11.戦闘 | |
一言で表すと、それは『狂気』だった。灰色の瞳孔が開き、笑っているかのように吊り上がった口元には涎と血痕が付着している。その表情はとても人間とは思えない。しかしクセ毛っぽい白髪や、あばらが浮いた痩せぎすの体躯は僅かに彼の片鱗を残していた。 「!? な…っ、嘘、だろ。この化け物が、狛枝…だと?」 日向の呟きを最後に、図書館はシンと静寂に包まれた。七海は顔を強張らせ、狛枝らしきものが映っているモニタをじっと見据えている。苗木だけは落ち着いているようで、静かにゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。進行役なのでそれが当然なのかもしれないが、その落ち着きようは逆に不自然に思えるくらいだ。 『狛枝クンの変貌にショックを受けた2人。さて、もう解ってるよね?』 苗木の丸い大きな瞳が日向達を一瞥する。また、アレか。日向は唇を噛みしめながら、モノクロのダイスを手に取った。苗木の言う通り、何をするかだなんて分かり切っていた。この状況を見て、正気を保っている方が不思議だろう。苗木もそれを察知していたのか、大きく頷いた。 『SANチェックの時間だよ。キミ達は<正気度>ロールをして、「1/1D4」の正気度ポイントを失う。…それじゃ、ダイスロールお願いします』 その言葉を皮切りに、日向と七海はテーブルにダイスを投げる。アクリル素材の軽い音が響き、陽光を反射してチカチカと光を放つ。2つのダイスはコロコロ…と転がり、テーブルの端まで行きつくという所で、目はピタリと止まった。 <正気度> 探索者名 技能 _出目 判定 日向 創_ (84) → 44 [成功] 七海 千秋 (64) → 73 [失敗] 「あっ、失敗…しちゃった」 気の抜けた七海の声が聞こえた。最大で4ということは、一時的狂気にはならない。この緊急事態でそれだけはありがたかった。七海は少しだけ口を尖らせていたが、やがて黄色い4面ダイスを手に取ると、「えいっ」と小声で呟きながら、テーブルに放った。 <正気度 失敗> 探索者名 範囲 _出目 七海 千秋 (1D4) → 2 (残り62) 【苗木 誠/GM】 『ロールの結果、日向 創は成功したため正気度1のみ減少。失敗した七海 千秋は正気度2減少します』 <正気度 現在値> 探索者名 元 _現在 増減 日向 創_ 84 → 83 (-1) 七海 千秋 64 → 62 (-2) 仕方ないか…! 日向は眉を顰めた。SAN値は徐々に減っている。七海が最大値まで減らなかったのは不幸中の幸いか。シナリオはまだまだ序盤だろう。あまりSAN値を減らしたくない。回収すべきアバターは残り7人もいるのだ。それよりも、と日向はモニタを睨みつけた。 「狛枝のやつはどうしちまったんだ!?」 『狛枝クンは異常な症状に陥っている。正確には日向クンと七海さんを、食べ物として認識しているよ』 「何だよ、それ!!」 食べ物として!? 下手したら狛枝に食べられてしまうのか? ぶるりと肌が粟立ったが、黙って食われる訳にもいかない。打てる手は全て打っておきたい。狛枝は死んではいない。五体満足でいる以上、彼が助かる可能性は十分にあるのだ。狛枝は正気を失っている。それを戻すには…。 「…っ、俺の技能の<精神分析>で、狛枝を正気に戻す!」 『<精神分析>は時間を掛けて、対象の心の平穏を取り戻す技能だよ。狛枝クンを正気に戻すには少なくとも10分以上の時間が必要だ』 「10分…。いや、それで構わない!! <精神分析>ロールを…!」 思ったよりも時間が掛かる。だが方法はそれしかないはずだ。日向がモノクロのダイスを掴み、投げようとするその直前。苗木は腕時計を見て、『ちょっと遅かったかもね』と残念そうに瞳を伏せた。日向が「えっ」と聞き返す前に、苗木はGMとしてのシナリオ進行を宣言する。 【苗木 誠/GM】 『それよりも早く狛枝 凪斗は2人に飛びかかってきました』 【狛枝 凪斗/NPC】 「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」 モニタの向こう側の狂気が叫び声を上げ、こちらに迫ってくる。狛枝の恐ろしい形相に一瞬日向の体が跳ね上がったが、すぐに冷静に頭を切り替える。画面から飛び出してくるなんて、ありえない。しかしその大前提も、モニタが映し出す生々しさの前では掠れてきていた。 『狛枝クンが飛びかかってきたから、強制的に戦闘になるよ。戦闘はターン性で、能力値のDEX(敏捷)が高い人から行動することが出来る。今回は日向クンがDEX14、七海さんがDEX17、狛枝クンがDEX10だから、七海さん→日向クン→狛枝クンという順番になるね』 「狛枝くんと…、戦闘」 「くそっ! 狛枝…!!」 セッションでは初となる戦闘が狛枝相手とは…。日向は口を固く引き結んだ。だが幸いにも狛枝のDEX(敏捷)は高くなく、行動は最後のターンになるようだ。もしかしたら彼に行動順を回さずに、解決出来るかもしれない。 <行動順&耐久> 探索者名 DEX HP 七海 千秋 17 12 日向 創_ 14 15 狛枝 凪斗 10 12 「…順番は分かった。だけど、どうすればいい? 攻撃すると、最悪狛枝を殺しちまうだろ? 俺達は狛枝を殺したくない」 戦闘に特化させている日向は攻撃力が高い。下手をすれば、狛枝が即死になる場合もあるかもしれない。なるべく無傷で狛枝を捕らえたい。しかし苗木が口を開く前に、七海から威勢良く声が上がった。 「日向くん! ちょっと待って、…私に考えがある。………。GM、狛枝くん相手に<組み付き>をするよ」 『! なるほどね。それは良い考えかも。じゃあ七海さん、狛枝クンに<組み付き>で振ってくれるかな』 「<組み付き>…。そうか!!」 日向はおぼろげながら<組み付き>のルールを覚えていた。<組み付き>は特殊な素手の技能だ。相手を傷付けることなしに、相手の自由を奪いたい場合に使われる。これで狛枝の動きを止められれば万事OKだ。ただ<組み付き>は<回避>も<受け流し>もされる。その前に七海は<組み付き>にポイントを振っていない。初期値で成功するかどうかも問題だ。鼻息荒く、七海がダイスを転がす。 <組み付き> 探索者名 技能 出目 判定 七海 千秋 (25) → 14 [成功] 「わぁ! やった…」 「すごいぞ、七海! 成功だ!!」 目を丸くして七海がダイスを見つめている。日向はぐっと両手を握り締めた。この土壇場でダイスロールを成功させるとは、かなりの強運だ。苗木はそれを見て、小さく笑った。 『おめでとう。でも喜ぶのはまだ早いよ。完全に成功した訳じゃない』 「あ…」 『狛枝クンは<回避>するよ。今彼は正気じゃないから、これはボクが代わりに振るね』 そうだった。日向は苗木が手にしているモノクロのダイスを見た。狛枝の<回避>が成功してしまえば、七海の<組み付き>も水の泡と化す。苗木は慎重にダイスをテーブルに振り落とした。 <回避> 探索者名 技能 出目 判定 狛枝 凪斗 (59) → 71 [失敗] 『これは…。七海さんのダイスは本当に幸運に恵まれているようだ』 苗木の声は僅かに震えている。奇跡を目の前で目撃したかのような、希望に満ち溢れたキラキラとした表情だ。もしかしたら、もしかするかもしれない。これで戦闘が終わるのか…? 大きな安堵感が日向の胸をいっぱいにする。初戦闘が探索者同士ということもあり、為す術もなく絶望的だったが、どうにかしてこのピンチを乗り切ったのだ。 『さて、<組み付き>は成功した。七海さん、次の行動を起こす前に少し説明しても良いかな? 日向クンは初めてだろうから』 「あ、そうだね。お願いします」 「? 説明…?」 『<組み付き>のオプションについてだよ。今、七海さんは狛枝クンを捕まえた状態だよね。その後の行動にはいくつかのオプションがあるんだ。@対象をしっかり押さえ込んで、動けなくする。A対象を倒す(自動成功)。B対象をノックアウトする。C対象の武器を取り上げる。D対象を肉体的に傷付ける。E対象の首を締める。…以上、6通りだ』 「……随分たくさん選択肢があるんだな」 『ふふっ。迷っちゃうけど、これは状況に合わせて使い分けてね。今回のケースだけど、@動けなくする、Bノックアウトする。この2つのどちらかが妥当かな』 苗木が2つの項目を指揮棒で指し示す。Aについては物理的に倒すだけのようだ。Cは狛枝が武器を持っていないので意味がない。DやEだと狛枝にダメージを与えるだけ。苗木の言うことに日向は黙って頷いた。七海が口元に指を当て、思案しながら苗木の言葉を引き継ぐ。 「私が考えているのは@だよ。持ち物の手錠で狛枝くんを拘束しようと思ってるの。Bは<ダメージ>ロールと対象との<抵抗>ロールで2回ロールが必要で、失敗したらダメージが入る。けど、@なら<筋力対抗>ロールの1回だけでノーダメージで済むから…。それで、」 「ちょ、ちょっと待ってくれないか? すまん。今、頭の中を整理する…」 日向は手を前に突き出して、七海にストップをかけた。情報量が多過ぎる…。苗木と七海の説明を噛み砕きながら、ゆっくりと飲み込んでいく。探索者シートの裏に走り書きをしながら、漸く今の所までは理解出来た。 「よし! 続けても大丈夫そうだ。ところで手錠を使うんだよな? だったら七海の持ち物から俺がそれを取って、狛枝に掛けるのはダメなのか?」 『うーん…。その場合は日向クンが七海さんから手錠を受け取るのに1ターン使うと考えるよ。そしたら狛枝クンは自分のターンで<組み付き>を振り解くかもね』 「………」 中々思い通りにはいかないようだ。ここは七海の言う通りにした方が良いかと日向は結論付ける。日向は苗木に視線で進行を促した。 『分かったよ。七海さんは狛枝クンに手錠を掛ける。…本当にこれでいいね?』 「うん。これしか思いつかないよ」 『<筋力対抗>ロールをしてもらおう。2人のSTR(筋力)はどちらも9で同じ値だね。確率は50%。D100でロールして、50より低い値が出たら成功だよ』 苗木は『ダイス振ってね』と七海に掌を向ける。これで成功すれば、今度こそ戦闘は終わる。