その揺るぎない事実を再確認した日向は緩やかに首を振った。
「ごめん、狛枝。俺の気の所為だった…」
「あはっ! そう、だよね。いきなりそんなこと言うから心配したよ。もしかしたらボクが知らない内に、キミの機嫌を損ねるようなことをしてしまったんじゃないかって」
目尻を下げて、笑い混じりに話す狛枝に日向はホッと息を吐いた。これで良いんだ。何も間違ってはいない。狛枝は自分の恋人だ。纏わりついていた違和感がスッキリと片付き、日向の表情には落ち着きが戻った。「悪い悪い。もうこの話は大丈夫だ」と言うと、狛枝はコクンと可愛らしく頷いた。
「じゃあ、行くとするか。七海、狛枝、2人とも準備は良いか?」
「私は大丈夫…だよ」
「ごめん、日向クン。ちょっと待ってくれるかい?」
思案顔の狛枝に呼び止められ、日向は首を傾げる。顎に手を添えて考え込んでいた彼は「あのね…」と遠慮がちに話し始めた。
「さっき罪木さんに会った時にさ、『カウンセリングを受ける用事以外は、音無先生も困る』って言ってたよね?」
「ああ、そうだな」
「気にし過ぎかもしれないけど、これはカウンセリング以外の来客を警戒してるってことだと思うんだ」
狛枝の言葉に、日向と七海は顔を見合わせた。日向としては『予期しない来客』という意味だと考えていたが違うのだろうか? 七海に「どう思う?」と聞くと、彼女は「う〜ん」と一頻り唸った。しかしすぐに淡いピンク色の瞳で日向と狛枝を見上げ、自分の考えを話し始める。
「急な来客は確かにビックリする…と思うよ。でも困るかどうかって会ってみないと分からないんじゃないかな? 罪木さんのような一患者さんが口を挟むようなことじゃない…かもしれない」
「そうなると…、今までにカウンセリング以外の用事で訪ねられて、実際に『困ったこと』があったってことか?」
「………。罪木さんは何らかの形でそれを知り得て、その点を考慮してボク達に話した…」
カウンセリング以外で音無 涼子を訪ねるような人物がいたとすれば、それは間違いなく小泉だろう。摂食障害を簡単に治療してしまうことに興味を持った彼女が、取材をしようと音無 涼子の元へと訪れた。小泉の口から直接聞いてはいないので、事実かどうかは不明だが、可能性としてはなくはない。
「音無 涼子には何かあるんだ…。詳しいことは分からないけど、やっぱり彼女に警戒されないように手を打っておく必要があるね」
「手を打つって…?」
「罪木さんに住所を聞いた時みたいに、ボクが『患者』になって、カウンセリングを受けたいってお願いするんだよ!」
「!? …だ、ダメだ!!」
狛枝の溌剌とした提案に、日向は間髪入れず反論した。今回の事件の首謀者かもしれない音無 涼子。彼女に本来の目的を伏せて会うと狛枝は言っているのだ。もし相手にそのことがバレてしまったら…。いや、そんなことよりもっと危険なことがある。得体の知れないカウンセリングを受けることになったらどうなるのか? 小泉のなれの果てを思い出し、日向はゾゾゾッと背筋を凍らせた。
「うーん…、その案は私も考えたんだ。でも狛枝くんを1人で行かせるのはやっぱり不安だなぁ。核心に近づくってことは、危険も出てくるから。ゲームで言う『お約束』…だと思うよ」
「参ったなぁ。ボクって七海さんにまでそう思われてるの? 日向クンと比べられちゃったら、ボクは貧弱だし頼りないかもしれないけど、列記とした男だよ。まぁ…、今の格好だと説得力に欠けるかもしれないけど」
そう言って狛枝はスカートの裾を摘まんで、ふわりと広げて見せる。類い稀な美貌を持つ女性にしか見えないが、彼自身はそうではないと言いたいらしい。
「相手がこっちを『患者』だと認識すれば、警戒心は大分薄れると思う。摂食障害は女性に多く見られる病気だ。この中で『患者』のフリを出来るのはボクと七海さんのどちらか…」
「っだからって、お前が行かなくたって良いだろ!?」
「…ふぅん。じゃあキミは、七海さんに行ってもらいたいの?」
「そ、そういう…訳じゃ…、」
日向はぽやんとした表情の七海を見やった。確かに七海も患者を装うことは出来るが、彼女も行かせたくなかった。出来ることなら自分が行きたい。だが日向は見るからに男性であり、摂食障害の患者には該当しない。どう趣向を凝らしても、無理だった。門前払いを食らうのがオチだ。
狛枝は七海よりも体力がない。戦う手立ても持っていない。もし戦闘に持ち込まれたら、勝つことなんて不可能なのだ。日向はぎゅっと拳を握り締め、狛枝に言葉を投げ掛ける。
「戦いにでもなったら、どうするんだよ…!」
「ボクだって出来ることしかしないよ。だから音無 涼子から話を出来るだけ聞き出して、危なくなったら退散しようと思ってる。万が一危険な事態に陥った場合も考えて、キミ達2人が近くに待機していれば大丈夫じゃないかな? 携帯電話で通話を繋げたままにするとかしてね」
「………」
狛枝の言うことは尤ものように思えた。彼は頭が回る。その頭脳をもってすれば、敵陣に乗り込む前に準備を整え、危険な方角への道を塞いでしまうことも出来る。日向の心は揺れる。それに畳みかけるように狛枝は日向の手を取った。女性にしては骨張っていたが、白く綺麗な手だ。柔らかく包まれた己の手に日向の心臓はドキドキと早鐘を打った。
「日向クンは心配し過ぎだよ。…ボクだって、役に立ちたいんだ」
「でも……、狛枝…」
「大丈夫…。<言いくるめ>と<心理学>には自信があるし、<医学>でカウンセリングの正体を探ることも出来る。…ね? これ以上ないくらいに適任でしょ?」
『そう言って、狛枝 凪斗は日向 創に優しく微笑みかけました。心の内側を温かく解きほぐす天使のような笑顔です』

