// Call of Cthulhu //

05.食事
図書館の窓から見える麗らかな空の陽気は、入って来た時とあまり変わらない明るさだ。かなり時間が経っているように思っていたが、案外そうではないのか。いや、実はこの空間の時間は止まっていて、景色はこのまま変わらないのかもしれない。現実世界ならまだしもここは電脳空間だ。そうであってもおかしくはなかった。

『それぞれ自己紹介をお願いするよ。簡単に探索者の背景を知りたいな』
苗木が促すと、七海が「まずは私からでいいかな」と言葉を紡ぎ始めた。
「私の名前は七海 千秋。真面目に警察学校に通って、刑事になったよ。ちょっと特殊な事件を扱っている課に所属していて、超常現象じみたことには割と関わってるんだ。趣味はゲーム。寝る間を惜しんで、プレイしているよ」
ゲーマー設定は生かすのか。日向はツッコみたかったが、本人は真面目に言っているようなので、口を噤んだ。「次はボクだね」と狛枝が繋いでいく。
「ボクの名前は狛枝 凪斗。私立探偵さ。駅からちょっと離れた所に結構立派な事務所を持ってるよ。まぁ、親の遺産で建てたんだけどね。別に食うに困らないから働く必要もないんだけど、暇潰しも兼ねて探偵をしているんだ」
何だかリアルな描写を盛り込んだ内容だ。狛枝から両親が亡くなったことや、本人曰く幸運という名の金銭が舞い込んできたことは聞いていた。設定なのだから気にすることはない。日向は自分自身に言い聞かせる。
『じゃあ、日向クン』
「俺の名前は日向 創。不本意ながら探偵助手をしている。助手と言うより、護衛かな。探偵の依頼で逆恨みされやすい狛枝を守ることが多い。給料はまぁまぁだし、仕事も満足してるから文句はないが、狛枝の俺を見る視線にはちょっと困ってる」
「あはっ、それはボクに対する牽制かな?」
「そうだよ。セクハラなんてしてみろ、訴えてやるからな」
「…訴えられる前に、日向クンを落とせばいいんだよね? 頑張るよ!」
「そういうゲームじゃねぇからこれ!」
上司と部下はやはり距離が近過ぎたか。日向は頭が痛くなってきた。もっと違う職業を選べば良かったと少し後悔したが、なるべく単独で動かないように、他の探索者と関わりを持った方が良さそうなのも事実だった。気味の悪い発言や挙動を見せる狛枝であっても、その頭脳と技能は本物だ。彼に助けられることもこの先あるのだろう。

『3人の関係はどうする?』
「う〜ん、幼馴染がいいな。ほら、ゲームとかだと良くあるじゃない?」
苗木に問われ、七海がフードを被りながら、紅潮した顔で発言をする。なるほど、と日向は考えた。確かに主人公とヒロインが幼馴染という設定は、どんなジャンルのゲームでも割とある気がする。
「あのね…私、そういう人いなかったから。子供の頃からずっと一緒っていうの、ちょっと憧れてたんだ…」
可愛い。そんな些細なものに憧れを抱くなんて。「良いかもな」と日向が声を掛けると、七海はふにゃりと表情を崩して「うん」と頷いた。
「ボクと日向クンと七海さんが幼馴染か。小学校の時から毎朝お節介な日向クンが寝坊するボクを起こしに行きつつ、学校へ行く仕度を手伝ってくれてた…。そして何やかんやでそれが続き、ある時ふとしたキッカケで日向クンがボクの唇を奪ったって感じかな!」
「変な設定作るなよ。っていうか何で俺がヒロイン枠なんだ!」
「そうかな? 私は理に適ってる…と思うよ」
「いや全然適ってねーよ!! そこは七海の役だろ!」
「私…朝は弱いから、2人を起こしに行けないかも」
「となると、ボクがヒロインってことか…。おこがましいにも程があるけど、日向クンを満足させられるように全力を尽くすね!」
「その発想から離れろ!!」
苗木は日向達の会話を聞きながら、楽しそうに破顔している。『本当の幼馴染みたいだね!』と満面の笑顔で言われ、日向は何だか気恥かしくなる。そんな下らない掛け合いの中、狛枝が「ところで」と話を切り出した。
「GM。能力値を決めた時のダイスなんだけど、振り直しの回数でペナルティはあるの?」
「えっ」
狛枝から飛び出た発言に日向はギョッとする。ペナルティがあるなんて聞いてない。強張った表情でGMである苗木に慌てて視線を向けると、彼は考え込むように下を向いていた。
『うーん。特に考えてなかったけど、あっても良いかもね』
「そうだよね。日向クンは3回も振り直している訳だし」
「ちょっ」
『ルールは変えられないけど、ロールプレイのニュアンスを変えることは出来るかな。なるべく振り直しの少ない人の意見を拾うようにするよ』
振り直しの少ない人の意見を拾う。これは日向の意見は無視されるということだ。ロールプレイに関して、ということだから実際のプレイには影響を及ぼさないのは分かっている。だが、何か嫌な予感がする。特に狛枝が仕出かしそうで。日向は恨みがましい視線を狛枝にぶつけたが、本人は涼しい顔で苗木に「次は?」とせっついていた。