初期値の<組み付き>ロールを成功させ、狛枝の<回避>が失敗するという順調な流れだ。もう1回くらい成功させてくれ。日向は心の底からダイスの女神に祈る。何だか本当に神の気まぐれでこのセッションが進行しているかのような気分だ。七海は指の間からモノクロのダイスを零す。 <筋力対抗> 探索者名 STR 探索者名 STR 七海 千秋 9 VS 狛枝 凪斗 9 成功確率:50% 探索者名 目標値 _出目 判定 七海 千秋 (50) → 89 [失敗] 失敗。日向の全身から力が抜ける。終わらなかった…。申し訳なさそうに俯いて、七海は「ごめんね」と呟いた。これは運が悪かっただけだ。七海は何も悪くない。落ち込む彼女を励ますように、日向は表情に気合いを入れる。力を込めた視線で日向は七海に笑いかけた。 「気にするな、七海! 俺もいるんだ。後は任せて…っていうのもちょっと不安だけど、とにかく頑張るからな!」 「日向くん…」 七海は日向の言葉に顔を綻ばせた。失敗はしたが、テーブルを囲む面々の表情は明るく、3人の間には和やかな空気が流れている。日向は目線を上にあげた。図書館の上階。そこには本に視線を落としている『本物の』狛枝の姿がある。死なせるものか。絶対助けてやるからな…。日向はテーブルに置かれたダイスを引き寄せた。 【七海 千秋/PL2】 「狛枝くん、お願い…! っ!? きゃっ、」 【苗木 誠/GM】 『七海 千秋は1度は狛枝 凪斗に組み付いたものの、相手と揉み合いの末、手を離してしまいました』 「苗木、俺のターンだよな。俺の全力でもって、狛枝を倒す!! …のはダメなのか。ええと、<組み付き>より動きを止める確率が高い方法を教えてくれないか?」 『あはは、倒しちゃダメだって。確率が高い方法か…。それなら、GMとしてボクから【ノックアウト攻撃】をおススメするよ!』 ノックアウト攻撃。確か<組み付き>の時にもチラッと名前が出てきた。ノックアウトというからには相手を気絶させるような攻撃だろうか。日向は考えながら、手にしたシャーペンをくるりと回転させる。 『戦闘で攻撃する際も通常のロールと同じようにD100でロールをして、成功失敗を判定するよ。七海さんがやった<組み付き>と同じだね。日向クンの攻撃手段は<こぶし>が良いかな。<組み付き>との大きな違いはダメージが入る所だね』 狛枝のHP(耐久)が減るのはこの際致し方ない。ちょっと手傷を負わせても、後で治療は可能だろう。心の中で狛枝に謝りながら、日向は苗木の説明に聞き入る。 『<こぶし>に成功したら、次は<ダメージ>ロール。つまりどのくらいのダメージを相手に与えるか、ダイスで決めるよ。ちなみに<こぶし>は「1D3+db」っていう指定がある。この結果が相手に与えるダメージになるね』 そう言って、苗木はモニタに流れを表示させた。丁寧に説明してくれるから分かりやすい。忘れないようにシートの裏に急いでそれをメモする。 @攻撃する技能を選択。(例:<こぶし>) AD100ロールで成功失敗判定 B成功した場合、1D3+dbでダメージ算出 「…あ、ちょっと良いか? 『1D3』ってどうするんだ? 3面ダイスなんてないだろ」 『キミの言う通り、3面ダイスはクトゥルフ神話TRPGにはないね。「1D3」を行う際は、「1D6÷2」。つまり6面ダイスを振った結果を2で割るんだよ。そうすれば、ほら…3面ダイスを振ったことと同じになるよね』 「なるほど、そうするのか。それじゃ6面ダイスだな。…悪い、苗木。もう1つ分からないことがある。『1D3+db』の『+db』って何のことだ?」 『「+db」はダメージボーナスをプラスするっていう意味さ。体が大きくて筋力もある探索者と、華奢で体が小さい探索者が<こぶし>を使って威力が同じって変だよね? 日向クンはSTR(筋力)とSIZ(体格)から「+1D4」のダメージボーナスがあるよ』 敵に対してダメージボーナスを与えられるのは得だが、仲間相手には仇になる。が、今更何を考えても仕方がない。モニタの中の狛枝を見つめていると、苗木がおずおずと言葉を切り出した。 『日向クン…、ちょっと悲しいお知らせがあるよ。キミの技能の<武道/空手>なんだけど、これは素手の威力を2倍するものなんだ。これもプラスすると、最終的にダメージは「2D3+1D4」になる』 「さすがに戦闘員だけあって、日向くんは強いねぇ」 七海は楽しそうに目を輝かせた。強いのは喜ばしいが、これでは狛枝に与えるダメージが増える。相手のHP(耐久)を0にすることなく、戦闘を終わらせることは果たして可能なのか…。日向は焦燥に駆られた。 『さて、ノックアウト攻撃だったね。これは相手へのダメージを最小限(1/3)に抑え、相手を意識不明にすることが出来るよ。ちょっと難しくなるけど、これは自分の能力値と相手の能力値を比較して行う<抵抗>ロールをする。ノックアウト攻撃で比較する値は2つ。自分が相手に与えるダメージと相手のHP(耐久)だ』 「………つまり、今回の場合は俺の『2D3+1D4』の結果と狛枝のHP(耐久)12ってことだな」 『うん。