<言いくるめ>
探索者名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗 (90) → 61  [成功]

<アイデア>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (50) → 52  [失敗]

『狛枝 凪斗の言葉を聞いた日向 創は彼なら大丈夫かもしれないと思い始めます。狛枝 凪斗が自分で言うように、彼は音無 涼子から話を聞き出すのに有効な手段を持っていました』
「分かったよ…、お前がそこまで言うなら。俺と七海は外で待機だ」
「狛枝くん、危なくなったらすぐに逃げるんだよ!」
七海が強く言うと、狛枝は「頑張るよ」とへらりと笑った。手を離され、狛枝の温もりが消えたことを寂しく思いながらも、日向は狛枝の傍へと近付く。
「何かあったらドア蹴破ってでも助けに行くからな! 俺は絶対にお前を見捨てない…っ」
「日向クン…。ありがとう」
狛枝は目を細め、嬉しそうに礼を言った。これで今度こそ音無 涼子に会いに行く。エントランスへと歩いていく狛枝を追うようにして、日向と七海は後に続くのだった。


『マンションのエントランスから中へと入った探索者達は入口ホールをざっと見渡します。左手側には管理人がいるらしい小さな窓付きの部屋があり、その反対側には住人のポストが一面に並んでいます。奥側には両開きのエレベータが設置され、非常階段へと続く扉がその横にありました』

<目星>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (25) → 53  [失敗]
七海 千秋 (90) → 34  [成功]
狛枝 凪斗 (80) → 79  [成功]