『それでは、クトゥルフ神話TRPGのセッションを始めるよ! 今回はクトゥルフ2010っていうシナリオ集から、「もっと食べたい」っていうシナリオを少し改変したもので進めるね。初心者向けだから、そんなに構えなくて大丈夫だよ』
「七海はこのシナリオやったことあるのか?」
「ううん。サプリメント…、シナリオ集のことだけど、それは読んだことないな」
3人とも初プレイになるのか。サルベージをするに辺り、難易度を下げることは大切だ。アルターエゴがサルベージの確率を上げるために、わざと初心者向けのシナリオを選んでくれたに違いない。というのが日向の予想だ。
「時間ってどれくらいかかるのかな? 1日お休みだから、夜までかかってもボクは構わないんだけど」
『3〜4時間ってところかな。遅くとも夕方までには終わるし、途中に休憩も入れるから。疲れたらボクに声を掛けてね。ちゃんとお茶とお菓子も用意してあるんだよ〜』
苗木の緊張感のない笑顔には癒される。サルベージしなければならないという気負いも、どこかへ消えていってしまいそうだ。
苗木の脇にあるモニタに、パッと見慣れた景色が映し出された。見慣れていた、と言う方が正しいか。日本の都会の佇まいを上空から見下ろしている画像だ。今は決して見ることが出来ないそれ。何故なら現実には絶望によって崩壊した世界が広がっているだけだからだ。絶望の勢いは収束に向かっているが、あの荒れ果てた光景はかなり長い時間を掛けないと元の姿には戻らないことを日向は知っていた。

『まずはシナリオの導入。舞台は2010年の日本、季節は晩秋。時間は…休日の夜だね。プレイヤーの3人は、今回のシナリオの登場人物であるジャーナリストとレストランで食事をするよ。ジャーナリストの名前は…「小泉 真昼」だ』
苗木の言葉に日向はビクンと体を跳ねさせた。七海を見ると、黙ったまま日向を見て大きく頷いている。狛枝はというと、「あれあれあれあれ? 小泉さん?」と目をパチクリとさせていた。
『ここでみんなに相談なんだけど、「小泉 真昼」と3人がどういった関係か決めてくれないかな?』
「既に決まってるんじゃなくて、俺達が決めるのか。じゃあ、高校の同級生ってことで」
『了解。こんな感じでシナリオによって、後から探索者のプロフィールが増えていくこともあるんだ。セッションに出てくる「小泉 真昼」は誠実さと熱意が感じられる記事を書くフリージャーナリストだよ。社会情勢や海外のことにもかなり精通しているね』
そこで言葉を切ってから、苗木は3人に向き直った。いよいよセッションが始まるのか。モニタがどこかの洒落たレストランの画像に切り替わる。


【小泉 真昼/NPC】
「久しぶりだね! 3人とも。元気だった? アタシ結構楽しみだったんだ。社会人になるとさ、中々会えないじゃない?」
【苗木 誠/GM】
『季節は晩秋。日が落ちて、気温も低くなった夜の街。その一角にある洒落た最近話題のレストランで、小泉 真昼と探索者達は食事を楽しんでいました。小泉 真昼は高校時代と変わらず赤い髪をショートカットにし、肩から一眼レフを下げています』
【小泉 真昼/NPC】
「積もる話って言っても、仕事の話が多いんだけどね。やんなっちゃうよね、ここんとこ全然休み取れないんだもん! アンタ達はどうなの?」
【苗木 誠/GM】
『そう言って、小泉 真昼はぷぅっとらしくない子供っぽい表情を見せてから、3人に話を振ります。高校からしっかりしていた彼女が愚痴を言う位、普段の仕事は忙しいみたいです』