2つの値で競わせて、確率を決めるんだ。その結果に対し、D100ロールで低い値を出せば、ノックアウト攻撃は成功だよ』 「〜〜〜っ。…訳が分からなくなってきたぞ」 『日向クンは覚えなくてもいいよ! 計算がややこしいから、一覧表も用意されてるくらいさ。ボクは同じ値の時を50%と考えて、後は1ずつ差が出るごとに5%ずつ変動させるって覚えてるよ。その辺はGMが提示するから心配しないでね』 日向はホッと胸を撫で下ろす。そろそろ膨大なタスクに脳の処理が追いつかなくなってきた所だった。もし自分が最大のダメージを出せたら、その値は10だ。狛枝のHP(耐久)は12。数字をシートに書いていると、苗木が手元を覗き込んでくる。 『もしそうなったら、確率は40%かな』 「1番良い目を出しても40%か…。これ…失敗するとどうなるんだ? 成功率を上げる方法とかないのか?」 『ノックアウト攻撃に失敗するとダメージを抑えることが出来ずに、通常攻撃と同じダメージを相手に与えることになる。成功率を上げるには…、相手のHP(耐久)を下げる必要があるね』 何だか長引く戦いになりそうだ。とにかくノックアウト攻撃をするには、ロールに成功しなければならない。日向はダイスを手に取った。 「GM、早速<こぶし>でノックアウト攻撃だ!」 『了解。まずは<こぶし>の成功失敗判定からだよ。ダイスロールお願いね』 <こぶし&空手> 探索者名 技能名 技能 出目 判定 日向 創 こぶし (80) → 54 [成功] 日向 創 空手 (85) → 〃 [成功] 『日向クンの攻撃は成功だね。狛枝クンは七海さんに対し、1度<回避>を使ってるから、今回は使えない』 「<回避>は1R(ラウンド)に1回っていう制限があるんだ。戦闘に参加してる全員の行動が一巡するまでを1Rとする…。そうだよね? GM」 『七海さん、解説ありがとね。そういうことだから日向クンの攻撃は成功さ。次は<ダメージ>と<ノックアウト攻撃>のロールだよ』 ここからが正念場だ。日向の右手の中で紫と黄色のダイスがぶつかって、カチカチと音を立てている。更に左手にも白と黒のダイスがある。まずは右手のダイスからだ。これでダメージが決まる。日向は握っていた右手をゆっくりと開く。紫と黄色の粒がテーブル目掛けて落ちていった。 <ダメージ> 探索者名 技能名 範囲 _出目 日向 創 こぶし (2D3) → 4 日向 創 ボーナス _(1D4) → 2 『ダメージは6だね。狛枝クンのHP(耐久)と比較すると、ノックアウトの確率は20%だ』 そんなにダメージが大きくなくて安心したが、これだとノックアウト攻撃が成功する確率も低い。20%…。その数字を頭に刻み、日向は続いて左手のダイスもテーブルに落とした。 <ノックアウト> 探索者名 目標値 出目 判定 日向 創 (20) → 47 [失敗] <耐久 現在値> 探索者名 元 _現在_増減 狛枝 凪斗 12 → 6 (-6) 【日向 創/PL1】 「おおおおおおおおおおおっ!!」 【狛枝 凪斗/NPC】 「うぐっ……あ"、」 【苗木 誠/GM】 『日向 創は狛枝 凪斗に6のダメージを与えました。狛枝 凪斗の残りHP(耐久)は6です』 「しまった…、失敗か!」 奥歯を噛み締め、日向はモニタに見入る。狛枝をノックアウト出来なかったようだ。元々のダメージ量が狛枝に入ったようで、モニタに表示された彼のHP(耐久)ゲージがキュウウと音を立てて減っていく。 『狛枝クンのHP(耐久)が半分以上減っちゃったね。それじゃ、ここで「ショック」の説明をするよ。ショックとは、ただ1つの負傷から耐久力の半分以上を失った場合に起こる現象。ショックが起こった際にD100ロールをして、CON(体力)×5以下を出さなければ、意識不明に陥るよ』 苗木の説明に、日向のアンテナがピンと立つ。 「ってことは、ノックアウト攻撃が成功した時と同じ状態ってことか!?」 『そうだね。同じものだよ』 「じゃあこれでショックが起きれば、結果オーライだね。日向くん、まだ大丈夫だよ!」 興奮気味に訴えてくる七海。そうだ…。希望は、消えてはいない。手の届く範囲に見えているのだ。ショック判定は狛枝のCON(体力)でロールをするので、苗木がダイスを転がすようだ。『<ショック>ロールするね』と言いながらダイスを持つ苗木に、日向は緊張しながらそれを見守った。 <ショック> 探索者名 技能 _出目 判定 狛枝 凪斗 (45) → 31 [成功] 【狛枝 凪斗/NPC】 「が……っ、ぐ……。ぐぐ……!」 【苗木 誠/GM】 『大きなダメージを受けた狛枝 凪斗は意識を失いそうになりますが、それに耐えたようです』 「むむぅ、そう簡単にはいかない…のかな?」 七海が悔しそうに頬を膨らませる。日向は俯いた。拳を力の限り、強く握り締める。もう、後がない。完全に追い込まれている。狛枝のHP(耐久)はもう半分しか残っていない。次にノックアウト攻撃を成功させなければ…、狛枝は死ぬ。日向にあるチャンスは1度だけだった。 | |