『日向 創は特に目ぼしい物を見つけられませんでした。七海 千秋と狛枝 凪斗は天井に防犯カメラが設置してあるのに気付きます』
「防犯カメラ…だけか。他はあまりお世辞にもセキュリティがしっかりしているとは言えないようだね」
狛枝は小窓の奥にいるであろう管理人に聞かれないように、日向と七海にひそひそと話しかける。どうやら防犯カメラはあるようだが、エントランスには鍵が掛かっていないのかすんなりと入れた。
「さてと、音無 涼子はどこの部屋にいるのかな? 狛枝くん、住所のメモには何号室って書いてある?」
「ええっと…503号室、だね。エレベータに乗ろうか」
コツコツとロングブーツのヒールを響かせながら、狛枝はエレベータ前へと進み、カチッと上へ向かうボタンを押す。誰も乗せておらず階下に待機してたであろうそれは、程なくして開いた。
「ボクは罪木さんに紹介されて、ここに来たってことにするよ」
「うん。それなら音無 涼子から罪木さんに連絡がいっても、怪しまれることはないね。事情は話した通りで食い違いはないし」
自分が知っている患者からの紹介と分かれば、更に警戒心は薄れるだろう。エレベータは途中階に止まることなく、5階へと到着した。どの階にも部屋数は5つあるようだ。マンションはL字に曲がっていて、503号室は丁度真ん中だ。エレベータからは割と近い場所に部屋が見える。
「エレベータの近くにいると、住人に怪しまれそうだよな…」
「私達はもっと目立たない場所で待機した方が良いかもしれないね。あ…、ここはどうかな? 非常階段!」
七海がエレベータの横にある非常階段の扉を示した。確かにここなら行き交う住人に見られずに済むだろう。日向は携帯電話を取り出し、狛枝に掛けた。目の前と受話器から「もしもし」と狛枝の声が重なって聞こえる。電波は安定しており、音も問題なく聞き取れるようだ。
「それじゃ、行ってくるね!」
「ああ、気をつけろよ…」
日向の視線に狛枝はニッコリと笑顔を向け、503号室へと歩いて行った。これで事件が解決しますように…。そんな願いを込めながら、日向は狛枝を静かに見送った。

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24.質問
『狛枝 凪斗は音無 涼子の自宅の前にいます。日向 創と七海 千秋はマンションの非常階段付近で待機しています。なお、狛枝 凪斗の状況は日向 創の携帯電話から伝え聞いている状態です』
「さて、まずはインターフォンを押そうか」
狛枝が玄関脇にあるインターフォンを押すと、ピンポーン♪と高い音色が鳴り響く。しばらくしてスピーカーからカチッと音がして、女性の声が聞こえてきた。
『………。音無ですが…。どちら様でしょう?』
「あ…、突然の訪問で申し訳ないです。ボク、こちらでカウンセリングを受けた罪木 蜜柑さんに紹介されて、お邪魔させて頂いたのですが…。音無 涼子先生でいらっしゃいますか?」
『はい、音無 涼子は私です。…罪木さんのご紹介ですか? そのようなお話は伺っておりませんが…』
ここまでは予想通り。狛枝がうろたえることはなかった。クリニックに予約が必要なことくらい百も承知である。狛枝は眉を下げて「困ったなぁ」と呟く。無論、演技だ。ここで立ち止まってしまっては、日向と七海の制止を振り切って1人で来た意味がない。それを突破するための手段を狛枝は既に考えていた。

<言いくるめ>
探索者名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗 (90) → 19  [成功]