日向はモニタの中の『小泉 真昼』に視線が釘付けになった。まだ目覚めていない残りのメンバーの内の1人である彼女。話をするのもウサミの修学旅行以来だ。しかもこの世界は、自分達の生きている世界とは違うごく普通の日常だ。もし絶望が世界に蔓延していなかったら、将来小泉はこんな仕事をしていたのかもしれない。日向はそんな想像をする。
明るく話しかけてくる小泉に何を話せば良いのか。むず痒い感覚を携えたまま、日向は苗木に「GM」と呼び掛けた。
「どんな話すれば良いんだ…?」
『日向クンの好きに答えてみて。彼女とキミは友達同士。話したいこととかあるんじゃないかな』
「そうだな。じゃあ俺は『こっちも相変わらずだ。狛枝に無理難題をふっかけられてるよ』って答える」
ロールプレイをするのもちょっと照れ臭い。少しぎこちないか? 日向は頭を掻きながら、何とかセリフを言ってみせた。
「日向クン! ボクがキミに無理難題なんて押し付ける訳ないじゃないかっ! ただちょっと日向クンの体を隅々まで触らせてほしいって言ってるだけで…」
「それが無理難題なんだよ。どうでもいいからちょっと黙ってろ」
「………」
厳しさを込めた声色に狛枝はビクリとすると、叱られた子犬のように切なげな表情で押し黙った。これでしばらくは大丈夫だろう。


【苗木 誠/GM】
『久しぶりに再会した4人の話は弾んでいます。日向 創は困ったように笑って、小泉 真昼に返答しました』
【日向 創/PL1】
「こっちも相変わらずだ。狛枝に無理難題をふっかけられてるよ」
【狛枝 凪斗/PL3】
「………」
【小泉 真昼/NPC】
「あははっ。狛枝は日向相手だと、落ち着きが無くなるものね。千秋ちゃんは眠そうだね。大丈夫?」
【七海 千秋/PL2】
「ちょっと昨日、夜更かししちゃって…。ふぁあ〜。でも平気だよ。さすがに食べながらは寝ないから」
【日向 創/PL1】
「そうか? 高校の昼休みに飯食いながらいびき掻いてたのは、どこのゲーマーだったんだ?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「………」


「あの、狛枝。…もう喋ってもいいぞ」
「ふぅ…、やっとご主人様からよしが出たね。ボクは何を話そうかなぁ」
いつ誰がお前のご主人様になったんだ。そう言いたかったが、狛枝がワクワクしながらセリフを思案しているようだったので、何も言わずにいた。狛枝が純粋に楽しんでいることに日向はホッとする。あの狂気的なコロシアイ修学旅行。あの時みたいに道を外すことはなさそうだ。


【狛枝 凪斗/PL3】
「ボクはそんなに無理難題をふっかけたりしてないよ。日向クンって頑固だから、ボクのお願い聞いてくれないんだ。荷物持ってって頼んでも、その位自分でやれって言うし」
【日向 創/PL1】
「おい、勝手に捏造すんなよ!」
【苗木 誠/GM】
『狛枝 凪斗はしょんぼりとした面持ちで、日向 創の生活態度を2人に話しました。七海 千秋は特に反応を示さずに話に聞き入っています。小泉 真昼は「男なのにそんなことも出来ないのか」と呆れたような視線を日向 創に向けました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「ボクが探偵事務所を掃除した後も、ここにゴミが落ちてるぞって注意するんだ。本当に亭主関白…。もう、毎日が花嫁修業だよ!」
【小泉 真昼/NPC】
「それは亭主関白っていうより姑じゃないかしら…」
【日向 創/PL1】
「ちょっと待てええええい! ツッコむ所そこじゃないだろ! 花嫁修業って何だよ。お前と俺はただの上司と部下だ!」