12.命題 | |
『これで日向クンの行動は終了。次にDEX(敏捷)の高い狛枝クンの番だ。攻撃してきた日向クンに反撃しようと噛みついてくる。さて、日向クンはどうする?』 「当然、<回避>だ!」 黙って餌食になる訳がなかった。日向は次のラウンドに可能性を掛ける。狛枝、狛枝…。さっきまで傍にいた彼の存在が遠く感じる。これで彼を死なせてしまったら、自分は絶対に後悔する。もっと優しくすれば良かった、もっと笑顔を見せれば良かった、もっと甘やかせば良かった。矢継ぎ早に溢れ出てくる狛枝への願望が、日向の内側を満たしていく。日向は眉間に皺を寄せ、ぎゅっと目を瞑った。それから、それから…。もっと…、ちゃんと「好き」って言えば良かった…。 <噛みつき> 探索者名 技能 _出目 判定 狛枝 凪斗 (50) → 43 [成功] <回避> 探索者名 技能 _出目 判定 日向 創_ (90) → 55 [成功] 【狛枝 凪斗/NPC】 「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」 【苗木 誠/GM】 『狛枝 凪斗は攻撃をしてきた日向 創に反応し、日向 創に<噛みつき>で攻撃を仕掛けます』 【日向 創/PL1】 「っそうは、させるか!!」 【苗木 誠/GM】 『しかし日向 創は華麗な体捌きによりそれを<回避>しました』 『さすがだね。狛枝クンの番は終了だよ。一巡したから、次は七海さんだね』 「…GM、狛枝くんに<応急手当>は出来るかな?」 瞳を揺らしながら、七海は苗木に問いかけた。考えてもみない判断に、日向は彼女に視線を走らせた。七海が狛枝を回復すれば、ノックアウトが失敗しても生き残る可能性が生まれる。対する苗木は『んー…』と困ったように言い淀んでいた。 『出来ないとは言わないけど…。そうだね。<応急手当>の際に、狛枝クンから攻撃を受けるけど、可能としようか』 「そっかぁ。じゃあ止めとこうかな。私は狛枝くんに<組み付き>をするよ」 七海はチラリと日向に淡い色の瞳を向ける。日向はそれに大きく頷いた。その視線の意味を自分は知っているのだ。「成功するか分からないけどね」と呟きながら、七海はダイスをテーブルに放った。 <組み付き> 探索者名 技能 _出目 判定 七海 千秋 (25) → 62 [失敗] 「あちゃー。やっぱり私じゃダメだったなぁ。後は日向くんだね」 「ああ、そうだな」 がっかりしたように七海は表情を暗くする。もう、これが最後のチャンスだった。自分がやるしかない。鳴り響く心音を気にしないようにして、日向は肩で大きく息を吐く。考えに考え抜いて、既に腹は括っていた。 「…あのね、何となくなんだけど。日向くんなら大丈夫だって思っちゃうんだよね。君は今までみんなの心を掴んで離さなかったし、窮地に陥っても絶望を覆すだけの精神力があった。私の中では安心と信頼の日向くんってイメージなの」 「七海、それは買被り過ぎだよ。俺はそんなにすごい奴じゃない…」 『日向クンが思っている以上に、みんなはキミに希望を見てるんじゃないかな? 才能とは関係なくね』 苗木は穏やかに目を瞑った。そう、だろうか。確かにみんなは自分の才能の有無なんて気にしないだろう。そんな予感はしていた。だけど彼だけは違う。日向はある人物が頭に浮かんだ。狛枝だ。 実際にコロシアイ修学旅行では事実を知った途端、蔑むような目付きで邪険にあしらわれたのだ。もし現実に戻って、アイランドしか知らない狛枝にそのことを伝えたら、また自分は捨てられてしまうのか? ……いや、捨てられるって何だ。別に相手にどう思われようと関係ない。冷たくされたって、平気だ。そう自分に言い聞かせる。 『…日向クン、大丈夫? 顔色悪いけど…。ボク、何か嫌なこと言っちゃったかな?』 おろおろする苗木に日向は「何でもない」と微笑みかける。今は戦闘に集中しなくてはならない。苗木に「ノックアウト攻撃だ」と短く宣言すると、ダイスをテーブルから拾い上げる。 『ではロールお願いします』 <こぶし&空手> 探索者名 技能名 技能 出目 判定 日向 創 こぶし (80) → 37 [成功] 日向 創 空手 (85) → 〃 [成功] 『成功だね。じゃあ狛枝クンは<回避>するよ』 <回避> 探索者名 技能 _出目 判定 狛枝 凪斗 (59) → 60 [失敗] 『ギリギリ1足りたね。良かった…』 「何だか、私…狛枝くんが止めてもらいたがってるような気がしてきたよ」 「……ああ、俺もそう思う」 あるいは苗木の幸運でも働いているのか。中身がアルターエゴであっても、幸運は作用するのかなんて、日向はどうでも良いことを思い浮かべた。 『分かってると思うけど、次は<ダメージ>と<ノックアウト攻撃>のロールだ』 促されて、日向は紫と黄色のダイスを振る。これで狛枝にどの位のダメージが入るのかが決まる。 <ダメージ> 探索者名 技能名 範囲 _出目 日向 創 こぶし (2D3) → 3 日向 創 ボーナス _(1D4) → 3 「!!」 ダメージ値を見て、日向は思わず戦慄した。