「実は最近強烈な腹痛が起きたり、朝起きたら知らない間に周りにある物を食べていたり、急に大量の涎が出たりするんです…」
狛枝は困り果てたといった具合で顔を伏せ、瞳を潤ませた。インターフォンにはカメラが付いていた。相手に見られている。お涙ちょうだいの芝居で、何とか同情を引こうと狛枝は考えたのだ。音無 涼子も目の前に縋ってくる患者を簡単に見捨てるはずがない。彼の予想通りに、スピーカーからは食い気味に音無 涼子からの返答があった。
『! お医者様には、行かれたんですか?』
「ええ、でも…中々治らないんです。もうどうしたら良いか、ボク分からなくて…! そんな時に罪木さんから音無先生のお話をお伺いしまして…。急なお願いで不躾ですが、ボクを…助けてもらえませんか?」
『………』
さて、どう返すか。狛枝は泣きそうな表情を作ったまま、カメラをじっと見つめる。もしかして、ダメ…かな? いつまでも声が聞こえないスピーカーに緊張していると、ガチャと玄関のドアが開かれた。そこに立っていたのは少しクセのある赤色の髪をした美しい女性だった。彼女が音無 涼子か。狛枝は相手を認識しつつ、「初めまして」と笑い掛ける。それにしても綺麗な人だと狛枝は思った。七海は可愛らしい系統だが、音無は可愛らしいと美しいの丁度中間くらいだろう。全体的に柔らかい印象で、どことなく人懐っこさを感じた。
「変な質問して、ごめんなさい! 最近おかしな方が多くて…。はじめまして、わたしが音無 涼子です」
「ボクは狛枝 凪斗といいます。本当にすみません、音無先生…。次からは事前にご連絡するようにいたします」
「はい、そうして頂けると助かります! ウガァ・クトゥン・ユフ! 今日は折角来て下さったので、中へどうぞ」
向けられる笑顔は見惚れてしまうほどに美麗なのに、口から発せられる妙なあいさつに狛枝は苦笑いをした。聞けば聞くほど首を傾げたくなるその言葉。中で話を聞けば、その意味も教えてくれるのだろうか? 狛枝は促されるままに音無の自宅へと足を踏み入れた。

<幸運>
探索者名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗 (35) → 47  [失敗]


……
………

「日向くん、安全靴履いておいたらどうかな? メリケンサックはダメでも、靴ならパッと見普通だし」
『七海 千秋に指摘され、日向 創は慌てて自分の靴を見ます。以前から愛用しているスポーツブランドのスニーカーでした。ホームセンターで購入した安全靴はまだ紙袋の中です』
「え…、さっき買ったの履いてなかったのか。じゃあ、今履くよ」
少々の違和感を覚えるが、そういうものなんだと日向は自分自身を納得させる。靴を履き替えて、メリケンサックをポケットの中に入れた。気付かせてくれた七海に礼を言い、携帯電話に耳を傾ける。どうやら狛枝は中に無事に入れたようだ。第一関門突破といった所か。しかし安心したのも束の間、狛枝との通話が突然プツリと切れてしまった。ツーツーと不通音を繰り返す携帯電話に日向は動揺する。
「おい、電話…切れちまったみたいだぞ? 狛枝に何かあったんじゃ…」
「分からないね…。日向くん、とりあえず503号室の前に行こう」
「そうだな! 何とか中の様子を探れるかもしれない」
『非常階段の扉から5階に戻った日向と七海は連れ立って、503号室の前まで来ました』
「とりあえず<聞き耳>してみようか?」
ことりと首を傾げて聞いてくる七海に日向は同意を示す。彼女は耳が良かったはずだ。1人でも中の声が聞こえたら、もう1人に伝えれば大丈夫だろう。

<聞き耳>
探索者名  技能   出目  判定
日向 創_ (25) → 52  [失敗]
七海 千秋 (55) → 40  [成功]

『七海 千秋はこれから始まる狛枝 凪斗と音無 涼子のカウンセリングの最中の「音」のみ情報を得られます。日向 創は彼女から口頭でそれを伝え聞くことで、情報を共有出来るものとします』
恐らくファンブルを出したら、不審者として近隣住民に通報でもされていたかもしれない。七海は真面目な顔でドアに耳をピタリと当てている。その様子を日向は静かに見守った。