狛枝が自由に発言する所為で、不必要な情報が増えていく。全力でツッコミを入れる日向を尻目に、マイペースな狛枝は苗木に笑顔で話しかけた。
「GM、提案があるんだけど。ボクと日向クンの関係…幼馴染兼上司部下兼恋人ってことにしてくれないかな?」
『え…、それってシナリオに関係することなの?』
「ぶっちゃけ関係ないけどさ。というかボクのやる気がアップするから是非お願いするよ。ほら、振り直ししなかった特権ってことで」
「おい!! GM、そんな頼み聞き入れなくて良いだろ? だってシナリオは変わらないんだぜ!?」
ガタンとイスから立ち上がる日向。微妙そうな顔をしていた苗木だったが、日向と狛枝の顔を見比べてから、ふわりと明るい笑みを見せた。
『うーん。面白そうだし、採用しようかな…?』
「な、そん、な…っ!!」
日向はその場に崩れ落ちた。まさかこんな提案が採用されるだなんて。これが振り直しをしてしまったペナルティなのか! 自分と狛枝が恋人同士。いや、これはただのロールプレイだ。我慢すれば良いだけのこと。現実の日向と狛枝はただの友達であって、それ以上でも以下でもない。日向は涙目になって狛枝を睨み付けたが、その視線を受けた彼はゾクゾクと感じているだけで何のダメージもない。どうやって仕返しをしてやろうか。日向の心の中にはどす黒い感情が芽生えてきた。


【狛枝 凪斗/PL3】
「あの見た目でね、日向クンって夜は激しいんだよ。童貞卒業も処女喪失もボクだったからかな。ボクを愛しまくっちゃって溺れてるって感じなんだ…。はぁ、ボクって罪な存在だよね。こんなゴミムシはさっさと死ぬに限るよ」
【日向 創/PL1】
「くっ、早く発狂すればいいのに…。っていうか小泉にそんな話すんなよ!」
【苗木 誠/GM】
『日向 創は小泉 真昼が戸惑って絶句してしまうのを心配していましたが、予想に反して彼女は平静を保っているようです。視線を上の方に泳がせた彼女は少し言い辛そうにですが、苦笑しながら返事をしました』
【小泉 真昼/NPC】
「えーっと、アンタ達がそういう関係なのは高校時代から薄々勘付いてたから…。誤魔化さなくても良いわよ。折角会えたんだし、思う存分惚気ていきなさい」


「あっ、ぁ、ぁあっ、…うわあああああああああっ!!」
日向は涙声で戦慄いた。高校の同級生にまで公認の仲になるなんて思わなかった。どこにも逃げ場がない。苗木は気を遣ってそうしてくれたのだろうが、このロールプレイでは平常心など保てるはずもない。
「んー? これってリアルSAN値減ってるのかな」
『普通に考えると減ってるよね。狛枝クンは日向クンに対して、1のリアルSAN値を削るほどの能力を備えているっと。これは新発見だよ』
七海と苗木は何やら2人で話しているが、ショックを受けている日向の耳には届かなかった。延々と捏造される狛枝との恋人要素に心が打ち砕かれていく。単なるロールプレイだというのに、これほどまでに威力があるのか。割り切れば良いと思っていた日向は今更ながら後悔する。セッションにのめり込むほど、その傷は深くなるのだ。分かってはいるが、そこから抜け出す術を日向は持ち合わせていなかった。

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06.異変
【苗木 誠/GM】
『しばらく他愛もない話が続きました。互いの仕事の話、高校時代の友人の話、最近話題になったニュース。小泉 真昼との食事はとても楽しく、探索者達は時間を忘れ、会話に夢中になっていました。とここで、小泉 真昼が深刻そうな顔で狛枝 凪斗に話しかけます』
【小泉 真昼/NPC】
「あのさ、狛枝。ちょっといいかな」
【狛枝 凪斗/PL3】
「え、ボク? もしかして依頼かな。ゴミムシのボクが小泉さんの役に立てるのなら、出来る範囲で協力するよ」
【小泉 真昼/NPC】
「依頼とはちょっと違うんだけど。狛枝が3人の中で1番詳しそうだからさ。この食事の後、アタシが今追ってる仕事のことでちょっと相談に乗ってくれないかな?」
【狛枝 凪斗/PL3】
「………。それは、今話すことは出来ないような話?」
【小泉 真昼/NPC】
「…うーん、食事が不味くなるような内容だから、なるべくなら後でが良いかな」
【苗木 誠/GM】
『食事が始まってから、既に2〜3時間ほど経過しています。やがて追加の料理を持った店員がテーブルにやってきました。次々と運ばれてきます。全て小泉 真昼が頼んだようです。彼女にしては随分たくさんの量だと探索者達は思いました』