もしノックアウト攻撃に失敗すれば、狛枝は確実に死ぬ。 『ノックアウト攻撃の確率は50%だよ。頑張って、日向クン!』 モノクロダイスを握る手が震える。これで運命が決まるのだ。中々ダイスを投げない日向を見て、七海は黙りつつも心配そうにしている。苗木もハラハラと成り行きを見守るだけだ。狛枝、ごめんな。俺のなけなしの幸運で勘弁してくれ。日向はチラリと図書館の2階にいる狛枝に視線を投げた後、ダイスをテーブルに転がした。 <ノックアウト> 探索者名 目標値 _出目 判定 日向 創_ (50) → 33 [成功] 「……やっ…た?」 『お見事! おめでとう、日向クン!!』 苗木が声を弾ませて、ぴょんぴょんとテーブルの周りを飛び跳ねている。七海はポカンとモニタを見ていたが、やがてポッと頬を桃色に染めて、日向に向かって手を差し伸べてきた。テーブル越しにそれを取ると、固く手を握られる。 「七海、何で握手なんだ?」 「…んー、何でだろう?」 七海はぽやっとしたまま小首を傾げる。分かってないのに握手か。日向は苦笑した。しばらくぎゅっと握っていたが、七海は満足したようでその手を離した。小さいけど温かい手が離れ、少し名残惜しい気もする。プレイヤー以上に喜びを噛み締めていた苗木がモニタの横に戻ってきた。 『ごめんごめん。つい嬉しくなっちゃって…。えへへ、戦闘を終了させるね』 【苗木 誠/GM】 『日向 創は狛枝 凪斗に2のダメージを与えました。狛枝 凪斗の残りHP(耐久)は4です。更に狛枝 凪斗は日向 創のノックアウト攻撃を受けたことにより、意識不明に陥り、その場に倒れます』 【狛枝 凪斗/NPC】 「あ…」 <耐久 現在値> 探索者名 元 _現在_増減 狛枝 凪斗 6 → 4 (-2) 『狛枝クンが倒れたことにより、戦闘はひとまず終了だ』 「HP結構減らしちまったけど、まぁ何とかなったな」 今になって初めて、強張らせていた体から徐々に力が抜けていく。日向はぐったりと机に倒れ込んだ。疲れた。1回の戦闘だけでこれほどまでに疲労するとは…。先ほど休憩したばかりなのに、そこで貯めた元気も消えてしまった。 「GM。一応狛枝くんの今の状態を、<目星>で確認しておきたいんだけどいいかな?」 『もちろんいいよ。ではロールどうぞ』 <目星> 探索者名 技能 _出目 判定 七海 千秋 (90) → 04 [クリティカル] 「ここでクリティカルなんだ…。戦闘中にこの目が出てほしかったなぁ」 七海は残念そうにぼやいた。ダイスの目を見た苗木は『確かにそうかもね』とそれに同意する。 【苗木 誠/GM】 『七海 千秋は狛枝 凪斗を注意深く観察しました。狛枝 凪斗の体には日向 創から受けた打撲が2ヶ所。掌や指先及び爪に、所々小さな傷があります。体全体がやややつれており、手の甲には打撲とは別に傷がついています。クリティカルの結果として、口元に蛍光灯のとても小さな破片が付着していて、口内を多少傷付けていることが分かります。血が僅かに滲んでおり、比較的新しめの傷のようです』 【日向 創/PL1】 「蛍光灯…? まさかこいつそんな物食べようとしてたのか? 大分ヤバいだろ」 【七海 千秋/PL2】 「口から滴ってた血は自分自身の血ってことかな。………。とにかく狛枝くんを病院に運ぼう。病院の方が検査も治療もしっかり出来るしね」 『本来なら人を担ぐ時にはロールが必要だけど、ここは省くね。えーっとじゃあ、2人は狛枝クンを病院へ…。そのまま運ぶのかな?』 「? ダメか?」 「日向くん、このままじゃ可哀想だよ。狛枝くんに上着掛けてあげよう。それから狛枝くんの衣類と鞄はあるかな? 身分証とか財布とかが入ってると尚良いんだけど…」 七海が進言して、日向は初めて気が付いた。今の狛枝は上半身裸なのか。狛枝の裸というと、男にも関わらず何故か色っぽさを感じてしまう日向だったが、襲われた時の恐ろしい映像が頭にこびり付いている所為か、比較的冷静でいられた。 『そうなると、日向クンが狛枝クンを運んで、七海さんが<目星>だね。ロール頼むよ』 「ここで外しちゃったら、カッコつかないかも…」 小さくそんなことを言った七海はダイスに手を伸ばす。テーブルに落ちる白と黒が2、3回軽く跳ねた。 <目星> 探索者名 技能 _出目 判定 七海 千秋 (90) → 46 [成功] 【苗木 誠/GM】 『七海 千秋は狛枝 凪斗の衣類と鞄、及び鞄の中に身分証の入った財布を見つけることが出来ました』 【日向 創/PL1】 「じゃあ探偵事務所に鍵を掛けて、病院に向かうか」 【苗木 誠/GM】 『日向 創と七海 千秋は施錠をし、探偵事務所を後にして、病院へと向かいました』 『シーンを一旦ここで切るよ。2人とも良く頑張りました! 中々苦労する展開だったね。一応もうちょっと楽な方法もあったんだけど…』 戦闘が終了し、ホッとしたのも束の間。苦笑混じりの苗木の言葉に日向はパッと顔を上げる。楽な方法…? その表情を読み取った苗木は肩を竦めた後、すぐさま持っていた指揮棒をカチカチと伸ばした。 