……
………

狛枝は音無の自宅のリビングへと通された。中はスッキリと片付き、スタイリッシュな印象の家具が数点置かれていた。室内は外からの陽光を取り入れており、白い色の壁紙やテーブルが相乗効果となっているのか、かなり明るく見える。仄かに漂う甘い芳香剤の香りには自然とリラックスする。患者の緊張を解すために、部屋の雰囲気にも気を遣っているようだ。
『ウガァ・クトゥン・ユフ! じゃあ、はじめましょうね。狛枝さんはコーヒーと紅茶どっちが好きですか? 後、美味しいケーキがあるんです。良かったらどうですか?』
室内に通された狛枝は弾んだ表情の音無に問いかけられた。これは…何かの罠なのだろうか? 狛枝は一瞬言葉に詰まった。摂食障害を専門としているが、どうやって治療するかは不明だ。罪木はカウンセリングにクスリの類は使わないとは言っていたが、患者が知らないだけで振舞われる飲み物や食べ物に何かしらの薬物が仕込まれているかもしれない。ケーキは昼に食べたから、断ることも出来そうだ。だがそのことで警戒されるか? いくつもの考えが浮かび、狛枝は迷う。彼女が一体何を考えているのか、それを知る必要がある。
『技能:<心理学>は人間を観察し、動機や性格を探る技能です。しかし<心理学>ロールはプレイヤーではなく進行役がロールを行います。そしてロールの成功失敗判定はプレイヤーには分からず、「結果」のみが分かります』

<心理学>
探索者名  技能   出目 _判定
狛枝 凪斗 (90) → ??  [??]

『狛枝 凪斗には音無 涼子が「ケーキと飲み物で患者にリラックスしてもらおう」と考えているものだと捉える事が出来ました』
「……それじゃ、お言葉に甘えて…ケーキを頂きます」
<心理学>には自信があった。判定は分からないが、十中八九成功しているはずだ。恐らく今の時点で音無に他意はない。狛枝が軽くお辞儀をすると、音無は楽しそうに「飲み物はどうしますか?」と聞いてくる。
「それじゃ、コーヒーをお願いします」
「分かりました。座って待ってて下さいね」
音無は軽やかな足取りでダイニングキッチンへと消えていった。今、リビングには狛枝1人だけだ。重要な手掛かりを掴めば、恋人である日向に褒めてもらえる。狛枝は鋭く目を光らせ、辺りの様子を注意深く観察する。

<目星>
探索者名  技能   出目  判定
狛枝 凪斗 (80) → 31  [成功]

『リビングの小さな丸テーブルの上に、紫のビロードが掛けられたものが置かれています。中身は良く分かりません。そして部屋の隅にウサギが2羽入った段ボールがありました。新聞紙を千切ったものが寝床代わりに入っていて、しなびた野菜クズもあります。やや粗末に扱われており、あまり可愛がられていないようです』
「…何だろう。すごく、怪しいけど…」
狛枝がビロードと段ボールを気にしていると、キッチンからコーヒーとケーキの乗ったトレーを持った音無が現れた。そしてテーブルにカチャンと小さな音を立てて、ケーキの皿とコーヒーを置く。白い食器は縁に蔦の模様が浮かび上がっているとてもお洒落で高級感がある品で、その上にはキャラメルソースがかかった林檎のシブーストが乗っており、すごく美味しそうだった。
「どうぞ♪ 遠慮せずに召し上がって下さい。それすっごく美味しいんですよ」
「ふふっ、そうなんですか。ありがとうございます。いただきます」
『狛枝 凪斗がコーヒーとケーキを口にすると、「摂食障害」の患者でも悩みを一時忘れてしまうくらい味は美味しく、香りも素晴らしいものでした』
コーヒーに口をつけながら、狛枝はチラリと音無を見た。ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべている。さて、どうするか? 室内にある気になる2つの物について、聞いても良いものか。素直に中身を見せてくれればシロ。嘘を吐いたり誤魔化したりすればクロ。聞くだけならそこまで警戒はしないだろうと狛枝は踏んだ。大体あんな目立つ物をリビングに置いておいて、気にしない方がおかしい。きっと今までも患者が質問しているはずである。狛枝は静かにコーヒーカップをテーブルに戻した。
「すみません、音無先生。カウンセリングとは直接関係ないのだけど、そちらのビロードと段ボールのウサギはどういったものでしょう? 少し気になってしまって…」
「ウガァ・クトゥン・ユフ! ビロードを掛けてあるものは、患者さんの個人情報なんです! 残念だけど教えてあげられないな。ごめんなさい! ウサギは…お友達から急に預かってってお願いされちゃって、実はちょっと困ってます。1日で引き取りに来るらしいから、預かった時のまま」
「……そう、なんですか。大変ですね」

<心理学>
探索者名  技能   出目 _判定
狛枝 凪斗 (90) → ??  [??]