ロールプレイをしていた狛枝がスッと目を細め、真剣な表情になる。静かな声で「GM」と呼び掛け、鋭い視線のまま思案していた。良く学級裁判で推理をする時に見せていた表情だ。日向はこの時の狛枝が好きだった。難解な謎を鮮やかに解いてみせる彼はとてもかっこいい。お世辞ではない。心が痺れるほどにくらりときてしまうのだ。
「ボクの技能を使って、彼女から伝えたい話をこの場で聞き出せないかな」
『…それは無理かな。小泉 真昼はこの場で話すことにかなりの抵抗があるよ。聞き出すのは不可能に近いね』
「なるほど…ね。きっとGM的にも話したくないんだろう。分かったよ」
狛枝は納得がいったらしく、あっさりと引き下がった。しかし冷静な表情を崩すことなく、顎に手を添えて思考を巡らせている。まだ何か考えがあるようだ。狛枝は隣の七海に話しかけた。
「ねぇ、七海さん。ボクは小泉さんが今回のシナリオにおける重要な人物だと思ってるんだ」
「そうだね。私もそれは考えてたかな。このシナリオのタイトルは『もっと食べたい』。そして今は食事シーンだよね。事件の臭いがプンプンする…と思うよ」
七海と狛枝は何やら推理を始めている。日向だけが置いてけぼりだ。だってまだ始まったばかりで、事件らしい事件も起きていない。楽しく小泉と会話しているというのに、何をしようと言うのだろう? 日向は首を捻るばかりだ。
「小泉さんに関する情報が欲しいんだけど、何か良い方法はないかな?」
「うん。彼女を見て気付くことがあるかもしれないね。………。GM、全員で<目星>ロールをするよ」
七海が苗木にロールを提案した。それを聞いた苗木は『…分かった』と頷く。
『じゃあ3人ともダイスを振ってね。その白と黒の10面ダイスだよ。多分1番使うと思う。1D100で、能力値より低い値が出たら成功だ』
何故ここで<目星>をするか日向には見当がついていない。だが七海が言うからにはやってみた方が良いだろう。
セッション初となるロールか。日向はダイスを手に取った。七海も狛枝も同じように10面ダイスを2つ手の中に納めている。意を決して、日向はダイスをテーブルに転がした。コロコロ…と黒と白のダイスがテーブルの上を踊る。

<目星>
探索者名  技能   _出目  判定
日向 創_ (25) → 43  [失敗]
七海 千秋 (90) → 71  [成功]
狛枝 凪斗 (80) → 03  [クリティカル]

『あれ、狛枝クンすごいね! 初っ端からクリティカルだー!』
苗木は素っ頓狂な声を上げて、その場をぴょんと飛び跳ねた。狛枝は良く分からないといったように、しどけなく唇を開けてことりと首を傾げる。
「ん? 成功じゃないのかな?」
『大成功!ってやつだね。成功より良いことが起こるんだ。折角だからクリティカルとファンブルについて説明するね』

○ドラマチックダイス(ハウスルール)
 D100で出た目が01〜05の場合 → クリティカル(大成功)
 D100で出た目が96〜00の場合 → ファンブル (大失敗)

『クリティカルはさっきも言った通り、大成功。ダイスの目が01〜05だとそうなるよ。逆にファンブルというのがあって、これは大失敗って意味だ。96〜00の目だとファンブル。良くないことが起こっちゃうよ』
「ハウスルールって何だ?」
「それはね…ゲーム全体じゃなくて、そのセッション内で決める追加ルールのことだよ。クリティカルとファンブルは本来なら戦闘のみ適用されるけど、面白さを求めて通常のロールでも使われることが多いんだ。だから今回のはハウスルールってことだね」
七海が人差し指を立てて、丁寧に説明してくれた。なるほどと思いながら、日向は自分の出た目を再び見る。やはり初期値だと成功は無理か。日向はがっくりと肩を落とした。しかし他の2人は成功している。狛枝なんてクリティカルだ。幸運の才能が働いたのだろうか。ここから情報を引き出せるかもしれない。苗木はダイスの目を見て、小泉 真昼の様子を語った。


【苗木 誠/GM】
『日向 創は小泉 真昼に対し、特に何も感じませんでした。ただ大量の料理が運ばれてきたことに驚いています。七海 千秋と狛枝 凪斗は大量の料理よりも、小泉 真昼の口元から涎が垂れているということに気が付きます。更に狛枝 凪斗は小泉 真昼が少しやつれた様子で肌も荒れ、顔色が悪いことが分かりました』