『まず戦闘の最初で七海さんが<組み付き>ロールを成功させたよね? 実はあの時点で勝負は決まってたかもしれなかったんだ』 「!? 七海の<組み付き>でか?」 意外な苗木の言葉に日向は上擦った声をあげる。七海の<組み付き>は戦闘の序盤…、あの時にもう決まっていた? 言葉の意味が良く分からない。怪訝な表情をする日向と同様に、七海は「ん?」と微妙な顔つきで人差し指を口元に当てた。 『日向クンも七海さんも気付かなかったけど、<組み付き>は2人でも出来るよ。しかも1人成功した後なら、2人目は自動成功になるんだ。もちろんSTR(筋力)は2人分になって、<筋力対抗>ロールは日向クンと七海さんのSTRを足した値25と狛枝クンのSTR9で対抗させる。成功率は…、100%越えになるよ』 「それって…、」 100%…。完全に成功する確率。それが意味する所に巡り巡って、日向はある結論に行きついた。その事実に愕然とし、思わず眩暈がした。フッと全身から力が抜けて、ぐらりと周囲が傾く。苗木は視線を泳がせ躊躇いながらも、その言葉を口にした。 『つまり七海さんの後に、日向クンが<組み付き>をしていれば終わっていた戦いだったんだね』 「な…、………」 日向は言葉を失った。七海は小さく「忘れてた…かも」と呟き、頭をことりと傾げる。<組み付き>のルールに気付いていれば狛枝を傷付けることなく、拘束することが出来たのだ。長い長い沈黙の後、日向は重くどんよりと嘆息を漏らす。 「苗木、…初めっから教えておいてくれよ。無駄なことしちまった……」 『ごめんね。ヒントをあげ過ぎるのもどうかと思って。もちろんキミに2人で<組み付き>を進言されてたら、ボクは許可をしたよ。でもそんなの無意味でしょう? キミは…、キミ達は、何のためにここに来たの?』 「…苗木」 『自分で道を切り開かなきゃダメなんだ! 紛れもないキミ達の手でみんなを救うんだよ。日向クン、キミは未来を創る希望たる存在。負ける訳ないって信じていたよ、ボクは…。だってここで負けてしまったら…』 苗木はそこで言葉を切り、俯いてしまった。己を抱き締めるようにして、小さな体を更に縮ませる。それを見た日向は何も言えなかった。自分達の手でみんなを助ける。それは分かっている。ただ苗木…、アルターエゴの思考が理解出来なかった。狛枝はセッションに必要不可欠な存在。そう言ったのは、アルターエゴである苗木だ。しかしあのままノックアウトに失敗していたら、狛枝は確実に死んでいたのだ。本当に苗木は味方なのだろうか? そんな考えが心の奥底から顔を覗かせる。 「………」 『………』 七海は沈黙してしまった日向と苗木の会話を取り持つように、静かに口を開いた。 「日向くん、苗木くんは飽くまで進行役。セッションの判定は公平かつ公正にしてくれてる。あのね、だから…」 「…ああ、分かってるさ。七海。苗木に頼り過ぎるのも良くないよな。これからは考えられる限り、全ての可能性を信じて、疑って…行動する。そうでもしないと、みんなを助けられない」 日向の言葉に、苗木はしんみりと瞳を閉じる。やがて硬い表情を解き、いつもの優しい笑顔を見せた。 『その通りだよ、日向クン。分かってもらえて嬉しいな。ありがとう。……じゃあ、ボクは狛枝クンを呼んでくるね』 「あ、苗木…。俺が呼びに行くよ」 『そう? じゃあ日向クンにお願いしようかなー』 ニッコリ微笑んだ苗木に手を振られて、日向は席を立った。長い間腰掛けていた所為か、尻が痛い。しかし歩を進めている内にその痛みも徐々に抜けていった。本棚が立ち並ぶ図書館の最奥。上方に首を傾けると、狛枝の姿が2階に見えた。白い髪を躍らせた彼は1冊の本を開き、真剣にそれを読んでいるようだった。 ああ、いつもの彼だ。日向はそんな当たり前のことを考えて、1人笑みを零した。心が弾むというのは今の自分のことを言うのかもしれない。狛枝に会えるのが嬉しいのだろうか。2階へと続く梯子に手を掛け、ゆっくりと足を踏み締め 登っていく。木製のそれはやや軋むように揺れたが、元々しっかりした作りだったので、支障もなく日向は2階に降り立った。 「…あれ、日向クン? もしかしてボクを呼びに来てくれたの?」 日向の気配に狛枝は本に落としていた視線をこちらに向けてきた。ふわりと白い髪が揺れる。惜しげもなく見せる、人の好い柔らかい彼の笑顔に、緊張と恐怖に包まれていた日向の心が解けていく。自分にとっての狛枝が、いかに大きな存在かが改めて分かった気がする。しかしこの感情に何という名前をつけたら良いか、日向はまだ決めかねていた。 「そうだよ。休憩は終わりだ」 「わざわざありがとう。ボクなんかのために…」 「そう大したことじゃないだろ。それより、…何読んでたんだ?」 狛枝が手に持っている本を指差すと、「ああ、これ?」と日向に表紙を見せてくれた。黒いハードカバーで、狛枝の傍らにはいくつも同じような本が積まれている。その表紙に書かれているタイトルを日向は言葉に乗せた。 「ラヴクラフト全集…?」 「うん。昔、全部読んだんだけどね。久しぶりに読み返してみたんだ。