『狛枝 凪斗には音無 涼子が嘘を吐いているように思えませんでした。言葉と同じく、「ビロードを掛けてあるものは摂食障害の患者の問診票で、ウサギは友人に預かったもの」と考えていることを読み取りました』
自分の考え過ぎだったのか? 音無の「狛枝さんのお話を聞かせてもらえますか?」という投げ掛けに、狛枝は「分かりました」と頷いた。


……
………

『狛枝 凪斗が音無 涼子の自宅に入ってから、1時間弱経過しました。狛枝 凪斗は自分の症状を細かく説明し、音無 涼子は真摯にそれに答え、カウンセリングは滞りなく進んでいます』
七海から室内の状況を伝え聞き、日向はふぅと大きく息を吐いた。今の所、特に異変はない。コーヒーとケーキに何か仕込まれていた訳でもなさそうだ。気になる点は紫のビロードと段ボールのウサギだ。
「日向くん、どうする? このまま待機を続ける?」
「まだ危なくなってないよな。もうしばらく様子を見るか…」
「了解だよ!」
ビシッと敬礼した七海は再びドアに耳を付ける。彼女の職業は刑事である。今は狛枝が単独行動をしているので、とやかく言わないが、他人の部屋の様子を盗み聞きしている刑事というのは何だかシュールだなと思った日向であった。


……
………

『音無 涼子のカウンセリングを受け始めて1時間弱。罪木 蜜柑から聞いたように段々と食欲が減っていき、狛枝 凪斗は音無 涼子に出された目の前のケーキを全て食べきれずにいました』
1時間話をしていただけなのにどうしてだろう? 音無 涼子は何もしていない。ただ自分とお茶を飲みながら楽しく話をしているだけだ。罪木から聞いたのと同じ。ただの『お茶会』。それなのに出された林檎のシブーストを食べられない。あんなに美味しいのに。狛枝はカウンセリングの効果のすごさを実感した。
「ウガァ・クトゥン・ユフ! 狛枝さん、今の気分はどうですか? 何か変なことがあれば何でも言ってね!」
「………」
「ウガァ・クトゥン・ユフ! ちょっと長く話し過ぎて、疲れさせちゃいました? 狛枝さん、大丈夫?」
「気の所為かもしれないけど、何だか…体がだるいかな? あは…」
「ウガァ・クトゥン・ユフ! そんな時は、元気になるおまじない! ウガァ・クトゥン・ユフ! さぁ、あなたも言ってみて?」
「ウガァ・クトゥン・ユフ…? 確か罪木さんも言ってましたけど。…音無先生、その言葉ってどういう意味があるんですか?」
「ウガァ・クトゥン・ユフ! わたしも詳しくは知らないんだけど、古代の神様を称える言葉みたいです! でも言葉の意味はあんまり重要じゃありません。ウガァ・クトゥン・ユフ! 大切なのは信じる気持ちだから。言葉はそのためのキッカケや寄り代、スイッチみたいなもの。これは元気になるおまじない!
ウガァ・クトゥン・ユフ! 始めは慣れないものだけど、辛い時にはきっとあなたを助けてくれるよ。言ってみて? ウガァ・クトゥン・ユフ!」
音無に悪意は感じない。ただ純粋に元気になるおまじないを勧めてきているだけ。狛枝は勧められるままに「う、…ウガァ・クトゥン・ユフ…」と小さく呟いた。
「うん、良い感じ! 後は繰り返し繰り返し言葉を続けて、言葉を信じるの。ウガァ・クトゥン・ユフ! 希望の言葉。ウガァ・クトゥン・ユフ! それはあなたを救うおまじない」
「希望…」
懐疑心に塗れていた心がその言葉を聞いた途端、晴れやかに澄み切っていくのが分かった。『希望』。そうだ、これは希望だ。希望が狛枝を救うのだ。
「ウガァ・クトゥン・ユフ!」
希望の言葉。変な言葉だと思ったけど、言ってみれば案外そんなことは気にならない。確かに言葉には力がある。希望。今までも何度もその言葉で狛枝は救われてきた。幸運と不運が交互に襲いかかる不毛な人生でも、不思議と生きてこれた。辛くても苦しくても、まだ知らないどこかに希望があるんだと信じて、進むことが出来たのだ。
「ウガァ・クトゥン・ユフ! ウガァ・クトゥン・ユフ! そうだよ、続けて? あなたを救う希望の言葉。あなたを助けるおまじない。ウガァ・クトゥン・ユフ!」
「ウガァ・クトゥン・ユフ! ウガァ・クトゥン・ユフ!」
狛枝は壊れたレコードのようにその言葉を口にした。これで自分は救われる。この言葉は…今の狛枝にとって間違いなく希望だった。