「涎…? それから顔色か。それ以外の情報はないんだね。ちょっとこれは判断するのが難しいかも」
狛枝は困ったように顔を歪めた。七海もスッキリとした答えが出せないらしく、「うーん」と首を傾げている。
「GM、ボクの<医学>では彼女の顔色の悪さの原因は特定出来ないかな?」
『…んー、顔色が悪いだけでは無理だろうね』
狛枝は苗木の返答を聞き、「そっか」とまた元の困ったような顔つきに戻った。


【小泉 真昼/NPC】
「ここのお店、予約取るのすごく難しくってさ。ボリュームあるのに安くておいしいって人気なんだよ!」
【苗木 誠/GM】
『小泉 真昼は近くにある皿から料理を取り、パクパクと口に入れていきます。かなりの量の料理を食べ終わったばかりなのに、まだお腹が空いているようです。3人との会話が疎かになり、夢中で料理を平らげています。口をモグモグさせながら、会話の続きをしてきました』
【日向 創/PL1】
「お、おい、小泉。そんなに急がなくても…。もっとゆっくり食べたらどうだ? 焦ると喉に詰まらせるぞ」


いつもの彼女らしくない行動だ。小泉は料理が来たら全員の分を取り分けてくれて、行儀の悪い者がいれば注意をするような人物なのだ。十神や終里なら納得がいくが、真面目で行儀の良い小泉が、口に物を入れたまま喋るなんて信じられない。何だか奇妙な空気を受け取って、日向は言い知れぬ不安を感じた。


【小泉 真昼/NPC】
「んぐっ、おいしい! それで何の話、ムシャムシャ、してたんだっけ? ごくっ。えっと、写真のこと、モグモグ…だったかな。そうだ! 後で、ぱくっ、3人の写真…ムシャムシャ、撮らせてよ」
【七海 千秋/PL2】
「小泉さん。食べるか喋るかどちらかにしてもらわないと、何言ってるか分かんない…かもしれない」
【小泉 真昼/NPC】
「ごめんね。モグモグ、いつ、…災害が起こるか、パクパク、分からないし。食べられる時に、ムシャムシャ、食べないとって、ゴクン、…」
【狛枝 凪斗/PL3】
「確かに日頃から備えておくことは大事だよね。気持ちは分からなくもないけれど…」
【苗木 誠/GM】
『探索者達が小泉 真昼の食欲に戸惑っている最中も、彼女の食事の勢いは止まりません。むしろ次第に加速していっているようです』
【小泉 真昼/NPC】
「あれ? 日向、デザート食べてないじゃない。だったらアタシが貰うねっ!」
【苗木 誠/GM】
『そう言って、小泉 真昼は日向 創の返事を待たず、テーブルに置いてある苺のタルトを取ると、ペロリと食べてしまいました』


「…え?」
小泉の驚きの行動に日向は思わず呟く。常識として、デザートを取る前に一言断りを入れるべきだ。こんな非常識なこと、彼女は絶対にしない。更に日向には引っ掛かっていることがあった。食事に夢中になっている小泉は食べ始めの時より、今の方が勢いがあるらしい。食欲が増しているのだ。これは明らかに異常だ。何か気味の悪いざらついた違和感が日向の心の中を擽っている。
「おかしいだろ、これ…」
「日向クン、…そんなにタルトが食べたかったんだね。後でボクを(性的に)食べればいいよ」
「いや、いらねぇから。っていうか食べ始めはもっと普通だったよな?」
「うん。小泉さんはそんなにたくさん食べる人じゃなかった、よね…。日向くん、狛枝くん。どうする? 私は食べるの止めさせた方が良いと思うんだけど」
七海がぽつりと言葉を零し、日向と狛枝はしばし黙り込む。食べるのを止めさせるにはどうすればいいのか。さっき「ゆっくり食べろ」と苦言を呈したが、彼女は聞く耳を持たなかった。だとすると力ずくで止めるということか?

そんな3人の会話を苗木は静かに聞いていたが、やがてスゥと大きく息を飲み込んだ。
『さて、探索者のみんなにはここでロールを行ってもらうよ』
「え、ここでか? それより小泉の異常な食欲が気になるんだけど」
『その小泉さんに関するロールだ。ここで全員<聞き耳>ロールをしてくれるかな』
柔和な雰囲気の苗木にしては、珍しく大真面目で日向は思わず姿勢を正してしまう。<聞き耳>ロール。これは『何かが聞こえたかどうか』の成功失敗を判断するロールだ。しかし、何に対してロールをするのか。小泉に何が? 疑問が頭に浮かんできつつも、日向はとりあえず白と黒のダイスをテーブルから摘まみ上げる。
「GMからの強制ロールって、大体悪い予感しかしないんだよね…」
そんな七海の独り言がやけに耳に残った。
『それじゃ、<聞き耳>ロールお願いします!』