結構忘れてる所もあったよ」 楽しそうに笑った狛枝はパラパラとページを捲る。懐かしいのか目を細めると、やがて彼はパタンと本を閉じた。別れてからさほど時間は経っていないはずなのに、すぐ隣に狛枝がいることが何だかすごく新鮮だった。 切れ長で美しい形の灰色の瞳は、淀んで落ち窪んではいない。綺麗な弧を描いている桜色の薄い唇は、口端から血など滴ってはいない。白いTシャツを着込み、コートを上から羽織っている上半身は痩せ気味だったが、ギスギスと痛々しくない程度に薄く肉はついている。 「さて、お迎えも来たことだし片付けないとね」 「手伝うぞ」 そう言って、日向が黒い本に手を伸ばすと、狛枝は「ありがとう」と表情を緩める。狛枝を手伝って本を棚に戻しながら、日向はぼんやりと考えた。自分が狛枝の寝室で一緒に寝ていれば、少しは違ったセッション展開になっていたのだろうか。無下に狛枝の誘いを断ったことを心のどこかで後悔していたのだ。 あれはただのロールプレイだ。だけどあの中で狛枝が死ねば、ここにいる彼自身は消えていた。でもどうにかセッションで死なずに済んで、図書館にいる狛枝も消えることなく存在している。良かった…。狛枝は、生きている。それが無性に嬉しい。コロシアイ修学旅行での狛枝のことは好きではなかったが、それでも死んだ時は悲しかった。そのことを思い出した日向は目頭が熱くなってくる。 「狛枝……」 「? ど、どうしたの…っ? 日向クン!」 「ははっ。何だよ、その反応」 「…『何だよ』って、もしかして気付いてないの?」 狛枝は心配そうに「今にも泣きそうな顔してるよ」と言って、恐る恐る日向の頭を撫でる。優しい指先が降ってきて、慈しむような手の動きに日向は目を閉じた。何で狛枝に頭撫でられて安心してるんだ。心のどこかでそう叫ぶ自分がいたが、黙殺した。 「何か辛いことでもあったのかな?」 「……何にも、ない…っ」 狛枝は「そっか」と短く返した。まるで日向の心の内を見透かしているようだったが、不思議と気分は悪くない。頭から落ちてきた狛枝の手がするりと日向の頬を撫でた。そして、ごく自然な動きでその手を日向の首元へと回す。 「あ……っ」 抱き締められている。そう思った時には、もう自分から狛枝の腰に両腕を回していた。自分とそう変わらない身長。体は骨張っていて、お世辞にも抱き心地は良くない。ただ鼻を掠めるシャンプーの匂いは仄かに甘く爽やかで、修学旅行と変わらないその香りに狛枝の存在を強く感じた。狛枝が自分の目の前にいる。今の日向にとって、彼は何よりの希望だった。 「あれ、あれあれあれあれ? ……日向クン、どうして振り解かないの?」 「さぁな」 「逃げるように離れて…、殴るだろうなって思ってたのに。あああああ、予想外だよぉ…」 「…俺も、予想外だよ」 震える狛枝の声に、溜息混じりにそう返す。「こいつ腰細いな」などと思いながら、腕でそれを擦って確かめていると、何やら狛枝の息が荒くなってきた。更に下半身に何だか固くて熱い物がグリグリと押し付けられている。悪寒を感じた日向は慌てて、腕を解き、狛枝から体を離した。 「お、お前…! な、な、な、何……っ!!」 「何って、そりゃ勃っちゃうでしょ。だって大好きな日向クンに抱き締められてるんだよ?」 とろんとして顔を赤くした狛枝は完全に発情しているようだ。息を「ハッハッ」と犬のように短くし、ズボンにはテントが張っていた。 「バカ野郎…!」 1人小さく呟く。狛枝が変態なのは分かり切ったことで。軽率な行動をした自分が発端なのだから、狛枝だけを責めるのは筋違いだ。日向はカーッと顔を赤くして俯いた。狛枝は微笑みながら、日向の頭をポンポンと軽く触れる。 「ごめんね。日向クン、何だか抱き締めてほしそうにしてたから、つい…ね。どういう風の吹き回しか知らないけど、役得ってやつかな。…どう? 元気になった?」 「…どーも」 「素直な日向クンなんて、レアなこともあるんだなぁ。この先の不幸に耐えるためにも、魂に刻んでおかないとね」 大袈裟な奴だ。だけど彼と抱き合って、何だか気分がスッキリしたように思う。ただ照れ臭さが抜け切らず、日向は狛枝の顔を見れない。固まってる日向の横を通って、狛枝は梯子に足を掛けた。 「じゃあ本も片付け終わったし、行こうか。七海さんと苗木クンを待たせる訳にはいかないもんね」 「狛枝…」 「ん、なぁに? 日向クン」 「俺から離れるなよ。というか俺が離さないから。…寝る時も一緒だ」 「…え、え、……えっ!? えええええっ!!!」 灰色の瞳が驚いたように大きく瞬きする。その瞬間、ガッと狛枝の足元から音がした。梯子から足を踏み外した音らしいというのは、後で本人から聞いて分かったことだが。 ワンテンポ遅れて、ズシンと大きな衝撃音と共に図書館の窓が僅かにビリビリと揺れる。1階でぐるぐると目を回して、倒れてる狛枝を見て、日向は茫然としたまましばらく声が出なかった。 「お、おい。狛枝。大丈夫か? 頭打ったんじゃ…」 「頭は平気だよ。ちょっと腰が痛いかな。…あははっ、キミに抱き締められた幸運の反動が今来たみたい」 | |