『謎の言葉「ウガァ・クトゥン・ユフ」。狛枝 凪斗はこの言葉に流されつつあるようです。ここで<抵抗>ロールをお願いします。「ウガァ・クトゥン・ユフ」はPOW(精神)が10。つまり精神に与える力を10持っています。
これに対し、狛枝 凪斗のPOW(精神)は7。抵抗計算に当てはめると、D100ロールでの成功値は「35」になります。35以下を出せば、狛枝 凪斗は「ウガァ・クトゥン・ユフ」から受ける影響を多少抑えることが出来ます』

<精神対抗>
探索者名  POW               _POW
狛枝 凪斗  7  VS ウガァ・クトゥン・ユフ  10
成功確率 : 35%

探索者名  確率   出目  判定
狛枝 凪斗 (35) → 62  [失敗]

「ウガァ・クトゥン・ユフ! ウガァ・クトゥン・ユフ! っ! あ…、あ、ウガァ、クトゥン…、ユフ」
体の自由が利かない。だけど口だけはその言葉を紡ぎ続ける。狛枝は段々と自分が何をしているのか分からなくなってきた。
『狛枝 凪斗は「ウガァ・クトゥン・ユフ」という言葉を耳にする度、口にする度…無性に血が見たい衝動に駆られました。そしてテーブルにあったケーキ用のフォークを持ち、部屋の隅にいたウサギを八つ裂きに、』
「い、嫌だ! そんなの…、見たくない。見たくないよ!! ウサギをフォークで刺す…? ボクは、そんなことしたくない…っ」
可愛らしい小動物が痛めつけられるなんて、そんな酷いことしたくはなかった。狛枝はフォークを握ったままぶるぶると震える。頭の中に響いてきた声は狛枝の言葉に愉快そうに笑った。
『狛枝クンは優しいね。ウサギを刺すのを止めることは、出来るよ』
ウサギは刺されずに済む。それを聞いた狛枝はホッと胸を撫で下ろした。良かった。しかし頭に聞こえる声はそこで止みはしなかった。高いような低いような澄んだようなしゃがれたような、男とも女とも言い難い不気味な音が狛枝の両耳から入り、鼓膜を震わせる。
『ただし、流血を見たい衝動は止まらない。探索者、狛枝 凪斗…。キミが受けるんだよ? ウサギを助けたいんだろ?』
「え……、」
『フォークのダメージは1D3。さぁ、ロールをどうぞ』

<ダメージ>
探索者名  攻撃物   範囲   出目
狛枝 凪斗 フォーク  (1D3) → 3

<耐久 現在値>
探索者名  元   現在 増減
狛枝 凪斗 9 →  6  (-3)