<聞き耳>
探索者名  技能   _出目  判定
日向 創_ (25) → 48  [失敗]
七海 千秋 (55) → 15  [成功]
狛枝 凪斗 (25) → 77  [失敗]

「成功、しちゃった…」
普通は喜ぶべき所なのに、七海の声は沈んでいる。フードを被って、小さく溜息を漏らしていた。日向はまだロールを1度も成功させていない。狛枝も今回は失敗だった。超高校級の幸運の才能を持っている彼なら、どんなに小さい能力値でも成功すると訳もなく思っていたが、どうやらそうではないようだ。苗木は神妙な面持ちで『七海さんが成功だね』と頷いた。


【苗木 誠/GM】
『日向 創と狛枝 凪斗は小泉 真昼の食事風景に呆気に取られています。ただ七海 千秋だけはテーブルの下から、こんな音がしていることに気が付きました』


ボリ…、ガリ、ボリ…、ゴリ…、ボリボリ…

何の音だ? モニタから響くその音に日向は顔を顰める。何かを噛み砕いている…? 思い浮かんだのは食べる時の咀嚼音だ。これが1番近いと思う。だが、テーブルの下からとはどういうことだろう?
「うーん、何の音だろうね。GM、テーブルの下を確認するよ」
『分かった』
日向も狛枝も図書館のモニタで状況は把握しているが、ロールプレイ上は音が聞こえた七海しか行動が出来ないようだ。図書館から音が消え去り、苗木の声だけがその場に響き渡る。


【苗木 誠/GM】
『七海 千秋がテーブルの下を確認すると…、



小泉 真昼の両足が、無くなっていました』


「…は?」
引き攣った声が日向の喉から出た。苗木が何を言ったのか、一瞬理解出来なかった。一呼吸置いて、もう1度先ほど聞いた彼の声を頭の中でリピートする。小泉 真昼の両足が、無くなっていました。小泉 真昼の両足が、無くなっていました。両足が、無い…!? 一体何が起きた?
見渡せば、七海も狛枝も顔を真っ青にしていた。七海は唇を噛み締め、カタカタと震えている。辛そうに下を向き、耐えているような様子だ。狛枝は灰色の瞳をぐるぐるさせ、呂律が回らない舌で「あれ? …あれあれあれあれ?」とひたすら繰り返している。
さっきまで楽しく食事をしていたはずなのに、いつの間にか異常な世界に足を踏み入れていた。いや、違う。踏み入れたのではない。このクトゥルフ神話TRPGの世界は、元々狂っているのだ。日常と背中合わせで、混沌がすぐそこに存在する。


【苗木 誠/GM】
『正確には、足が体の内側にめり込んでしまっているようです。不思議なことに、足から血は一滴も出ていません。やがてテーブルの下を見ていない日向 創と狛枝 凪斗も、彼女の体がどうなっているのか理解します』
【小泉 真昼/NPC】
「ガツガツ、ムシャムシャ! バクバク、モグモグ!」
【苗木 誠/GM】
『小泉 真昼の体はどんどん元の形を失っていきます。しかし彼女は、自分の体がそんなことになっているのにも構わず、無我夢中で食事を続けています』


「お、おい! ちょっと、これ…。小泉、ヤバいだろ!?」
「GM! 彼女に、<医学>…。いや、食べるのを止めさせることは出来ない!?」
珍しく声を荒げる狛枝に、苗木は黙って首を左右に振った。
『それは、出来ないよ』
「じゃあ…、小泉さんから食事取り上げるとか、テーブルをひっくり返すとかもダメなのかな」
『うん。…何も、出来ないね』
七海の問いかけにさらりと苗木はそう答える。分かってる。これはゲームだ。ただ役割を演じているだけ。でも今目の前で小泉が、何かに飲み込まれようとしている。テーブルの上に見えていた彼女の上半身が段々と下がり、沈んでいく。それを黙って見ているしかないなんて…。日向はギリリと奥歯を噛み締めた。


【苗木 誠/GM】
『探索者達が動揺している最中も、小泉 真昼の体の欠損は足だけに留まらず、次第に下半身も体の内側にめり込んでいきます。探索者達はこの異常な光景を目の当たりにして、ただただ呆然とするだけでした』
【小泉 真昼/NPC】
「パクパク、ムシャムシャ! ガツガツ、モグモグ!」