銀色の切っ先が自分目掛けて突き刺さる。フォークは皮膚にプツリと食い込み、そこから真っ赤な鮮血が噴水のように吹き出してきた。
「そ、そんな……」
ポタリ、ポタリ…。真っ白い床に鮮やかな赤は良く映えた。自分の首から流れる血液に狛枝は呆然とする。痛い…。フォークで傷付けられた首の付け根に焼けるような鋭い痛みが走る。しかしそれで狛枝は満足した。
「あは…、あはは…っ、きれい…、血、…真っ赤…、赤い、あか、ふふふふふふっ」
血を見たいという欲求を満たすことが出来た喜びに、狛枝は狂ったように笑い続けた。


……
………

中の様子を窺っていた七海が日向を見上げる。その視線で狛枝の身に降りかかった何かを察知した日向は、キッと503号室のドアを睨み付けた。
「っ七海! 狛枝がヤバい。突入するぞ!!」
「! 日向くん、ちょっと待って。君の携帯が鳴ってるみたい…だよ」
「なっ!?」
行動を寸での所で止められ、日向は若干バランスを崩す。先ほど切れてしまった日向の携帯電話。それが今の状況に場違いな軽やかな着信音を響かせていた。ディスプレイに表示されているのは『狛枝 凪斗』という文字だった。狛枝が電話を掛けてきている?
「…もしかして、あいつ無事なのか? ………。とりあえず、電話に出るぞ」
七海に宣言すると、彼女は深刻そうに頷いた。日向はピッと通話ボタンを押し、耳に携帯電話を当てる。
「もしもし、狛枝か? …おい、大丈夫か!?」
『………』
返答する様子はない。だが通話が切れることもない。日向は何度も受話器に呼び掛ける。
「狛枝、狛枝っ、頼む…。返事をしてくれ!!」
1人で行かせるんじゃなかった。やっぱり自分がついていけば良かった。そんな後悔を胸に抱えながら、日向は狛枝の名前を叫ぶ。
「狛枝くん、お願い! 聞こえてたら返事をして! どうしたの、狛枝くん!」
『プシャー………………』
電話口からは水の吹き出るような音が聞こえてきた。シャワーか? スプリンクラーか? 中がどうなっているのか、これだけでは全く分からない。再度狛枝の名前を口にしようとしたところで、電話は唐突に切れた。
「何なんだよ、今のは! やっぱりドアを力づくで、…っ!! まただ…、」
また電話が鳴っている。手の中でオルゴールのような優しい音色を奏でるそれを日向はじっと見下げた。しかしそのままではどうしようもない。意を決して、電話に出る。
「狛枝……?」
『………。………』
「おい、狛枝! 聞こえてんのか? そっちはどうなってんだ!?」
泣きそうになりながら、日向は狛枝の声を待つ。『ボクは大丈夫だよ』『ちょっと失敗しちゃったかな』。そんな愛しい恋人の明るい声が受話器から聞こえるのを、息を詰めてただ待った。掌に汗を掻き、携帯電話がベタベタしているがもう気にも留めない。ハッハッという短い自身の息遣いの隙間で、右耳へと神経を集中させる。
『……………し、…………た………』
「した? 舌のことか? それとも下に何かあるのか? 狛枝っ!!」
『………。………』
「おい、こまえだ…っ!?」
『………。………きゃは、はははははははははっきゃはははははははぁ!!!』
狛枝の声ではない、甲高い女の声だった。耳に突き刺さり、キンキンと耳鳴りがする。不気味な笑い声。日向の頭にツキンと痛みが走る。この声を以前どこかで聞いたような気がする。強烈な吐き気が襲ってきたが、何とか踏み止まり、日向は電話口に問いかけようとした。しかしその前に、向こう側から女が笑い混じりに絶叫する。


『ばぁ〜か! バカバカバカバカバーカッ!! うっふふ、狛枝 凪斗は、死んだよ!』

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