『3人とももう1度、<聞き耳>ロールしてね』
「…くっ、」
苗木に指示され、日向は苦悶の表情を浮かべたままダイスを投げる。これで小泉が何とかなるのか? 額から汗がじわりと浮かんで流れ落ちる。脳みそがグラグラと揺さぶられて、まともに思考が出来ない。それでも一縷の希望を胸に、テーブルを転がるダイスから目を逸らさなかった。

<聞き耳>
探索者名  技能   _出目  判定
日向 創_ (25) → 64  [失敗]
七海 千秋 (55) → 82  [失敗]
狛枝 凪斗 (25) → 32  [失敗]

「全員、失敗か…!」
狛枝が苦々しく吐き捨てた。小泉が異常な状態に陥ってから、全員何の手も打てていない。…つらい。再び自分達は仲間を失ってしまうのか? 心臓が押し潰されそうだ。苗木は言った。クトゥルフ神話TRPGは楽しいだけのゲームじゃない。その通りだ。コロシアイ修学旅行とはまた違ったベクトルの恐怖と狂気、混沌が満ち満ちている。


【苗木 誠/GM】
『小泉 真昼はとうとう腕や上半身や頭すら体の内側にめり込んでいき…、歯を剥き出しにした「口」だけが残りました』


『さて、ここで<幸運>ロールだ。みんなダイスの準備は良いかな? ダイスの女神に、祈りを捧げようか…』
背骨から首筋に、冷えた苗木の声が響く。セッションを進めなければ、みんなのアバターを回収出来ない。でもこの方法で本当に良いのか? 震える手でダイスを掴む。これで運命が決まるのだろうか。苗木に言われた通り、日向はダイスに祈りを込める。頼む。成功、してくれ…!

<幸運>
探索者名  技能   _出目  判定
日向 創_ (85) → 36  [成功]
七海 千秋 (65) → 27  [成功]
狛枝 凪斗 (35) → 97  [ファンブル]

日向は思わずイスから立ち上がってしまった。狛枝が、ファンブル…! 当の彼は蒼白した面持ちで、モニタを穴が開くほどに凝視している。これからどうなるのか。分かっているのは、今からとても良くないことが起こるということだけだ。


【小泉 真昼/NPC】
「 も っ と 食 べ た い … 」
【苗木 誠/GM】
『「口」はそう呟くと…、狛枝 凪斗に向かって飛びかかってきました』
【狛枝 凪斗/PL3】
「えっ、え…!? これは、何? どうすれば…っ」
【日向 創/PL1】
「狛枝っ!! マズいぞ…、とりあえず避けるんだ!」
【七海 千秋/PL2】
「狛枝くん、逃げて!!」
【苗木 誠/GM】
『しかし「口」は狛枝 凪斗に触れる瞬間に、煙のように消えてしまいました』


「な…っ?」
図書館の静かな空気が日向の声に僅かに震える。反響を残しつつ、その音は空間に消えた。一体何が起こっているんだ…? 全く何も分からない。急展開過ぎて、ついていけない。苗木を見やれば、深刻そうな顔で黙っているだけだった。とんでもない所へ来てしまった。日向はそう思った。ただ笑って、楽しむだけじゃいけない。みんなのアバターを回収するには、それ相応の代償が必要なのだ。
「ねぇ。これって…どういうことなのかな?」
小さくも凛とした狛枝の声が聞こえた。言いたいことは分かる。口に襲われたのなら、噛み付かれて怪我をするかもしれない。そう思っていたのに、結果は違った。口の脅威は消え去ったが、得体の知れない後味の悪さを感じる。
「分からない。GM、これって結局…小泉さんは、」
「七海…。それ、改めて確認するのか?」
聞きたくない。とどめを刺されたくない。心の底では分かっている。しかし答えを先延ばしにしても仕方のないことなのだ。何となく…背後から忍び寄る絶望が、ケタケタと日向達を嘲笑っているように思った。苗木に3人の視線が集中し、彼は戸惑ったようにゆらゆらと瞳を泳がせる。しかしやがて意を決したように、ゆっくりと唇を開いた。

『…小泉 真昼は、死にました』

苗木の口から出たのは、救いようのない決定的な言葉だった。鳥の囀りが窓の外から小さく聞こえる。麗らかな陽気とは裏腹に図書館は冷たい空気が流れ、しばらく誰も口を開くことはなかった。

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